どうしてる?断捨離
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by ruhiginoue

政治腐敗に若い人が寛容なわけ

 安倍内閣の下で不祥事が相次いで、マスコミが調べて発表する支持率も低下しているが、それでも十代と二十代では、まだ支持する者が多く、それと重なるように、不祥事があっても悪いことだと思っていない者が多い。
 これについて、友達だから贔屓して当たり前だと思っている人が若い人ほど多いからだろうという意見が目立つ。それとこれとは別だとか、ケジメがないとだめだとか、そういうことを理解できない人が若い人に多く、やはり社会経験が浅いとか乏しいからだろう、というわけだ。

 しかし、子供のころはわからなくても大人になればわかるようになるのだろうか。そう思いがちではあるが。それは、かつての友情が社会に出て揉まれたり擦られたりしているうちに、通用しなくなることがよくあるからだ。
 また、子供のころは利権も思想信条も社会的立場も無かったので、純粋に人間として付き合い仲良くできたのに、大人になったらそうはいかなくなるとも、よく言われる。
 だから、子供のころは友達だから特別だと考えていられるが、それを大人になって社会に出てもまだやってしまう人は、立場や責任をわかっていないのだ、という図式に考えるのだろう。
 けれど、どうだろうか。

 というのは、自分の経験の記憶からも、いろいろな人たちの体験談からも、子供のころ「友達だから」という発想は、ほとんどして無かったからだ。
 そして、よく思い出して検証してみれば、子供だって、友情によって特別ということではなく、やはり力関係が影響してのことで、これに対して子供だったから非力で抵抗できなかっただけである。
 そして、大人になって社会に出たら、親の庇護も無くなったし、自分の力で進んで行くのだから、なのに子供のように非力で無抵抗でいたら人生が挫けて御終いとなってしまう、という認識をしたり自覚をしたりする。それが若い人は未だできない。

 つまり、社会と政治・経済の不正に若い人たちほど寛容なのは、甘いからではなく非力だからであり、その自らが抱える現実と未だ向き合えてないため、というべきだ。

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by ruhiginoue | 2018-05-13 13:03 | 政治 | Trackback | Comments(0)