日大は学生一人をカメラの前に晒した

(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 褒めるというのは違うのかもしれないが、立派な青年ではないか、というのが会見を通しての率直な印象だった。関学・日大のアメフトの試合で反則行為を行った日大の選手による記者会見だ。

 代理人の弁護士はそばにいたが、二十歳だというその選手は、ほとんどの質問に自分の言葉で答えた。「顔を出さない謝罪はない」という考えのもと、プライバシー保護を盾にすることなく、撮影の制約をも設けず、何が起きたのかを正直に話すことが謝罪の第一歩と本人・両親が合意して、今日、5月22日の会見を開いたという。

 そしてそこに日本大学の関係者はいなかった。

 まずこのような時、通常は、組織が「選手」を守る。例外は、問題の行為が「完全に個人の問題」で、組織的な関与が「一切ない」と言い切れる場合だ。今回のように監督が(具体的な事実関係の説明をしないままだとしても)「全て自分の責任」として謝罪に動き、辞任を明言しているような場合、籍を置く組織(大学)が、選手個人を守るのが基本であり、また組織としての責任だと言える。その「選手」が管理職でなく、ましてや社会人でもなく、「学生」であれば、尚のことだろう。

 大勢のマスコミが集まる記者会見場に「選手」は、本来そばに寄り添い、アドバイスをしてくれるはずの監督やコーチなしで、やってきた。組織もない。何の後ろ盾もない状態だ。

 それがどれだけ大変な覚悟のいることか、取材する側はよく知っている。反則行為は確かに言語道断かもしれないが、学生にここまでさせるのかというマスコミも少なくなかったようで、質問は、「監督・コーチの指示は絶対で、選手としてそれ以外の選択肢がなかった」こと、「監督が口にするような意味の取り違いではなかった」こと、「逆らえない関係性である」ことを確認する質問が相次いだ。

 ところが、その選手は、何を聞かれても、「監督とコーチの指示があったにせよ、実際に反則プレーをしたのは自分なので」と繰り返し、監督・コーチに対する思いや、今後のチームなどについての質問には、「僕がどうこういうことではないと思っている」「それは僕の方から言うことではないので、すいません」と謝罪と事実関係以外に言及することを徹底して避けた。

 その姿勢はスポーツマンらしさを感じさせた。

 

 そして、自分を守ってくれなかったという恨み節は一切なかった。そして選手はこの先、アメフトをやる権利もないし、やるつもりもないと言った。

 日本大学は、今回の問題をアメフト部の問題であり、この期に及んでまだアメフト部が前に出て対応するものと事態を矮小化して捉えているふしがある。

 しかし、ここまで社会が大きく注目する問題で、サポートなく多くのマスコミに一学生を晒すというのは通常の組織では考えられない。

 アメフトは、チームスポーツではないのか。こういう対応を教えるのが、日本大学なのか?