2018年01月03日

足底を故障した話(2)

ATR半蔵門というところでは、故障箇所の治療のほか、バランスや動作改善の指導なども、まとめてやってくれるらしい。Facebookでそんな話を見つけ、ここしかないと、早速予約のメールを打った。実際に門を叩いたのは8月末のことだった。

ここではまず、全身のバランスや柔軟性などのチェックをひと通り済ませてから、個々人の課題に応じて、運動のメニューを実践しつつ細かく指導を受ける、というのが基本的な流れだ。

私の場合は、肩甲骨の特に左が固いのでそのストレッチの運動や、背中が反り気味になっているから、上半身をまっすぐ固定した状態で手足や横隔膜を動かす運動とか、そういうところから始まった。(もちろん足裏を全然動かせていないのでそのメニューもあった。)
初回は6種類のメニューを教わったのだが、各メニュー意識するポイントがたくさんあるので、身体より頭の方が疲れる感じではあった。

翌日試しに走ってみると、前日より走りやすくなっている気がした。まだぼやっとしていたが、何となく効果はあるように思えたので、とにかく教わったメニューを繰り返すことにした。(他にできるトレーニングが少なかったのもある。)

その後2~3週に1回のペースで通ったのだけど、回数を重ねるうちに、以前教わったメニューはランニングのここにつながるのか!という感覚がだんだん掴めてきた。特に10月以降には、効果を如実に実感できるようになり、通う度「はい、じゃあ次はこの身体で走ってみて」と、まるごと身体を渡されるような感覚だった。
はじめは左右がひどく歪つで、いろんな部位が強ばり、ねじれて、絡まっているような状態だったのだけど、1つずつ順を追ってほぐされ、調整され、正常な状態に更新されていくのが感じられた。

10月中旬。自宅近くのアップダウンのあるロードを20km超、故障以来初めて痛みなく走ることができた。完全ではないにせよ、ようやく2ヶ月半にわたる故障生活を脱することができたのだった。しかも以前より、上半身が骨盤やかかとの上にまっすぐ乗っている感覚があり、下り坂をずっと楽に走れるようになっていた。明らかに故障前より整った身体になっているのはわかった。

12月の伊豆トレイルジャーニーで、安定した状態で最後まで走ることができたのは、間違いなくここの指導の賜物である。足底はもちろん、以前のレース中盤で痛みが走り、失速のトリガーとなっていた箇所、左の臀筋や腰のあたりも、今回痛みが出ることはなかったのだ。これが非常に大きい。

また、身体意識の情報量が、以前の比でなく増えたのは感じている。
同時に、ランニングはそれなりにシリアスにやってきたつもりだったのに、知らないことがこんなにあったんだなと。前年からいわゆる体幹トレーニングは実践してきて、それで成果を上げてきたつもりだったのに、それも氷山の一角の中の一区画くらいにすぎなかったんだなと。そんなことも痛切に感じた数ヶ月だった。

いや本当、奥が深すぎる。
(チーム100マイルでも、これからは体幹体幹とあまりえらそう言えないな…と思いました)
posted by hisa at 19:26| Comment(0) | トレイルレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

足底を故障した話(1)

2017年は記念日が1つ増えた。
7月25日。私がランニングを始めてから、初めて故障をした日である。

その日は、いつものように通勤ランで出勤し、珍しく23時過ぎまで残業をした。帰り際、デスクのいすから立ち上がったときに、左足の裏がなんか変に強ばって、力を入れづらいのを感じた。まあ一晩寝たら治るだろうと思ったのだけど、翌朝ベットから起き上がり、左足を床につけた途端、激痛で立ち上がることができなかった。
つま先で床をそっとさわるところまではセーフ。少しでも加重をかけると即刻アウト。足首の角度が120度くらいでがっちがちに固定されていて、90度にならないから、かかとをつけて直立することはまず不可能だった。

ネットで調べてみると、どうやらこの症状は足底腱幕炎というらしい。ランニングをする人にはわりとポピュラーな故障のようだった。
近所の整体で骨は折れていないことを確認し、その後しばらくは、家の中は片足けんけんで移動し、外出時はトレランのストックを使って生活をした。軽量ストックのウルトラディスタンスは、この時は頼れる相棒であり、生活の命綱であり、とにかく大活躍だった。(UTMB以来のかなり久々の活躍だった。)
余談になるが、発症5日目が運転免許の更新期限だったので、やむなくストックをついて行ったのだけど、優先席を案内されたり、障害者用の身体チェックを受けたり(両手を握れますか?とかそういうやつ)、なかなか希有な体験をすることになった。

結局1週間程度でストック生活は卒業し、傍目には普通に歩くことができるようになった。
8月上旬。富士登山駅伝のサポートという最低限の役割を終えて、ようやくランニングを再開する気になった。河川敷まで痛みが出ないよう慎重に行き、平坦な道をゆっくり30分くらい走る。週に1、2回、そういう軽い運動をするようになった。
ある時、ふと試しに左足に全く力を入れずに走ってみたのだけど、困ったことに、ペースがほとんど変わらなかった。どうやら左足はただのつっかえ棒で、右足だけを動力に走っていたらしい。それならと、逆に右に力を入れずに同じことをやろうとしたけど、案の定、前には全然進まなかった。

8月下旬。そろそろ自然治癒で快方に向かうのでは、という淡い期待は叶わなかった。相変わらず、左足はつっかえ棒に毛が生えた程度だし、登りも下りも、左の足底が痛んで走れなかった。バランスが悪いせいか、右ひざにも痛みが出始める、という見事な悪循環に陥っていた。

実は9月の上州武尊は、8月頭には半ば諦めていたので、12月の伊豆トレイルにさえ間に合えば、と思っていたのだけど、このままだとそれさえ危ないような気がしてきた。現実逃避と休養の期間は十二分に過ごしたので、ようやく重い腰を上げ、どこか治療とフォーム改善をしてくれるところはないかと、探し始めたのだった。
posted by hisa at 18:40| Comment(0) | トレイルレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

ブログの休止と再開理由に関すること(つまり言い訳)

さて、前回ブログの再開宣言をしてから、早くも半年が経過し、年も越してしまった。
そしてまた再開しようとしている今日この頃。その辺の言い訳を先にさせてほしい。

人は、物事がうまくいっているときは饒舌になるし、うまくいかないときは口をつぐむもの。(某駅伝の解説とW大学の関係と同じである。)

今回、またブログを始めようと思ったのは、まあ、そういう理由である。ブログ再開からまもなく休止してしまったのは、うまくいかないことがあったからで、また再開したのは、自分としてはうまくいったことがあったからだ。

2017年の年表に客観的事実を並べて眺めてみると、大半の期間は、あまりいいものではなかった。
2017年の初戦は7月の美ヶ原のレース。トップ選手にどこまで通用するかと意気込んで臨んだものの、オーバーペースがたたり、あえなくリタイアに終わる。
次こそはと、8月の富士登山駅伝、9月の上州武尊に向けてがっと練習量を増やしていた矢先、足底腱幕炎になり、約2ヶ月半の故障生活に突入する。
もちろん、前述の2レースは欠場に終わる。(駅伝に関しては、1週間前という直前に大幅変更を引き起こしてしまい、本当申し訳なかったと思っている。)

練習が再開できたのは10月中旬。そこから、2017年最後に、唯一リザルトが残せるレースが、12月の伊豆トレイルジャーニーだった。このレースだけは何とかまともな成績を残したいと、それなりの準備をして臨んだのだが、なんとか総合トップ10のシード権を獲得することができた。

以上が2017年の年表であり、休止と再開の言い訳である。
中身のないことをだらだらと引き延ばしてしまった。端的に言うことにする。

気分がよくなったので、ブログをまた始めてみました。
2018年はよろしくお願いします。
posted by hisa at 22:20| Comment(0) | トレイルレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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