3月4日 第三回口頭弁論開催
裁判長 審議打ち切りを示唆
こんな暴挙が許されるのか!
3月4日第3回公判での終了間際、裁判長は突如「今公判で審理を終了して・・・・」と口走ったのです。
やっと実質2回の開廷、これから具体的な審理が行われると思われた矢先に、全く国側の憲法違反、法則違反の実質調べもない中で、かくも重大の決定を出そうとする裁判所の姿勢に唖然とすると共に、深い憤りを覚え、この裁判所の暴挙にふつふつと怒りが沸き上がりました。
池ヶ谷、大橋、藤原、五井の四氏の心にしみる感動的な陳述のあと、原告、被告、裁判所の若干の事務的なやりとりがあり、「ちょっと」と言うことで裁判官三人が奥に引っ込み5分ほどして再度法廷に現れた。
暴騰、裁判官がモゴモゴと「ここで審理をうち切った・・・モゴモゴ」僕は傍聴席の最奥に座っていたため一瞬十分に聞き取れず「審理打切り」だけが聞こえて、え~と絶句した 。
裁判官席前にいた弁護団や陳述した原告らにも、あまり大きな動きがなかったため、聞き違いかと思ったが、その後の弁護人、裁判官のやりとりで裁判所が今回で審理を打ち切りたいとしていることがわかり、何てことを!門前払いではないか!と強い怒りが湧いたが、タイミングを逸し、裁判長への抗議の声をぶつけることができなかった。
弁護団の異議申し立てで、一応7月1日(金)次回法廷を開くことで収まったが、裁判所が早期に終結を意図していることは明白であり、状況次第では次回(7月1日)結審、秋には判決という、まさしく拙速裁判の典型が行われようとしています。何としても早期結審、門前払い判決をくい止めるため、原告の踏ん張りは勿論、世論を喚起して不当判決をくい止めねばなりません。
そもそも今回の裁判は、私たち原告のみならず、多くの国民がこのイラク戦争がアメリカの一方的な侵略戦争にほかならず、その戦争への日本の加担、なかんずく自衛隊派兵が重要の憲法違反であり、そのことにより私たちがどれだけ心を痛め、無駄に税金が使われていることを怒り、自衛隊派兵を中止せよと声を上げても、政府が国民の声に耳を傾けない中,やむにやまれず、二度と加害者になるまいと決意した平和憲法に違反するとして、司法の場にその判断を仰いだのでした。
そんな私たちの思いを裁判長はわかっていないのか!
今、日本国がそして私たちがイラクにおいて米軍と一緒になって、イラクを侵略し、無辜のイラクの人々を殺す側にある中で、どうしても殺す、殺されることに加担したくないと派兵中止を裁判所に訴えたのが今回の裁判でした。その負託に答えるのが当たり前の司法ではないのか!
前回の(04,12,10)5名の陳述、そして今回の4名。一人一人の必死の反戦平和への思いが伝わらなかったのか!
閉廷後の廊下で、やっと事態の深刻さが理解できた多くの原告傍聴の人達の声を聞きながら怒りや悔しさのないまぜの気持ちで僕は廊下に立ちつくした。
弁護士会館に移動しての報告会も「審理打ち切り」に対する怒りが渦巻いた。
最初に弁護団から、裁判所が今法廷で明らかにしたように、早期終結(曰く、原告陳述は今回で終了、もう不必要である。証人、証拠も後は憲法上の法律論である。僕には聞こえなかったが裁判長言)を目論んでいることは明白であり、これをうち砕くためにも早急に、平和的生存権、人格権(侵害を受けている)を理論化し裁判所に迫っていく必要が語られた。
去る2月28日提出の上申書を軸に、再度申し入れを行う旨報告され、この我が国の平和の針路に大きくかかわるこの裁判の勝利を勝ち取るためにも、陳述書等を集中し、粘り強く戦い続けることを確認し散会した。
原告・支援者の皆さんへのお願い!!
同封しましたハガキを投函してください!!
本文「第三回法廷報告」にもありますように、静岡地裁は突然「裁判の打ち切り」を通告してきました。かろうじて弁護側の申し立てで次回期日を7月1日に決めることができましたが、この裁判所の姿勢ですと、次回で結審し、すぐ判決を下すことになりかねません。
まだ、証拠も提出せず、証人も調べていない段階で、三回、実質二回の原告陳述のみで、この重大な裁判を終わり、判決文を書こうとしているわけです。とんでもない暴挙です。
そこで、さっそく裁判長への抗議・要請を行おうと思います。同封いたしました「抗議・要請ハガキ」にお名前・住所(抗議・要請のことばを一言)を書いていただいて投函してください。よろしくお願いいたします。
3,4第三回法廷原告四人の陳述(要約)
【池ヶ谷亘枝さんの陳述】
疎開してきた健ちゃんのこと
・・・・・国民学校二年生の頃、私の家の近所に4人の子供を連れたお母さんが、疎開してきました。・・・・・・人に会いさえすれば、「何か食べる物おくれ。」とねだっていた健ちゃんは、よほど辛かったのでしょう。ひどいどもりになってしまいました。そんなある日わたしは、公園下のベンチで健ちゃんのお母さんと三人の兄弟がサツマイモを食べているのに出会いました。健ちゃんだけがいませんでした。見てはいけないものを見てしまった思いで立ち止まると、おばさんは私の方に走り寄ってきました。そして、「健には言わないで。どうしても健の分までなかったの。」と言うのです。肩にかかったおばさんの手をふりほどくようにして、私は、「健ちゃんだっておなかすいている!」と叫んで、その場を走り去りました。
・・・・その夜のことでした。健ちゃん達が住んでいる家の庭先の井戸の近くで人だかりがし、ざわめきが聞こえます。何の気なしに見ていると、井戸の中から何かが引きずり出されてきます。ああ、それは健ちゃんのお母さんだったのです。おばさんの長い髪の毛はべったりと濡れて、背中の赤ん坊にまで巻き付いていました。その時、家の中からころがり出てきた小さな影、健ちゃんでした。おばさんと赤ん坊の体に取りすがって泣き叫ぶ健ちゃんの声が、私の耳をつんざきました。ああ、それはなんとも壮絶な光景でした・・・・・・・・・。
小学校教師として
・・・・大学に入学するとすぐに、「憲法」の授業を受けました。・・・・第9条の戦争の放棄は、日本が二度と永久に戦争をしないことを世界中に向かって宣言した条文です。そして、何より私の心を強く動かしたのは、基本的人権の尊重でした。・・・以来35年間の教師生活の中で、いつも心の底にあったものは、「子供達を再び戦場に送るな」というスローガンでした。・・・・しかし、だからといって決して安穏としていられない現実を見せつけられた記憶があります。 五年生と朝霧高原へキャンプに行った時のことです。バスの中で突然子供達が席を立って窓側へ駆け寄ったのです。そして、口々に 「わあ、すごい!」「かっこいい!」と、声を上げました。窓の外を見ると、バスは東富士演習場の戦車や装甲車が見えたのです。わたしは愕然としました。・・・学校へ帰ってから、『あたらしい憲法のはなし』文部省出版の本を子供達と読み、勉強しました。・・・・今、日本の自衛隊はイラクに派遣されています。・・・子供達に 「日本はもう再び戦争はしない」 と教えた私は多くの子供達に嘘を教えた教師になってしまうのでしょうか。 嘘つき教師なのでしょうか。
命うけつぐ者の一人として
・・・・いたいけな子供達、 教え子の一人たりとも戦場に送ってはならないと思います。私が今ここに立っているのは、社会に巣立っていった多くの子供達のために、そして、一人の女性として生み出した命、そして、その命を引き継いで生まれた命、いたいけな孫達が安心して生きていける未来のために出来ることは何かと、考えたからです。もう再び、この世に健ちゃんや健ちゃんのお母さんが存在してはならないと思います。
【藤原玲子さんの陳述】
平和憲法の国
・・・・・私の住んでいる日本は戦争の苦渋の体験を基に非戦を誓い、基本的人権と信教の自由を保障された平和憲法に守られた国のはずでした。チラシを住宅のポストに入れただけで住居侵入罪に問われ家宅捜査を受けたり、 君が代を歌うために起立しないだけで戒告処分を受けたりまるで戦時中の治安統制を思わせる事実を知るたびに背筋が寒くなります。いったい誰が何を考えて指示しているのでしょうか。キリスト教徒の家で育った父が学校に派遣されていた憲兵に「神様を信じているなら神棚を拝め」と言われて殴られ、父親に泣いて頼んで家に神棚を作ってもらったという話を思い出します。
「憲法9条で紛争予防」のこえを日本から上げよう
・・・・・テレビの討論番組で評論家が憲法9条擁護を展開していた時、「かの国が攻めてきたらどうするのか」の質問に「竹槍で戦えばいい」の答で思わず私は拍手をしていました。日本の取るべき道はアメリカの武力に頼るのではなく憲法9条を世界に広めることではないでしょうか。先日「憲法9条で紛争予防の声を日本から上げよう!」というメールが飛び込んできました。国連のアナン事務総長による紛争予防に関するNGO国際会議開催の呼びかけに応えて始まったGPPAC(ジ-パック:武力紛争予防の為のグローバルパートナーシップ)という会議で、そこには「日本の憲法9条を基本理念として紛争予防をしていくべき」と明記されました。「戦争放棄と軍事及び交戦権の否認」はこのテーマである軍事力の放棄・縮小、武力でなく人道支援をという目的に適うことが確認され、「国際常識に従うなら9条改正」といった改憲論は誤りで「脱軍事力をめざす9条こそが新しい」ということが明確に示されたのです。私はこの「9条の堅持」こそが今日本の果たすべき役割であると確信します。
・・・・私たちYWCAは、神の平和の器つまり道具としてこの神の叫びを世界中の人に伝える為に祈り行動することを大切な目的の一つとした運動体です。少しでも多くの人達に今進んでいる方向を知り、 考えてもらえるように、大きなウェーブを目指して草の根運動を続けます。サンタクロースの扮装をしてピースパレードをします。私は現地に赴いて支援をする高遠さんのような勇気ある行動はできませんが、等身大の自分にできる限りのことをしたいと考えこの陳述に臨むことにしました。
裁判官の皆さんはこの国が再び過ちを繰り返してもよいとお考えですか?今日本の向かっている道の危険性を十分認識したその上で、くれぐれも慎重に判断して頂きたいという私の願いを強調して私の陳述とします。
【大橋真司さんの陳述】
静岡市内で行政書士事務所を営んでおります大橋真司と申します。1952年生まれ、元号を使うと昭和27年になります。
殺すな、という故岡本太郎氏デザインの、大きなロゴのあるベトナム反戦の意見広告がワシントンポスト紙に載ったのは、67年4月3日のことでした。その後、このロゴはバッジにもなってベトナム反戦運動のすそ野を広げましたが、30年以上の時を越え、美術家たちの手によって、イラク侵略戦争反対の運動の中に鮮やかに蘇っています。
私自身としての「戦争と平和」は、68年2月、逮捕された解放軍将校が路上で射殺された事件によって始まりました。その写真は世界各地にショックを与え、高校1年生であった私にとっても同様でした。このような恐ろしい事がどうして平然と起きてしまうのか。そのことと私たちの平和とがどのように関わり合っているのか。考えざるを得ない課題を突きつけられたように思いました。
70年安保の年に大学に入りました。政治経済体制の選択というレベルについて思想的な確信を持つ事はできませんでしたが、当時の南ベトナム政権がアメリカにコントロールされた軍人独裁政権であることは明白でしたし、民族の独立運動を弾圧するために、アメリカが北爆等の軍事力を行使している事も明白に思えました。そして日本は、基地を提供する事等によって、これに加担していました。
このような思いから、日米安保条約破棄とベトナム戦争反対のための行動に参加するようになり活動を続けました。安保破棄は殺戮への加担を国家と国民のレベルで拒否することであり、ベトナム戦争反対はアメリカによる北爆その他の介入に反対することです。誰にとっても最も大切な「生命」が、かくも易々と蹂躙されている事を回避するためにできる限りのことを行なうのは、市民・学生としての基本的な義務でもあると考えました。この確信は今も変わりません。
今回、裁判の会が立ち上がる数ヶ月前から、原告団長である中川さんたちと一緒に行動するようになりました。イラク派兵の閣議決定のある少し前だったと思います。時ここに至って反対の声を上げないでいることは不可能でした。それはこの上なく恥ずかしい事です。
イラク戦争が、結果的に大儀なき侵略戦争であったことは、森さんの陳述で周到に説明されているので省略しますが、巷間いわれているように、国防長官ラムズフェルドや副大統領チェイニーなどの米国至上主義者連中が引き起こした、特定集団の利益のための戦争だったか、あるいは、石油利権にからんだアメリカ国益中心の戦争だったかのいずれかということも明らかになってきています。
となれば、このような、米国や特定の人間の利益追求のために行われた戦争に加担した我が国の方針は当然間違っていたことになりますが、今に至るも小泉総理は大局的観点から日本国家にとって利益になることだから、この戦争加担は大儀あることだったと発言しています。しかしながら「国家的利益」と「大儀」とはまったく別次元の話で、自分にさえ都合がよければ、隣の家に踏み込む「ならず者」に力をかすのも大儀だというのなら、親は子供にいったい何を教えたらいいのか。
派遣される場所が非戦闘地域でなくてはならないという法の規定に照らしてサマワがそうであるのか否かという国会での質問に対しても同様で、派遣された場所こそが非戦闘地域であると、質問者、他の議員、国の命令に従って活動に従事する隊員や帰国を待ちわびる家族、つまり利害関係ある全ての人間たちを舐めきったような回答を、薄ら笑いと共に平然と行なえるような男に舵取りされた日本を変える事ができなければ、人類と地球の未来とを託す次世代の主人公たち、自分の子供だけでなく世界中の若者や子供たちに合わせる顔すらないと思って今日に至ります。
被告たる国の代理人としてここに並んだ頭脳明晰なる国家公務員諸氏は、ああいう男の尻拭いをしていて本当に恥ずかしくないのか。クラスター爆弾で脳味噌の吹き飛ばされた女の子や劣化ウラン弾による放射線被害で生まれた無頭症の赤ちゃん。それらの出来事に我々は否応なく加担させられています。想像しただけで息苦しくなりませんか。胸が痛みませんか。私は心が少しづつ潰されているような気がしています。生きた心地がしません。
革命的に先進的な、あるいは実験的ともいえるような9条規定は、第二次世界大戦後の現代史の波に翻弄されてきましたが、冷戦構造の崩壊した現在、21世紀の世界を指導する理念として最も現実的なオプションであり、私たちと私たちの日本は、9条の示す先進性を掲げて、非軍事の国際協調主義を進むことが可能であると確信します。
イラク戦争、それからもう一つの焦眉の課題であるパレスティナ問題にしても、それらは欧米社会の歴史的な負債が溜まったものであり、幸いな事に私たちの日本には直接的な責任がありません。従って、東アジアと違って西アジアでは、日本の人気もそう悪くないにもかかわらず、わざわざアメリカの尻馬に乗って最悪の場合には心中しようとするのは愚の骨頂です。
イニシャティブを持ってオリジナリティに溢れた日本と日本人の非軍事的な活動が最も受け入れられ易い地域で、それが可能な状態を一日でも早く復旧して頂きたい。派兵はこれら非軍事市民活動への最大の妨害なのですが、その前提が大きく崩れている事は誰が考えても明らかなのですから、法の原則は原状回復であり、自衛隊の可及的に速やかなる撤兵を求めます。
【五井卓さんの陳述】
五井卓といいます。1952年に岐阜県に生まれました。
静岡市内で歯科医院を開院しています。
10年ほど前、戦争を知らない世代が親になった今、戦争を子供たちにいかに語っていくべきかと、静岡でのアウシュビッツ展開催を企画しました。
この展示会の数年後、静岡で731部隊の展示会が開催されました。両展示会での会場での大きな違いは、「もし、君の親がこれにかかわっていたらこのような展示会ができたか」とか「展示内容が間違っている。うそだ」といった批判が731部隊展の会場では聞かれたことです。なぜでしょうか?
戦後、ドイツはナチスの過去に謝罪し、犠牲者への様々な補償を国や企業が行ってきました。ところで日本は謝罪どころか、日本の侵略行為を否定する政治家が後をたちません。個人への戦後補償も行っていません。
このような状態にも関わらず日本が現在まで戦前に後戻りすることなく、平和でこられたのは憲法九条があったからに他なりません。
しかし、新たに制定された有事関連法では、自衛隊の海外での武器使用を事実上認め、また、「自衛隊法」では、有事に我々医療従事者を強制的に働かせるとしています。
今の日本に、この21世紀に、戦前のような時代に戻るわけがないと誰でもが思っています。しかし、イラク派兵をうやむやにすることは、世界に誇る日本の平和憲法を見殺しにしてしまうことです。今、目をつぶっていることは再度日本が軍事国家に後戻りすることを認めることに他なりません。
今年、国連でアウシュビッツ解放60周年記念特別総会が開催されました。そこで韓国国連大使や中国国連大使は日本の再軍国主義化を懸念しています。それに対し、日本の国連大使は「こうした発言は残念だ」と発言。ドイツの代表は改めて謝罪しています。
最後に、国連特別総会でフランス、カナダ、ケニアの代表が引用した牧師マルティン・ニーメラーの言葉で締めくくりたいと思います。
共産党員が迫害された。私は少し不安だったが私は党員でないからじっとしていた。
社会党員が迫害された。私はさらに不安を感じたが私は党員でないから、やはり沈黙していた。
学校が、図書館が、ユダヤ人が弾圧された。自分はそのたびに不安を増したが、やはりなお私は行動にでなかった。
教会が迫害された。私は牧師だから立ち上がった。しかし、その時は遅すぎた。
今回の裁判の困難性と全国の動き
●3章、第25条が、生存権の権利性、裁判規範性をめぐり、憲法学において、議論が展開されてきた条文である点。
●歴史的に最高裁が憲法判断を回避する分野である点。(日米安保体制、自衛隊の存在、有事関連法制)
●付随的違憲審査制のもとで、裁判所で争われる可能性が、ほぼない分野である点。(海外派兵、首相の靖国公式参拝。)
全国で展開している違憲訴訟裁判で共通している事は、どこも、被告・国が一切事実を認否しない、その態度を裁判官が容認している点にあり、これは実質審理をしないで裁判を終了する、結審するという事を意味している。これに対し、
1-名古屋では3月31日までに、実質審理と憲法にそった公正な判決を求める要請署名を集める。(次回法廷は4月22日・第5回口頭弁論。原告意見陳述、弁護団意見陳述、他地域の弁護士による応援陳述を行う予定。)これまでにも、声明を首相に郵送、閣議決定への抗議文を提出、国に、事実認否を求める要望書を提出する等、積極的な抗議行動を繰り出している。
2-関西では2月15日、第4次提訴を行い、原告は1045名になった。2月24日、ハッサンさんと渡辺さんを証人に立てる。次回3月24日、2名の証人尋問を予定している。
3-北海道では1月24日、実質審理を求める請願署名、52、906筆を提出。4月11日、第6回口頭弁論を予定している。
4-熊本では、2月27日に違憲訴訟の会の第1回総会が開かれた。既に日本のジャーナリスト、民間人、外交官がイラクで殺されている現状を踏まえて、「平和的生存権を、具体的な権利として認知させること」、「裁判所に、違憲審査権を発揮させること」、「熊本からの自衛隊派兵を止めること」を主眼に、3月14日、原告を確定し、3月18日、熊本地裁へ提訴する事を決定した。
5-栃木では、3月3日、第1回口頭弁論が行われる。請求内容は、(1)違憲確認と差止請求、(2)慰謝料1万円の請求であるが、根拠として、平和的生存権を侵害している(憲法13条に明記されている人権保障規定に違反している)・人格権を侵害している・派兵は憲法9条に違反している・自衛隊法3条に違反している・イラク特措法に違反している・ことを訴えている。(栃木の訴訟は、札幌、名古屋、東京、大阪、静岡、山梨、仙台についで8番目の提訴になる。)
原告の方は陳述書を書いてください
まだ「陳述書」を未提出の方は、大至急提出してください!!
「陳述書」は“証拠”として扱われます。未提出の方が一人でもあると、すでに書いていただいた他の方のものが裁判所へ出せません。必ず提出してください。どうしても書くことが無理な方は、「ヒナ型」を送りますので、それに署名捺印をお願いすることになります。よろしくお願いします。
ミニミニ知識 劣化ウラン弾て?
原子力発電所などで使われるのはウラン235。天然にはわずかしか存在しないため、その割合を増やす操作を行い、ウラン235の割合が3~4%のウランを作る。これが濃縮ウラン。残りが劣化ウラン(DU)と言われる。劣化ウランはウラン235が0.2%ウラン238 が99.8% 。劣化と言うが正真正銘の放射能物質。核分裂はしないがα放射線を出す。このα放射線は飛距離は空気中で45mm。水中や身体組織中では40マイクロメーター(1000分の1mm)。飛距離が短く一見問題がないように思えるが、そのたった40マイクロメーターの間に10万個のイオン化(イオン:電子を吹き飛ばされた原子や分子)。その時結合していた原子同士が切断され、遺伝子や染色体が損傷。さらに切断された原子同士が再結合しようとした時、イオン化が密集していると誤った相手と結合。これが癌の芽となる。
劣化ウラン弾は標的に衝突すると、燃え上がり微粉末の煙となり、呼吸や飲食により体内に入り込む。そしてこのα線を出し続ける(体内被曝)。さらに、重金属としてのウランが体内に取り入れらることにより障害が発生
劣化ウランの比重は鉄の約二・五倍、鉛の約一・七倍。
∴砲弾の弾芯に利用すると強い運動エネルギーが得られ、頑丈な戦車でも貫通。しかも、貫通時の衝撃で高熱を発して燃焼し、戦車内の兵士をも殺傷。
四月から新年度となります。同封の振替用紙にて05年度分の原告・サポーター会費(3000円)を納入ください。
04年度の会計報告は次号で行います。よろしくお願い致します。
裁判の会日誌 1月~3月
1月8日 事務局会議
1月13日 高遠さん講演会のお知らせ葉書発送
1月17日 弁護団・原告団会議
1月20日 高遠さん講演会に関し県記者クラブでレクチャー
1月24日 事務局会議
1月27日 高遠さん講演会
2月6日 陳述予定者打ち合わせ
2月14日 弁護団・原告団会議
2月21日 事務局会議
2月25日 弁護団・原告団会議
3月4日 第三回公判
3月4日 ハッサンさん講演会
3月11日 事務局会議
3月19日 国際反戦デー・in・静岡