年を取って色々な事を得て失う。人生の年代毎のテーマをそれぞれが抱えている。多くの人は会社に就職して結婚して子どもを授かり人生を歩んでいくように設計されたこの社会ではそのような生き方に適応できなかった人間には少し辛いものがある。
仮に資産を持って資産で生きていくような投資家や経営者になったらどうなるのか?自分の腕っぷしだけで生きていくフリーランサーや自営業になったらどうなるのか?そういった人種は割とマイノリティに属する。
更に言うならばそれらの複合系の人間もいるだろう。世の中には資産を持ちながら本業を行う本を出版するようなスーパーマンのような生き方をするような人もいる。サラリーマンという生き方に疑問を覚えるようになったのはそういう人達が脚光を浴びているからだろうか。
ある時期になり多くの仲間や知人が家庭を持つようになった。ある時期になり多くの仲間や知人がしっかりとしたポジションで働くようになった。そういう時期からえらく肩身が狭くなってきた。自分は未だに好き勝手に生きていて完全に自活もできていない。生かされた存在であるという事。でも、だからと言ってそういった生きる姿勢を変えるつもりもあまりない。自由に使えるお金があまり無く、時間を持て余し、好き勝手に生きる明治時代の高等遊民みたいな生き方。ならず者。
ある時期から己にとっての青春が音もたてずに終わったなと感じた。これからは人生は余生のようになるだろうと薄々感じているのが現状だ。だけど、何だかここまで来れたのだなと言う達成感も多少なりともある。そう、僕はここまで来たのだ。多くの思い出、出会いや別れ、喜びや栄光、挫折。多くの物事を経験してここまで来たのだ。
僕にとっての青は散ってしまった。そのような事を噛み締めながら、お得意の自分の好物であるカナディアン・ウイスキーを流し込む。きっと、明日は良い事があると信じたい。