「私も60歳を過ぎたら悠々自適の生活がいいな」。土曜日の夜、友人との飲み会から戻った良男がダイニングテーブルに座るなり突然、言い出しました。友人は多額の遺産相続もあり、60歳での完全リタイアを決めているそうです。幸子の表情が険しくなりました。
筧幸子 あなた、年金がいつからもらえるか知ってるの!?
筧良男 確か年齢に応じてもらい始める年齢が段階的に遅くなるんだよな。1961年4月2日以降に生まれた男性は基本的に65歳からで、私もそれに該当するって聞いてるよ。年金のない60歳代前半まではちゃんと節約しないとな……。
幸子 節約するだけじゃなくてしっかり働いてくれないと家計がもたないの! あなたのお友達と違ってうちは親の遺産が多いわけじゃないんだから。
筧恵 みんなパパを頼りにしてるのよ。
良男 恵に言われると弱いな。じゃあ、無理のない範囲で1日数時間くらい働くか。
幸子 同じ働くのでも、どうせなら厚生年金が増えるような働き方をしてくれると助かるわ。例えば501人以上の会社なら、週に20時間以上の勤務、月の収入8.8万円以上などの条件を満たせば厚生年金に加入することになるの。
良男 みんなはどうしているのかな?
幸子 実は厚生年金に加入していない働き方も多いの。2016年度でみると、60~64歳の人口の6割強は何らかの形で働いているんだけど、厚生年金への加入率は3割強にとどまるわ。65歳以降だとさらに低く1割強よ。厚生年金に加入して将来の年金額を増やしながら働くということは、これまではあまり重視されていなかったのかもね。でも、人手不足もあって、厚生年金に加入して長く働ける会社はだんだん増えているわ。
良男 厚生年金加入で働き続けると年金はどれくらい増えるんだい?
幸子 現役時代と60歳以降のそれぞれの収入、加入期間で変わるわ。例えば大学卒業後に38年間働き、59歳までの平均年収500万円だった人が60歳以降働くのをやめると、65歳からの年金は基礎年金と厚生年金の合計で年に約177万円。だけど60~64歳まで年収300万円で厚生年金に加入して働くと、65歳からの年金は年に約12.5万増えて189万円になるわ。
恵 もっと長く69歳まで働くと?
幸子 70歳以降の年金は、働かなかった場合より年に21万円も増えるの。亡くなるまでの累計では差はすごく大きくなるわよ。厚生労働省の将来予測では、例えば2050年時点では男性は2人に1人が87歳まで、4人に1人が93歳まで生きるようになるの。長生きリスクに備える意味で93歳までで計算すると、60歳以降に働かなかった場合に比べて、69歳まで働けばもらえる年金の増加額の累計は570万円弱にもなるわ。
良男 結構大きいなあ。
幸子 もちろん年金が増えるだけじゃなくて、働いている時期は給与収入そのものもあるから、家計の改善効果も大きいの。社会保険労務士の井戸美枝さんは「厚生年金は健康保険の加入とセットなので、病気で休んだときに傷病手当金(収入の3分の2の金額)が最大1年半もらえるなど有利な点も多い」と話しているわ。
良男 しかし、69歳まで働くってのは長いなぁ。
恵 パパってほかの人より若々しいから大丈夫よ。
良男 おだてて長く働かせようとしてるな。ずっと働き続けると、年金額はいつから増えていくんだい?
幸子 さっきの年収300万円で働き続ける例だと、65歳からは、60~64歳の間に働いた分を反映して増えた年189万円をもらえるわ。その後は基本的に働き続けている間は年金額は変わらないの。厚生年金に加入できるのは69歳までで、70歳からは60代後半に働き続けたことを反映して増えた年198万円を受給できるってわけ。それが終身で続くのよ。
良男 例えば途中の67歳までで辞めれば?
幸子 退職した後に再計算されるしくみなの。65~67歳まではさっきと同じ年189万円をもらい、退職後の68歳以降は65~67歳までの働きを反映した金額が上積みされるわ。
恵 年金は受給開始年齢を繰り下げられる制度があるでしょ? 1カ月繰り下げるごとにもらえる年金が0.7%増額になるので、70歳まで繰り下げると5年分で42%増になるよね。働きながら70歳まで繰り下げると、さっきの例では70歳以降もらえるはずの198万円が42%増えるってこと?
幸子 違うわ。繰り下げの計算の基になるのは、あくまで65歳時点でもらうはずだった金額。60代前半の働きを反映して65歳時点でもらえるはずだった189万円が42%増えて約270万円になり、65~69歳で働くことに応じて増える約9万円(198万円と189万円の差)がさらに上積みされる形ね。
恵 年金の増加額をなるべく大きくするには、70歳になるまで働いて、しかも繰り下げ受給するのが選択肢ってことね。
幸子 繰り下げの場合、妻がいる会社員などを対象に加算される「加給年金」がもらえないケースがあるのは要注意だけど、基本的にはお得な仕組みよ。
良男 私の完全リタイアが遠ざかる……。
■在職老齢年金、対象は少数
社会保険労務士 小野猛さん
60歳以降も働き続けながら厚生年金をもらうと収入に応じて年金が減額されることがあります。在職老齢年金という制度です。月収(給与・賞与合計の月額換算)と本来受け取れる年金月額を合計し、65歳未満では28万円、65歳以上では46万円を上回ると、一定の算式で年金が減額されます。
65歳未満では2014年度末で厚生年金受給者の2割弱が対象です。ただ厚生年金の受給開始年齢は65歳に向け段階的に引き上げ中で、男性では1961年4月生まれ以降は65歳未満の対象者はいなくなります。一方、65歳以上は適用条件が緩く、対象は受給者の1%程度なので通常は気にしなくてよいでしょう。ちなみに在職老齢年金は労働者の就労意欲を落とすとされ、基準の緩和などが検討されています。
(聞き手は編集委員 田村正之)
[日本経済新聞夕刊2018年5月16日付]
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