W杯恒例の渋谷の騒ぎで、痴漢が出たそうで、この早慶戦の記事を出してくる人がいるかと思ったんですが、どうも誰も出してないようなので、しょうがないからアップしておきます。
被害者の名前は書き替えてます。
昭和三十年代の早慶戦での街中の騒ぎは、石原慎太郎原作の太陽族映画『処刑の部屋』なんかでも実際の映像を見ることができますが、まさしくスクラムの波で、なかなか凄いものがあります。
巻き込まれたら最後です。下着を破かれるんですから、乳を揉まれるどころではありません。
この日の読売夕刊に載った〔優勝祝の行過ぎ〕という記事の淀橋署長談話によりますと、この三十件は若い女性に対するものが多く、
「女性をスクラムにまきこんで持物を奪い、イタズラして体に傷をつけたり、着物を破ったりした」
と、傷も負わしています。
まあ、大勢で揉みくちゃにして下着を引き裂いたりすれば、当然、傷もつくでしょう。
あくまで、警察に届けがあった分だけでこれです。
ところが、検挙はできなかったので、次回の早慶戦からはちゃんと取り締まると、淀橋署長はなかなか呑気なことを仰ってます。
ちなみに、淀橋署はいまの新宿署です。
これまではこんな具合だったそうで。
「早慶戦当夜の新宿では学生の無礼講が伝統となっており、警察も形だけの警戒ですませるのが例になっていた」
しかし、この年の前回の早慶戦でもこんな具合でした。
どうも、早慶野球サポーターの皆さんは、女性の服を破ったりするのが好きだったみたいです。
昔の女学生は逞しかったですから、被害に遭うだけではなく、こういうこともやってたんですが。
「そのなかには気負い立った女子学生の姿もチラホラみえ、男にまじってタクシーをとりかこんで胴上げにせんばかりの勢い」
この記事には、タクシーを引っ繰り返そうとしているような写真も載ってます。
これには非難する投書なんかも新聞に載りましたけど、まだまだ擁護する意見が多くを占めてました。
警察も「昔とくらべておとなしいものだ」と云うくらいで、戦前はもっと激しく暴れてたのでした。
朝日新聞昭和8年10月23日〔夜の銀座脅す 校歌合戦から衝突へ〕 なんかを読むと、早慶戦の夜に銀座で暴れて路面電車や自動車を留めてしまって、制止しようとした警官隊を袋叩きにしています。別の記事では、酒屋を大勢で襲って、酒を大量に略奪したりしてます。
早慶ばかりではなく、一高(東大)と三高(京大)の対抗戦では、毎回街中で何百人が乱闘するのが恒例になって、刃物を振り回して相手を斬ったりなんかしてたことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第16章「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」に詳しく書いてますので、読んでいただければ。
年に数回しかないこういう試合のときだけではなく、旧制高校生は毎晩街中で暴れて、商店の窓ガラスを割って廻ったり、交差点の真ん中で歌って踊って、路面電車を長時間留めたりしていたのですけどね。
たいていは黙認で、たまに逮捕されたりしても説教だけですぐに帰され、戦前は若い者に寛大でした。
一時期、ツイッターで莫迦ないたずらを披露して炎上したりするのを、底辺の生態が表面化したものだと云ってる人が多くてどうかと思ったのですが、本来こういう無茶苦茶はエリートがやるのが日本の伝統なのでした。
戦前だとか、昭和三十年代とかを懐かしんで、その精神を取り戻そうと主張している方は、まずこういう騒ぎを自ら率先して起すか、あるいはそういう若いもんを温かく見護って、どんどんやれと焚き付けるべきでしょう。
それが、当時の正しい大人のあり方でした。
古き良き精神を忘れて、大らかなる心を失った輩が増えたのは、まことにけしからんことであります。
また、こういう過去の記録を参照する方がまったくいないのはどうしたもんでしょうか。
文明の基礎は情報の蓄積にあるんですが、過去の情報を踏まえずにそのつど目の前で起る事象に適当な感想を吐くだけでは動物と同じで、これでは文明の一員とはとても云えません。
ちょっと前までは、新聞を調べるのはなかなか大変で私のような物好きしかできないようなことでしたが、いまではどこの図書館でも全国紙の検索は簡単にできるようになってますから、みなさんも文明の担い手のひとりになって、いろいろと情報を蓄積していただければ。
地方紙も読めば、もっと面白い記事が見つかりますので。
被害者の名前は書き替えてます。
〔新宿もみくちゃ 早大優勝、通行人にも被害〕 読売新聞 昭和30年11月8日 (前略) ○この夜新宿に流れ込んだ学生はおよそ八千人(淀橋、四谷署調べ)これに先輩だとか一般人が加わって総人出は一万数千人となり、表通りは一面スクラムの波。ラッパを吹き、躍ったり、歌ったりで武蔵野館一体の交通はオールストップ。スクラムに踏みつけられて病院に担ぎ込まれた学生も二、三人いた。 ○売り出し中の街の飾りつけも被害続出で映画館の広告板ははぎ取られてプラカードに早変わりし、ビヤホールは百数十個のジョッキが姿を消した。 淀橋、四谷両署に同夜十二時までに届けられた被害は、店員A子さん(19)が武蔵野館前でスクラムにまきこまれコートをはがされ、下着をさかれ、ハンドバッグとクツを奪われたほか店員B子さん(24)がサイフ、定期券、サラリーマン氏が腕時計一個など計三十件に達した。 |
昭和三十年代の早慶戦での街中の騒ぎは、石原慎太郎原作の太陽族映画『処刑の部屋』なんかでも実際の映像を見ることができますが、まさしくスクラムの波で、なかなか凄いものがあります。
巻き込まれたら最後です。下着を破かれるんですから、乳を揉まれるどころではありません。
この日の読売夕刊に載った〔優勝祝の行過ぎ〕という記事の淀橋署長談話によりますと、この三十件は若い女性に対するものが多く、
「女性をスクラムにまきこんで持物を奪い、イタズラして体に傷をつけたり、着物を破ったりした」
と、傷も負わしています。
まあ、大勢で揉みくちゃにして下着を引き裂いたりすれば、当然、傷もつくでしょう。
あくまで、警察に届けがあった分だけでこれです。
ところが、検挙はできなかったので、次回の早慶戦からはちゃんと取り締まると、淀橋署長はなかなか呑気なことを仰ってます。
ちなみに、淀橋署はいまの新宿署です。
これまではこんな具合だったそうで。
「早慶戦当夜の新宿では学生の無礼講が伝統となっており、警察も形だけの警戒ですませるのが例になっていた」
しかし、この年の前回の早慶戦でもこんな具合でした。
〔早慶戦の興奮 新宿に押し出す〕 読売新聞 昭和30年6月14日 (前略) 十時を過ぎるころには新宿駅東口交番は「足をひっかけられて歩けない」と泣きこむおっさん。「これを見てくれ」とビリビリに裂かれた女給のスカートを持ってがなりこむキャバレーのマスター。「ジョッキを片端から持って行かれる」とお巡りさんを引っ張り出しにくるビヤホールのバーテンなどなどで大にぎわい。 このさわぎで武蔵野館は一足先にヨロイ戸をおろして最終回の上演を中止、せっかくのお客をフイにしたが"これも年中行事"となかばあきらめ顔だった。 |
どうも、早慶野球サポーターの皆さんは、女性の服を破ったりするのが好きだったみたいです。
昔の女学生は逞しかったですから、被害に遭うだけではなく、こういうこともやってたんですが。
「そのなかには気負い立った女子学生の姿もチラホラみえ、男にまじってタクシーをとりかこんで胴上げにせんばかりの勢い」
この記事には、タクシーを引っ繰り返そうとしているような写真も載ってます。
これには非難する投書なんかも新聞に載りましたけど、まだまだ擁護する意見が多くを占めてました。
〔夜の早慶戦を大目に〕 読売新聞 昭和30年6月18日 著作家 権田権太郎 私もかつて銀座へ押しだした一人なのであの気持ちはよくわかる。十余年後の今日までも楽しい思い出として残っている。ガラス窓をこわしたり、スカートを破ったのはまことに遺憾であるが、昔とくらべておとなしいものだ、と当局も言っている通り、全体的にみてさしたる実害もないのではないかと思う。 縁もゆかりもない第三者の方から見ればずいぶん得て勝ってな言いぐさと受け取られようが、やれ汚職だ、ヒロポンだというような今の世に、若い血をもて余している学生たちに、せめて年に二回のあの程度のバカ騒ぎは大目に見過ごしてやっていただきたい。 |
警察も「昔とくらべておとなしいものだ」と云うくらいで、戦前はもっと激しく暴れてたのでした。
朝日新聞昭和8年10月23日〔夜の銀座脅す 校歌合戦から衝突へ〕 なんかを読むと、早慶戦の夜に銀座で暴れて路面電車や自動車を留めてしまって、制止しようとした警官隊を袋叩きにしています。別の記事では、酒屋を大勢で襲って、酒を大量に略奪したりしてます。
早慶ばかりではなく、一高(東大)と三高(京大)の対抗戦では、毎回街中で何百人が乱闘するのが恒例になって、刃物を振り回して相手を斬ったりなんかしてたことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第16章「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」に詳しく書いてますので、読んでいただければ。
年に数回しかないこういう試合のときだけではなく、旧制高校生は毎晩街中で暴れて、商店の窓ガラスを割って廻ったり、交差点の真ん中で歌って踊って、路面電車を長時間留めたりしていたのですけどね。
たいていは黙認で、たまに逮捕されたりしても説教だけですぐに帰され、戦前は若い者に寛大でした。
一時期、ツイッターで莫迦ないたずらを披露して炎上したりするのを、底辺の生態が表面化したものだと云ってる人が多くてどうかと思ったのですが、本来こういう無茶苦茶はエリートがやるのが日本の伝統なのでした。
戦前だとか、昭和三十年代とかを懐かしんで、その精神を取り戻そうと主張している方は、まずこういう騒ぎを自ら率先して起すか、あるいはそういう若いもんを温かく見護って、どんどんやれと焚き付けるべきでしょう。
それが、当時の正しい大人のあり方でした。
古き良き精神を忘れて、大らかなる心を失った輩が増えたのは、まことにけしからんことであります。
また、こういう過去の記録を参照する方がまったくいないのはどうしたもんでしょうか。
文明の基礎は情報の蓄積にあるんですが、過去の情報を踏まえずにそのつど目の前で起る事象に適当な感想を吐くだけでは動物と同じで、これでは文明の一員とはとても云えません。
ちょっと前までは、新聞を調べるのはなかなか大変で私のような物好きしかできないようなことでしたが、いまではどこの図書館でも全国紙の検索は簡単にできるようになってますから、みなさんも文明の担い手のひとりになって、いろいろと情報を蓄積していただければ。
地方紙も読めば、もっと面白い記事が見つかりますので。