今、右手の一部が麻痺していてうまく動かない。
文章仕事の休憩に趣味の文章を書く、ということをしていたら、指の神経がやられた。文章を愛し過ぎたゆえの損傷に、私は心から喜んだ。そうそう努力が認められない世の中で、物質が私の努力を認めたのだから、これはとても素晴らしいことなのだと。毎週2、3回の通院を余儀なくされたとしても。愛は痛いものだと聞いたことがあるから、もしかすると、私は文章から愛を返してもらっているのかもしれない。
だなんて空想を繰り広げて喜んでいる最中、事件は起こった。
「普通に生きていたらそんな大層な事件にそうそう遭わない」と言われるけれど、面倒なので「ですよね~」と返事するけれど、私はなぜかトラブルが向こうからやってくる。
「そんなこと言って、何かしらトラブルに見舞われる原因があるんだって」と言われるけれど、「ですよね~」と返事するけれど、本当に一方的に向こうからトラブルがやってくることが、多々ある。「そういう星のもとに生まれた」としか説明がつかないことが、世の中にはある。
例えばその昔、仕事で終電になった日。電車から知らない男に尾行されたことがある。
あからさまに尾行されていた。ひと気のない道に入ったら危ないと思い、帰り路の途中にある女子トイレに逃げ込んだ。
周りの施設はとうに閉店している時間。電話で家族を呼んだけれど、助けに来るまで時間がある。それまでトイレの個室に閉じこもろうとそこで待機していた。
ドアがノックされた。警備員だった。「助かった」と思った。
「今、変な人に追い掛けられていて」と言うと、
「は? 誰もいないけど。あんたは頭おかしいのか? このトイレはもう鍵を閉めるから出て行ってくれ」と言われた。
「本当についさっきここに入って、本当にいたんです。近くにいるかもしれないので、すぐに家族が迎えに来るので、五分だけ待ってください」そう言うと、
「じゃあ、あんたが入ったまま鍵を掛けてやるよ。これで安心だろう」
と言って、警備員は笑った。背筋が凍った。
押し問答をしている間に母が迎えに来てくれたので、私は事なきを得た。
この事態を、どうしていれば避けられるのか。何1つとして能動的に事件を起こそうとはしていないのに、知らない男に追い掛けられ、早く帰りたい警備員に責められる。もうとっとと死ねとでも言われている気分だった。
「おかしな人に会う前におかしな人だと思われるために奇声を上げながら帰れ」
と、本気なのか冗談なのか馬鹿にしているのかわからないけれど、提案されたことがある。実行したことが一度だけあるけれど、一度だけで心が折れた。お風呂のお湯が優しく思える程に落ち込んだ。若気の至りだ。
こんな事件に見舞われ、あんな事件に見舞われ、最近ではこのような事件に見舞われた。
その夜、私は電車をひと駅乗り過ごしてしまい、タクシーに乗ることにした。
閑散とした駅前のタクシー乗り場。一番前に停まっているタクシーに乗り込み、目的地を告げ、疲れに身を委ね、目を閉じて時間を過ごした。
そう遠くなかったのですぐに到着し、眠っていた訳ではないのですぐに起き、財布を取り出した。
1320円の支払い。
まずは千円札を出した。運転席と助手席の間にあるコイントレーに、置いた。
次に小銭入れを探り、五百円玉を取り出した。コイントレーと手の距離が3センチあるかないかのところで手を放し、小銭を置いた。少しだけコイントレーの上で小銭が転がった。とは言っても、飛び跳ねた訳でもなく、転がり回った訳でもなく、ころり、ぱたん、といった様子だった。特段、珍しい光景ではなかったと思う。
それを見た運転手がおつりを渡しながら私を睨み、
「お金を投げないでください」と言った。
運転手の言うことを、私はすぐには理解できなかった。
「投げてませんけど」普通に思ったことを答えた。
「投げた」「ふざけるな」と激昂する運転手に
「投げていません」「コイントレーの上に置いただけです」と言い返した。
言い返してくるとは思っていなかったのだろうか。
運転手は「とっとと降りろ、警察を呼ぶぞ」と言い出した。
「呼べばいいじゃないですか」と、私は答えた。
売り言葉に買い言葉というよりも、この時はまだ、もし私に非があるのであれば私が警察に怒られた方が良いと思った。
そこまで悪いことをしているのに自覚がないのであれば、全面的に私が悪い。そこまで怒るのであれば、可能性はあるのかもしれない。そう思った。(冷静に考えたら、そんな訳がない)
運転手は「わかった」と言って、タクシーの扉を閉めて走り出した。
「近場の交番まで直接行ってやる」とのことだった。
夜中、他の車がほとんど走っていない道路、パニックになっている私、恐らくパニックになっているであろう運転手を乗せて走るメーターの切られたタクシー。
本当に交番の前まで行くだなんて保証もない。無事で帰れるという保証も。
「とうとうニュースデビューか」と思いつつ、停まった地点で彼がどう出るかでどうするかを考えようと思い、スマートフォンを握り締めた。
スマートフォンの上部を人差し指と中指で支え、他3本の指で左右を包む。この状態でスマートフォンの下部を人の顎に思い切り当てることで、一瞬、相手を怯ませることができる。波乱万丈な人生の中で得た護身術の1つだ。油断している相手にしか使えない。失敗したら二度目はない。この技は慎重に繰り出さなければならない。そんなことを考えていると、少しだけ息が弾んだ。
心配は肩透かしで、タクシーは本当に交番の前で止まった。
「荷物を持って先に降りろ、俺が先に降りたらお前が金を持って逃げるかもしれんからな」と運転手が言った。
降りた瞬間逃げるつもりなのは、切られないエンジンが物語っている。
この人、適当に喧嘩を売って後悔している、と、その時気付いた。
投げてもいない金を投げたと言われ、望みもしない交番の前まで連れて来られて、荷物を持って降りろと言われている。
こんな理不尽、許してなるものか。
駆逐してやる。そう思い、「そっちが逃げる気満々でしょう」と、その場で警察に電話をした。警察には昔からお世話になっているから、呼ぶということに抵抗は一切なかった。
警察官が来た。私は保護(?)された。私は怒りとパニックで泣きながら、事情を話した。
5分も経たないうちに、運転手の話を聞いていた警察官がやってきて
「運転手さんが謝るって言っています。連れてきていいですか」
と聞かれたので「いいですよ」と答えた。本当に謝ってくれるのだと、その時はまだ信じていた。
運転手は、ふんぞり返り、「どーもすみませんでした~」と適当に謝ってから、踵を返した。
タクシーに乗って、逃げて行った。
理不尽だ。
何で私は、夜中、正規のタクシー料金を支払って、よくわからない喧嘩を売られ、目的地ではないところで降ろされ、置いて行かれなければならないのだろうか。
めちゃくちゃ悔しくてその場で泣き崩れた。
「立場上、あんまり言ったらダメなんだけど、あれはあの兄さんが悪いな」
と、警察官がパトカーで家まで送ってくれた。パトカーに乗るのはどれぐらいぶりだろう、と思ったけれど、よくよく考えてみたら初めてだった。(よくよく考えてみたら去年か一昨年に乗った。保護(?)された時。語る程でもない被害届を出さない程度の事件にはたまに遭う。そういう星のもと)乗ったことあるのは現場検証に行く時のための刑事カーだった。
どちらにも共通していたことは、警察官も刑事も私のことを必死で慰めてくれたということ。
逃げる直前、タクシー会社の名前を記憶したが、車のナンバーを記憶できなかった。運転手の名前を確認しようとしたら名前の書いてあるプレートを隠されたのでちらりとしか見えなかった。
「これであいつはお咎めなしとか本当に無理」と号泣しながらこぼすと、
「タクシー会社は、その時間に運転手がどこにいるか把握しているから、会社にかけてごらん」
と警察官がアドバイスをしてくれた。
帰ってすぐ、タクシー会社に電話をかけた。電話に出た人は、その人の上司のようで、話をしたところ、
「あの、頭つるつるで髭の奴ですか」
すぐにそう答えた。本当にこう答えた。
恐らく、他にも問題を起こしていたのだろう。そいつはすぐに捕まり、「必要とあらば今すぐにでも謝罪に」とおっしゃっていただいた。
翌日、やたらでっかい和菓子の箱を持って謝りに来た。和菓子はいらないから運賃を返せと思ったけれど、そういうのが目的と思われたくないのでやめた。
その夜のことを最初から最後まで反芻して言葉にしていただき、足りないところを私が付け加え、すべてを思い出していただいた上で「申し訳ございませんでした」と謝っていただき、帰っていただいた。このぐらいはしてもいいと思った。悪人だろうか。
和菓子は、少しだけ食べた。けれど、食べる度に怒りが蘇るので、友人宅に持ち込み、酒のあてにした。
こういう話をすると「でもあなたも悪いところがあったんじゃないの?」と言われることがあるので、あまり大っぴらには話をしない。事件そのものよりもこういうセカンドレイプ的被害の方がメンタルにくることを私は知っている。
その友人は「私もなぜかわからないけど異物混入食品によく当たるから、同じようなものね! 原因なんてないない、星のもと!」と和菓子を食べながら言ってくれた。すごく好き、と思った。
直後は、腹立たしくて仕方がない、だけだったけれど、冷静になった今、考えてみると。
ただ「小銭が転がっただけ」で「警察」と言った彼は、相当にストレスがたまっていたのではないだろうか。
それが仕事のせいなのかプライベートのせいなのか、何なのかわからない。ただよっぽど日々の生活では吐き出し切れない何かを抱えていたのだろうなと。
私は弱そうな見た目をしているので、勝てると思われたのだろうなと思う。
幸せそうな顔をしているので、少しぐらい八つ当たりしてもいいだろうなと思われたのかもしれないとも。
いい訳ないだろう!
私だって、日々全くストレスがない訳じゃない。辛いことだって酷いことだって、ある。
けれど、それをむやみやたらに表に出すことは誰かにそれを分け与えるということだから、極力しないようにしている。そうしているうちに顔に笑顔が張り付いた。だから私はいつでも「幸せそうな顔をしている人」らしい。
だからなのか、よく八つ当たりされる。少しぐらい、悪く言っても、雑に扱っても、いいんだと思われやすいのだと思う。
そういう扱いに慣れてしまったので、多少のことでは怒らない。拒みもしない。むしろ、受け入れる。笑う。その方がその人と仲良くなれるから。仲良くなれば、もうその人は私を傷付けないから。まぁ、八つ当たりするだけしてすっきりして、どこかへ行ってしまう人もいるけれど。それも、慣れた。
独りで歩いていると、未だにフラッシュバックでうまく歩けなくなることがある。
そうなる度に、過去や他人に対する恐怖と、私が「そういう狂人」だという現実を突きつけられて、苦しい。立ち止まり、肺に息を送り、耳を塞いで、「早く殺してくれ」と願う。物凄いストレスだ。
けれど、そういう発作があるという話どころか、病気であることすらリアルでは滅多に打ち明けない。こうした症状で今も苦しんでいるという話は、誰にもしたことがない。せいぜい、眠りが浅い程度の話だけ。
話をしたところで、何の意味もない。私はPTSDだし、過去は変えられないし、記憶は消せないし、治す薬はない。ただ可哀相な人だと思われるだけなら、歯を食い縛って堪えた方がましだ。物凄いストレスだ。
先日、歯医者で「この年齢でこんなに歯がすり減っているなんて」と驚かれた。身を削って(正確には骨だけど)ストレスに耐えている。自分の中で処理している。社会の中で生きていくために。
理不尽に与えられたストレスだからと言って、理不尽に他人になすりつけてもいいと思う人がとても多いように思う。私がそういう目に遭ったのだから、他の人が同じ目に遭ってもおかしくないと。
そういう意識が、ずっと、悪いものを社会の中で循環させている、と思う。
理不尽なストレスが生み出される一方で排出されずにいるから少しずつ溜まり、空気は淀み、その中で生きる人も。
私はもう悪いものの餌食になりたくない。だから、そうしたものが社会から取り除ければと願うのだけれど、私にできることはとても少ない。こうして出会った人に、こうした思いを伝えられるシーンに出会った時に、伝えるしかない。
なので、運転手には目いっぱい、説教させていただいた。響いてないとは思うけれど、「売った喧嘩が購入されてしまうことがある」という強烈な経験は、彼の人生のこれからの何かを変えるのではないだろうかと少しだけ期待をしている。
理不尽はどう足掻いても自然発生する。だからこそ人的な理不尽が少しでも減れば、と、今日も願う。