ーーまずは、今回のスウェーデン遠征、お疲れ様でした。
「お疲れ様でした。でも、リンド(JD・リンドナショナルコーチ)もいたし、私はコーチっていうよりメシ炊きババアだったけどね」
ーーはと美さんって、ときどき自虐的に「ババア」とか言いますが、そのまま書きますよ?
「いいわよ、だって本当のことじゃない」
ーーでは、なぜメシ炊きババアに就任したか、その経緯から教えてください。
「山口と五月が全日本(ミックスダブルス日本選手権/3月青森市)で組んだでしょ。『勝ったら、はと美さん、一緒にスウェーデン行きましょうね』とは言われてたのよ。本当に勝ったから引っ込みがつかなくなった」
ーー現地にはたくさん食材を持ち込んだとか。
「全農さん(日本カーリング協会オフィシャルパートナー)が、つや姫をたくさん提供してくれたので、お米はそれ」
ーー山形のブランド米っすね。うまそうだ。おかずは?
「ヤオトクさんでレトルトとかパウチのものを。あとは、ご飯のお供とかふりかけとか」
ーーこちらは、SC軽井沢クラブのスポンサーですよね? チームの垣根を超えた素晴らしい話ですね。
「(藤澤)五月が本当に白米が好きで、こっち来てから『夕飯何にする?』と聞くと絶対に『ご飯!』だもの。魚のお惣菜をよく食べてた」
ーー今回、朝8時に競技が始まる日もありましたが。
「その日は4時起き。ババアは朝早いのよ。私の部屋で炊き出し」
ーーそれでも、はと美さん、まんざらでもないように見えますね。
「まあ、あの二人だしねえ」
ーー義理の息子でもある山口剛史選手(妻は、はと美さんの末娘・七重さん)と、かつて指導してた藤澤五月選手。彼女が長岡家に下宿してたのはもう8年前です。
「まだ18歳だったものね。早いねえ」
ーー当時はどんな娘だったんですか?
「五月が『世界で戦えるカーラーになりたい』って言ったのは覚えてるけど。うちって大家族だから、朝とかバタバタしてるのね。自分のことは自分でやる感じで、他人にあんまり干渉しないというか。そこにまだ18歳の五月がポンと来て、『何か私にも仕事をください』って」
ーー彼女なりに気を使ったんでしょうね。
「それから雪かきと、アトムとはじめという2匹のラブラドールの散歩は五月の仕事になった」
ーーよく知らない土地で不安もあったんですかね。
「まだ18歳だったけど、五月は本当に根性があった。やるって決めたら絶対やる子だからね。そういう意味ではカーラーというよりアスリートっぽい」
ーカーラーとアスリートの差というのは、どこにあるんですか?
「ストイックなアスリートに対して、カーラーはうまく言えないけど、緩みがあるような感じ。男子でいうと、酒飲んで、女にモテて、遊んで、でもすごいショットを決める、そういうのがカーラーのイメージ」
ーーアスリートの五月選手は、技術的にはどうだったんですか?
「ちっちゃい頃からずーっとカーリングしてきたから、投げのクセは強かった。でも、とにかく投げ込む子だったな」
ーー本人も「練習量が多ければ、投げ続けてれば、うまくなるものだと思っていた時期もあった」と言ってました。その教え子が五輪でメダルを取ってこみ上げるものは?
「そりゃ、あるわよ。男子チームについては、コーチだったのであんまり泣いたり笑ったりできなかったけど、五月が五輪のアイスで頑張っているのを見ていいると、ある意味では男子に対してより感傷的になっていたかもしれない」