先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。
となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。
直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。
「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。
「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。
その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。
ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。
「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。
ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。
北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。
西稜ルートに至っては、これまで単独はおろか無酸素で登られたこともありません。ウーリー・ステックという、メジャーリーグで不動の4番を張る現代の怪物が、この春ついに無酸素でトライをしようとしていましたが、非常に残念なことに、直前の高所順応中に不慮の事故で亡くなってしまいました。
【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。北壁は単独無酸素で成功した例はありません。
栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。
栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。
そんなわけないだろ。
ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。
難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。
つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。
もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。
栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。
そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。
誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。
栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。
そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。
【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら
となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。
直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。
「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。
それでも嘘はいけない
「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。
その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。
ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。
「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。
ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。
北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。
西稜ルート
【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。北壁は単独無酸素で成功した例はありません。
栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。
栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。
そんなわけないだろ。
ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。
なぜ嘘がいけないのか
難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。
つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。
もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。
栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。
そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。
誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。
栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。
そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。
【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら
はじめまして栗木ハンターと申します。
返信削除栗城さんのショーを長年に渡り観察しているただの山好きです。
勝手ながら森山さんのを
栗木ハンターブログで紹介させていただきました。
http://ameblo.jp/wild28jp
今回の記事をもし迷惑でなければ
当ブログで転載させてはもらえないでしょうか?
よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
削除以下の条件を満たす範囲であればご自由に引用ください。
1)引用文が記事の主体ではないこと
2)引用部分が他の部分と明確に分かれていること(書体や地色を変えるなど)
3)元記事が明示されていること(この記事のタイトルやリンクなど)
単純な全文コピペなどは著作権法違反となりますのでご遠慮ください。
ありがとうございます
削除では部分引用と紹介だけさせてもらいます
これからも中立な目線で見解聞かせてくれたら嬉しいです。
こんにちは。
返信削除私もNHKの番組を切っ掛けに数年前から彼の活動はみてました。今回の撤退のあとは、山岳関係者などから少ないながらも意見の投書などが出てきています。ですが、しっくりくるものがありません。
こちらの記事の冒頭にもあるようにショーとして捉えるならば何ら不思議はない。よくあるエンターテイメントです。寄付を募ろうが、実際にはほとんどが演出であろうが、そんなものは世の中によくあるものなので、誰しも気にするようなものではありません。なのにも関わらず気になる人が多い。私もずっと気になっていました。何だか正体はよくわからないけど、違和感を感じて気になってしまう。
彼の場合、ショーやエンターテイメントとしてやっているのか、はたまた本気でチャレンジしているのか。どちらなのかと。前者であるとは思えません。ショーとしてやっているのであれば、こちらの記事にあるように、ショーとはいえ嘘はいけないよ、というのは賛同します。ですがショーでやっている人にも見えません。彼の発信している共有の中身や言動を見ると、ショーとしてやっているとは思えないのです。ショーとしてやっている場合、結構分かりやすいものですし、それを演出している人間は社会のどこにでもいる俗物ですので、理解もしやすいです。彼はそうには見えない。では後者なのか。しかし、普通に思考を働かせればあんな挑戦の道のりはありえない。栗城さんの場合、本気で取り組んでいるのであれば、あまりにも解決すべき課題が膨大すぎます。指のハンディキャップもあるわけですし、その課題もさらに過酷です。であるのにそれに取り組んでいる風でもありません。だから後者とも思えない。かといってやはり前者とも思えない。どっちでもないとすると彼の行動は一体なんなのだろうか。皆目分かりませんでしたが、数年前の学会を賑わせたSTAP細胞で騒動となった彼女とすり合わせてみると腑に落ちるようになりました。ただし、あくまで私が想像する彼女はどういう自分かということにはなりますが。
ところで、勉強もしないで東大に受かるという挑戦を掲げているようなものだと述べた方がいました。それをショーでやっているのか、本気でやっているのかということになります。彼の場合本気で受かるつもりでいるのだと思います。ただちょっと普通の人とは違います。彼の場合、現実的に受かるための方法を考えて努力を重ねるわけでもない。でも東大を受けるということを本気で考えて取り組んでいる。本人もそこのおかしいところを疑ってもいません。本当に本気なのだと思います。ですが、やるべきことの方法は見えていませんし、やることもしません。私にはそのような思考は理解を超えるのですが、それが出来うる人もいるようなのです。STAPの彼女もそのような人だったのではないかと今は考えています。栗城さんもそうなのではないか。そう思うと腑に落ちるところがあります。
登山界のプロ編集者を名乗るのであれば、堂々と取材をして真実を明らかにしたうえで批評を展開すべきではないでしょうか?
返信削除栗城氏からFBの友達申請がきて「ひえー」と思っていらっしゃるわりには、会話したこともない人の行為を「嘘」と決めつけて攻撃てきな文章を書くとは、とても雑誌編集者の行為とは思えません。
プロレスやメジャーリーグ、東大受験に例えた比喩も、登山の本質とはかけ離れていて、いまひとつスッキリしません。
私は、栗城氏のファンでもありませんし、無酸素・単独と語る「登山ショー」も理解不能ですが、栗城氏の登山は「事業」として考えれば採算があっているから継続できているのでしょうし、指を失ってまで登山を継続するということは、それなりに山をやっている人間でも、なかなかできるものではないと思います。
栗城氏のことが分からないのであれば、この機会にキッチリと取材して真相をあばき、山のプロとアマの違いを見せつけてみてはどうでしょうか?
栗城氏に対してモヤモヤとした思いを抱えている人達は、登山業界がそれをするのを待ち望んでいると思います。
私のような一般人の目線で見れば、栗城氏は排除されなければいけないと思います。彼がさほど悪いことをしたという意味ではありません。彼は演出と印象操作とミスリード、そして昨今のネット社会を巧みに使って成功しました。そして業界の皆さんが長らく批判しにくいポジションを取り続けることができた。すべてが合法的であるだけに悪魔的まで巧妙です(彼が意識してやっているかは別として)。このまま彼の栄華が続けば、「登山家」の価値をおとしめるのみならず、「真面目にやることなんてバカらしい、実力なんか関係ないのだ、この社会は印象操作でどうとでもなるのだ、だったら私も手っ取り早くイケメン連れてきて栗城流でやろう」という認識を広げかねない。
返信削除上記の「」内は、この社会の真実の片鱗かもしれない、しかしある程度の所でそれを指摘・糾弾して歯止めをかけるのがマスコミの仁義であります。うまくいえませんが、このまま彼を放置するということは「真面目にコツコツ働く人間より社会システムの隙をつく人間のほうが価値がある」という、社会全体が成り立たなくなるようなあしき認識を広めるような気がしてなりません。私には彼は某音楽家や某女性研究者より害が大きいと感じます、彼は嘘をつき続けて約10年です。もういいのでは?
追伸
返信削除私の主張は登山関係雑誌は栗城氏を「無視」または「断罪」するのではなくて「根拠に基づく批判」をするべきだと思いうのです。大衆が、彼がただのコスプレ登山家だとしってもなお支持するならなにも問題ではありません。でも彼を本物の登山家と勘違いして(させられて?)ファンが支持するならこれは大きな問題です。その「批判」ができるのは、専門家たる業界関係者のみです。一般人には登山のようにスコアもジャッジもないスポーツの細部は分かりにくいのです。それが栗城氏がつけこめる隙間だったんでしょうけど。。
例え話に使いやすいのは解りますが、比較対象にされるのはプロレスラーの方がかわいそうですね。
返信削除少なくとも彼らは自分の肉体を使ったハードなショーで稼いでいます。
プロレスこそ最強!という幻想が生きている時代もありましたが、総合格闘技に現役のプロレスラーが参戦して結果を残したり残せなかったりした結果、今のショーに特化したプロレスへと変化していきました。
チャレンジしたふりの彼とは根本的に違うと思います。
プロレスの話はこの記事の内容からするとちょっと蛇足なので、まあプロレスファンからの一意見として聞き流してください。
彼が山雑誌取材NGというのは恐らく事実なのでしょう。
しかし、彼は自分が断った訳じゃないとしてきっと認めないでしょうし、これからもマトモに取材を受ける事はないのではないかと思います。
それでも私は山雑誌が無理ならネット上でも構わないので、登山家の方々に声を挙げていただいきたいのです。
いい大人が彼のような人にうっかり嵌ってクラウドファンディングに出資して、後になって騙された!と騒ぐのは自己責任でやった事なのだから納得できなければ返金請求でも何でも好きにすればいいと思います。
しかし、彼は…と言うより彼の周りにいる鼻の利く人達は子供を狙っています。
教育映画と称して嘘で固めたPVを学校や教育機関へ流そうとしています。
いつまで得られるか解らないクラウドファンディングでの収入なんかより、よっぽど確実で色々と今後に利用できる所を狙ってるのでしょう。
学校の道徳の時間や課外授業で見た映画の凄い人だからきっと本当に凄いんだ そうなってしまう前に声を挙げていただきたいのです。
勿論、自分の身内に触った時には自分も出来るだけの事をするつもりですが、どうか登山業界の人にも声を挙げていただきたいです。
もし身内が通う学校で上映される事になったとしたら、一保護者の個人的な意見はあまりにも無力です。
根拠なく他人を嘘つき呼ばわりしたからには、落とし前をつける必要があるでしょう。ジャーナリストの端くれなら例え話ではなく、ちゃんと本人に取材して真実を記事にしてくださいよ。栗城さんもそれを望んでいるようですし。
返信削除煽るコメントは栗城アンチの仕業なので無視した方が良いです
返信削除単純に森山さんに嫌な役をやらせようと煽っているだけです
森山さんの文章には色々な想いが込められていてわかる人にはわかります。
もう栗城には関わらない方がいいと思います。
服部さんや登山界がなぜ栗城の関わらないのか
今更ながらその意味が理解できました。
とにかく登山ジャーナリストとしての責任を果たしてくれて
ありがとうございました。
服部さんは鬼スラ登ってるから一緒にしてはいけないよ。
削除たくさんコメントありがとうございます。ひとつひとつ読んで参考にさせていただいております。栗城さんについて書いたのは、今回のエベレストの経過を見ていて、登山としてもショーとしてもあんまりじゃないかと思ったことと、世間の登山に対する見方を少しでも正したいという、かっこよくいえば使命感みたいなものです。とくに今季のエベレストは、ウーリー・ステックとキリアン・ジョルネという超本物が来ていただけに、そちらが全然知られないのはあまりにアンバランスじゃないかと感じてしまったので。
返信削除栗城さんの登山に関しての考察、大変興味深く読ませていただきました。
返信削除個人的には「栗城さん流」の無酸素単独は決して見逃してはいけない事実だと思っています。栗城さんは海外にも積極的に働きかけているようで、時々栗城さんが「海外メディアに取り上げられました」とか「海外の有名登山家のXXさんと交流しました」とアピールしているのを目にします。日本の登山界の信用のためにも、栗城さんのような有名な方には特に登山のルールを守っていただきたいと感じています。「登る振り」と「無酸素単独発言」の2つで、日本だけでなく世界中をミスリードする行為は決して許されることではありません。
「世界の登山界の常識とは違う、栗城流の無酸素単独登山なんです。他人と違うことをする人を批判する否定の壁が云々」などど言う事は、ルールを無視するための身勝手な言い訳です。「本物の山頂には達してないけど、栗城流では登頂成功したことになります」など言語道断。他の登山家の方達が皆このようなことをし始めたら一体どうなることでしょうか。
「やったことない人は批判するな」などと言うなら、メディアやネットにしゃしゃり出ず、他人のお金をあてにせずにご自身一人でひっそりとやればいいのでは。練習全くなしの結果ひどいゲームをしたプロ野球チームが「プロ野球選手になったことないのなら批判するな」と言うでしょうか。
売名行為は良くないですよ
返信削除“そんなわけないだろ。”
返信削除に笑ってしまいました。
私は一般的な登山者ですが、山で一度だけ栗城さんとすれ違ったことがあります。
ものすごく態度が悪かったです。
元々好きだったわけではありませんが、やっぱりテレビとかとは違うんだなと感じました…。
いつだったか、たまたま栗城さんの挑戦している番組を拝見させていただきました
返信削除終始、泣き言ばかりで最後には言い訳ばかりだったという事しか覚えてません
どれほど辛いのか自分には理解できませんが、見終わった後、あの内容で番組が成り立つんだと逆に関心しました。
応援というか、お金を出している側も後に引けないのでは?
返信削除頭おかしい人を応援していた自分も頭おかしいと思われてしまう。表だって非を認めることはできない。そのため応援していると見える人がいるのではないでしょうか。
小樽の赤岩の画像、トップに「ゴボウ抜き」されてます。なのに「単独」だと言う。
返信削除誹謗中傷はやめなさい
返信削除犯罪行為です
ひどいブログだ
返信削除あなたの言いたいことは大筋理解できたが、それでも
他人を批判するなら理論的理性的に最後まで責任をもって行動するべきだ。
中途半端に持論とわけのわからない比喩を用いて匂わすだけでまったく中身が見えない。あなたは栗城さんが「嘘つき」であると確信しているようだが、本当にその言葉に責任が持てるのですか?
大筋があっていようが少しでも間違えばあなただって「嘘つき」だし、下手をすれば名誉棄損ですよ。
事実ここには主観的で一方的なコメントも多く残されていますし、登山界のプロだか何だか知らないが人としてそれでいいのですか?
そもそも登山をスポーツととらえるのは結構だが、山はもともと登山界のものではないし、自分らだけが山のすべてを知っているような語り口は傲慢ではないですか。医者だって人間の体のすべては知らないというのに。
とにかくこんな不完全な文章をもとに他者を批判するべきではないと、ここを読まれた方に強く主張します。
雑誌PEAKS森山氏のコラムを是非お読みください。氏のクライマー評は決して傲慢な語り口ではありません。的確な評価且つ一流クライマーから学ぶべき事柄は学びながら文章を書かれている事がわかります。
返信削除返信いただきありがとうございます
削除ぜひ一度拝読させていただきます
ですが私が言及したいのはコラムの語り口ではなく、当該記事の文章についてです。「そんなわけないだろ」なんて言葉を記事に書くでしょうか?
確かに、登山界の専門家として栗城氏の活動に対する見解を示しているのは理解できますが、それでも栗城氏を「嘘つき」であると断じるのは慎重であるべきです。
周知のとおりインターネット上の情報は、作成者の意図とは無関係に拡散され取り返しがつきません。
論拠薄弱の状態で他人を「嘘つき」という言葉で表現することの危険性についてあなた方は本当に理解していますか?
それから、栗城氏の活動を「プロレスと同じ」「ショーである」と表現されてますが、個人ブログに記事を書くということは自己を顕示した欲求の表れともいえます。雑誌の編集者なんてまさしく「ショービジネス」であるとは言えませんか。読者の読みたい記事を書いてお金をもらうのが編集者の仕事であることは否定できないのではないですか。思わぬ反響を受けて、つい自分の経歴を相手に誇り、強い言葉をつかって優位性を読者にアピールし、承認欲求を満たした可能性もあるかもしれません。
こんなことを書かれたらどんな気持ちがしますか。栗城氏の活動に対して不特定多数の場所で非難されるのであれば、彼が雑誌の編集者であり、文章を読んでもらうことでお金をもらっている職業であることも、読者は意識したうえで判断するべきではないでしょうか。
私が言いたいのは当該記事の森山氏の文章は、一方的な主張であり、安全域から他者の失敗を陰であざわらうような態度であるということです。インターネットは他者を侮辱、嘲笑する場所ではなく、当該記事がその温床になりつつあることを警告し、森山氏がその責任について無自覚に放置していることを主張したいのです。
森山氏は取材を申し込んで意見を汲み取る機会を設けたのですが、栗城くんが断って手放してしまいました。一方的にならざる得ない原因は誰にあるのでしょうか。
返信削除SNSやブログのコメントもブロックしたり非表示にして批判から逃げ回っている栗城くんこそ印象操作しています。こういう輩こそ野放しにしてはいけないのではないでしょうか。
そして栗城くんの発言は毎回整合性が取れません。これはどこかが間違っているか嘘かしか考えられません。
森山氏は記者として純粋に整合性を求めているだけなのではないでしょうか。
ショービジネスの方もお客様に喜んでもらう為に日々鍛錬をしております。栗城くんの行動はショーにすらなっていませんので。
栗城くんはいろいろ残念な無自覚だと確信しております。
まず申し上げておきたいのは、個人は取材を拒否する権利があります。取材を受けないから一方的にならざるを得ない、好き放題書いていいというのはずいぶん傲慢な姿勢ですね。あなたがずいぶんと理解の足りない無知な人間であることを確信しましたよ。
削除山に登るには全部あなたがた登山界とやらの許可がないと行けないのですか。栗城氏が山を登るかどうかの決定権があなた方にあるというのですか?あなた方こそ、自身の雑誌のネタにしようと栗城氏を利用したいのではないのですか。
「ショービジネスもお客様に喜んでもらうために日々鍛錬しております」という文言には笑いました。まったく私の意図を理解しておられませんね。正直こんなところで冷静な議論をしようとした私がばかだったということに気づきましたよ。
結局人は見たいようにしか物事を見れない、だれもかれも「完全な善人」か「完全な悪人」かでないとあなた方は気に入らないのでしょう。結論が決まっている人間と論議をするつもりはありませんのでこれで失礼します。
横からですが、あなたのほうが全く意見をかえようとしない結論が決まっている人のようにお見受けします
削除栗城氏は無酸素単独を講演のネタにしているだけで、登る気など全くない。
返信削除結果が登れないのではなく、はじめから登る気がないのです。
江本 悠滋氏のガイド登山なのに自称「単独無酸素登山家」が存在を書かないのはスポンサーを騙してるのと一緒でしょう。
返信削除非常に面白い記事でした。論理的でとても読みやすい。
返信削除服部文祥氏が「彼は登山家ではない」と断言した理由がよくわかりました。
良い悪いではなく、栗城史多氏は登山芸能人として見ると全てが明快になりますね。
ここにある批判意見も彼(たち)にすれば全て、「しめしめ」ですわな。
森山さんの記事は毎回楽しく拝見しております。基本的にはすべて賛同しています。以前テレビ番組で、千原ジュニアが、「え・・・?栗城さんて登山界ですごい人なんじゃないの??」と言っていました。それがすべての問題ですね。私も登山を趣味としています。もちろん、ある意味栗城さんの足元にも及ばないレベルの趣味登山家です。ですが、彼の行動が危険な誤解を生み、そして、彼の命を危険にさらしていますね。もちろん、彼がそれをわかってやっていて、それでも山で死ねれば本望と思っているなら、彼の自由ですし、賛同してくれる仲間の下、好きに続ければ言いと思います。ただ、森山さんの言うとおり、支援した人たちは、辛い思いをすることになると思います。私は、彼の計画や判断、行動が、無計画で無謀な自殺行為なのだということを、警鐘を鳴らす意味で、森山さんたち山岳ライターの方々が発信するべきだと思います。第二の勘違い登山者を生まないために。
返信削除こんんちは、山好きな初老です。
返信削除森山さんの評論わかりやすく参考になりました。
難易度が高い山(難易度の高いルート)は、陸上競技のように、予選などがあって、選ばれた人だけが挑戦できるようであれば、栗城さんへの誤解が生まれないとおもうんだけどね。
「エベレスト無酸素挑戦」といわれたらね・・・。
また、栗城さんが、不特定多数の方(本、SNSなど)に発信されているので、いろんな意見(匿名含)はうまれるのはしかたない気がします。
だから、栗城さんの指の件も含め、国内の山でも、大変な事故が起こるから、森山さんのような意見は必要だと思います。
ご警鐘にもかかわらず命を落とされたというニュースがでています。
返信削除https://thehimalayantimes.com/nepal/japanese-climber-nobukazu-kuriki-found-dead-on-mt-everest/
栗城氏のFBでは体調悪く断念ということは確認できました。
https://ja-jp.facebook.com/kurikiyama/
AbemaTVで今日(5月21日)の16時から特番の予定でしたが延期のようです。
https://abematimes.com/posts/4221638
28日16-18時へ延期
https://abema.tv/channels/special-plus-3/slots/Beom9iV63PLQko
しんじゃいましたね
返信削除結局予想通りの死に方をしてしまったね。
返信削除麻原が奇跡を売り物にして、出来もしない空中浮遊や水中クンバカをテレビの前でやろうとして失敗したのを思い出した。
彼は登山をネタに感動ポルノ劇場で儲ける人生を選んだ時点で、こういう生き方、終わり方しか許されなかったのかもしれない。
主さんが心配した通りの結末を迎えてしまって残念ですね
返信削除このブログの予言?通りになってしまった
返信削除元々が無理ゲー登山なのに大勢に応援されて
AbemaTVで特番まで組まれてしまって
引っ込みつかなくなってアタックそして自滅
常にスポンサーやファンがいた所を見ると
それなりに魅力のある人だったのだろう
もったいない・・ご冥福そしてお疲れ様
ぐぐったら、こちらの記事に辿り着きました。警鐘されている方がいたとは。今回のアベマTVを始め、スポンサーや支援者にも責任ありますね。
返信削除イモトアヤコさんも、いつかこうなりそうで恐い。