2018-05-20

フェミニズムでも、容姿格差は無くならない

最近映画界ではフェミニズムについて叫ばれていた。

セクハラについても真剣に考える感じの雰囲気になっている。

自分就職活動中で何もうまくいっていないが、セクハラがどうなろうが容姿闘争は無くならないのだろうと日々感じる。

就活やら恋愛というのは、何もかも思想なき闘争なのだ

最近ムーブメントフェミニストという思想も、容姿闘争には勝てない。

そもそも美人の叫ぶフェミニズム容姿が醜い人間が叫ぶフェミニズムは似たように見えて大きく違う。

啓蒙思想に目覚めた富裕層と、貧しさに耐えかねた貧農くらい違う。

共に女権拡大を目指しても、目指す理由が違う。

容姿が醜い女は自身人生での性的ロマンの欠乏や不遇への叫びのようなものだろう。

一方の美人性的魅力があるが、たまにセクハラやらの負担を強いられるということだ。

共に苦しんではいるが違うのだ。

女権を拡大できた時に美人の方、つまり富裕層幸せになる可能性が高い。

あるものを無くすこと簡単なのだ

しかし、性的魅力なき貧農は苦しみ続ける可能性が高い。

ない性的魅力というのを、つけることは出来ないのだ。

もはや、容姿闘争は続くのだろう。

無慈悲なまでにだ。

  • anond:20180520171947

    私はブスだけど、恋愛や結婚はできなくていいけど道端で暴言吐かれたり職場で仕事と何ら関係ない女格付けしてオエーキモいとか言われなきゃそれでいい ブスなフェミは男と付き合い...

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