友達を砂場に行かせまいとする準セカイ系の砂場映画。
2016年。ナチョ・ビガロンド監督。アン・ハサウェイ、ジェイソン・サダイキス、ダン・スティーブンス。
ニューヨークで職を失い、毎晩のように酒に酔って暴走した挙句、同棲中の彼氏に追い出されてしまったグロリア。すべてを失った彼女は生まれ育った故郷の田舎町に帰ってくる。その一方、韓国ソウルで謎の大怪獣が出現したというニュースが世間を騒がせていた。テレビに映し出された怪獣の映像を見たグロリアは、ある異変に気づく。それは自分の動作が巨大怪獣の動きと見事にシンクロしているという驚きの事実だった。舞い上がったグロリアは、怪獣を操り世界を混乱に陥れるが…。(映画.com より)
先日、20年来の友人2名と韓国料理屋でご飯をぱくぱく食べながら、「最近こんなヘンな映画を観ましてーん」つって『シンクロナイズドモンスター』の話をした。
本作は韓国のソウルが頻繁に登場するので、韓国料理屋で話すにはもってこいの話題だと思ったのだ。
しかも2人とも『新世紀エヴァンゲリオン』を好む人種ときている。詳しくは後述するが、もうこの映画の話をしないわけにはいかないのですよ。
韓国料理屋でメシ食ってて、友人2人が揃いも揃って『新世紀エヴァンゲリオン』好きときたら、映画好きの私にとっては、そりゃもう、どうしたって『シンクロナイズドモンスター』の話をカマさねばならぬ…と。こうなるわけですよね、必然的に。誰がどう考えても。
ではさっそく映画評にゴー。
地味にありがたいもくじ
- ①「きみ」と「ぼく」こそが全て。それがセカイ系。
- ②公園直行阻止映画。
- ③いや、セカイ系というより準セカイ系か?
- ④結婚式におけるダメなスピーチみたいな映画。
- ⑤「調子こくな」という警鐘を鳴らした、いちびり更生映画でもある。
①「きみ」と「ぼく」こそが全て。それがセカイ系。
人はこの映画にアン・ハサウェイが怪獣とシンクロして世界を救う! みたいなエンターテイメントを期待すると肩透かしを喰らう。
これは怪獣映画でもなければSF映画でもない。
セカイ系だ。
セカイ系とはアニメや漫画における物語の類型のひとつで、主人公とヒロインなどの個人の問題が世界の行く末を左右するというストーリー展開を持つ作品群を指す言葉だ。
個人の内的な問題を「世界全体の問題」として敷衍(というか大事化)させた、一種の比喩法を取り入れたドラマツルギーである。
主人公とヒロインが結ばれたら世界は救われるし、逆に主人公の傷心や絶望がそのまま世界滅亡の危機に直結してしまうのだ。
セカイ系のアニメとして有名なのは、その嚆矢とも言える『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)をはじめ、『最終兵器彼女』(02年)や『涼宮ハルヒの憂鬱』(09年)など。新海さん家の誠くんがお作りあそばせた『君の名は。』(16年)もセカイ系の系譜に位置づけられるだろう。
要するに「若者の自意識」についての物語だ。
ほら、よくクソ寒いJ-POPの歌詞であるじゃんよ。「キミと出会ってから世界が輝いて見えたんだ」とか「キミがいない世界なら滅んでしまってもいい」みたいな小っ恥ずかしい中二病フレーズが。それを物語として体系化したのがセカイ系というジャンルなのだ。言ってみりゃあな。
『新世紀エヴァンゲリオン』(左)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(右)。
この『シンクロナイズトモンスター』も、まさにそんなポスト・エヴァ的なセカイ系の末裔である。
アニメのコードに疎い欧米人よりもサブカルチャーに関してだけはめっぽう強い日本人向けの作品というか、さらに言えば映画好きよりもアニメ好きの方がスッと理解できるかもしれない。したがってアニ豚は必見。
実際、この作品はゴリゴリにクールジャパンの影響下にある。
アン・ハサウェイのノートパソコンには葛飾北斎の『富嶽三十六景』がプリントされているし、ソファベッドのことをしきりに「布団(futon)」と呼んでいる。
また、この映画を製作したヴォルテージ・ピクチャーズが企画段階でゴジラの画像を無断使用して東宝に訴訟を起こされるというハプニングもあり、当初予定していた物語の舞台は東京からソウルに変更された。
②公園直行阻止映画。
発想自体はおもしろいと思う。
宿ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。おまけにアル中のアンちゃんが、故郷の田舎町で幼馴染みのジェイソン・サダイキスと再会して酒を酌み交わし、酔った勢いで近くの公園の砂場で暴れ回った。すると翌朝、謎の怪獣が突如ソウルに現れて破壊の限りを尽くしたというニュースを見てぶったまげる。
しかもその怪獣は、昨夜のアンちゃんと寸分違わず同じ動きで暴れ回っていたのだ。
どうやら怪獣は、アンちゃんが公園の砂場に入ったときだけソウルに出現して、彼女の動きとシンクロするらしい。公園の砂場はソウルそのものなのだ。
アンちゃんは一度目のシンクロでビルを破壊して大勢のソウル市民をブッ殺してしまったので、今度は生中継のニュースを見ながら怪獣とビルの距離感を目で測りつつ慎重に砂場に入り、人差し指で足元の砂に「ごめんなさい」と韓国語で書いて詫びた。
数日経ったあとに、ソウルに二体目が出現した。巨大ロボットだ。こちらと連動しているのは幼馴染みのジェイソン。
調子こいたジェイソンは「俺は神だー」とか言って砂場に入り、被害を出さない範囲でボックスステップを踏むなどしてソウル市民を威嚇する。そのさま、まるでいちびりの如し。
アンちゃんはジェイソンのいちびった行動を制止しようとして大喧嘩になり、ヤケを起こしたジェイソンは「こうなったらソウルをぶっ潰してやる!」と豪語して砂場に走って行った。
果たしてアンちゃんは、ジェイソン砂場で大暴れの巻(ソウル壊滅を意味する)を防ぐことができるのか…?
ソウルの運命が懸かった熱き戦い in 砂場。
③いや、セカイ系というより準セカイ系か?
何なんだろうな、この映画。
セカイ系と言えばセカイ系かもしれないけど、にしてはずいぶん物理的というか直截的というか。
「主人公の内面を世界存亡というメタファーによって深く描写する」というのが本来の意味でのセカイ系だと思うんだけど、本作における怪獣はメタファーでも何でもなくてはっきりと実在している(実際に大勢の人間を殺して大問題になってるしね)。
だから「この怪獣は何なんだ?」とか「このシンクロ現象ってそもそも何なの? どういう仕組みでそうなってんの?」という理論上の疑問が残る。
そこに対しては一応「幼少期に雷に撃たれたことが原因で二人に何らかの能力が備わったのです」という、えらくふんわりした…それでいて苦し紛れにもほどがある理由付け(という名のエクスキューズ)が回想シーンで示されるけど、まったく整合性が取れてないというか意味がわかんねえんだよ。
むしろ、映画の側が理由付けをすればするほど「え。じゃあ、なんで雷に打たれたら怪獣とシンクロできるようになるの? そもそも、だから怪獣って何なのよ?」と次なる疑問がどんどん生まれてくるんだよね。
本当のセカイ系なら「怪獣はあくまでメタファーだからあまり理屈で考えないでね」といってそこはボカせるけど、この作品は馬鹿正直に理屈で作っちゃってて、しかもその理屈が不透明かつ破綻しまくってる…という。
④結婚式におけるダメなスピーチみたいな映画。
あとやっぱり、東宝にマジギレされたことで舞台を韓国にしてしまったのが致命的だ。
おそらく観た人の多くが「なぜ怪獣はソウルにだけ現れるの?」という疑問をうすーく感じていたと思う。なぜこんなに韓国押しなんだ、と。
まぁ、韓国資本が入ってるからなんだけど、いやいや、大人の事情があったにせよ絶対にダメでしょ。
ここまでクールジャパンに依拠した作品にも関わらず日本が舞台じゃない…という時点でコンセプト総崩れというか、軸がブレブレだよ!
いわば「ソウルが舞台」という設定が雑情報になっていて、いたずらに観客を混乱させて物語の世界観に矛盾をもたらしているだけ。
日本文化が多分に出てくる映画なのに肝心の舞台がソウルって…、クソややこしいんだよ!
まぁ、作り手はゴリゴリの欧米人だから「日本も韓国も大して変わんねぇだろ」といって十把一絡げにしてしまったのかな?
だとしたら私はその志の低さに嘆ぐものよ!
ソウルで喧嘩する二体の怪獣(アンちゃんがジェイソンに平手打ちをカマした瞬間)。
このように映画としての土台がグラグラだから、ストーリーテリングもかなり危ういバランスの上に成り立っていて。
ナチョ・ビガロンドという人はメタ構造を使って映画を複雑にしていくことを好む新鋭監督。全編パソコンの画面を通して物語が進んでいく『ブラック・ハッカー』(14年)はアイデア賞ものだったけど、どうも今回に関してはやりたいことが固まってないという印象を受ける。
明確なビジョンを持たないまま撮影を始めちゃって、その場の思いつきで辻褄合わせしながら映画を作ってる感じ。中途半端にセカイ系を引用したことで、映画そのものも漠然としてるしね(そのくせ一丁前に筋を通そうとして理由付けとかするから論理的な瑕疵が悪目立ちしてしまう)。
さして語るべきことがないのに何となく話し始めちゃったことで後に引けなくなってしまって支離滅裂なスピーチをグダグダ続けてしまう新郎の友人みたいだ。
一方では、良くも悪くも解釈の幅が広い作品として考察マニアの観客の間ではそれなりに楽しまれているようだし、結果的にはそれが本作の魅力に繋がっているのも事実だろう。
⑤「調子こくな」という警鐘を鳴らした、いちびり更生映画でもある。
事程左様にかなりヘンでイビツな作品だが、良いところもある。
何をおいても言及せねばならないのは、やはりアン・ハサウェイのダメ女子っぷりだろう。
アンちゃんといえば『プラダを着た悪魔』(06年)や『マイ・インターン』(15年)といった、「恋に仕事に頑張るあなたに贈る、明日からまた頑張ろう☆系ラブコメ」に多数出演して「女子力」などという地獄のヘドロみたいな言葉をやたらに好む自撮り大好きのスイーツ女子たちの自意識を世界レベルで底上げし続けている諸悪の温床だが、本作ではそんなメインストリームでは見られないアンニュイな佇まいがバリいかす。
髪型評論家としても、本作における重めのロングパーマは原点回帰と評したい。加えて、アンちゃんのパッツン前髪は意外にレアで、それこそ『プラダを着た悪魔』から実に10年ぶりのパッツンなのだ。
徐々にダークサイドに堕ちていく幼馴染みのジェイソン・サダイキスはなかなか面白いキャラクターだ。
パッと見は気のいい人間だけど、実は人生の落伍者で鬱屈したコンプレックスを抱えていて、それがある日ソウルに現れたロボットとシンクロできるという能力を手にしたことで大いにいちびり、まるで人が変わったように最低のクズ野郎になってしまう…。
彼のハジけ具合が妙にリアルなのよ。何も持たない人間が「ギフト」を手にしたことで全能感に酔って調子こくという。
たとえば死ぬほど貧乏な人が、ある日急に一億円なんて手にしたら確実に間違った使い方をするよね。金遣いが荒くなるだけじゃなく、人格まで変わってしまうだろう。
ジェイソンは高校デビューして粋がってるガキんちょとほとんど変わらないが、デビューの危険性はすべての人間につきまとう問題だから注意が必要だ。
モテはじめた途端に同性の友達を切り捨てる人。
売れた途端に横柄になるミュージシャン。
有名になった途端にファンサービスが悪くなる俳優。
不思議キャラが受けてメディア露出が増えるにつれて文学性がなくなっていく小説家。
バラエティ番組で人気が出た途端に三流芸人を見下す女子アナ。
「天才ですね!」と褒められれば褒められるほど謙虚さを忘れる映画レビュアー(あっ、俺のことじゃねえか!)。
というわけで、『シンクロナイズドモンスター』を観て我が身を顧みてしまった。
俺の中にもジェイソンはいたんだ…と。
ただ、謙虚な姿勢は大事だが、調子がいいときは調子に乗っておくべきだ。人間。
謙虚な憎まれっ子でありたい。