文者の庵

-MONJA NO IORI-

画一化された世界、階級化される世界

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自分の身の回りの人間について考える。皆似たような考えや生き方の人が多い。価値観も何か似たような感じだ。大抵の人は拝金主義で労働礼賛で努力や苦労を至上のものとし、何らかのハンディを背負った人間を同情したり陰で馬鹿にしたりしている。良くも悪くもこの国で規格品のサラリーマンになれなかった僕には居心地が悪い。

 

世の中は確実に階級化が進んでいる。今は金持ちも貧乏も皆同じような消費活動をしているから気付かないかもしれない。世の中の格差は恐ろしいくらい広がっている。金持ちになってもUNIQLOの服を身に着けるし、松屋吉野家で牛丼くらい普通に食べる。むしろ金持ちの方が下手な見栄を張る事が嫌いで機能性を重視してその中で最も安い物を選んでいる傾向にあると思う。

 

果たしてこの階級化されていく世の中をどう攻略すれば良いのだろうか。

 

 

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

 

 

世の中は投資家や経営者である資本家階級、一部上場企業のエリートサラリーマンや士業などのミドルクラス、その他の一般人であるマス層、アンダークラスと分かれているとされる。土地や建物の不動産や株式を持っていたり、従業員を沢山雇って事業を雇っている人が金持ちとされる。

 

だが、振り返ってみると日本の教育にはこの投資家や経営者になるためのカリキュラムは殆ど組み込まれていない。法学部に入って商法を学んだり、経済学部や経営学部に入って会計やファイナンスをはじめとした経済や経営を学ばないとそういった事を考えないかもしれない。

 

仮に病院に勤務する医者になっても監査法人に勤務する会計士になっても一般市民の中のトップではない。あくまでアッパーミドルと言う中間層に位置する人となる。そう、アッパークラスである頂点の存在、投資家や経営者にならなけれは勝ちではない。

 

ただ、投資家や経営者になれれば果たして幸福であろうか?身近な金持ちを見てても結局、先述したが機能性を重視して安くても良い物を身に着けるし、場合によっては早く食べられるファストフードを食べたり、自炊したりして過ごす方が多い印象だ。

 

資産持ちの良い所は老後に働かなくて良いとか変な心配をしなくても良いとかそういう類のものかもしれない。体力や気力が充実している頃に仕事をするのは確かに辛いだろうけれども、そこまで大変な事ではない。何よりも辛いのは老後に家族に逃げられたり、ホームレスになったり、誰もがやりたがらない仕事をやり続けなくてはならない事だと思う。あくまで僕個人の感想だが。

 

 

ネットサーフィンをしていても、 世界の二極化が進んでいる印象だ。とにかくお金持ち芋無く、就活もしなかった人がネット芸人のような立場になって評価経済や信用経済の仕組みの中で生きようとしている若者がいたり、金と時間が余ってますが昔は苦労したと世論をdisるインフルエンサーがいたりする。

 

結局は衣食住が揃っていて、家電などの道具が充実し、お金と健康が程よくあり生活を上手に回せていれば良い気もする。だけれども、そういった生活の些細な事柄にも格差が生じているようだ。今のご時世ではスマートフォンは使えるが、デスクトップ型PCやラップトップ型PCを上手に使えない人も多いらしい。それは子どもの頃にPCに触れてこなかったから。確かにスマホも簡易PCなので同じ事ができるがアウトプットのスピードや能力が明らかに違う。アウトプットできないという事は即ち上流や中流へ上がれないという事を意味する。

 

これからの最も勝ち組は政治家などの世襲が絡む世界を除けば、不動産や金融商品などの資産性のあるものを持ちながら、その他にもいざという時にWEB副業などもできる大手企業のサラリーマンや自分の技術で稼げるフリーランスだと思うのだが、そういったスーパーマンはなかなかいないだろう。だが、そういった生き方を実現している人も少なからずいる。世界は広い。