『劇場版艦隊これくしょん』を解説・批評してみた(ブロマガ版)
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『劇場版艦隊これくしょん』を解説・批評してみた(ブロマガ版)

2016-12-12 11:35
  • 5
※こちらは拙作「 劇場版艦隊これくしょんを解説・批評してみた」の生声台本を
文字化したものになります。
 本編の内容が聞き難い、分かり難いという方はこちらをご覧になって頂けたら幸いです。
 
 up主は自前の滑舌が最悪なのにも関わらず「ものを悪しく言うなれば、内容如何に問わず自分の声で発現すべき」という自己満足の為に、皆様に多大なご迷惑をおかけしたことをここに謝罪いたします。
 一言言い訳させてもらえるなら、up主は動画を確認していない訳でもなく、毎回咬みまくった音声は数十回リテイクを繰り返し、録音は台本を十数に分割してようやく成し遂げた結果でも「アレ」であったという事です。
 もしまた同じような機会がございましたら、己の自己満足よりも皆様の為になる動画の方向性を模索していこうと思います。

また本記事は見やすさ向上の為に定期的に修正・加筆を行います。ご了承ください。

【1】





 どうも、つきみんです。
 劇場版艦隊これくしょんの批評・解説をしていきたいと思います。
 今までアニメ版艦これ第3話・第4話の解説と世界観の考察みたいなのを動画として挙げてきましたが、その延長、そしてある意味の完結を含んだこの劇場版をもって「アニメ艦隊これくしょん」の総まとめができるんじゃないかなと個人的には思ってます。

 さて皆さんは劇場版艦これの感想はどうだったでしょう?
 公開から少し経ったので、提督の皆さんはあらかた見に行ったかと思います。私も公開初日に見に行きましたし、その後ネットでもちょこちょこと評判は確認していますが、まあ多種多様な意見は多いですね。賛否両論と言った感じです。
 この動画ではそこらへんちょっと皆さんの細かな評価も鑑みながら、少し具体的に分析・解析そして批評をしてみようかなと思ってます。
 前置きから既に以前の動画のアトモスフィアを感じていますが、どうぞ暇な時間にお付き合い下さい。

【2】





 まず動画視聴の上での注意事項です。
 第一に、この動画はネタバレ前提での批評・解説動画になってます。劇場版艦これをまだ視聴していない方は先に映画館へ行きましょう。
 本動画は皆様一人一人の感性や思考を深めるきっかけになる事を目的としています。その感性や思考とは、他者のと比べて初めて自分本来のものを発見・再確認ができると思っています。そして他人の意見のバイアスがかかった状態で作品に接するのは、自分特有の感性を殺してしまうことに繋がります。
 要はこんなところで偏見培う前にやることあんだろってことです。ご了承ください。

 次にこの動画は物語考察とその批評においてのみ言及します。まあ何を言っているのかというのを説明しますので、適当な具体例を挙げます
 「サッカーは野球より優れたスポーツである」という主張があったとします。これには様々な意見が出るでしょう。単にサッカーが好きな方なら、せやなと単純に共感するかもしれません。しかし野球好きなら当然反論が上がるでしょう。そして両者がぶつかる中、仲裁役を買いたい者が現れて、同じ球技と言えどもその優劣を決める事なんてできない。
という人もいるでしょう。
 ただ意見を言う前に、最初の主張の定義付けがあやふやなのが問題で、前文に「同時にゲームに参加できる人数の許容数において」という定義が加われば、最初の意見対立も少し変わったかもしれません。
 大切なのは、反対意見同士が激突する事ではなく、お互いが認識された定義内で意見交換がされているか、という事です。
 当たり前な話かと思いますが、ぶっちゃけアニメの感想なんかの意見対立はこの定義のない互いの認識の好き嫌いで主張をする場所になっているのが現実なので、この動画ではしっかりと、何において批評するかを定義づけて行きたいと思います。それが物語批評って訳ですね。

 ここまでの諸注意に納得できた方は続きをご視聴ください。好き嫌いでいろいろ感想を聞きたかったとかの方はご遠慮した方が精神衛生上よろしいかと思います。
 「二度と見ない動画」みたいなマイリスト作ってぶち込んでおいくといいかもしれない。

【3】





 あとこれだけ、「物語批評ってなにすんの?」っていうのの大雑把な解説をします。
 批評というのは簡単にいえば良し悪しをいうので、さっきの例みたいにちゃんと定義付けしないと意見交換さえままならないです。何において批評するか、ストーリーか、作画演出か、キャラの魅力か、はっきりしない定義内で話し合えば次のような対立が出来ます。
 アニメ版艦これのストーリーがクソ雑魚ナメクジだというのと、第六駆逐隊かわいかっただろ!という意見対立。同じくストーリー上艦娘の轟沈が必要だというのと、如月ちゃんが
可哀想だろ!という意見対立。これではさっきの野球とサッカーの対立と同じです
 どの意見が正しい悪いとかではなく、本来ストーリーの良し悪しと作画の良し悪しは同列の問題として対立意見にはなりません。結局その後に続く「だから艦これはクソだ」とか「いいや良かっただろ」に注意が言ってしまって、互いが何の定義に立った上で主張しているのか
忘れがちになります。過激な言葉は注目を集めますからね。
 すみません横道にそれました。

 この動画は物語、つまりストーリーの批評を行います。
 ストーリーには作者の主張したいテーマ、つまり主題があり、物語構成・設定や作画演出はあくまでその肉付けに過ぎません。ただ誤解しないでいただきたいのは、作画などを全く考慮しないのではなく、あくまで物語の優位性を前提とした批評だということです。
 物語の構成や流れから見える主題、その肉付けの完成度、そしてその主題が視聴者にどんな影響を与えるか、大きく分けてこの3つの要素から批評していきます。
 あと、主題については、実際に作者が考えている意図とは全く違っても問題ありません。どのように映るかが問題であり、逆にそれが多数の人間が批評することの意義に繋がります。
 私の物語の見方が答えではないということでもあります。
 作者がまた何を言おうが、作者が自分の作品を世の中に出した時点で、作品は既に作者のものではなくなっているのです。加えて「無意識」という万能の言葉を使ってしまえば、作者が意図しないことを表現してしまう理由づけも出来ます。フロイト先生に感謝ですね。いつまでも性的欲求おじさんだと思うな。
 それと、主題の影響についてはこれもまた千差万別ですね。例えば性犯罪はいけないという趣旨の物語で、JKに痴漢して一生を棒に振るった男子高校生の日常を描いた話があったとして、その趣旨をなるほどなと賛同して見れる人もいれば、もしかしたら僕はホモのおっさんに掘られたことがある、その時の気持ちを考えたら決して主人公に共感できない!という人もいるかもしれません。極論ここは好みや人生経験からなる趣向の問題になってきますので、今回は物語構成とその主題においての解説・批評を重点に行いたいと思います。

 それではお待たせしました。こっから本編です。今あげた、物語の主題。つまり劇場版艦これの主題を、物語の構成から探していこうと思います。

【4】





 劇場版艦これにおける感想は大体「ストーリー」に賛否両論があるで一貫していると思います。一貫しているというか無難ですかね。ただネタバレは避けるために深く追求したものはほとんどなく、突っ込んだ感想や意見があると思えば抽象性すぎて具体性を欠く…。アニメ版艦これの時もそうだったのですが、基本艦これの賛同も批判もあんまり理論的な内容は見当たらないです。
 このアニメはそもそもそういう論が展開できる出来ではない、とかの声もありましたが、というのも何がダメで、それがどうしていけないのか、逆もまたそうですが、艦これはこの説明が非常にしにくいアニメだと思います。
 物語考察から見ていきましょうか。
 皆さん、アニメまたは劇場版艦これのストーリーを簡潔に端的に紹介できますか?またどんな意図を持った作品なのか説明できるでしょうか?
 自分がアニメ版艦これを最後まで見た時の最初の感想は「このアニメは結局何をしたかったんだ?」っていうものでした。何が主題で、吹雪はその上で何を成し遂げたのか、まあ世界観や設定がアニメ終了時点でもあやふやだったので仕方のない部分もありますが、この要領の得ななさが、いわば「雑」と評される一因であるのではないかと思います。
 作画が雑、演出が雑、そもそも何を狙った作品の方向も明示できない雑さというのが、アニメ版艦これの批判の大きな原因でしょう。その中で提督内でデリケートな轟沈を扱ったのは、まあ火薬庫にマッチを投げたのと同じ反応が起きたのは必然とも言えます。

 しかし、劇場版では作画や演出と言われる、すぐ目に映る雑さは改善されました。海戦シーンには迫力があり、キャラクターそれぞれが生活しているように描いた日常風景はこだわりを感じます。ここらへんはアニメ版に不満を持った方を大いに満足させる結果になった
事でしょう。
 ではストーリーはどうか?ストーリーはすぐ目に映ることはない、いわば考えないと見えない部分です。艦これの世界観にはおおむね解釈を追求した内容にはなりましたが、それと
ストーリーの完成度とは別問題です。劇場版艦これのストーリーは賛否両論あると先ほど申し上げましたが、まずおおまかな外枠から見ていこうと思います。

【5】





 いろいろ抽象的な話ではありましたが、具体化していきましょう。
 「どんな話か?」というのを詳しくみれば、誰が何をしてどうなったwho,what,howに言葉を当てはめればわかりやすいかと思います。
 例えば浦島太郎なんかの話に当てはめれば、浦島太郎が、竜宮城に行って帰ってきて、老人になってしまったという風になります。亀に乗って行ったとか、玉手箱を開けたというのを詳しく言えばより具体的に因果関係も説明できますが、大体で結構です。
 物語は何かが変化する状態変化こそ重要です。そして変化するのは大抵人間かそれに類するもの、そして小説などでは登場人物の心情が大きく変化します。心情はただの感情の移り変わりというよりは、本来その人が持っていた価値観が変わるようなものであるのが一般的です。
 アニメや映画は表現方法は違えども、小説等で現わされたものを基本的に描いているので、小説と同じように物語を追っていけばそれ自体は見えて来ます。話がやや横道にそれましたが、艦これではどうでしょう?
 試しにアニメ版艦これでやってみると、whoは主人公に当たる吹雪ですね。whatはまあ深海棲艦と戦う、ですか、浦島太郎と同じに海に行くでもいいですね。しかしこのhowの状態変化が難しいです。
 吹雪は何が変わったのでしょうか?
 例えば3話4話では如月の死を通じて、仲間が死ぬことはどういう事かを理解する、なんて考えられます。3話で初戦果を挙げて喜んでいた吹雪ですが、帰ってこない如月の報と、それから現実逃避しようとする睦月と正面から向き合えないでいます。
 睦月は仲間、それも親友の死という事実を受け入れないのに対し、吹雪はそもそも仲間が死ぬ事という現状の本質的な理解を出来かねているという形ですね。
 しかし彼女は金剛たちと出陣し、死の恐怖を味わいます。その時脳裏に浮かんだのは、如月がいなくなった時の睦月の姿です。金剛の助けで何とか一命をとりとめた吹雪は自分がいなくなると、仲間にあのような表情をさせてしまう、死とは生き残っている仲間を悲しませてしまう、それが分かったから生きていてよかったと金剛の前で涙を流す訳ですね。そんで金剛はそれを分かっているから吹雪をただ抱きしめていると。
 帰って来た時、睦月に「ただいま」と言えた吹雪は私は生きて帰って来たよというメッセージと同時に、睦月に如月の死を受け入れさせる行為になります。それは吹雪が自分が死地に立つことで、如月と同じ視点に立てたこと。そして抱きしめることが出来る私と、もう抱きしめられない如月が二項対立で示されているからこそ、吹雪は初めて睦月と正面から向き合い、また睦月も如月の死を受け入れられるってお話なんですよね。
 それ以降はなんか変なカレー対決やらいろいろありましたが、吹雪ではなく他の艦娘の変化を描いた話になりますね。大和の話なんかは分かりやすいですね、ホテルではなく艦娘としての自意識とジレンマの脱却なんかはよく描けていたと思いますし、今回の劇場版でも、大和ホテルと他の艦娘のなにげない一言も笑って誤魔化せる成長具合はよく演出されていたと思います。
 ただその後の10~12話はこれが分かり難かったと思います。4話でもそうですが、中途半端に関係ない余分な話を加えるので本筋もテンポが悪くなるわ中途半端になるわと内容の薄さが雑に映る訳ですね。提督が吹雪を選んだ理由とウェディングドレス、これとMI作戦が全く関係がない。
 強いて言えば吹雪は艦娘として、仲間となる事とはどういう事かを理解した話とでも言えますかね。仲間と役に立つこと、みんなの架け橋になる事、自分が艦娘としてどういう艦娘になるかの自我の確立、といえば聞こえはいいですが、メインの話が「史実の脱却」であり、それは史実を知る我々のメタな部分の達成感でしかなくて、物語構成としてはただそれが簡潔にあるだけの何ら深みもない内容なんですよね。
 「史実」を回避することは、結果論的には吹雪たちが仲間を助けたということに繋がりますが、それは吹雪達の努力の結果以外の何物でもなく、ぶっちゃけ言ってしまえば史実云々はそのカタルシスの邪魔な要素でしかない訳です。
 艦これのゲームを知らない方が、艦これアニメを見て評判はいいというのは当時よく聞きましたが、それは何故かというと、艦娘を史実にあった軍艦の擬人化とか在りし日というのが史実のメタファーとか、そういうのを関係なしに、戦闘美少女のバトルアニメとして見ているからではないかと考えています。
 艦これの雑さとは、艦これの舞台、背景設定とストーリーの完全なミスマッチがその根幹ではないかと思います。
 艦これの設定はぶっちゃけ、ないほうが良い。むしろ設定にこだわればこだわるだけ物語とのミスマッチが強調されて死ぬ。
 つまり話を作る段階からミスってるんですね。
 これは吹雪の艦娘としての成長物語を描きたい花田先生と、艦これ作品としての史実準拠とその脱却を描きたい田中の方向性の違いが如実に表れたものではないかと、個人的には感じますが、まあ皆さんはどうですかね?

 んで、なんでこんな話をだーだーと垂れ流したかと言いますと、アニメ版のおさらいの意図ももちろんありますが、これで劇場版艦これも全く同じように言及出来てしまうんですよね。

【6】





 劇場版艦これの物語構成を見ていきましょう。主人公なんですが、今回は二人いると考えていいでしょう。ここが最初から最後まで尾を引きます。
 まずアニメ版から続投して吹雪です。深海棲艦との戦いの主軸、メインの物語を牽引する役割を果たしています。
 そしてもう一人は、今回復活を遂げた如月ちゃん。しかし彼女だけの話というより、如月・睦月ペアの話と考えてもいいですね。行動の主体はあくまで如月であることは変わりません。
 彼女たちの行動もアニメ版と同じく海に行って帰ることです。
 ただ一方如月は吹雪たちとは逆に海から陸に戻り、そして海に帰ります。これだけ言うとゴジラみたいですね。
 艦娘にとって海の世界は戦場であると同時に、その世界にいることは死を表します。つまりは轟沈ですね。それだけでなく、轟沈した艦娘は深海棲艦になるという設定も明らかになり
轟沈=死=深海棲艦とおおむね皆さんが予想していたであろう解釈におさまりましたね。
 つまりは劇場版艦これは、生者の吹雪、そして死者の如月の物語が並行して描かれています。発想は良かったと思います、ただ残念ですが脚本力がタランカッタ……。

【7】





 どういう事かを説明する前に、物語構造から、この作品の主題を探っていきましょう。
 まず吹雪はアイアンボトムサウンドに向かい、そして海に空いた大きな穴の底に突っ込みます。これは黄泉の国に行く象徴でもありますね、死者の国は地下へ続く穴というのが相場ですね。
 「君の名は」でも糸守の御神体のある場所、カクリヨとも呼ばれていた場所ですね。あれもあの世と表現されていましたが、ちゃんと大きな窪地つまりは穴になってますね。
 そうやって死者の国に入る吹雪は、深海棲艦としての吹雪、いわば闇吹雪に遭遇します。そして闇吹雪を受け入れて、海は平和になりました。そんで何とか帰投する、というのが大きな流れですね。
 死者の国に行ったのは、自分が艦娘として復活した時に分裂した、深海棲艦側の負の意識ともいえる半身を取り戻したという事になりますね。まだみんなと一緒に戦いたいという希望は、反面自分の性能を活かせず轟沈したという絶望と全く同義になりますからね。
 その彼女を受け入れたというのは、アニメ版4話で描かれた、吹雪が死ぬ直前まで至った場面、生者が失った仲間を嘆くという視点ではなく、死んでしまってもうみんなと会えなくて悲しいという、死者の視点を受け入れるという事になります。
 死んだ自分の記憶を受け入れると表現するとなにやらすごいことですが、メタ視点で捉えれば、単なる史実脱却ではないんだよと。一度もう起こってしまった史実を、我々は忘れてはならないというようなメッセージもあるとも考えられます。

 この史実脱却を散々描いといて、我々は史実を忘れませんって言うのはまあ一見筋が通っているようにも見えますが、史実の脱却内容、つまり艦これの世界観が非現実的過ぎてむしろ白々しいですね。
 非現実というのは艦これや艦娘だからということではありません、深海棲艦は轟沈した艦娘であり、両者は今までもずっと戦ってきたという背景が明かされます。つまり如月は初轟沈艦ではなかったということですね。如月轟沈時に駆逐艦以外が冷静なのはそれが
理由にもなっていたとも今思い返せば納得しますね。
 ただ加賀さんが言った、この永遠とも思われる戦いの終止符を打つ方法が、艦娘が一隻も轟沈せずに生き残り深海棲艦を殲滅することです。史実脱却がオレツエェェェェ!みたいな内容を踏まえといて、史実の悲惨さを忘れませんというのは右翼の極みみたいな作品をみた
気がして吐き気がします。次は必ず完全勝利してみせます!って、夏目漱石の坊ちゃんと
思考レベルが変わらないじゃないですか。
 自分アニメをプロパガンダに使われるのは右左翼関わらず嫌いですね。そこは個人的な嗜好なのでとやかく言っても仕方ありませんが、問題はこの設定と物語があんまりにもミスマッチなことです。
 艦娘として戦う以上死を覚悟しなくてはならないと言っていたのは赤城さんだし、沈んだら二度と会うことは出来ない、おしゃべりすることも出来ないと睦月ちゃんも言っていたし、如月の死があったからこそ吹雪や睦月は死を受け入れ、そして戦う事の覚悟を身に着けることが
出来たのです。
 死というものの重大性があって初めて、戦場で戦う話で死の重みという要素が強くなるのです。そしてその重みが、アニメ版の4話で描かれていたからこそ、物語としてはそれなりの完成度は持っていたのです。
 その死の要素を全くなくして完全勝利を目指すという内容は、明らかに死を軽んじていますし、そしてそれが永遠とも思われる戦いの果てにあるとしたら、加賀さんの発言は艦娘として戦うことの悲劇さを如実に表しています。
 だってよく考えたらこれ、一人でも沈んだらやり直しのループものと大して変わらないこと言ってますよ。また全ての深海棲艦はすべて轟沈した艦娘という訳ではなく、闇吹雪と吹雪が統合して深海棲艦が消えた所を見ると、轟沈艦の深海棲艦一隻で多大な戦力を生み出せる、という風な視点も勿論考えられますし、つまりは戦力差が極めて不利である状況は轟沈艦が一隻でも出たら変わらないということも出来ます。
 まああれは希望の吹雪の分身という極めて特殊な深海棲艦なのかもしれませんけど、アニメ版含めて今までの戦いで敵戦力は極めて膨大だったことを考えると、少なくとも加賀さんの言葉で他の艦娘が希望を持つことは一切ありませんし、むしろ私たちはなんで戦っているんだろうと考えたりするのが自然でしょう。何普通に作戦決行しようとしてるんですか

 ……と、いろいろ言えてしまう内容なんですが、設定を除いたら吹雪の物語は極めて薄い内容に映ります。けれどその設定自体が、物語の主軸と絶対的なミスマッチを演出してるってある意味芸術的な作品でもあります。
 自分から言わせれば、吹雪の物語というのはアニメ版で補足しきれなかった深海棲艦の解釈だったりを説明する、いわばアニメ版を言い訳する劇場版になってしまっているのは反省すべき点だと私は思います。
 というかアニメ版艦これの総括とほぼ同じことから、物語面においては艦これは全く成長していないという事が出来ます。
 ただ睦月と如月の話はそれなりに濃い内容として描けているのではないかと思います。

【8】





 吹雪が海に行って帰るのとは逆に、如月は陸に戻りそして海に、つまり死の世界に帰っていきます。
 吹雪が生者の視点から死者を受け入れる物語とは真逆な、死者になった、そしてなっていく者の視点で物語が構成されています。
 さて如月はどうして帰って来たのでしょうか?
 ドロップしたからという因果内容ではなく、どうして物語上それが必要だったのか、つまり如月の物語の主題とはなんだったのかという問いですね。如月は仲間に救出されて睦月の元に帰りますが、彼女の身体は徐々に深海棲艦化していきます。これは自分が死に再び近づいているのと同義だと分かると、如月の発狂じみた変化は納得がいきますね。まあ身体が異形のものに変形すれば誰でもそうなるとは思いますけどね。
 結局彼女は身体の事もあり出陣編成から外れますが、睦月がピンチの際に、ほぼ身体が深海棲艦化したのにも関わらず彼女の元に駆けつけてこれを救います。
 これは吹雪のシーンでも表れていた、もう一度みんなと戦いたいという想いの表れが艦娘の希望だとすれば、身体が深海棲艦化してしまった如月の唯一残った艦娘の部分とも言えるでしょう。でもそんな危険の状態の子を泊地に一人置いとくなよ危ないなあ。

【9】





 結局二人はボロボロになりながらも戦いますが、吹雪と闇吹雪が統合したことにより戦闘は終了し、同時に何故か如月も消えます。自分は統合によって闇吹雪が生み出していた深海棲艦が消えたと解釈していましたが、こうすると如月の説明がつけません。
 吹雪が死者を受け入れた生のなんかすごいパワーが、死者に近いほぼ深海棲艦化してしまった如月も同時に殺してしまったと考えれば、まあ最終的に深海棲艦化してしまう如月を睦月が殺さず済むという救いはありますが、とどめを吹雪が刺したみたいで嫌ですね。
 ですが如月という存在は、深海棲艦の設定からしても不思議な存在なのです。もし彼女が救出、つまりドロップしたということになれば、長門が説明した、深海棲艦化した如月を再び轟沈させることは、古鷹達の艦隊作戦の時点で完了していることになります。
 つまり救出された如月がまた深海棲艦化する意味が少し曖昧なのです。
 加賀さんが過去の記憶を持ちつつ今は艦娘として戦えているのは、自らが深海棲艦化し再び轟沈した経験を持っているからです。もしドロップした艦は、再び艦娘として蘇ったとしても深海棲艦化する可能性があるという事だとしたら艦娘にかなり不利な使用ですね。深海棲艦も艦娘化して途中で裏切ったりしろよ、とか考えちゃったりします。
 すると如月の状況は、ドロップした時にまだ完全に深海棲艦化していない、変容の最中に救出された、という解釈をすると古鷹達のやらかしてしまった感が出てしまい、せっかくの戦果演出が無駄になってしまいますね。原因はここから始まった、みたいな感じで嫌ですね。
 とすると如月はあくまで轟沈した如月とは別に、闇吹雪が生み出した他の深海棲艦と同じ存在で、最近轟沈した如月の思念が入って中途半端な存在として復活した。みたいにすれば、無理矢理感はありますが彼女の帰りたい意志が具現化したみたいですこし綺麗な形になりそうです。
 って、こうやってすでに設定で四苦八苦する内容になっているから批判される理由なんですけどね。艦これ上映開始数十分でさっそくこの矛盾にぶつかるんですから、気持ちよく視聴させてもらえなかった印象です。

【10】





 さて結局如月はそうやって海に帰るのですが、もっと一緒に戦いたいという艦娘の気持ちをまだ持っていた、しかし彼女は既に轟沈艦であることを睦月に直接伝える契機になっていますね。
 彼女が最後に言っていたように、さよならを言いたかった、つまり死者となったからこそ言いたいが言えない事を伝えられたという意味があるからこそ、彼女が戻ってくる物語があったということですね。ここが主題になります。
 死者の視点を受け入れる吹雪と、睦月という生者の視点を知っていたからこそ帰投した如月の物語は、バランスのとれた物語だという事が出来たでしょう。
 さてここで皆さんに質問ですが、深海棲艦化とかの艦これ設定、いりますか?
 いや深海棲艦の設定がないと勿論この二人の話は成り立ちませんが、要はアニメ版の言い訳の為に作られた艦これ設定は全く必要がないという意味です。
 沈んだ艦娘が深海棲艦化することがある、という設定は必要ですが、ドロップの説明の為に深海棲艦が艦娘化する必要はありません。如月は先ほど話した深海棲艦化の途中でも辻褄は合いますし、過去の記憶云々はそれこそ深海棲艦化した時の記憶より、在りし日の記憶にしていれば全く問題がありませんでした。
 吹雪の存在だけ、深海棲艦と艦娘で分裂した特殊な存在として描けば、彼女の特殊性・主人公性はそれで保証されますし、少なくとも提督の夢に出てきたからという設定よりマシでしょう。
 つか言い訳を百歩譲って許すとしても、今度は劇場版で提督を別の場所に追いやってなかったことにするその臭い物に蓋をするやり方は作者自らがアニメ版をある意味失敗作とすることと同義なので気に入りません。だったらそもそも劇場版では一切提督について言及
しない方がマシです。これが新しいガンダムの世界観だ!と胸を張ればいいのです。わざわざ今回は別の作戦行っててみたいに言い訳するのはよくないですね。
 なぜ良くないか、これも設定の不備を証明してしまうからですね

【11】





 提督とはいわば作戦指揮を取るものであると同時に、責任を取る立場です。アニメ版で提督がいるにも関わらず、段々と長門が作戦指揮を執るようになるのは、作戦責任を
艦娘におしつけてしまう描写とも取れます。
 しかし今回はそれがなお酷くなって、作戦は全部長門が取っていますねこれ今回の作戦で轟沈艦が出たら長門の責任ですよね?でもそれだけならまだしも、今回の作戦、ちゃんと勝算があるものでしたか?
 加賀さんが長門へアイアンボトムサウンドに、吹雪を投入することを具申していました。それは他の艦娘はあの赤い海にいるだけで艤装が破損してしまうのに対し、吹雪だけが無傷だったからです。確かにこれは何かあると考えるのは自然でしょう。
 ですがそれだけの確証もない内容で大決戦を挑むような意思決定を、艦娘にさせてはいけないだろうということです。こういうメタ視点の解決法を提示するときに提督の必要性が産まれてくるんですよ。吹雪をアイアンボトムサウンドに投入しろ、責任は俺がとるって、
一番の提督の活躍どころじゃないですか。
 確かに赤い海が広がる緊迫した状況であったので、何かしら作戦は行う必然性はありました。しかし問題なのは、先ほども述べた通りメタの解決法を提示するときに理由づけをはっきり付けられて問題ない人を出さず、下手したら突入艦隊全滅の危機さえあったこの作戦決定をさせるに十分な理由を持っていない艦娘同士でやらせるなと言っているわけですね。

 それだけじゃありません。吹雪の出自もそれに関わってきます。
 尋ねてみると吹雪は以前の自分の所属鎮守府・泊地・艦隊などを覚えていない、記憶にないというのが分かります。いやいやそんな所属確認もままならない艦娘を無条件で受け入れていたお前らの鎮守府のガバガバぐあいに驚きだよ!と突っ込みどころ満載な訳ですが、提督が呼び入れたから無条件に信頼していたとすれば、なおさら劇場版では提督の存在が必須な訳ですね。
 今まで吹雪の必要性を隠していたのはこの時の為で、夢に見たはとっさの誤魔化しだった。君が特殊な艦だというのは僕が保証する!行ってこい!と吹雪の背中を押せる人間でもあったし、と同時に作戦内容の不確定さに不安を覚える吹雪だって描写できた筈です。如月の状況を見て、吹雪が「私達はどうして、何の為に戦っているんですか!」と悲痛な叫びを上げさせることも出来たはずです。
 時津風にパンチラさせたりする時間あったらかけてただろ!
 熊野にステーキ云々言わせてる時間あったらかけてただろ!
 てかそれアニメ版で言ってたことと同じじゃないですかね?
 北上と大井の百合シーン抜けば良いとは言ってないんだよ!
 話の本筋と関係ないことに尺稼ぎすんなって言ってるんだろ!
 ……という訳で全く反省点が分かってない制作陣というのが分かりますね。
 結局作画や演出とかが改善したのは、それが目に見える問題点だったからに過ぎない訳で、北上大井の百合シーン削除もその延長線でしかなく、なぜ批判が上がるのかの根本的解決というのを全く考慮していない訳ですね。
 製作者特有の、作った本人は分かっているの典型パターンかもしれませんがプロでそれやっちゃあかんでしょ。
 まあ自分が考えるに、素人が介入したからこうなったと思ってますが。
 素人が脚本に加わるから、こうなったと思ってますけど!

【12】





 結局すべての艦これ設定がアニメ・劇場版艦これの物語の良いところを全て殺しているんですよね。如月の物語が吹雪のメインの艦これ設定の物語に食われているんですよね。
 さよならを言いたかった物語、睦月はこれで如月の死を本当の意味で受け入れることが出来たわけですね。アニメ4話では吹雪が如月の代替として、彼女を抱きしめていた訳ですから本人に直接さよならを貰えることによるカタルシスは、アニメ4話の経験があってこそです。睦月ちゃん良かったねと思える部分ですよ。感動ポルノ?んなもん知るか、このさよならを言うという事は彼女とまた会えたのにまた別れないといけないという残酷な結末なんですよ。
 でもさよならの一言で、言えないで沈んでしまった如月も救われるし、睦月もそれを受け止められるんですよ。一番成長したのって吹雪じゃなくて睦月なんじゃないのかと思えるシーン
ですよね。
 でも死を受け入れたっていう人間の大きな心理的な成長も、艦娘としてまた如月が復活したら台無しじゃねーか!どんな気持ちでさよならしたと思ってんだ!これじゃ瑞鶴が思うのは当たり前だよなあ?轟沈してもまた会えるって!
 田中お前も分かってるんじゃねーか!
 何加賀に言論弾圧させてんだ!
 それはとてもつらいことだから、あなたも分かっていることでしょ?
 わかってねーのはお前だよ!
 仲間の死から目をそらして、チャレンジリトライさせてんのはお前のほうじゃねーか!

 前生放送やってた時に、この作品は捨て艦すんなっていう田中のメッセージだっておっしゃってくれた方がいましたが、艦娘を一番大事にしてない奴は何をかくそう田中お前自身だっていう事がこの作品みてはっきりわかんだよなあ。
 史実脱却やりたきゃゲームでしてろよ。
 何のためにアニメ化したんだよ。
 アニメはストーリーがある、ゲームでは再現できなかった艦娘を表情豊かに表現できる唯一の機会だったんだよ。ゲーム設定にこだわるより、彼女たちがこの世界に生きているんだ!っていうことを描いた方がみんな艦娘にもっと愛着湧くだろ!
 単に日常モノを描けと言っているわけではないですよ。
 艦娘登場人物一人一人の心情を丁寧に描写しろって言っているんでよね。
 一番艦これで雑なのは、艦娘の扱いそのものなんですよ!
 艦娘が完全に忠実な作者のしもべ、ロボット。
 戦う理由は、仲間を守るだけで、戦うそもそもの理由に大義名分がない。長門はアニメでそこらへん言及しているが答えは依然としてない。
 もしこれが艦娘として生まれたなら戦う定めなのだと運命論気取るなら、そこに吹雪の葛藤を入れろよ!艦娘なので戦いますって完全ロボットですよ。
 これ言い換えれば社畜ですよ。
 会社に入ったら同期の仕事の負担を減らすために残業しろ、働く内容に理由は求めるな、ってことを艦娘にやらせてるわけですよ。
 いや確かにオリョクルとかあるし艦娘が社畜なのはなんか自明感ありますけど、そうだとしてもそれに疑問を持ってないってないような時点であなたの勤めている会社がどのような人間を求めているか、またはそういう環境かっていうのがメタレベルで見えてきますよ。
 作品に口出すくらいなら休暇取ってろ!

【13】





 睦月たちの物語・主題を艦これの設定や吹雪の物語が潰している点に加えて、二つの物語に接点がまるでないといのも問題の一つです。
 正直吹雪と如月の物語は世界観と時間軸が同じだけの話で、これ二つ同時にやる必要あった?という印象が強いです。
 一例を上げましょう、上げる必要ないかもしれませんがあげます。
 思いついたから仕方ないね。


 ついこの間流行った異世界もので話を作りましょう。
 主人公は異世界に転生し、そこで一軒の宿に泊まります。
 そこで宿屋の娘にいろいろこの世界について教えてもらいます。
 主人公はこの世界に巣くう魔王を倒すべく町を出ます。
 その時見送りをしていた宿屋の娘を、幼馴染の武器屋のせがれが目撃します。
 あの男はなんだと、男は詰め寄ったり寄らなかったりのひと悶着があります。
 一方魔王はこの世界を支配するために、魔物たちに町を襲わせます。
 それを防ぐために主人公は魔王城に突入します。
 魔物たちが襲う町には宿屋の娘の町もありました。
 町が魔物に襲われる中、武器屋のせがれはあれから一言も口を聞いてない宿屋の娘をかばって魔物と対峙します。
 けれど苦戦が続き遂に魔物に殺されそうになった直前、そのころ魔王の元にやってきた主人公は遂に魔王を討ち果たし、同時に魔物はすべて消滅、無事平穏な世界が訪れました。
 主人公が町に戻った時、教会のチャペルが鳴り響いていました。
 主人公は思いました、私はこうして、新しくできた幸せな家族を守ることが出来たのだ、と。


 はい関係なさそうな話をご視聴いただきありがとうございました。
 さて、この主人公と宿屋の娘の話を同時にやる必要があったと思いますか?
 主人公と宿屋の娘が共有した時間は最初だけで、世界観と時間軸が同じまま、全く接点のない平行の物語が二つあっただけです。
 要は一つだと内容説明しきれないし、ボリューム不足なんで二つの話を別視点で用意しただけですね。デュラララ!を少しは見習ってほしいです。
 接点を作るエピソードを入れる、またその時に登場人物の内面や心情が変化する契機にする。これだけで葛藤とその克服が生まれます。
 葛藤が物語に絶対必要かは別問題ですが、少なくともシリアス路線でやっている物語に苦悩は存在しますし、それがどう克服されるかでカタルシスの度合いは変わってきます。
 なんでこんな話したのか?お判りでしょうが、まんま吹雪と如月のストーリーがそれだからです。
 吹雪と睦月は、如月について話し合ったでしょうか?
 または如月と吹雪、もしくは睦月が話し合うことで、二人にそれぞれ話した如月の心情などを話し合う機会があったでしょうか?
 二人の物語の接点で、二人の心情が変わる契機を生み出せたでしょうか?
 ……全くないですねはい。
 逆にすごいですよね、どうしてそこまでキャラ同士の関わり合いを省かせたか。それが描ける程の上映時間がない?確かにそうかもしれません。
 ならなおさら二つの物語は入れるべきではないです。
 満足に1つの話も描けないのに、それを2つも3つも描くなよって話です。
 それか最初の古鷹達の戦闘シーン、あれ良かったですよね。評判もいいです。でもあれがストーリーに関わる要素ってなんでした?
 如月がドロップしたことと、アイアンボトムサウンドから声が聞こえた事だけしかないんです。
 演出がいくら良くできても、物語になんら役に立たないなら描く必要性が全くないです。描くならちゃんと物語に必要な要素として描いて下さいって事です。アニメーターは言われたことを仕上げるしか出来ないのに、脚本がそれを台無しにしてどうするんですかね。
 演出と作画は良かったってのは裏返せば脚本お前らはいらない宣言だってことを、そこんとこ分かってるんですかね田中さんは。ゲーム設定こだわってんの、脚本にわざわざ携わる姿勢からしてあの人しかいないのは丸わかりでしょう。
 花田先生とやる事が合わないから吹雪と如月で二人で分けて書いたとしかいいようがないような出来なんだよなあ。吹雪と闇吹雪が統合する前に、お前たちが脚本を統合させるべきだったんじゃないんですかね。
 あと統合したとしても吹雪の話は案として受け入れて無視して、如月の話だけを重点に書くべきでしたね。

【14】





 しかしここまで話しておいてなんですが、艦これの設定がここまで物語にミスマッチを呼び起こさせる理由について、最後の解説・批評として締めくくりたいと思います。
 深海棲艦と艦娘は交互に転生するぶっちゃけ将棋みたいな世界にいます。何故争うかは天使と悪魔みたいに相反する存在だからで、どちらかを完全に殲滅しないと終わらない。
 艦これの世界観に新しく付与された設定はおおむねこんな感じです。
 実際よくありそうな設定なのですが、これは戦争モノに果てしなくミスマッチを引き起こしてしまいます。
 まず第一に勧善懲悪ものだからでしょう。勧善懲悪そのものが悪いというより軍艦の擬人化や史実の戦いをベースとした内容のものに、いくら身内同士の争いとして理由を付けたとしても、一方が完全に悪だとする戦いに正義如何の葛藤は発生しません。
 如月が深海棲艦に堕ちたからこそ睦月に多少の葛藤は起きましたが、他の艦娘になんの変化もないのは当然ですね。
 また双方とも復活可能な存在から、当然、瑞鶴のような発言はある意味的を射ている発言でしょう。ぶっちゃけどくろちゃんに撲殺されてもすぐ復活するけど、
殴られた傷はすごく痛いんだよ!程度の説得力しか加賀さんの発言は
持っていない、というのは過言ではないと自分は思います。
 せめて一回しか艦娘に戻れない……で如月を救う物語の方がまだましな気がします。
 睦月ちゃんが、もう二度と離れない、ずっと如月ちゃんの隣にいるよ!ってエンドならハッピーエンドに無理矢理はできますね。

 後は過去を受け入れても結局過去のメタファーでもある深海棲艦をまだ殴る、要は戦争がまだ続いていることも問題です。過去の落とし前、まあこれは受け入れる、直視する程度の意味ですがこれが吹雪の物語の基本軸でした。
 深海棲艦と初めて戦闘ではない方法で決着がついた物語なのにまた出陣したら結局また殴るのか……ってなりますわな。
 せめて吹雪との戦いが最終決戦なら、設定のほころびもそんなにひどく言われなかったのではと思います。
 結局戦いを続けるのは、深海棲艦化した如月をもう一度救って睦月と再開するラストシーンを入れたかった辻褄合わせとして吹雪が出陣して戦闘が継続している描写を見せる必要があったわけですが、その俺が満足したいからやるみたいな独善的作品意欲は設定をしっかり練ってからやってもらいたいものでした。
 結論といたしましては、無能の頑張り屋が一番迷惑ってことが分かりましたってことですかね?
 いや、ここまで申し上げてなんですが全部田中さんが台無しにしてるというのは私の勝手な憶測で、事実とは全く相反するものかもしれません。
 そういうのを抜きにして、私が率直に思うのは、こんな物語を軸に作品を作って誰一人NGを出さなかった、あるいは出せなかった環境で作品なんか作っても、いいものなんて生まれる訳はないってことですね。

【15】





 総評としましてはアニメ版艦これ・劇場版艦これは終始一貫して、ゲーム設定の再現と史実脱却の目的に拘り過ぎて、艦娘個人の内面や世界観の表現を蔑ろにしてしまった作品なのではないかと思います。
 こんな作品なら同人をアニメ化した方がいいという意見が出るのはある意味当然で、大体同人作品は一人一人の艦娘の心情表現を細かく追求してますからね。
 ただ、なるべく分け隔てなくたくさんの艦娘を出したいという気概は良かったと思います。 それなら深海棲艦と戦うのをメインにすべきではなく、鎮守府の日常を中心に描いた方がよかったと思いますが、どっちかを切り捨てるという器用な決断ができていれば、このような出来にそもそもならなかったというのが皮肉ですかね。

 物語と設定が矛盾しているというのは、それを知覚させてしまった時点で読み手が作品に感情移入させることを妨げます。
 感情移入できないという事は、そこの登場人物は自分の世界とは全く関わりがない存在という事です。
 フィクションとは現実のメタファーなのです。
 嘘の世界の中に現実に通ずる何かがあるから、我々はフィクションを愛しそれを求めるのだと思います。それが出来ないフィクションはフィクションではないです。つまりお話として成り立っていません。
 極論行ってしまえば以上の意味で艦これ作品とは、論ずるにそもそも至らない作品と言わざるを得ないかもしれません。
 しかしアニメを作ること、ストーリーを作ることとは何なのか、この作品を通して皆さん自身に何かしら考えが生まれれば、少なくともこの批評は無駄ではないと思っています。
 結論がこのようになってしまったことは非情に残念ですが、これらを克服した艦これ作品がアニメ2期で出てくれたらと願っています。
 それでは皆様、長らくのご視聴誠に有難うございました。

【16】





 いやちょっと待って。
 何この嫌な終わり?
 いや自分が作った内容ですが、ただ散々叩いて終わりってのはちょっと艦これが流石に可哀想。
 ということでここまで聞いてくださった物好きな皆様だけと劇場版艦これの率直なただの感想、そしてどんな話なら良かったのかなどを話して、少し気分を盛り上げて締めくくりたいと思います。
 せっかく作画演出が良かったので、自分のお気に入りを上げていきます。
 最初の古鷹艦隊の夜戦シーンで、妖精さんたちがそれぞれ動いて活動していたのはいい改良点だなと思いました。艦娘だけが戦っているのではなく、陰で支える妖精あってこそ、また意思伝達も艦娘と取れているのが可愛らしかったです。
 如月が沈んだのって、この妖精さん、つまり対空電探の未配備が原因なのでは……いかんいかん。
 次は、敵深海棲艦も形が魚から人間の形状に近いこともあり、艦娘と同じように体を動かしながら戦う戦闘演出は良かったです。今まではほとんどの敵は棒立ちで殴られていたので、臨場感が大幅に出ましたね。
 これは艦娘たちだからこそできる戦闘スタイルという世界観をリアルに見せる事にもつながります。艦娘だったらどのように戦うのが一番効率的だろうか、変に実際の艦の発艦とか考えないで、瑞鶴がしゃがみながら直上に艦載機を放つシーンは、艦娘ならではのリアリティを演出で表現できているんですよね。
 変な設定こだわるより、こうした艦これのリアリズムを追求していった方が、艦これのアニメの正解だった気がしますね。

 『この世界の片隅に』が公開されて思ったことでもありますが、艦娘達がリアルにこの世界に生きていると感じさせる作品こそ、我々が本来期待していたものではないかと。
 朝起きて自室をでた艦娘たちの一日のスケジュールが分かったり、物語で吹雪と睦月が話をしている中でも、廊下で通りかかった仲間とすれ違いざまに手を振る。そんな小さな表現を積み上げて、この鎮守府に艦娘たちが存在していたと思わせる作品であれば、聖地巡礼にも
かなう事だったのではないかなあと。まあ今回ショートランド泊地なので聖地巡礼は難しいですがね。
 その延長線上に、如月の物語があったのなら、彼女と吹雪達の絡みってもっと綿密に描けていたんではないかと思います。
 思考の対立なんかを作ってみても面白かったのではないでしょうか。
 睦月は如月ちゃんは絶対大丈夫だと信じ込み言い聞かせ、それが忍びなくて如月は吹雪に私自分が変わっていくのが怖いと不安を漏らし、なんとか問題解決を吹雪に迫らせて葛藤するとか。
 あと闇吹雪の声が、如月の精神を汚染する演出とかあったら、はやく現状打破する焦りから作戦決行を迫る駆逐艦と、慎重派の戦艦の対立とかも描けたかもしれません。そしたら傍観決めてる赤城加賀に憤慨して、仲裁役を買って出る瑞鶴なんかも登場させて、それぞれの作品内の役割を作ってあげることが出来ます。
 ただ登場させ台詞を吐かせるだけが、艦娘を描いたことになるとは決して思いません。彼女たちが現在の状況にどんな心理的感情を抱いているか、これを描いて初めて艦娘をその世界に登場させることではないかと思います。

 そんでそんな対立を辞めさせるのが、提督の鶴の一声で、吹雪が特別な存在とアピールさせ、彼女が深海棲艦との戦いを終わらすカギとなること、それが同時に如月を救うことになるとすればよかったのでは?
 睦月と如月の物語も、ここまで舞台設定があれば、一緒に戦って吹雪勝利後に深海棲艦の要素だけ消えて無事艦娘に戻る。でもよさそうですし、睦月と如月が共闘するのではなく、完全に深海棲艦化してしまった如月と睦月が対峙するなんて展開もありだったと思います。
 睦月は自分は如月ちゃんと戦えないと言いながら、如月ちゃんは睦月ちゃんも一緒に行こう、あの海の底へ、って言ってヤンデレ化したら臨場感ありそうだし…まあここら辺は私の好みですが、自分が何も返せなかった如月ちゃんに唯一返せる恩返しが、深海棲艦化してしまった彼女を沈める事、それにありがとうさようならをいう如月、みたいな形にしたらもっと生死の内容に重みが増しそうですけどね。

 そしてもし吹雪の戦いが、深海棲艦との最終決戦になるなら、吹雪が最後に一人帰投するときに艤装を一つずつ脱いでいくシーンはもっと印象的にかわりますよね。
 艦娘としての役割を終えた吹雪が艤装を脱いで再び一人の女の子として生まれ変わるシーンに早変わりですよ。
 したら提督の夢はまんざらではなくなりますよね。
 アニメと劇場版を通して、吹雪という一人の少女が艦娘として戦い、そして普通の女の子に戻る話とするなら非常に物語の完成度は高くなります。
 戦場を経験した彼女は、以前の頃よりも大切な仲間たちを獲得する物語にもなりますね。自分の居場所を見つけるという点では、ガルパンと同様かそれ以上の完成度はあったかもしれません。
 ……とこうやって最後自分が思う、こうすれば艦これの物語は面白かったのではないかを考えてみましたが、皆さんはどう思いましたでしょうか。
 いろいろ考えた末で、では我々ならの「我々が」あって初めて批評というものは実を結ぶと思ってみます。皆様にもそれが少しでも芽生えてくれたら幸いです。
 それでは今度こそ、長くなりましたがこれで最後にしたいと思います。
 次回の出会いがいつになるか分かりませんが、気になったら生放送とかもやってるので是非意見質問感想などお知らせください。
 それではまた会う日までさよーなら。
 皆様の素敵な艦これライフを祈ってます!
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これ田中じゃなくて角川の方針だと思うんだよね。
ドロップ設定以前に、わざわざ轟沈したら復活しない設定にしたのが田中な訳で。
http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/
あと漫画の原作、曲の作詞やドラマCDの脚本もやってるから素人じゃないんだよ。
ナチュラルドクトリンという超クソゲーも作ってるから才能があるかどうかは別だけど。
17ヶ月前
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終わり方がクソだよ、マジしねよクズ映画!
まあ結局は映画を終えてもアニメの罪は消えないってことだよ
もう2期なんて、やるんじゃねえし、もう最悪だよ、クソッタレが・・・
そんで、ありがとな同志、良い勉強になったぜw
16ヶ月前
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映画の作画も言う程良くないんだよね。終始アップとズームアウト繰り返すだけで、戦闘中の立ち位置がよく分からなかったりtv版みたいに相変わらずワープしてたぞ。
15ヶ月前
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吹雪を統合する前に、脚本を統合させろで草生えた
15ヶ月前
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田中自身が艦これの良さを腐らせてるんだよなぁ...まさに豚に真珠って奴だ。
14ヶ月前
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