四ヶ月ほど前、自分の上司であったところのShawn Pearceががんで亡くなった。私は他人の年齢を推測したり覚えたりするのが苦手なのだが、確か彼は40歳に満たないほどの若さであったと思う。彼について日本語で書かれた文章というのは無さそうであるし、自分以外に書くとすればJunio C. Hamano氏ぐらいだと思うので、彼について書くことにする。
彼はあまりよく知られている人物ではなかったと思うが、彼の関わったソフトウェアプロジェクトで一番良く知られているものとしては、やはりGitであろう。GitHubの統計によると、彼はGitの中で3番目に多いContributionをしていたようである。Git本体以外でも、実は彼はlibgit2の最初のコミットをした人物であり、JGitの、少なくともJGitがEclipse FoundationにContributeされたときからのCommittterであり、同様にGerritでも最初期からのCommitterである。
Googleの中で彼はchromium.googlesource.comやandroid.googlesource.comなどを支えるチームを率いていた。このチームではGerritへのContributeをするチームや、GitへのContributeをするチーム、またGitやGerritをGoogleの環境で動かすようにするチームなどに別れており、彼はそれをすべてまとめる立場にあった。例えば最近Gitの新しいプロトコルが入ったのだが、これは彼が率いていたチームの成果の一つである。
ここで故人について述べるときに「彼は生前は非常に温厚な人物で……」と続きそうなものであるが、率直に言えば彼は常にムスッとした顔をした人物であった。一緒に働いていた同僚に聞けば、かなりの人が「彼はいつもGrumpy faceをしていて……」と言うのではないだろうか。彼が亡くなった後に偲ぶ会のようなものをやったのだが、彼の友人からのエピソードを聞いたあとで、我々のグループでは「でもオフィスでは彼はGrumpy Shawnだったね」という話をしたりもした。別に彼は怒っているわけではないし、好漢と呼べる人物であった。そういえば、彼は他の人と比べてもSwear wordを使う比率は高かったようにも思える。自分が出会った「口が悪いが出来るエンジニア」というとやはりShawnなのかもしれない。
オフィス働いているときはムスッとした顔をしていたが、例えばランチタイムで家族の話になるとまた別の顔をしていたのも印象的であった。同僚から聞くところによると、度々彼は家族との時間をちゃんと取れているのだろうかと心配したりしていたようだ。自分は彼のプライベートについてあまり知らないが、彼は自宅では良き父親であるのだなと、家族の話を聞くたびに思ったものである。
自分は彼の直属の部下としてチームに入ったあと、人数が多くなった後に一人上司を挟んだ関係にあった。彼はデザインドキュメントと実装を両方共大量に書く人物であった。割りと最近出たデザインドキュメントで言えば、GitのReference Databaseの改善であるところのreftableなどは彼が書いたものである。彼はデザインドキュメントのレビューでも、かなりTechnicalに突っ込んだところも指摘していたし、更には過去に試してみたプロジェクトなどの歴史的経緯などの提供など、非常に有益なレビューを残してくれていた。自分は彼の働き方に親しいものを感じていて、もし自分にとってのエンジニアのロールモデルを挙げるのであれば、間違いなく彼を挙げるであろう。
このように多大な貢献を残した好人物が、短命であったことは残念でならない。自分は彼のようなエンジニアに出会え、一緒に働くことができて非常に幸福であった。今でも時折、彼がレビューコメントを残してくれたらと思うことがある。彼が残した功績や自分への影響を忘れないと共に、心から感謝する。