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ホテルニューグランドにあるシーガーディアンⅡ(ツー)を特集してください。ちなみに横浜そごうにシーガーディアンⅢ(スリー)もありますが、シーガーディアンⅠはないのでしょうか。(悠介さんのキニナル)
1927(昭和2)年にシーガーディアンが開業し、現在はシーガーディアンⅡ(ツー)、Ⅲ(スリー)の2店舗が営業中。それぞれの特徴は記事を参照。
ライター:篠田 康弘 (2015年04月11日)
港に近いホテルのバー。暗すぎず明るすぎない店内。BGMは時折流れる汽笛の音。おしゃべりではないが気配りを欠かさないバーテンダーの話を肴に、静かにグラスを傾けるカウンターの客たち。
小説か映画のワンシーンのようだが、横浜市内にはこんなシーンを体験できる場所がある。それが今回紹介する「シーガーディアンⅡ(ツー)」と「シーガーディアンⅢ(スリー)」だ。
それでは、なかなか触れることができない極上の大人の世界を紹介していこう。
ホテルニューグランドとシーガーディアン
まずはシーガーディアンⅡ(ツー)と、シーガーディアンⅡ(ツー)があるホテルニューグランドの歴史について触れていこう。
ホテルニューグランド
扉の向こうがシーガーディアンⅡ(ツー)
今回の取材を行うにあたり、以前紹介した「池波正太郎が愛した横浜の味」の際にご協力いただいた、ホテルニューグランド広報室支配人の和田聖心(わだ・せいこ)さんと、シーガーディアンⅡ(ツー)チーフバーテンダーの太田圭介(おおた・けいすけ)さんに再びご協力いただき、さまざまなお話を伺わせていただいた。
ホテルニューグランド広報室の和田さん
シーガーディアンⅡ(ツー)チーフバーテンダー、太田圭介さん
まず最初に、投稿にあった「シーガーディアンⅠはあるのか」について太田さんに伺ったところ「現在の店名はシーガーディアンⅡ(ツー)ですが、開業した1927(昭和2)年から1991(平成3)年までは、シーガーディアンという店名で営業していました」ということであった。
サザンオールスターズのヒット曲の影響で、シーガーディアンというバーがあると思って来店されるお客様もいらっしゃるそうだが、現在はシーガーディアンというバーは存在していない。
なぜ1991(平成3)年に店名をシーガーディアンⅡ(ツー)に変更したのかについては後ほど触れることにして、まずは話に出たシーガーディアンがどのようなバーだったのについて、ホテルニューグランドの歴史も交えて説明していこう。
開業当時のホテルニューグランド
ホテルニューグランドは1927(昭和2)年の開業。1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で横浜市は壊滅的な打撃を受けており、ホテルニューグランドの開業は、横浜の復興を象徴する出来事のひとつであった。
当初は復活を象徴するフェニックス(不死鳥)という名前が候補に挙がったが、これは都合により用いられず、関東大震災で消失したグランドホテルにちなんで「ホテルニューグランド」と名付けられた。ホテルニューグランドの各所にフェニックスをモチーフにしたものが見られるのは、この時の名残だそうだ。
名前に当時の名残を残す、本館2階フェニックスルーム
コースターにもフェニックスが描かれている
写真のコースター、左右でデザインが異なっているのがお分かりいただけるだろう。左のコースターが現在のシーガーディアンⅡ(ツー)で使われているもので、右がこれから説明するシーガーディアンで使われていた、数十年以上前の非常に貴重な品である。
ホテルニューグランドの開業と時を同じくして、バー「シーガーディアン」が開業する。シーガーディアンは海岸通りに面した場所にあり、ホテルの入り口を通らずにそのまま入店することができたそうだ。
シーガーディアンがあった場所
ちなみにシーガーディアンとは「海の守り神」という意味である。港に近いことが由来とのことであった。当時の横浜港に入港する客船の多くにはバーが設けられており、シーガーディアンはこの客船のバーをモデルとしているそうだ。客船のバーの技術を多く引き継いだことから、現在でもほかの多くのバーとは異なる特徴がいくつも残っているそうだ。
例えばシェイカーの持ち方だが、シーガーディアンではその向きがほかのバーと違うという。
多くのバーでは、シェイカーの口をバーテンダーの方に向ける
シーガーディアンでは、シェイカーの口をお客様の方に向ける
このようになった理由について、太田さんは「昔はシェイカーの製造技術が低くてふたがきちんと閉まらず、振ると中身がもれてしまうものがありました。狭い客船内のバーで、このようなシェイカーの口を自分に向けて振ると、こぼれたカクテルがお客様にかかってしまいます。ですのでお客様の方に口を向けて、こぼれたものはバーテンダーにかかるようにしていたんです。その技術を受けついだので、シーガーディアンⅡ(ツー)・Ⅲ(スリー)では現在でもシェイカーの向きが逆なんです」とのことであった。
その後、数十年前に使用していた古いシェイカーを見せていただいたのだが、現物を見ると太田さんの説明がとてもよく理解できた。
数十年前に使用していたシェイカー
現在のシェイカーと比べると、確かに漏れやすい作りになっている
開業後しばらくは順調に営業を続けたが、第二次世界大戦の影響によって食材の調達が難しくなり、シーガーディアンも苦しい営業を強いられることになる。1945(昭和20)年の敗戦によって、状況は一層厳しくなったそうだ。
太田さんが、当時の厳しい食料状況を示すエピソードを話してくれたので紹介しておこう。
終戦後、日本接収のために来日したダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(以下マッカーサー元帥)がホテルニューグランドに滞在した話は、さまざまなところで語られているのでご存じの方も多いだろう。知らない方は、これを機会に一度調べてみよう。
ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官
滞在したマッカーサー元帥のために食事を用意することになったが、当時はホテルニューグランドでも干しダラを用意するのがやっとという状況であった。これを牛乳で戻し、ムニエル風に仕上げて提供したところ、マッカーサー元帥は一口食べただけでフォークを置いてしまったそうだ。
実はマッカーサー元帥、戦前に何度か日本を訪れたことがあり、ホテルニューグランドにも宿泊したことがあった。その時の食事と今回の食事の落差を目の当たりにして、日本の劣悪な食料事情を痛感し、あまりのショックに手が止まってしまったという。
食糧難の状況はシーガーディアンも同じで、カクテルに使うお酒の用意もままならなかったそうだ。しかしこのような厳しい状況の中から、偶然にもニューグランドオリジナルの新しいカクテルが生まれたのである。
滞在中のマッカーサー元帥からドライマティーニの注文が入ったのだが、ドライマティーニに欠かせないドライベルモットがどうしても用意できなかったため、苦肉の策としてドライベルモットの代わりにシェリー酒を使ったドライマティーニを作り、提供したのである。
通常用いるドライベルモット(写真左)とドライジン(写真右)
苦肉の策として用いられたシェリー酒(写真中央)とドライジン(写真右)
太田さんに、このシェリー酒を使ったドライマティーニを作っていただいた。今回は特別に、接収中に進駐軍が持ち込んだ貴重なバースプーンを使ってもらい、道具も当時そのままに再現していただいた。
手前にあるのが、進駐軍が持ち込んだバースプーン。奥は現在のバースプーン
裏面には「MADE IN U.S.A」の刻印がある。
冷やしたミキシンググラスにシェリー酒とドライジンを注ぎ
しっかりとステアして
グラスに注ぎ
オリーブを飾り、レモンピールを振りかけて完成
いただいてみたところ、普段のドライマティーニよりも丸く、優しい飲み口に仕上がっている印象を受けた。マッカーサー元帥の長旅の疲れも、きっとこのカクテルによって癒されたことだろう。
優しい飲み口を味わう筆者
こうして生まれたカクテルは、現在でも「マティーニニューグランド(1296円)」の名称で提供されている。
数多くの著名人たちも多く訪れた場所としても知られる≫