ceroがさきごろリリースした新作Poly Life Multi Soulが各所で絶賛されている。その切り口のひとつとして、ポリリズムであるとかあるいは変拍子といったものが取り上げられることが多い。たとえば先行してMVが配信されていた「魚の骨 鳥の羽根」では三連の4/4拍子でも6/8(もしくは12/8)拍子でも解釈できるクロスリズムが全面的に取り入れられているし、他の曲でも奇数拍子であるとかメトリック・モジュレーションによる拍子の変化が多用されている。リズムに関していえば、すでに飽和状態に達してもはや基本的なボキャブラリーと化した、ネオ・ソウルあるいはJ Dilla以降とも言われる「ズレ」や「なまり」を取り入れたグルーヴではなく、いわば数学的に分析可能な、多層的なリズム構造をその骨組みとしたことによって、アフロ・ビートや中南米のラテン・ミュージックへとより接近したという印象を受ける。
しかし、表題曲であり本作のエンディングをかざる"Poly Life Multi Soul"では、8分半にわたる演奏がオーソドックスな16ビートから四つ打ちのハウス・グルーヴに収斂していく。それでもなお、紡がれるグルーヴには単に反復の享楽性に回収されない力強さがあり、この演奏にこそ本作の凄みがあるように思う。
クロスリズムやポリリズムをなめらかに成立させるためには、各楽音のあいだにヒエラルキーが生じるのを避けなければならない。メロディのかたちにせよ、リズムのパターンにせよ、アクセントの置き方にせよ、ひとつの優勢な解釈ではなく複数の可能な解釈へとひらくために設計される必要がある。しかし、単に精緻に設計されているだけでは、聞き手のなかで形成されるリズムのゲシュタルトを宙吊りにし、解きほぐしていくまでには至らない。こと生演奏となると、バンド全体が説得力のあるアンサンブルを鳴らさない限り、ポリリズムや変拍子はギミックにすぎないものになるだろう。その点、Poly Life Multi Soulというアルバムで驚嘆するのは、ときにカオティックな側面も見せる、身体性のあるアンサンブルにあるように思える。
比較的オーソドックスなグルーヴを聴かせる"Poly Life Multi Soul"がことさら興味深く響くのは、それゆえのことだろう。この曲では、ベースラインの配置、ドラムの遊び、音の抜き差し、ドローン的にあらわれては消える声やパッドといった諸要素が絡み合い、反復の享楽ではなくてむしろ変化していく風景が描写されていくような感覚を味わえる。とりわけ16ビートから四つ打ちへのリズム・チェンジはスムースでありながらもドラマチックなグルーヴの変容を見せる。こうしたささやかなドラマを支えているのは、バンドとしての圧倒的なまとまり感、成熟ではないか。
インタヴューからうかがい知れる本作の制作過程は、楽曲のおおよその骨組みをメンバーに提示して、曲ごとのポイントを伝えたうえで、ジャム・セッションに近いかたちで楽曲を練り上げていく、というものだったようだ。ポリリズムやクロスリズムというコンセプトは共有しつつも、具体的なアレンジはサポートメンバーを含めたおのおののプレイヤーが協調してつくっていく。すみずみまで精緻につみあげられたというよりも、どこか野性味というか心地よいエグみを覚えるのは、こうした点に由来するものだろう。とまれ、制作過程からも、本作においては「設計」というよりもバンドの「演奏」に重心が寄っている、ということが言えそうだ。それゆえ、ぼくはこのアルバムを聴くたびに、その設計に驚嘆するよりも、なによりライヴで彼らの演奏を体験したいという思いを強くしていくのだった。
- アーティスト: cero
- 出版社/メーカー: カクバリズム
- 発売日: 2018/05/16
- メディア: CD
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