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田舎もんのブログ
谷口貴康・海辺で元気に生きています

孫たちの写真

美琴ちゃんの写真が送られてきましたー

大雅くんも幼稚園に行く年になりましたー
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高知の母

高知の母に会いに行きました。

お元気そうで何よりでした。

仁淀川の桜は満開でした。
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宗教の話を聴聞に来ていながら、そんな話は古いという人がある。

 そういう人は目新しいことだけが真理であり、価値があると思っている人であろう。 感覚的に新しいものだけを追求するところに宗教も道徳も存在しないのである。

 宗教家は単に話の新規を追ってはならないのである。 

また宗教の教えをきこうとする人も、新しい話を聞きたいと思ってはならないのである。

 新しい話がききたければ寄席に行って、漫才や落語をきくのがよいのである。

 宗教家に求むべきものは話の斬新さではないのである。宗教家に求むべきものは、その人の悟りの深さであり、その人の「信」の深さでなければならない。 

 その悟りと信仰とが、話をきいているうちに以心伝心その信仰と悟りとが聴聞者につたわって来て、自然に聴聞者の迷いが除れ、その影響が肉体の健康状態や、生活の変化にも現われて来るようでなければならない。

 話の新規が宗教の値打ではない、以心伝心、悟りを伝え信仰を深める迫力がその宗教家の講話のなかにあるかないかが問題なのである。 

 兎も角、生長の家の宗教の法話やその教えの書籍は、実際、ゆがめる家庭を正しくし、衰えた健康状態を恢復し、難治の病気を自然消滅せしめるだけの迫力があるのである。それは新しいとか古いとかを超越した『今生きている真理』であるからである。

 

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山ちゃん様ブログで紹介されていましたので転載させてもらいます。

岡潔先生の講演録―日々のつれづれ―より抜粋
日本民族の使命
 
 この頃の教育では、日本民族はつまらない民族で、前にやっていたことは、みな間違っているから、アメリカのようにやらなくてはいけないと教えているように見えるが、日本民族が真実、そんなつまらん民族なら、千年や2千年教えたところで、大脳前頭葉という道具は、それほど発育しやしません。
 
 まして、その大脳前頭葉を使っていく心がそんなにきれいになるとは思われません。到底、千年や2千年の教育では間に合わない。教育がすぐ効果を上げようというのだったら、その民族は優れた民族でなくてはならない。但し、その優れ方に様々あるでしょう。だから、自分の優れたところに、早く目覚めるように子供を教えるのがよい。目覚めれば、あと力がついてやれます。
 
小我と日本国新憲法
 
 ところで、日本国新憲法の前文は、小我こそお前である。それは万古の真理である。尊厳な事実である、と言って、これによって、憲法・法律を作っている。そして、これを裏打ちするに、アメリカ人デューイの思想をもってし、それによって、社会通念を作り、さらに新学制をしき、以来、今日なおこれを大事にし続けている。それから20年にもなる(1967年当時)。この日本国新憲法の前文は、1300年もの間、仏教が言い続けてきたこととは正反対、それが、たった明治以来80年でケロッと忘れてしまうというのはおかしいことです。
 
 新憲法の前文では、人が、自己中心に行為する姿は尊厳であると言っている。こんな馬鹿なことを思う日本人があるはずがない。日本において、善行といえば、人のためにする行いであった。自己のためにするという匂いが少しでもすれば、日本人はそれに対して実に敏感であった。自分はエゴイスティックに振舞っても人に対してはそうであった。
 
 それが、戦後わずか20年で、自己中心に行為する姿が尊厳である、などという作文のできる日本人がいるはずがないと思って、だんだん調べていってみると、進駐軍が示唆して、アメリカ憲法から取って文章を書き、これに日本国新憲法前文という表題をつけさせたらしい。後も進駐軍の示唆や命令ですし、戦後20年の歴史は、この1つの事実によって要約できるくらいです。
 
 教育の方針は、国によって民族によって別であるべきだと思います。日本民族の場合、真我に目覚めやすいということが長所ですから、早く、真我に目覚めさすように教えなければいけない。大体、日本民族は優れた民族であるだけでなく、人類をその滅亡から救うという重い使命を担わされている。私達は何よりもそれを自覚し、そうであることに誇りをもたなければならないのです。でなくては、教育はできない、そう思います。
 
日本民族の自覚
 
 大体、日本民族は、天御中主命あめのみなかぬしのみことから数えると、30万年にはなると思う。 ― 人類あって以来60万年100万年とも言われていますが ― それが物質が自分ではなく、心が自分だと初めから気づいているというのは実に早い。だから、日本民族は、私は、他の星から来たのだろうと思います。ともかく、日本民族の中核の人は心が自分だと思っている。だから日本民族は心の民族です。心は合わされば1つになる。これが心の民族の特徴です。
 
 日本人は日本民族の心というものの、この強い力にひかれて、だんだんそうなっていくのです。これが同化作用ですが、その同化の度があまり進んでいない、十分同化してないのです。しかし、そういう人達だと、自分が日本民族の一人だということに、本当に目覚めることは簡単にできる。それで、真我に目覚めたことになっている。これが一番早い。
 
 その後、深めるには、仏道の修行とか、いろいろといるのですが、まず、目覚めるには日本民族の一人であるということに目覚めるのは、極めて早くできる。それで、既に、真我に目覚めたことになる。これが一番早い。だから、子供を真我に目覚めさせようと思えば、民族の詩であり歌である歴史を教えるということが、何にも増して大事なことだと思う。
 

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冬季オリンピックを今年ほど熱心に鑑賞した事はありません。
実に爽やかに、勝っても負けても、自分のベストを尽くし、相手やスタッフを
讃えて、負けた場合はすべてを自分の責任として語る姿に感動しました。
僕も、学生時代7年間スキーも練習しましたし、ラグビーの選手をしていたのであのころの事を久しぶりに思い出して、涙が出ました。

かたや、同じころやっている国会中継を見れば、相手の揚げ足取り、批判
や言い逃れ、国民ためと言うよりは党利党略の権力闘争のおぞましさを見たようでとてもいやな気分になります。


スピードスケートの女子500m決勝で、日韓が対決しました。
実は韓国や朝鮮には今まであまり良い感情を感じていなかった自分でしたが・・・
小平奈緒選手の試合後の姿に感動しました。

二位になった韓国人選手に寄り添い、韓国の国旗を持って悔しそうにしている
選手に対してまるで包み込むような励ましと健闘を称える態度を示した姿。
偶然なのか、日の丸がそれを包み込むように映し出されていました。
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聞くところによると、その姿は韓国内でも大変な感動を呼んだといいます。

これこそがスポーツの素晴らしさと、日本人の持つ本来の大和の心だと
感心しました。どのような場合でも、この本来の日本人の大和の精神を忘れないで生きてゆきたいとつくづく思わされました。

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大和(やまと)は人類互に相和する精神 谷口雅春先生
『新版 真理』第3巻232頁)

  日本民族は、人類互に相和そうと云う理想をもって、国をはじめた
 のでありまして、「大和(やまと)」の国号がそれを示しているのであ
 ります。これが日本建国の精神なのであります。「形は心をあらわす」
 と云う諺がありますが、日本人の発明した風呂敷を見ればわかります。
 風呂敷はどんな形のものでも、その形を毀さずに一緒に包んでしまう
 ことが出来るのであります。他の国を毀して併呑するのは覇道であっ
 て、日本の皇道ではありません。日本の精神は風呂敷精神であります。
 総ての物を毀すことなく一つに包んで「人類」と兄弟となり一家族となる
 のを建国の理想としているのが日本民族であります。人類が「一つ」で
 あると云うことは感覚で見るだけではわかりません。そのいのちが一つ
 であると云うことを実相を観る心の眼で見ねばわかりません。

 
                   

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女の子誕生

一昨日
息子の家に二番目の子供が元気に誕生しました。
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