19Apr
Kouです。
少し時間が経ってしまいましたが、そろそろこの解答をしようと思います(^^
ちゃんと回答コメントを書きましたか。
これを書いている時点で、770件近いコメントが付いています。
かなりぐるぐる考えたと思います。
コメント欄を見ていても、それがよく伝わります。
いいんですよ。考えることに意味があります。
問題はヴァイオリン職人の話でした。
A:頂ける機会ならと喜んで教えを受ける
B:本来求めている方法ではないので遠慮する
このどちらを選びますかというのが問いですね。
ここで僕が正解として伝えたいのは、「A」です。
単純に考えると、分かりやすかったと思います。
いろんな条件を混ぜて考えた人ほど、難しい方向に行っている気がしました。
今回の設問で問いたかったのは、愛情の受け取りやすさについてです。
体質のことですね。
必ずしも、夢や目標を実現することがポイントではないということです。
「B」を選んだから即間違いということではないのですが、Bを選んだ人はほとんどがかなり難しく考えてしまっています。
ヴァイオリン職人として大成することを最終目標として考えたとき、もしかすると一人黙々と研鑽を積みつつ、伝説の職人の懐に入るチャンスをうかがっている方がいいこともあるかもしれません。
しかし問いたいのはそこではないんです。
愛情の受け取りやすさです。
つまり、愛されやすさですね。
誰しも、愛されたいと思っています。
より愛される体質になりたいと願っているわけです。
でも、心の中では愛されたいと願い続けながら、なぜか愛されにくい方の行動を取ってしまっているんですよね。
「A」と答えた人の中には、実際にその行動が取れるわけではなく、普段は「B」の拒否がデフォルトになっていて、「本当はAがいいに違いない」と思っていた人もかなりいるはずです。
愛情というのは、受け取る人にしか与えられないんです。
このことをよく知ってください。
あなたは理解できるはずなんです。
気持ちよく受け取らない人に、新たな愛情を与えたいとはなかなか思えないものです。
ちょっと想像してみるとすぐに分かることで、人の優しさよりも自分の我やこだわりを優先し続けることによって、「愛情を与えなくてもいい人」として認識されていくようになります。
自分が与える側になると、このことはより鮮明に実感できるようになっていきます。
同じ愛情を注ぐのであれば、それを気持ちよく受け取ってくれる人に与えたくなるものなんです。
女性だったら、料理が分かりやすいと思います。
あなたが作った料理を何でも喜んで食べてくれる男性と、自分の強いこだわりに一致しない料理は頑なに拒否するような男性と、一体どちらに料理を作ってあげたいか。
考えなくてもすぐに決まりそうです(^^;
ヴァイオリン職人の話と料理ではレベルが違いすぎると思うかもしれませんが、問いの内容は同じなんです。
教えてももいいと言ってきた先生の愛情を素直に受け取れる人は、その他の人からの愛情も受け取りやすくなります。
それから、恋愛に置き換える必要はないという補足もしました。
恋愛に置き換えると、問いとは関係のない全く違うテーマが出てくるからです。
それが、
「嫌いな男性からのアプローチを受けないといけないのか?」
というものです。
当たり前ですが、受ける必要なんかありません。
同じ問題じゃないので。
ただし、好意は好意としてもらっておくのは問題ないですね。
この辺が意味が分からないと言われそうです(^^;
相手からの好意を受け取るのと、応じるのは全く別だということです。
好きな男性以外からの好意を、まともに受け取れない女性がいるんですよね。
「その好意は要らないです」
と言うのと、
「好意はすごく嬉しいです。でもお誘いには応えられません。」
と言うのとでは、180度違います。
少なくとも愛情を受け取っているか、受け取っていないかという意味では、正反対の態度になるわけです。
ヴァイオリン職人の例で言えば、僕はとにかくまずは受けられる教えはありがたく受けた方がいいと思います。
授けてもらえるものは、何でも吸収したらいいんですよね。
受け取ってみて判断してもいいんですから。
それから、最近のメルマガで「取引」の話をしました。これにも通じることですが、先生の立場を想像してみるとさらに面白くなります。
先生はなぜ教えてくれるんでしょうね。
なぜ労力を割いてまで、面倒を見ようとしてくれるんでしょうか。
何でも素直に飲み込み吸収してくれるような人は、当然それが力になって表れます。
それを見て、さらにすごいものを託してもいいと考えるようになります。
何でもそうだと思うんですが、奥義に相当するような大事なものを譲り渡す相手は、人を選ぶんです。
育てる価値があると思われているからこそ、教えてもらえるわけです。
恋愛の場合は、とりあえずもらっとくというようなことをし続けていると、主に女性の方にリスクが来るので、同種の具体例としては適切ではないんですよね。
奥義に相当するようなレベルの愛情を得たいと思いませんか。
それを得るためには、そもそもまず愛されやすい体質になっていないと始まらないのです。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (11)
「好意はすごく嬉しいです。でもお誘いには応えられません。」
応えられなくても、まずは受け取ることですね!最近男性から興味を持ってもらうことが増え、一緒にいて居心地の良い男性も増えた気がします。全員が全員私と恋愛をしたいってことではないでしょうけど、興味を持ってもらえるのは嬉しいことです^^
でも時々勘違いさせちゃうので、びくびくしてます笑 「勘違いなんてさせておけばいいんですよ。女性って理不尽なものでしょ」ってKouさんが言ってくださいそう。
基本的に、男性側から連絡してくれたら、私が本当に応えたいと思う分だけ応えていく、という形を意識しています。そういうするとだんだん削ぎ落とされていきます。女性からも積極的にきてほしいと思う人や、お互いに合わないと感じた人とは、徐々に疎遠になってきている様子。
こういうとき、以前は、早い段階で白黒つけなきゃと負担を感じていました。前の恋では、ここで好きと思ってしまってどんどん深みにはまったんだと思います。相手の淡い気持ちだけで、それを世紀の一大事みたいな感覚で受け取っていたら確かに疲れますよね。今はやっと、曖昧なまま終息させることって別に悪いことではないんだなと思えてきました。
あ、1週間前にもコメントしてる…もやもやポイントらしいです。
今淡〜い好意を寄せてくれる男性がいて、事情が複雑なのもありかなり時間をかけないとと思っています。そのなかで、これ以上進まないでおこうと決めることもあるかもしれません。それって、恋愛で当然起こることなのに、なんだか妙なプレッシャーを感じます。
たぶん今までは好き嫌いがもっとはっきりしていた(はっきりするものしか見えてなかった)ので、はっきりしない状態でいるのが落ち着かないんだと思います。
その人とは、絶対ないとは言い切れないけど、今はその可能性が高く感じていて、でももしそれが覆るのだとしたら、私にとってはすごい体験になります。でもそういう姿勢でいるのは、ちょっと不誠実なのではとか、相手を傷つけないかとかも気になります。何を注意したらいいんでしょう?
Kouさん、こういう話題って今まであまりなかったと思いますが(私の理解不足なだけでしょうか…)、もし機会があれば聞かせてください。
嬉しくない投資ってありますよね。それ別に嬉しくないっていう。
それも記事にあるこだわりに入るのか微妙な所だなあ。
「(対して嬉しい投資じゃないけど)あなたの気持ちが嬉しい!私の事考えてくれたのね」に焦点をあてたらいいのかしら。
料理がまずかったとしても、相手の事を思って手間暇かけてくれたことは嬉しいことですし、大切にしたい愛情ですものね。
なんでも嬉しい!はもろ刃だなあと思います。
この話、すごく分かりました。
私も最近励ましたい人がいて、
励ましたところ
ものすごく拒絶されて暴言を吐かれました。
親切心で行った事を
無下に扱われると、もう私は何もあなたにできないよ。。と、こっちの心が折れてしまいます。
日々、kouさんのところで学んでいる事を、
職場の同期くんに試しています。笑
職場ですが、私の周りにあんまり男性がいないのでいいのです。笑
受け取ること、そして大げさに喜ぶ事で本当ーーに分かりやすく反応してくれますね。
かわいい…(*˙˘˙*)
受け取り上手なモテ子ちゃんも同じチームにいるので、彼女も参考にしながら勉強の毎日です。
実践してみるのが一番ですね!
最新コメで上がってて久々に元ネタ共々読んだけど、これはじっくり考えないといけないですね
とあるサークルに久々に顔を出しました。
仲間の一人から1年前に約束していた物をいただきました。もちろん、飛び上がって喜びました。
その人は私が5年くらい片思いしていた人。当時は向こうに彼女がいたり私に自信がなくて、結局諦めて、都合でそのサークルを離れることに。
その後、他の人と恋愛したり自分のための勉強をしたりして過ごしていました。その人に対する気持ちは薄れていきました。
その間、サークルには年に1回くらい参加して、他は勉強会などで年に1回、その人と会えるか会えないかという状態でした。
サークル終了後一緒に帰ることに。家に着いたら、その人からメールが来ていました。「もっと話したかったね」と。
私は、未だかつてない距離感に恐れおののいて若干引いてしまいましたが、そこは普通に対応。
(今から考えると忙しい彼を引き寄せるチャンスだったのですが…)
でも、振り返ってみると、1年前の約束を覚えてくれていたことや勉強会で会った時に顔を赤くしていたこと、サークル前日にメールをくれたこと、活動中に同じグループを私が選ばなかった時残念そうなリアクションをしていたこと、一緒に帰るように仕向けたこと(これは自信無いけど)、そして帰宅後気付いたメールは、もしかしたら深夜だったのでちゃんと家に着いたか心配してくれていたからか?
と、いうことに気付きました。遅いけど(^^;
以前はその人の志の高さにただただ憧れて、それを好きと思っていました。その人のそれ以外を見ていなかった。
今はkouさんのところで勉強したり、自分なりに勉強してそれなりに自信もつき、違った視点でその人を見ることが出来ます。
今回はちょっと残念な感じで、今後どうなるかは分からないけど、
わたし、どんどん愛されていきますよ!
そのために、ここで勉強です。
今まさに、こんな感じになっているのでコメント
今日初めて2人でご飯に行った人は、とても私のことを気に入ってくれたみたいです。
まあまだまだ性的興味で勘違いして、手を繋いできたり、好きだよ、とか言ってきたりしたんだと思いますが、、
私のことを高く評価してくれて、愛情をくれようとしている人にふらっといきそうになります。
ここで簡単にふらっといったら幸せな恋愛にならないこともわかるので、まだまだ簡単に明け渡す気にはなりませんが、愛情を素直に受け取るのは受け取るべきなのかな。
再来週は好きな人と会えます。
どうなるのかな。
Kouさん♪今さらですが、「人間関係は全て取引」について考えてみました。
「取引」って言うと、なんだか人を利用しているように聞こえますが、実はそうでもないと思いました。
取引の大もと、自分に利益を与えてくれる人を選ぶという点は同じです。
でもね、人は「愛し愛されたい」んだとおもうの。
「愛したい」という欲求も兼ね備えているんです。
この「愛したい」という欲求を満たしてくれる人は、最大級の相手の利益になるんだと思います。
だから、相手の愛したいという気持ちを素直に受け取る人は、取引に置き換えても重宝される人という事なんじゃないかと。。。
愛したいって、相手の幸せを願うこと。
最終的に相手が幸せになることを考えれる人。
それが愛する形の一つだと思うんです。
そして、それで何が相手の利益になるかと言ったら、対象者が幸せになったとき、与えた方こそ最大級の喜びを感じれる。ということなんだと思います。
友達関係でもそうです。
私も友人も互いに慰めあったり、話しを聞きあったり。喜び合ったり、同じ物事を楽しんだり。
互いに叱り合ったり。
それは相手も自分も幸せになるためにすることです。
幸せになれない。という道を選ぶならやっぱり言います。
これは、正しさを主張して自分の凄さを認めさせようとしているんではなく、相手が傷つくであろう自傷行為を止めている。というような感覚。
ですが、相手が本当に満たされていると感じたとき、自分のこと以上に嬉しくなります。
親子関係だと分かりやすいですね♪(^-^)
だから、そんな感情を感じさせてくれる対象。それは自分にとってかなりの利益を与えてくれる人ってことなのかな?なんて思いました。
だから、全ての人間関係は取引なのかな?って思いました♪
「人を愛する喜びを教えてくれる」という利益になる人がいる。
そして、実は女性は男性からして、そういう対象であっても良いんだと自分で認めること。
相手の愛したい欲求を素直に受け入れられる関係を、自分がこの人と作りたい!と思えるなら、交渉に乗るつもりで、相手に心を託してもいいんだと思います。
自分の判断基準で「~~してくれないから、大切にしてくれていない!」じゃなくて、相手が与えようとしてくれているものの本質をしっかり見抜き、大もとが「私が幸せになるためにそれをしてくれている」と分かれば、相手の好意を喜んで受け取ればいいんだと思いました。
それが、相手にとっても「人を愛する喜びを感じさせてくれる人」という利益になるから、取引という形で欲しがられるんじゃないでしょうか?
まさしく「お世話してあげたくなる女性」というのは、相手の愛したい欲求を満たしてあげれている女性。ということなのかな?なんて思いました♪
最近、深く実感したことがあります。
それは、愛情は実は身近に溢れているということです。逆にありすぎて、それに感謝しきれずにいっぱいいっぱいになってしまうくらいです。
本当はもっとありがとうと言いたいのに、伝えられていないという感じです。
最近、私にとってちょっと大変な時期がありました。それを知った仲間たちは、色々と気遣ってくれたのでとても驚いたのと同時に、胸を打たれました。
正直、改めてお礼もいったけど、それでは不十分なくらいの気持ちです。
あとは、表だって私に声をかけた訳ではないながらも、たぶん気にかけてくれているのだろうなーと思う人もいて、そういう人にこちらからバンバン声をかけるのもなんか違うので、結局心の中で感謝するだけになってしまう。
なんか、もったいないし心苦しいと思いました。
これからも、感謝や感動を忘れずに生きていきたいです。
ちゃんと全部終わったら、またそれとなくお礼言いたいです。