の続き
〔排外主義の流れ〕
明治維新にいたる数年間、欧米の文化に激しい嫌悪をいだき、来日した欧米の使節団に斬り込むなどのテロを働いた人達がいた。彼らは「志士」「国士」と呼ばれ、その運動を「尊王攘夷運動」と言う。 これが近代日本における排外主義運動のひとつの原点である。 この攘夷運動は実を結ばなかったので、この時燻っていた憎悪を再び燃やしたのが、太平洋戦争であった。 戦後、石原莞爾が「ペリーをつれて来い」と叫んだのもこの流れからである。 太平洋戦争のただ中で日本人は、アメリカへの憎悪をたぎらせていた。 「鬼畜米英」というシンボル言語が国中に溢れていた。 清沢きよし(外交評論家)は、軍部主導でメディアから流れるヒステリックな言語に嫌気を感じながらこう記録している。
敵性文化の排撃 内務省と情報局は昭和18年1月13日、英米音楽を国内から一掃するために、1000曲近く演奏を禁止した。 これを「敵性音楽」と呼んでいる。 また英語の雑誌名なども日本化が謀られ、野球用語もストライクを「よし」、アウトは「ひけ」になったそうだ。 もちろん、太平洋戦争の始まりと共に、米国からの宣教師達は特高思想警察に逮捕されている。 今日の排外主義 それから70余年。 今日の社会で、「在特会」のような排外主義が再び活発に活動している。 また、沖縄基地問題などもあり、反米思想も再び起こっている。 右翼の反米思想 靖国信奉者の中には、「日本はアメリカにはめられて、太平洋戦争に引きずり込まれた」とか言う「日本=被害者論者」が存在している。被害者意識の強い彼らは「アメリカが悪いんだ」と思いたい訳だが、どう見ても暴走した関東軍が満州事変を始めやがて中国を侵略しながら、アメリカをはじめとする国連との関係を著しく損なう過程を無視しているとしか言えないだろう。しかし彼らは完全にこれを無視して石油輸出禁止やABCD包囲陣を強調するだけである。 今日ではアメリカが「東京裁判史観」で日本人を洗脳したなんてデタラメを垂れ流している。
こういう人達の中には、小堀桂一郎のようにアメリカを殊更に非難する傾向があり、ある意味明治維新以来の反米保守の100年史(林房雄)を正統に引き継いでいる。その小堀がべた褒めした田母神俊雄は、江藤淳か、はたまた石原莞爾の後継者のように、「アメリカはユダヤ(=共産主義)のスパイの陰謀で対日戦争に引きずり込まれた」「大東亜戦争は白人支配から有色人種を解放する聖戦だった」と講演して回っている。「聖戦」というところがミソの一つである。 太平洋戦争の最中には、軍部主導の鉄拳まじりの愛国教育の甲斐があって、対米戦争を「聖戦」と信じる軍国少年少女たちが増産されていた。謀略で始まった満州事変に昭和天皇は不快感を示したというが、その臣民の中には軍への慰問袋で差し入れが大量にあったのだ。 ある種の人々にとって、まさにあれは「聖戦」だったが、他の多くの人達にとっては無意味に不幸と罪をつくる戦いでしかなかった。そしてやがて敗戦と共に軍部が流していた情報が嘘八百であった事を人々は知った。 世界には様々な反米思想が存在しているが、滅びるのは常に反米側であった。アメリカはいろいろと問題もある国だが、その一つの理由はアメリカに入ろうとする難民を拒まなかったからである。メイフラワーに乗った最初の入植者伝説を持つアメリカでは、移民を拒否しない世論が形成されていたのである。 しかし、戦火で国を失った難民にしろ、移民にしろ大抵は貧民であったし、生きるための犯罪を犯す者もいたし、多数の移住者の中にはギャングもいたわけだ。こうして治安は不安定となり、特有の銃社会、訴訟社会が生まれたものとみれる。
もちろん、日本を含めアジア各国からの移民も大量に受け入れており、それ相応の安定した社会と犯罪の横行する黒社会を同時に形成しているのである。
日本のように、移民、難民をほとんど受け入れていない社会の治安がいいのは、当たり前であろうと思う。
まとめ
日本の今日的排外主義運動は、江戸末期の尊王攘夷運動の怨念の顕れである。その尊王攘夷保守の100年史の一環とも言える。ゆえに彼らはみな基本的に「日本最高」を唱える国粋主義者である。しかし今更「アメリカ出て行け」とも言えないので、朝鮮、韓国に的を絞った時代遅れの攘夷運動が形を変えて顕れてきたのである。それを単なる”憂さ晴らし”とは言えないと思う。
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