東京に住むめいはこの春、入院先で小学校の入学式を開いてもらった。脳性まひで、生まれつき心身の障がいがある。リハビリを重ね、呼び掛けに応答できるようになっていた昨年末、病気でまた重症化してしまった
▼医師からは「植物状態で息をするだけの人生になるかもしれない」と告げられた。治療をやめて「見送る」ことを勧める親族もいた。母親である私の妹は「生きてさえいてくれれば抱きしめられる」と言って拒否した
▼一からの再出発。めいは今、泣いたり笑ったりする力を取り戻した。「最高に幸せ」と妹は言う。遠く沖縄にいる私にも生きる喜びを分けてくれる
▼障がいを理由にした不妊手術の強制、命の選別という戦後史の闇に、当事者の提訴が光を当てている。根拠となった旧優生保護法は文字通り「優れた生」を守るために「不良な生」を切り捨てる思想に基づく
▼「健常者」はそんなに優れているか。「障がい者」は何が違うか。私にも誰にも、得意と不得意がある。地球46億年の歴史に比べれば一瞬のような短い人生を、じたばたと懸命に生きるだけ
▼不妊手術強制の問題は提訴と支援が広がり、解決の機運も高まりつつある。わずかな違いを見つけだし、少数者の権利や命さえ奪えるのが人間。その過ちに向き合い、改めることができるのもまた、人間。(阿部岳)