「報道機関の皆様へ」:新潟女児殺害事件から考えるマスコミ報道

左奥容疑者宅手前に張られた規制線前に集まるメディアの人々(5/15午前筆者撮影)

■被害者ご遺族からのコメント

先日5月16日、新潟女児殺害事件の被害者遺族がコメントを発表しました。各種メディアでもっとも多く紹介されたのは、次の形です。アナウンサーが読み上げた番組もいくつもありました。

「私たち家族は、大切な存在である娘を今回の思いがけない出来事で失い、悲しみの中におります。この状況を受け止めることは難しく、また、犯人が捕まったとしても娘が戻ってくることはありません。今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです」

本当に立派なコメントだと思います(心理学関係者としては、このような立派な言動を拝見すると、かえってその方々のお苦しみや、抑えられた悲しみを思ってしまうほどです)。

メディアの中には、この文書全体を映したところもあります。そこには、文書の一番先頭に、こう書いてありました。

「報道機関の皆様へ」

そうすると、各メディアが、一般視聴者へのメッセージであるかのように読み上げたこのコメントは、実はマスコミ関係者向けのコメントではないかと考えられます。

ただもしかしたら、報道機関の皆様に対して、このコメントを世間に向けて公表してほしいと望まれたのかもしれないとも考えられます。ところが、コメントにはもう一文あったとの報道を見ました。

J-CASTニュースが県警への取材で得た遺族のコメント全文には、メディアに対して取材・撮影の自粛を求める言葉がつづられていた。~

「どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」

出典:新潟遺族コメント、テレビが伝えなかった一文 「どうかこのような心情をご理解いただき...」:J-CASTニュース 2018/5/18 20:49

■誰に向けたコメントか

このコメントは、全てマスコミ向けのコメントなのかもしれません。

「一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願う」は、マスコミの取材がなくなり、マスコミ関係者が町から去ってくれることを願っているというとを、婉曲に表現したのかもしれません。

あるいはそうではないのかもしれません。これはやはり世間一般の方々向けへのコメントであり、地域や家族の心が癒されることを願い、その上で、家族親族への報道自粛を願ったのかもしれません。

あるいは、その両方の面があったのかもしれません。

■全国ニュースになった町で起きること

事件の現場は、私の自宅からも職場からも車で15分ほどの場所です。この町に、私の知り合いも、学生も住んでいます。私も、メディアの人々とともに、事件発覚直後から現場に入り、そして心理学者としてだけではなく、同じ新潟市民として、感じたことがいくつもありました。

5月9日(水)

<「新潟女児殺害事件の犯罪心理学:子供達を守るために」>

「警察官と大勢のマスコミ人。町は重苦しい空気に包まれています。私の心も悲しみに押しつぶされそうになりました」。

5月14日(月)

ツイッター:碓井

「事件は大きく動きました。今(午前10:30ごろ)、某テレビ番組に呼ばれて車で一緒に現場に向う途中で、重要参考人に任意同行がかかったと連絡が入り、昼に行うはずだったインタビューは延期です。各メディアは、この男性のことを、猛烈に調べ始めています」。

「実際に被害者と同じ町に住む人に任意同行がかかった今、心が大きくざわつきます。キーボードを打つ指が震え、涙がでそうです」

「(今後)大きな報道合戦が繰り広げられます。地元の様々な場所や人に何が起こってしまうのか、市民の一人として、とても不安です」。

今(14日夜)、メディアの人と一緒に現場に来ています。逮捕状が出ようとしている男の家の前にいます(まだ規制線は張られていない)。道は、マスコミ関係者の車でうまっています。街のあちこちの家の玄関先で、インタビューをしているスタッフたちがいます。

多くのマスコミ関係車両(筆者撮影)
多くのマスコミ関係車両(筆者撮影)

「男の家の付近は、大勢のスタッフと自動車であふれています。でも、みんな小声で話しています。ライトをつけた実況もしていません。騒然とした雰囲気と奇妙な静寂です」。

「重要参考人」の自宅前に集まるマスコミ関係者。まだ逮捕も氏名発表もなく、規制線も張られていない(筆者撮影)
「重要参考人」の自宅前に集まるマスコミ関係者。まだ逮捕も氏名発表もなく、規制線も張られていない(筆者撮影)

「今、関係車両(多くはタクシー)が止まっている道路を、パトカーが通りました。「この道は駐車禁止です。移動してください。移動しないと取り締まります」。パトカーが来るのは、単なる交通取り締まりではなく、地元の不安や不満やイラつきの表れだと、私は感じます」。

「いくつかの事件現場は訪問したことがあります。でも、まさに事件が大きく動き、逮捕状が出ようとしている、その瞬間の現場は初めてです。こんなことさえなければ静かな住宅地。住民の日常生活の中を、マスコミ人とパトカーが次々と通ります」。

「犯人が早く捕まって欲しい! みんなの願いです。地元は特に強く願っています。私もその一人です。警察関係者の働きを称えます。でも今、言いようのない不安と悲しみに襲われています。真っ暗な男の家の前で。続々と集まって来るマスコミを見ながら」。

<「現地は今:新潟小2女児殺害事件重要参考人は20代の近所の男」>

「マスメディアの人達みんなが悪い人のわけがありません。ほとんどの方々は、哀悼の思いを持ち、犯罪を憎む思いを持っています。けれども、そう思っている私でさえ、今回市民の一人として現場上空を飛び回るマスコミのヘリコプターを、いまいましく感じてしまったのも事実です」。

「一つの静かな町で、悲惨な事件の被害者がでました。すぐそばで、とても悲しい形で遺体がみつかりました。さらに、すぐそばで「重要参考人」が出ました。震える思いですが、私達は、町を人々を子ども達を、守らなければなりません」。

・・・この後、犯人に逮捕状が出され、氏名も発表されました。翌15日火曜日。現場はマスコミ関係者であふれました。テレビでよく見るレポーターや評論家たちが道ですれちがい、挨拶しあっている姿が見られます。地元の人間としては、現実感が薄れるような感覚です。

私も朝から夜まで現場にいて、いくつもの番組の取材を次々と受けました。メディアは、現場からの放送を求めます。その方が絵になります。臨場感があります。私も、スタジオからではなく現場だからこそ感じられる事もあります。けれども同時に、被害者宅の近隣で語ることに、辛さも感じます(メディアの方もそう感じている人は多くいました)。

被害者加害者と同じ校区、同じ町内会に住む人々から、たくさんの不安や戸惑いや不満の声を聞きました。被害者児童が通っていた小学校の臨時保護者集会でも、マスコミへの不満が多く出たと聞いています。

ヘリコプターの音がうるさくて、テレビの声も聞こえない時があったと語る人もいました。

県外から来た客が、この町に入り、「記念写真」を撮って帰ったという話も、地元の人から聞きました。

私はこれまでも事件が発生した地域の人々に共感したいと願ってきましたが、どの町の人々もこんな体験をしてきたのかと、今回あらためて痛感しました。

そして、5月16日(水)、ご遺族からのコメントが発表されます。

■マスコミによる事件報道:意義と加害性

報道は必要です。絶対に必要です。そして報道には具体性も、情緒性も必要だと思います。被害の大きさや被害者(家族)の苦しみ、地域の努力が報道される中で、私達は事件の意味を理解し、世論が盛り上がり、国が動くことさえもあります。

マスコミの取材活動も以前に比べれば抑え気味です。もう、被害者の敷地内の庭にずかずかと入り込み取材する社などないでしょう(2000年に発覚した新潟女性長期監禁事件では、そんな話も聞きました)。

しかし、マスコミは批判にもさらされています。ネット上で「マスゴミ」などと揶揄している人だけではありません。学生達の中でも、マスコミ批判はよく聞かれます。事件取材をしているマスコミ人も嫌われている自覚はあるようです。

けれども、マスメディアは他人の不幸で飯を食っているわけでもなく、視聴率や販売部数だけを考えているわけでもありません。そんなことを、マスコミ人自身が認めてはいけないと思います。もしそうなら、医者や消防士なども同じでしょうか。そんなことはありません。マスコミ人が自虐的になってしまうと、報道の価値の低下につながりかねません。

しかし自虐的にはならなくても、自省的であることは、常に必要でしょう。「報道機関の皆様へ」。ご遺族からのコメントを、各社はどのように受け止めたのでしょうか。どんな思いで、コメントを報道したのでしょうか。

報道はとても意義ある仕事です。私がマスコミ人と共に現場に入るのも、マスコミから取材を受けるのも、ネット配信するのも、意味があると考えています。けれども同時に、メディアに関わる人間として、その加害性も忘れてはいけないと思います。

「報道陣進入禁止」:地元で見られた張り紙(筆者撮影)
「報道陣進入禁止」:地元で見られた張り紙(筆者撮影)

それは、マスコミも、現地を訪問する一般の人も、個人でスマホのカメラを構える人も、ネットでツイートする人も、基本的には同じだと思います。下品なのぞき見趣味やプライバシーの侵害は論外ですが、たとえ高貴な使命感や役割があったとしても、それでもなお迷惑をかける行為ではあるでしょう。

関係各自が「私」の活動で傷つく人がいることを、忘れてはいけないと思います。傷つく人は確実にいます。その痛みがあってもなお、自分の活動が意味を持つようにしなければなりません。

----中学生のとき、「カエルの解剖」の授業で理科の教師に言われた言葉を、今も覚えています。「ふざけてはしゃぐことも、怖がって騒ぐことも、どちらもいけません。命をいただいて勉強しているからです」。

被害者、ご遺族、地域の、その痛みをいつも感じながら、カメラやマイクを向けなければならなりません。情報発信をしなければなりません。

今回、現場の線路の前にたち、テレビのインタビューを受けているとき、地域の子供見守り隊の方々が、こちらをじっと見ていました。私は、テレビカメラの向こうに何百万人もの視聴者がいると想像するよりも、緊張しました。私が話す防犯のあり方を、うなづきながら聞いてくださいました。インタービュー後、こちらに声をかけてくださったので、同じ新潟市民として互いにいたわりの声を掛け合いました。

マスコミュニケーションは、不特定多数の大衆(マス)に、大量の情報を伝達します。しかし同時に、カメラやマイクの先には一人ひとりの個人がいます。日本中に流される情報を、地元の一人ひとりも目にします。

できることならば、マスコミと地元が協力し合い、被害者(家族)支援と犯人逮捕と防犯と、日本社会全体が良くなることと、そして傷ついた地域再興の働きができますように。こんな悲しみが、少しでも減りますように。

追記

下記時事通信の配信記事などは、当初からコメントの最後の文「どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」も紹介していた(「報道機関の皆様へ」の記載はない)。

大桃さん遺族のコメント全文=小2女児殺害」(時事通信5/16(水) 19:52配信)

東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院博士後期課程修了。博士(心理学)。新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。スクールカウンセラー。テレビ新潟番組審議委員。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。HP『こころの散歩道』は総アクセス数5千万。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「とくダネ!」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ビートたけしのTVタックル」「ホンマでっか!?TV」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』など。監修:『よくわかる人間関係の心理学』など。

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