#MeTooムーブメントは、業界で強い権力を持つ大物すら倒し、長い間沈黙を強いられてきた非力な被害者たちにかつてないパワーを与えた。
だがその一方で、女性が中心になっているこのムーブメントに脅威を覚える男性もいる。「冤罪はどうなのか?」という反論が出てくるのは、「自分は何も悪いことをしていないのに、セクハラの加害者として訴えられるのではないか」という漠然とした恐怖を感じるからだろう。
これまで被害者の視点で多くの記事を書いてきたので、今日は、男性が抱えるこの不安と、女性側からの「行き過ぎ」といえる告発について書いてみたい。
まずはっきりさせておきたいのは、「大人と未成年者の性行為は、いかなる場合も大人に非がある」や「おじさまへの「憧憬のまなざし」は必ずしも「恋心」を意味しない」で紹介したような例に対する「冤罪だ」とか「ハニートラップだ」という批判は心ない被害者叩きであり、許されるものではないということだ。
そのうえで押さえておきたいのは、「無罪なのに訴えられるかもしれない」という不安を抱く男性の多くは、自分の権力や体力を乱用してセクハラや性暴力を行う加害者ではないという事実だ。
#MeTooムーブメントがパワーを持ちはじめたのは良いことだが、それに乗じてフェミニストですら「それはセクハラでも性暴力でもない」と反論する「行き過ぎ」の告発も出てきている。「行き過ぎ」のセクハラ告発は、本当の性暴力やセクハラの被害者を助けない。それどころか、#MeToo ムーブメントへの誤解や反感を強める迷惑な行動だ。
今回は、そういった「行き過ぎ」と思われる告発例を紹介し、女性にも言動への責任を求めたい。
セクハラを訴えたある女性の告発
#MeTooムーブメントの初期に、夫が仕事で関わったことのある男性がセクハラで告発され、メディアでかなり話題になった。告発者の女性も仕事で関わりがある知人だ。
こういうとき、夫は自分の意見を言う前に私に「どう思う?」と尋ねる。男である自分と女の私では視点が異なると知っているので、自分には見えていないことを学んだうえで自分なりの結論を導き出そうとするのだ。
複数のメディアの情報と被害者自身の証言によると、次のような出来事だった。
男性は50歳前後で既婚。女性はやや若いが同年代で離婚している。2人は別の組織で働いているが、男性のほうはその業界では有名で、強力なコネクションを持つ。女性は起業でわずかながらも成功し、現在は企業の上位管理職にある。
あるカンファレンスで2人が再会したとき、男性が「僕のホテルの部屋にチームの連中が来てルームサービスを取るから加わらないか?」という内容で誘った。女性が同意して一緒に入ったエレベーターの中で男性がいきなり女性にキスをした。女性が男性を押し返して「ノー」と断ったので男性は止めた。部屋に行ったところ、彼女以外の誰も現れなかった。だが、女性はそこで部屋を出ず、一緒にルームサービスを取って食事をした。エレベーターの中でキスを拒否したにもかかわらず、男性のほうは何度も迫ってきた。彼女はそのたびに「やめて」と拒否した。そういったやり取りの後、女性は服を着たまま男性と一緒にベッドに横たわって話をすることに同意した。
彼女がメディアで公にしたのは、この男性がセクハラを行ったほかの犠牲者たちが仕事で弱い立場にあり、報復を怖がって名前を出さないからだという。彼がこれ以上誰かを犠牲にしないために、あえて彼の行動を表に出したということだった。
彼女が受けたのはセクハラだったのか?
私は夫に「この情報が事実なら、これはセクハラでも性的暴行でもない。私は彼女を公に支持できない」と答えた。
まずは、アメリカでの「性的不品行(sexual misconduct)」と「セクシャルハラスメント」の定義を見てみよう。
○「性的不品行(sexual misconduct)」の定義
性的不品行は、自分の性的欲望を満足させるために相手の意思に反して、あるいは相手を犠牲にして行う広範囲の行動を含む。性的不品行には、セクシャルハラスメント、性的暴行、相手の同意を得ない性的な行為、あるいは対象への脅迫や威嚇の効果がある性的な行為のすべてが含まれる。
○「セクシャルハラスメント」の定義
アメリカ雇用均等委員会(EEOC)のガイドライン(弁護士の松本あかね氏の文書から引用)によると、セクシャルハラスメントとは「歓迎されない性的な言い寄り、性的好意・愛情の要求、および、その他の性的な性格の言語的または身体的行為」であり、
①そのような行為に従うことが、明示的または黙示的に、個人の雇用条件とされている場合
②そのような行為に従うこと、あるいは拒否することが、当該個人に影響する雇用上の決定の基礎として用いられる場合
③そのような行為の目的もしくは効果が、個人の労働や職務遂行を不当に阻害したり、脅迫的、敵対的、ないしは不快で侵害的な労働環境を作り出したりすることにある場合、である。
これらを参考にさきほどの女性の告発をチェックしてみよう。
- 2人の間にははっきりとした力関係がない。女性が断っても、仕事への影響はない。
- 求めないキスをされて女性が「ノー」と断ったときに、男性はストップした。
- それでも彼女は、自らの意志で男性の部屋に行った。
- 彼女は結婚の経験もあるし、人生経験豊富な大人だ。
- 望まないキスをされた後でもホテルの部屋に行ったとしたら、男性は「イエスになる可能性があるノー(暗黙の合意)」と受け止めた可能性がある。性的に経験がある女性ならそれは想像できる範囲だ。
- 誰も来ないとわかった時点でも女性はそこに残って食事をする判断を自分で下した。脅されたわけでも、強要されたわけでもない。
- 彼女はベッドで一緒に横たわることを合意した。
男性は既婚者なので妻を裏切ったことになるわけだが、それは夫婦間の問題であり、セクシャルハラスメントとは関係ない。たとえ彼が別の女性に対してセクハラをしていたとしても、少なくともこのケースに関してはセクハラでも性的不品行でもなく、「あまりうまく行かなかった浮気」にすぎない。
アメリカの人気コメディアンへの告発
新年早々に全米で話題になったのが、若い一般女性が仮名で男性コメディアンを告発した『アジズ・アンサリとデートに出かけた。私にとって人生で最悪の夜になった』というタイトルのBabe.comの取材記事だった。
アジズ・アンサリは、日本ではほとんど名前が知られていないが、アメリカではテレビドラマでも活躍するインド系アメリカ人の人気コメディアンだ。日本好きでよく日本を訪問している。
今年1月8日、アンサリはアジア系で初めてのゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。
その5日後に女性向けのオンラインマガジンにアンサリをセクハラで告発する記事が掲載された。
詳細にわたる内容をすべてここに書くことはできないので、告発者の証言をもとに主要部分を簡単にまとめよう。
・プロの写真家を目指す22歳のグレース(仮名)は、昨年9月のエミー賞のパーティでアンサリに出会った。声をかけたのはグレースのほうで、趣味のカメラのことで話が盛りあがり、電話番号を取り交わした。1週間テキストメッセージを交わした後、アンサリがグレースをデートに誘った。
・デートの夜、グレースはアンサリのアパートを訪問した。アンサリはグレースにキスをし、服を脱がせ、自分でも服を脱いだ。彼女は展開が早すぎることに居心地の悪さを感じたという。
・その後すぐにアンサリがコンドームを取ってこようとしたので、グレースは「ちょと待って。少し落ち着こうよ」と戸惑いの内容を口にした。そこでアンサリはコンドームを持ってくるのはやめ、キスを続けた。そしてグレースにオーラルセックスをし、自分にオーラルセックスをしてくれるよう求めた。グレースはそれに応じた。
・アンサリはその後、実際の性交に移行しようと試みたが、グレースはそれを望まなかった。なおも求めるアンサリに対し、グレースは「(セックスを)強制されたと感じたくない。でないとあなたを嫌いになるから。あなたを嫌いになりたくない」と伝えた。アンサリは、「ああ、もちろんそうだよね。僕たち両方が楽しんでこそなんだから」と、時間をかけたいと願うグレースを理解した様子で「あそこのカウチでリラックスしよう」と提案した。
・グレースはここで性的な行為が終わったと思ったが、その後しばらくしてアンサリがグレースにオーラルセックスを求め、彼女はそれに応じた。この後にもアンサリは何度かセックスを求めるが、それには至らず、グレースは「車を呼ぶ」と伝えた。アンサリがUberを呼び、グレースはそれに乗って家に戻った。
・グレースは車の中で「侵害された。(デートの)終わりの1時間は、まったく自分の手に負えない状態だった」と感じて、ずっと泣いていた。
・翌日、アンサリは「昨夜は君と会えて楽しかった」というテキストメッセージを送った。グレースは、「あなたにとっては楽しかったかもしれないけれど、私にとってはそうではなかった」「あなたは、私の無言の意思表示を無視して、性的アプローチを続けた」と自分の感情を説明した。アンサリは、「それを聞いてとても悲しい。明らかに僕はそのときの状況を読み違えたようだ。本当にごめんなさい」と返した。
記事によると、グレースはテレビドラマなどでのアンサリのイメージから、もっと女性を尊重する人物だと想像していたようだ。そのイメージが壊れた失望を、友人たちにも伝えている。babe.comに対して、グレースはアンサリの性的マナーを「乱暴で、欲情した、わがままな18歳」に例えた。この発言には、34歳ならもっと精錬されているべきだという含みがある。
報道番組の女性司会者の怒り
グレースの体験を読んで、読者の皆さんはどう思われただろうか?
報道番組HLNの女性司会者アシュレイ・バンフィールドは、テレビでグレースに対する「公開レター」を読んだ。
カナダ生まれのバンフィールドは、2001年の同時テロをマンハッタンの現場から報道し、アフガニスタンなどの戦地で危険な取材もしてきたベテランのジャーナリストだ。イラク戦争の前には、煽るような報道で盛り上がるメディアの姿勢に懸念を表明し、そのために降格されて仕事を干されたこともある。最近では法律専門の報道番組を司会していた。
男性が優遇される世界で30年働いてきたバンフィールドは、強い口調でグレースにこう語りかけた。
“ディアグレース”(あなたの本名ではないけれど)。
嫌なデートを体験されたのは気の毒に思います。私自身にもいくつかそういう体験がありますから。
ほんとうにムカつくものです。
それがきっとあなたには重くのしかかっているのでしょうね。
(中略)
けれども、あなたが言うところの「私の人生で最悪の夜」を、ちょっと時間をかけて考えてみようではありませんか。
あなたが体験したのは「嫌なデート(bad date)」です。
彼のアプローチを断った後、あなたは立ち上がってその場を去らなかった。
あなたはそのまま相手と性的な行為を続けた。
あなた自身の説明によると、これはレイプではないし、性暴力でもない。
あなたが体験したのは、大きく見積もっても「不愉快」な性体験でしかない。
警察に届け出をするようなことがあったわけではない。
現在の仕事に影響することではないし、これから仕事を得る妨げになることでもない。
それなのに、いったいあなたは何を訴えたいんですか?
アジズ・アンサリと嫌なデートをしたということですか?
公の場で彼を告発し、彼のキャリアを終わらせるような有罪判決を与えなければならないほど嫌なデートで傷つけられて追い詰められたというのですか?
彼がその罰を受けても当然なほどのデートだったと、あなたは本気で信じているんですか?
もしあなたが性暴力を受けたのなら、警察に行くべきです。
もしあなたがセクシャルハラスメントを受け、デートの相手の行動が原因で仕事ができなくなったとしたら、声を上げるべきです。
私自身が体験したのは、そういう#MeToo です。それは、すごく辛いものです。
でも、あなたが体験したのがただの「不愉快な性体験」だったとしたら、途中で家に戻るべきだったんですよ。そして、友だちに彼を避けるように伝えるべきだったのです。
(中略)
けれども、あなたがやったのは最低のことです。
あなたは自分の嫌なデート体験をメディアに持っていった。それにより、相手の男性のキャリアが破壊されるかもしれないのに。しかも、彼が素晴らしい達成を評価された賞を受けた直後に。私もあなたの犠牲者として名乗りをあげます。
あなたは、私と働く女性たちすべてが長年夢見てきたこと…「過剰に性的な職場の環境を変える」という30年以上の私自身の夢をようやく叶えようとしているムーブメントにケチをつけたのです。
(中略)
でも、私には、あなたがアンサリにしたように、あなたを公に告発してキャリアへの打撃を与えることはできません。なぜなら、あなたは匿名であることを選んだからです。それができるなんて、なんてラッキーなんでしょう。
でも、あなたが今後写真家としてキャリアを積み上げていくとき、自分が他人のキャリアに対して何をしたのか思い出して欲しいものです。ただ単に「嫌なデートをした」というだけで。
そして、あなたが次に嫌なデートをしたときには、もっと早めに立ち上がり、ドレスの皺を伸ばし、さっさとその場を立ち去っていただきたい。
なぜなら、悪いデートの相手にふさわしい罰は「性的欲求が満たされないこと」であり、ハリウッドからの追放ではないからです。
行き過ぎの告発が#MeTooムーブメントの足かせになる
私もバンフィールドさんと同感だ。
アンサリは、グレースから「ノー」と拒否された性的な行動を強要しなかった。脅迫も威嚇もしなかった。グレースはいつでもその場を立ち去る選択の自由があった。また、2人は同じ業界で働いておらず、たとえグレースが断っても仕事やキャリアへの影響はない。
つまり、アンサリは、セクシャルハラスメントを含む性的不品行の罪をおかしてない。それなのにメディアで犯罪者扱いされてキャリアに傷をつけられたアンサリのほうが、ある意味被害者と言えるだろう。
これらのケースが #MeTooムーブメントに使われるとき、私はやるせなさを覚える。なぜなら、バッシングされる覚悟で名乗りを上げた#MeTooの被害者の大多数は、選択などない状況で人生を破壊されるような被害にあっているからだ。彼女たちは、すでに心身がボロボロになっているときに、メディアからセカンドレイプを受ける覚悟をして訴える勇敢な人々なのだ。私にはとうていできない。だからこそ、彼女たちを守り、支援したい。
ところが、この女性のようにセクハラも性暴力も受けていない人が被害者として大声を上げると、男性にムーブメントへの敵意だけを与えてしまうことになる。イソップ寓話の『オオカミ少年』のように、本当にサポートしてほしいケースをサポートしてもらえなくなる。
こういったケースについては、フェミニストの間でも意見が分かれる。
私やバンフィールドさんのように「これはセクハラでも性暴力でもない。かえって#MeTooムーブメントに足かせをはめる行動だ」と思う者もいる。
だが、そういった意見を「被害者叩き」あるいは「#MeTooムーブメントの敵」と決めつけて攻撃する者もいる。
マジョリティは、反撃が怖くて黙り込む。
しかし、誤解や無知による性暴力やセクハラを減少させるためには、女だからといって、自動的に女性の言葉をすべて信じ、男性の言葉を否定してはならないと思うのだ。セクハラや性暴力を本当になくしたいと思っているのであれば、妙な正義感や仲間意識から「行き過ぎの告発をする者」を擁護してはならない。
私たちは、ひとつひとつのケースで、ひとりの「人間」として、状況と証拠をしっかりと見つめ、関わった人々の言動を検証し、その上で自分の結論を導き出すべきなのだ。
#MeTooムーブメントを応援するためには、こういった視点も決して忘れてはならない。