私のことをよく知らずにここを訪ねてきた方は、ぎょっとするかもしれない。四方の壁につくり付けられた書棚に、怪しげな書物が何百冊と並んでいるからだ。
目に入った背表紙のタイトルを読み上げてみよう。『未確認飛行物体の科学的研究 コンドン報告 第1巻』『高等魔術の教理と祭儀』『信仰治療の秘密』。その下の段に詰め込んであるのは、デューク大学超心理学研究所による論文や報告書だ。
蔵書の中でとくに多いのは、「ニセ科学」関連の文献である。研究所の名前にしている「フェイク(まがいもの)」とは、ここではニセ科学を指している。つまり、「科学に見せかけているが、実は科学ではないもの」のことだ。
そう。私はニセ科学に魅せられている。と同時に、世にはびこるニセ科学に激しい怒りを抱く者でもある。戦争という愚行を憎みつつ研究を続けている戦史学者がいたら、私と気持ちを共有できるかもしれない。
科学はしばしば、暗闇に灯された一本のロウソクに例えられる。闇の奥に潜んでいるのは、無知、迷信、オカルトといった亡霊たちだ。ニセ科学もその類いで、ロウソクのまわりの薄闇をうろつきながら、灯りのおこぼれにあずかろうとしている。
科学のロウソクをそちらに向ければ、オカルトやニセ科学の正体はたちどころにあぶり出される。逆に、自ら暗闇の側に身を置き、そこからロウソクの炎を見つめてみると、その明るさがよりよくわかるはずだ。要するに私は、ニセ科学というものを通して、「科学とは何か」について考えようとしているわけである。
ごたくを並べるより、一例を挙げて説明したほうがはやいだろう。ちょうど手元に、おあつらえ向きの一冊がある。ザムエル・ハーネマン著『医術のオルガノン』。ニセ医学界の重鎮、「ホメオパシー」の原典である。
ホメオパシー。どこかで聞いた気がする、という方も多いだろう。18世紀末に提唱された伝統ある代替医療で、ヨーロッパではここ数十年間で利用者が急激に増加している。海外セレブや芸能人にも愛用者が多く、日本でも静かなブームという状況が続いているようだ。
方法はいたってシンプル。「ホメオパス」と呼ばれる専門家が症状に合わせて処方してくれる「レメディ」という”薬”を服用するだけである。一般的なレメディは、症状に対して”有効な物質”を水で極端に希釈したものを砂糖玉に染み込ませて作る。
“有効な物質”は、植物、動物、金属から鉱物にいたるまで、様々だ。物質と症状との対応を知るには、『マテリア・メディカ』という辞典にあたればよい。例えば、「フォスフォラス」というレメディに用いられる物質は、「リン」である。肺や粘膜などに親和性があり、風邪や胃腸炎、鼻血などに効くという。
問題は、それらの物質の希釈の度合いである。レメディを作る際には、物質の成分を溶かし出した母液を100倍に薄める操作を30回繰り返す、ということがごく普通におこなわれる。つまり、10の60乗倍という極端な希釈である。
一方、母液1グラムに含まれる分子の個数は、たかだか10の24乗程度。したがって、こまで薄めた溶液中には、事実上、”有効な物質”など分子一つたりとも残っていない。つまり、レメディというのは、ただの水を染み込ませた砂糖玉に過ぎないのだ。
現在はこの事実をホメオパシーの側も認めている。実際、ネット通販で購入できるレメディの成分表示を見ると、「サトウキビ粗糖」などとしか書かれていない。ではなぜ効くのか。彼らの言い分は、「水が有効成分の情報を記憶している」という、科学的な見地からすれば荒唐無稽なものだ。
「なんだ、あからさまなニセ医学じゃないか。こんなものに騙されるほうが悪い」そう思われたかもしれない。
だが、次のようなことをお聞きになれば、どうだろう。フランスでは、医師がレメディを処方することがある。スイスでは、2016年からホメオパシーに健康保険が適用されることになった。イギリスの複数の大学では、ホメオパシーを専攻した者に学位が授けられる。ベルギーでは、人口の約半数がホメオパシーを利用している。
きわめつけは、権威ある学術誌『ネイチャー』と『ランセット』に、ホメオパシーの有効性を支持する論文が掲載された、という事実である。
いかがだろうか。ホメオパシーについてはまだ考察の余地があると思われた方には、ぜひもうしばらくお付き合いいただきたい。