「予感めいたものなど、何一つなかった」。
これは東野圭吾の小説『秘密』の冒頭の一文。昨日の私もまさにそうだった。予感めいたものなど、何一つなかった。もちろん私の身に起きたことなど、『秘密』の主人公である父親に起きた悲劇と悲哀の物語に比べれば取るに足らない些事であることは間違いない。だがここに記録させてもらえないだろうか。さっきも言った様に、それは昨日の出来事だった。
ここ最近の私が忙しかったことは以前ブログにも書いたことだ。その忙しさは、すべて昨日を無事乗り越えるために費やしてきたといっても過言ではない。私は経理の仕事をしていて、今ちょうど期間の経費を策定することをしている。その期限が昨日だった。経理で弾き出した経費を元に各事業部門が年度の売上や利益計画を策定するので、期限には確実に間に合わせなければならなかった。
だから私はここ数日、遅くまで頑張っていた。普段の定時帰りが染み付いたので、21時や22時まで残るとまぁなかなかきつい。だが仕事だ、やる時はやらねばならない。
そしてなんとか、昨日の午前中についに完成した。いやぁきつかった。だがあとは人件費を作成している総務からの資料を待ち、それを経費と合算させて提出だ。これで晴れて残業おさらば!!さようなら残業、おかえりなさい定時!!
予定では16時に資料が届き、それを加工して17時に経理から資料を提出する段取りだ。総務も最近遅くまで頑張っていた。資料は大丈夫なようだ。そしてこっちも勿論準備は万端。さぁおいで。
そして約束の16時。しかし資料は届かない。
経理の課長が確認しに行った。どうも総務の最終確認でつまづいているらしい。まぁまぁ、大丈夫。まだ時間はある。許容範囲だ。
17時。資料はこない。どうした?
課長が総務に張り付いている。資料を手伝っているようだ。課長がついているなら大丈夫。もう安心。もうくる。
18時。資料はこない。定時過ぎましたが?
17時半が定時なので、念のため課長に確認しに行った。
「資料まだかかりそうですか?」
課長「そうだね~ちょっとここにきて重大な不具合が発生してて、まぁ、いつになるか正直わからないけど、とりあえず10分待ってもらえる?」
「あ、はい、わかりました」
なんか今、さらっととてつもないこと言われた気がしたが、とりあえず10分待ってみた。ちなみに私は16時から実はすることがなく、ただ一応忙しいふりを装って真剣な顔でパソコンを眺めながら一生懸命ぼーっとしていた。
そして10分が経った。10分、経った。気づけば一時間が経ち19時になっていた。たまらずツイッターで呟く私。
おかしい。10分は課長の中で1時間と同義なのだろうか。聞いていない。10分という時間は誰にとっても同じ10分だ。いつ誰が『時間』という定義を定めたかなんて知らないけれど、10分という時間はみんな同じだろう?
20時。ここで部長が出てきた。部長は私がまとめるはずの資料に最後に検印を押し、そして提出する流れなのでいわば部長も私と同じ状況だ。資料待ちだ。部長、何とかしてくれ。
だが違った。部長は立ち上がったかと思いきや、私の隣に座った。そしておもむろに話し出した。自宅に作ったという書斎の話を。
書斎は1階を改装して作り、本棚を四方に置き小説などで埋め尽くしているらしい。普通の部屋に比べると部屋全体が重くなるので、その部屋だけ耐久性がかなり高く作っているそうだ。なるほど、それ、すごく、どうでもいいです部長。
気づけば22時になっていた。もう腹が減りすぎて朦朧としてきた。部長はいつの間にかどこかへ消えている。課長は総務の担当に付きっ切り。これ終わるのか?さすがに打ち切って明日に延期すべきじゃない?
23時。もう感情なんてものはない。なんで私は今職場にいるのだろう?記憶喪失になった時に人は言う。「ここはどこ?私は誰?」私は記憶喪失になっていないが心の中で呟いていた。「ここはどこ?私は誰?」
そして23時半、ついに打ち切りが決まった。もう明日やることで部長が本社に謝りのメールを打つという。会社を後にしたのは24時だった。帰りは部長にタクシーで送ってもらった。
私は16時から24時までの8時間、実際何もしていない。22時からは深夜残業代のため通常より1.5倍は給料が出るだろう。繰り返すが、何もしていない。
(fin)