昨日、グラスゴーから一時帰国した仲間との雑談から思い出したことがあった。
グラスゴーは国じゃないって?わかっているよ
世の中には、憐れな人間もいる。情けない人間もいる。巧妙な人間もいる。 中級工作員も巧妙だが、情けない人間と考えられる。
出版利権並びに洗脳に共謀したに拘らず涼しい顔で偉そうな講釈を 垂れ流す奴も情けない、憐れな人間と考えられる。 しかし、巧妙さ、憐れさ、情けなさ、何れもを兼ね備えているという点では
表現規制反対論者に右に出るものは存在しない。 下剤と便秘薬を同時に飲んでしまうような笑い話に見えるが事実なのだ! 自分自身をやがて縛るような奴等を彼らは必死に擁護しているというのだ! 真偽は不明だが、H.Sトルーマンの言葉と称するものに下記のものがある。
>猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
>方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。 >そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。 >これで、真実から目を背けさせることができる。 >猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。 >そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。 >(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。 >これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。 そして、「真実から目を背けさせる」目的を漫画やアニメーションと言った退廃的娯楽が見事に果たしてくれている。
上には言及されていないが「必要に応じて取り上げることも可能」である。 これが表現規制なのだ。前述の戦中に存在したユダヤ人説と組み合わせると興味深いものが有る。 情けない人間だからこそ、退廃的娯楽に依存する。そして最終的には情けない結果に、退廃的娯楽側の手によって施される。
嗤うのは退廃的娯楽側である。
アーハッハッハ!!!!!!!!
破滅的結果になった時、情けない人間は、塀の中で悔やむのだろうか、それとも自覚すら出来ずに未だに退廃的娯楽を懐かしむのか?
利権側達の懐に消えるだけなのに…
何より、自分自身の将来が少しずつ途切れ途切れになるだけなのに…
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