ウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」の代表・猪子寿之が、変わりゆくメディア環境のなかのアジアと日本をめぐって思索する新連載。第2回の今回は、我利我利亡者の多い都市はおブスちゃんが多いナゾを解きます。
文: 猪子寿之 写真: 淺田 創(セセッション)
アジアの金融都市で……
日本は資本主義がきちんと入っていないからダメだ、とよく言われます。たしかに、ある側面ではそうかもしれません。僕は仕事で海外に行く機会が多いのですが、そうしているうちに、資本主義の概念とかわいさの関係性について、ひとつの発見をしました。資本主義の概念が強い都市は、かわいい女の子が少ない気がするのですが、その一方で、資本主義の概念が弱い都市は、かわいい女の子が多いのです。今回はそんな話です。
昔から、お金が集まるところに美女が集まる、とよく言われています。多分、その話は、ある程度は合っているのかもしれません。けれども、資本主義の概念が強ければ強いほど、その街で育った女の子は、かわいい子が少ない気がするのです。例えば、資本主義の概念が強く、金融都市として成功しているアジアの都市を思い浮かべてください。そのような都市は、非常に経済的に豊かなのですが、じゃあ、美女ばかりかというと、そんなことはない気がするのです。ちなみに、政治的に社会主義だったとしても、そういう制度とその街に住む人々の資本主義の概念の強い、弱いは、関係ないと思っています。逆に、資本主義がきちんと入っていないと、よく非難される東京をはじめ、資本主義の概念が弱い台北やバンコクなどは、かわいい子がたくさんいるような気がします。
資本主義の概念のベースには、すべての価値はお金に換算可能であるという信憑があると思います。そして使った資本に対して、どれだけリターンがあるかといったことが重要視されます。
結果、金融都市など、資本主義の概念がものすごく強い街では、無意識に、すべての価値をお金に換算してしまい、投資対効果を考えてしまうのではないかと思うのです。女の子たちは、かわいくなるために、労力、時間、お金、つまり資本を使います。資本主義の概念が強い街では、彼女たちにとって、それは、投資なのです。毎朝と週末をつぶしての投資に対して、きっと、上位の1%くらいのうまくやった女子は、それだけの投資に見合うだけのリターンを男子から得るでしょう。でも、それ以外の普通の男の子とつきあった女の子には、かけた労力、時間、お金に対して、そんなにリターンが返ってきません。投資対効果を考えると、普通の男の子から得られる見返りのために、そんなに労力も、時間も、お金も使えないのです。見込めるリターンに対して、資本効率を上げるためには、これぐらいでいいでしょ、という感じです。
資本主義の概念が弱いと、多くのことをお金に換算できると思っていません。ましてや、使った資本に対して、相手からのリターンを考えて、見合う見合わないというようなことを考えません。ですから、かわいくなるために使った資本に対して、あきらかにリターンは見合っていないんだけど、労力も時間もお金も使います。そもそも、相手のためになんて、あまり考えてもいません。かわいくなることは、自分の楽しみなのです。なので、リターンをお金に換算して、投資対効果を考えるなんて、想像もつきません。例えば、今回の彼氏が、毎回、エコノミーなご飯しかおごってくれないから、かわいくなるための投資を減らそうなんて、絶対に考えません。かわいくなることは、相手とはあまり関係のない自分の楽しみなのです。世の殿方は、男のためだと、思っているかもしれませんが、例えば、東京では少し前なら、派手なネイルをしている女の子がクリスタルをつけるときは親指にしていました。今は、クリスタルを一つだけつけるならば、親指よりも人差し指にしている人が増えました。理由は、昔はガラケーで、今はスマホだからです。つまり、ケータイを使っている時に、自分の視界によく入る指にクリスタルをつけるのです。