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同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月19日(土)23時47分50秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を卑しく敬う会長、副会長、職員の方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月19日(土)22時55分55秒
  23時に開始です。池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈りましょう。よろしくお願いいたします。

また、病の同志にお題目を送ります。
 

(無題)

 投稿者:名無し  投稿日:2018年 5月19日(土)22時55分35秒
  > 隆師の教学の特色は、「一仏二名・互為主伴」と言われる独自
の思想。

互為主伴はともかく、本門の釈尊と蓮祖が同体である(因位の釈尊と蓮祖がともに本因行・名字即なので)
というのが六巻抄での寛師の主張です 一佛二名そのものではないかと言われれば是非もなし
いずれにせよ釈尊と蓮祖を別体と見る昭和の日蓮正宗の教学は日寛教学ではありません

 本地自行の自受用身とは即ち是れ本因妙の教主釈尊なり、
 本因妙の教主釈尊とは即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり、
 是れ則ち行位全く同じき故なり (末法相応抄)

執行部と教学部は日隆門流に秋波を送る前にきちんと
日寛教学(ですらなかったこと)を精算した方がよさそうですね
 

本仏

 投稿者:通行人  投稿日:2018年 5月19日(土)22時53分58秒
  私が聞いたところを簡単に。

釈尊本仏と言えば釈迦仏教というイメージ。
多くはおったまげで、ついていけない!となっちゃう。

そこで、久遠の本仏=久遠仏と呼称したらイメージ変わる。
これなら、普遍的で受け入れやすいという考え。

世界宗教を名乗るからには、特定の人物を神以上に尊信していたら、キリスト教、イスラム教に肩を並べられない。
キリスト教やイスラム教の「神」を彷彿とさせる、人ではない「久遠仏」「永遠の仏」を本仏とし、その使いとして天台、伝教、日蓮という位置づけ。
久遠仏が本仏、日蓮は導師ということ。

日蓮という日本人が神以上の本仏では、国によってはとても受け入れられないらしい。

聖教新聞に何回か登場した、東北大の佐藤弘夫教授の著作「日蓮」に「久遠仏直参信仰を確立した日蓮」(「確立」は私の記憶)とあったが、そんなイメージ。
 

リアリズム北海道戸田記念墓地公園の怪

 投稿者:北海道見んの人  投稿日:2018年 5月19日(土)21時58分3秒
  お尋ねの件、詳細情報から引用します。

案内図の真ん中、墓所A区とG区の間の水色は池です。「福浄の池」と言う名称があります。
また墓所G区のPパーキングは、「常楽の丘」と言う名称がありました。
池田大橋を渡り、福浄の池の右側を通って、常楽の丘の下に厚田青年塾があります。つまり、今はG区パーキング下になります。
四年前のパンフレットと現在の北海道戸田記念墓地公園は大きく様変わりしています。
 

谷川、宮田、菅野、破れたり!! 一致派教学から八品派教学への乗り換えを画策中!!

 投稿者:尼崎てっちゃんやすもり  投稿日:2018年 5月19日(土)19時57分12秒
  北海道民のひと様へ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84389

来る6月16日(土)午後1時30分~午後6時、

新宿・常円寺祖師堂地下ホールでの

法華宗本門流(八品派)の興隆学林長・大平宏龍先生
http://www.gakurin.ac.jp/greeting.html

半日集中講座「日隆教学の成立と特色」

のご紹介、ありがとうございます。

日隆門流(八品派)は江戸時代、大石寺など富士門流と共に勝
劣派僧侶の学問所として「細草談林」(上総、現在の千葉県大
網白里町)を設立し、一緒に教学研鑚に勤しんでいた宗派。
大平先生は、法華宗本門流(八品派)を代表する教学研究者と
して、とても有名な方です。


寄りP様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84393
>法華宗もアリなのか?

アリもアリ、大アリです。

シンパにせよアンチにせよ、創価学会に関係や関心のある方が
多く集まるこの掲示板で、なぜ、法華宗? 八品派? と思わ
れたのだと思いますが、実は、創価学会の執行部および教学関
係者がいま、最も熱い視線を送っているのが、八品派の日隆師
なのです。

というもの、本部教学室の遠藤SGI教学部長、室員の宮地元男
子部教学部長らを追い出して、急きょ、谷川主任副会長を教
学部主事に立て、日蓮研究は全く門外漢の宮田幸一創大教授
や菅野博史教授をアドバイザーに迎えて進めた会則の教義条
項の変更でしたが、戸田先生を真っ向から否定し、「教学は
日寛上人の昔に帰れない!」とばかりに、六大秘法、一大秘
法を否定。更に、人法一箇も否定し、五重相対も教えず、
やっぱり仏教はお釈迦様でしょうとばかりに、日蓮大聖人は、
本仏釈尊の弟子の上行菩薩扱い。

大石寺教学から離れ、宗教的独自性が闡明になったと自画自賛
してみたものの、客観的に見れば、勝劣派の矜持を捨てて、身
延日蓮宗ら一致派教学に限りなく近づいただけでした。

身延ずりではなか、一致派教学の二番煎じだ等々の批判が相当
堪えたようで、汚名挽回(汚名返上ではなく!)とばかりに、
飛びつこうとしているのが、八品派の日隆教学なのです!!

隆師の教学の特色は、「一仏二名・互為主伴」と言われる独自
の思想。釈尊と上行は同じ一つの仏の二つの名前であり、時に
応じて釈尊が主で上行が従になったり、上行が主で釈尊が従に
なったりするといういわゆる「繰り返し顕本」説を唱えます。

谷川主事らは、世界宗教になるには、世界的に有名な釈尊を
主、マイナーな日蓮は従とするしかないと言って自信満々、
教義条項の変更を行いましたが、四方八方からブーイングの
嵐を浴びて、軌道修正を余儀なくされたわけですね。

この三人らは軽佻浮薄にも、「一致派教学がダメなら、日隆
教学があるさ」とばかりに、「釈尊にも日蓮にもいい顔がで
きる八品教学は好都合」と安易に考えて、ただいま、乗り換
えを検討・画策中と言うのです。

2014年教義変更を主導した谷川、宮田、菅野、破れたり!!

にわかに日隆教学を学び始めても、大石寺日顕法主に法論を
挑んで返り討ちにあった黒歴史を持つ創価学会教学部だけに、
またまた、にわか仕込みの付け刃教学で、掘った墓穴をさら
に大きくするだけではないのかな!?(笑)

そういうわけで、今後の創価学会教学を占う意味でも、
6月16日(土)、大平宏龍先生の半日集中講座「日隆教学の
成立と特色」は、必聴です!!

皆さん、ふるってご参加ください。

申し込みの方法等は、こちらのチラシをご覧ください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84389
 

私どもは変わらない。この道を行く。

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月19日(土)19時16分5秒
編集済
 

---------------------------------
1991.2.14海外派遣メンバー協議会

「現実」を離れて仏法はない

仏法は現実主義である。多くの外道が観念論
におちいるなか、釈尊は厳然と、現実に即して離れ
ない中道の生き方を説いた。

 「現実」という大地を離れて、仏法はない。「民衆」と
いう大地を離れた宗教者は、根なし草となる。現実に
背を向ける者は、現実から背を向けられる。民衆を見く
だす者は、民衆から軽蔑されよう。

 私どもは、日蓮大聖人の仰せのままに、いかなる苦労も
いとわず、「現実」に生き、「民衆」のなかに生きぬいてきた。
ゆえに御本仏のお心に感応し、広布の大展開があったと信ずる。
 私どもは変わらない。この道を行く。法のため、人類のために、
だれが変心し、堕落しようと、また私どもにまで、その民衆利用の
計画に従わせるため策動しようと、学会は変わらない。従えば、
仏法は死滅する。人類の希望の太陽は消える。断じてできる
ことではない。

 悪に従わねば、悪に迫害される。当然のことである。
変心と堕落の人々からの攻撃は、信仰者の勲章である。

---------------------------------
池田先生が教義を変え、会則を変えるわけがない。
病気の人に重要な内容の判断がつくわけがない。
戸田先生が”創価学会仏”と発言された動画やレコード
はあるのだろうか。そして、もし発言されたとしても、
前後の話の内容がわからなければ、どうにでも解釈できて
しまいます。お得意の冗談で言われたのかも知れません。

池田先生が”私どもは変わらない。”と発言されている。
だから、何も変えてはいけないのです。

海外のメンバーが”せんせい”と言ってるのは、
当然、池田先生のことだと思います。
まさか、民衆利用の計画に従わせるため策動する
原田学会怪物様のことではないでしょう。
---------------------------------
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこ  投稿日:2018年 5月19日(土)18時39分39秒
  本当に良いものを見抜く力は、一流と接してこそ養われる。美しい、素晴らしいと感ずる素直な心が重ね合わさって、感性が磨かれていく。人格の陶治においても、同様であろう。一流の人格に接し、打ち合い、心を響き合わせることだ!  

母の痴呆が劇的に回復!成功例として注目

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月19日(土)18時08分22秒
  2003年11月16日

プロローグ

【愛媛県・小松町】1998年(平成10年)1月11日、日曜日。大阪・寝屋川で一人暮ら
しをするI・Yさん(37)=小松支部、ブロック担当員=の携帯電話が鳴った。声の主は、

愛媛の伯母だった。休日を利用し、書店巡りをしていたIさんは、懐かしい声に胸がはずんだ
。が、受話器の向こうは緊迫した空気。「あのね」。一呼吸置いた伯母が言った。「驚いたら

いかんよ。お母さんが倒れたんよ、職場で。脳出血なんやて」瞬間、Iさんの全身が震えた。
「しっかり、ね」。伯母の声が遠くに聞こえた。気が付けば、ふるさと行きの列車に乗ってい

た。電話の直前、仕事の資料にと購入したガーデニングの本を手にしたまま……。“お母さん
、死んだらいかんよ、絶対!”。そう念じつつ、急ぎ帰省する一人娘を、母・I野・Tさん(
57)=婦人部員=は待ちわびていた。搬送された病院で、生死の境をさまよいながら。

難病が原因だった

検査結果が告げられた。「クモ膜下出血です。原因を調べるため、脳血管撮影を行いましたが
、進行中の『もやもや病』に起因するものと考えられます」「もやもや病」とは、ウィリス動

脈輪閉塞症とも言い、原因不明の病気。厚生労働省指定の難病である。脳底部などの動脈が細
くなったり、詰まる。脳血管撮影で、もやもやした異常な血管網が写ることから、そう呼ばれ
る。主として、子どもや若い女性に見られるが、母は当時51歳。珍しい発症といえた。初め

て耳にする病名に、不安と恐怖が押し寄せる。が、それを自らねじ伏せた。“大丈夫!”わず
か数時間前、“母、危篤”の急報に、ひどく動揺した姿とは別人のよう。病院を目指す車中、

彼女は、ひたぶるに心で題目を唱え続けてきたのだ。自らの心の変化が不思議ですらあった。
“信心してるのに、なぜ?”。そんな疑念も、唱題を重ねると消え、不安も払拭された。駅の
ホームに降り立つころには、決意にあふれていた。“今こそ、宿命転換の時!お母さんを元気
にしてみせる!”娘は、まっすぐ医師の話を聞いた。幸い、昏睡する母の手足に、まひはない

。その点は「今後も大丈夫でしょう」と、医師は血管障害の部位から判断してくれた。ホッと
した。集中治療室の母に施されたのは、脳室ドレナージ。頭頂部に2カ所の穴を開け、そこか
ら管を挿入。脳を圧迫している血液や髄液を流出させるのだ。これで一命を取り留めた。同時

に、脳を保護する点滴も行われ、2日後、母は意識を取り戻す。医師も安堵の表情を見せた。
しかし、こう念を押した。「ただ、普通とは、ちょっと違うようになります」その言葉が、ど
んな事態の招来を意味するものか、娘は知る由もない。“ちょっとなら、大丈夫!”。ただた
だ、小躍りする思いだった。

変わり果てた母

現実は――。「『ちょっと』どころじゃありませんでした。もう、大変(笑い)」今はそう言
って、娘のIさんも、母のI野さんも屈託なく笑う。そのおおらかさに、たがうことなき母娘
の絆があった。困難を乗り越えた信仰の輝きがあった。「脳血管性痴呆」――それが母の後遺

症の名だった。意識を回復した当初、母・I野さんは自らの愛娘さえ、認識できなかった。と
ころが母親・N・Sさん(87)=西条市、飯岡支部、婦人部員=だけは分かった。「おかあ
ちゃん!」。幼子のように甘えた。母・I野さんには、こうした幼児期への退行現象のほか、

尋常でない物忘れ、夜中の徘徊、幻覚、果ては感情のコントロールがままならず、暴力を振る
うほど激しやすくなるなど、高次脳機能障害によく似た症状が認められた。あまりの母の変わ
りよう。それは切ないほど、厳しい現実だった。もう一つ。経済問題という現実も――。長い

闘いを覚悟し、Iさんは大阪の会社を退職。公園などの景観デザインを手掛ける会社等に務め
、ランドスケープ・デザイナーとして、これからという時期だったが、悔いはなかった。それ
より、蓄えが心もとなかった。母の退職手当等を合わせても、どれだけやっていけるか。98
年4月、倒れてから3カ月で退院。しかし、変わり果てた母との間で毎日、“格闘”が繰り返

された。時になだめ、我慢できなくなっては叱り、逆に、激した母から殴られることも。Iさ
んは泣いた。3日間泣き明かした。だが、4日目、“私が泣いていてどうする。必ず良くなる
。良くしてみせる!”と、腹をくくり直した。だが、母の“奇行”は待ったなし。隙あらば、

昼夜問わず“家出”しようとする。徘徊中に交通事故にでも遭ったら大変だ。24時間、気を
抜けない。Iさんの睡眠不足は慢性化していった。退院から5カ月。限界だった。悩んで祈っ
た末、Iさんは母を伴い、紹介された専門医の門をくぐったのだった。

初孫が“追い風”

これが奏効した。母・I野さんには、症状を緩和する薬が処方され、娘・Iさんには、ソーシ
ャルワーカーが、介護保険など各種手続きを手助けしてくれた。デイサービスを利用できるよ

うになったことで、Iさんの生活にメリハリができた。空いた時間を活用し、Iさんはホーム
ヘルパー(2、3級)の資格を取得。働きに出た。もちろん、女子地区リーダーとしての活動
や、さまざまな会合にも積極的に参加できるようになった。「不思議なんですよ。私が学会活

動に“復帰”して元気になっていくと、母の症状も同じように、ぐんぐん良くなっていったん
です」その根本が、再び母娘そろって唱題できるようになったことだったという。母は66年
、娘は82年の入会。数々の苦難を、ともに祈り乗り越えてきた“母娘の信心の絆”が、介護

・治療・リハビリ――三つの歯車をがっちり噛み合わせ、劇的な回復を生んだのだ。むろん、
一進一退はあった。しかし今では「へぇー、そんな大病だったの?」と驚かれるほど、回復し
た。昨年10月には、読売新聞が「痴呆ケア」のあり方を特集――脳血管性痴呆やアルツハイ

マー病など、病気のタイプをきちんと区別したうえで早期治療し、その人の個性を大切に介護
することで症状が改善し、介護も楽になる――その具体的成功例として、母娘を実名入りで取
り上げたのである。本年2月、母の回復に、さらなる“追い風”が。初孫・Hちゃんが誕生し

たのだ。「実は、祖母にも母にも離婚歴があって……。母の介護もあったので、結婚はあきら
めていたんです」とIさん。「それが去年、こんなにいい人と」と祖母のNさん。視線の先

は、もちろん、Iさんの夫・Kさん(45)=ブロック長=に向けられている。そのKさん、
訥々と「信心根本に頑張る妻の姿に教えられる思いです。それと、わが家のことは病院の先生
方はもとより、やはり、同志の皆さんが送ってくれたお題目の力が大きい。そうですよね、お

母さん」。I野さんは、にっこり。「そうそう!学会の皆さんから、そして娘から教わった『
あきらめない信心』。これをかわいい孫に教えてあげたい。だから、もっと元気に、長生きし
ますよ!」

医師の声

愛媛大学医学部助教授(神経精神医学教室)I・M医師

I野さんの場合、もやもや病による脳出血後、重度の脳血管性痴呆という後遺症になりました。
娘さんのIさんが、ご自身の生活を犠牲にして、大変、献身的な介護を続けてこられたよう
ですが、疲れ果ててしまい、私が担当する外来(財団新居浜病院)を受診されました。I野
さんには精神症状を穏やかにする薬の処方、Iさんには、ソーシャルワーカーによる保険申請

の手助けや生活サポートを行いました。I野さんのような症例の場合、こうした基礎的な条件を
整えることが、回復にとって何より重要だからです。母娘して厳しいリハビリに耐えられ、加速
度的な回復を遂げられ、喜んでおります。
 

日蓮宗は「折伏」などやってないと自白してるも同然

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月19日(土)16時35分42秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/84535
【「小樽問答」の頃の創価学会】

以下の日蓮宗側長谷川氏の主張は、日蓮宗は折伏はかなり久しくやっていない実態が浮き彫りです。
いや折伏はしないのがむしろ日蓮宗の「常識」という認識のもと、こういう主張をしてるように読めるものです。


▼▼▼▼▼▼
今回、私、参りまして、いちおう御参考までに一つご披露致しまするというと、かなりに誤った狂信的な態度もあるということを、非常に遺憾とするものであります。

読売新聞の三月四日の夕刊をみてごらんなさい。こういうことが書いてございます。
題して「破滅の狂信」というのであります。家庭を破滅に導くが如くの狂信があるということを出ておる。

それは、夫が新興宗教に迷ったというために、奥さんが憐れなる物語を新聞紙上に提供致しております。子供、三人抱え、ささやかなる商いを致しておりまするが、昨年夏からして主人がおとくい先から奨められ、○○(マルマル)学会という宗致に入り、朝晩二度、そして何か困ったことがあるというと一時間以上もお題目を唱えております。そのため、仕事がおろそかになり、店もさびれていきまするが、それもお祈りが足りないのだといって、お説に従いまするので、借金もふえ最近は、家を外にして折伏と称し、人々に入会をすすめて歩く、このために先祖より伝わるところの仏壇も、戒名も皆焼いてしまいこんな宗教に入るのを取締まる法律はないでしょうかというのだ。

黙って聞きなさいっ(ヤジへ)。
家が栄えぬのは一家中が皆信じないからだといって、そこに問題がおきている。そういったかなり誤っておるのが、ここに○○(マルマル)学会といっておるのであります。

御存知でございましよう。そういったごとくの宗教があるということも一つの事実でございます。
これは紹介したまででございまするが、そこに極端に変曲に教えを曲げて我々にいろいろな悪罵宣伝するというようなことは、充分に我々は知らなくてはならないと思っているのでございます。

 いわゆる細胞組織をもってやっておるようではございまするけれども、私たち下谷の仏教団におきましては、かなり諸君方のために大きな被害をもっているということが沢山あるのでございますよ。
いくらでも事例はあげまするけれどもですね、我々下谷の仏教会のごときにおきましても、私は東京でございまするが、少くともですね、信仰をもっておる者が、おのれな仮面をかぶって何かしらにして、そして無理に強要し、まるで押合い間答をするがごとき卑劣な態度をもってするということは、日興上人の流れを汲んでおりまする者として、多大にこれは監視をしなければ、私は、ならないと思っているのでございまする。
▲▲▲▲▲▲

日蓮宗側の長谷川氏の主張も言いたい意味は普通にわかるのですが、こういう内容でもって批難するというのは、難や魔の意味も経験もないのを示唆しております。
真面目な心境で心から南無妙法蓮華経に素直に帰依し信仰してみれば容易に理解できる部分がまるで理解されておられないからです。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/80523
▽▽▽▽▽▽
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
(御書557ページ・法華初心成仏抄)


《話し言葉通解》
我が心にあります妙法蓮華経を本尊と崇め奉って南無妙法蓮華経を唱え、我が心の中の仏性が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて顕れるところを仏というのであります!

譬えば籠のなかの鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるが如しで、空飛ぶ鳥が集まれば籠のなかの鳥も出ようとするが如し!
口に「南無妙法蓮華経」の妙法を呼び奉れば我が身の仏性も呼ばれて必ず顕れます!
梵王・帝釈の仏性も呼ばれて我等を守るのです!

仏や菩薩の仏性は呼ばれて我が心に現れ歓喜するのです!
△△△△△△

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80700
▽▽▽▽▽▽
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
日女御前御返事(本尊相貌抄)1244ページ

《話し言葉通解》
この御本尊、まったくよそに求めてはいけないですよ?
ただ我ら衆生の法華経をもって南無妙法蓮華経と唱える胸中のなかに御本尊様はいらっしゃるのです!
いうなれば九識論でいうところの「九識」の“都”と言う感じの『九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都』というものです!

「十界具足」とは十界それぞれが一界も欠けることなく一界にそれぞれが納まってるのです!
これによって「御本尊様」を曼陀羅というのです!

「曼陀羅」とはインドの言葉で、訳せば「輪円具足」とも「功徳聚」ともいうのです!

この御本尊もただ「信心」の二字に納まっておられて「以信得入」とはそういうことなんです!
△△△△△△


この二つの御文はどういうことが一念に起きてることでしょうか。
端的にはお題目にて仏界の生命が蘇る、ということを大聖人様は述べられております。
釈迦時代のように修行の成果で仏に至る、ということではないのですね。

御本尊様に向かい、

『我が己心の妙法蓮華経を本尊』と
『あがめ奉りて』
『我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経』と
『よびよばれて顕れ給う処』を
『仏とは云うなり』

なんですね。
修行の成果で「仏」となるのではなく、儀式にてダイレクトに仏界の生命を湯現させた上で、日常生活にて「仏として」の経験・効果的方便を日常的にひとつひとつ地道に学んでいく修行になるんです。
いわば、一念をいきなり「仏界」にした上で「仏として」の方便をひとつひとつ地道に学んでいくのがこの「信仰」になるんです。
「仏界」とは歓喜の中の大歓喜です。
「歓喜の中の大歓喜」とはどういう心境か、これは実際に信じてやってみて「実感」するしかない部分でしょうか。

「仏として」の経験のほとんど知らない最初は当然、「仏として」の経験が決定的に不足してるぶん、表面上それは日蓮宗長谷川氏のいうような現象も起こるのがむしろ当たり前のことなんです。
こんな次元の話は、真面目な心境で信仰してれば誰でもすぐに経験する範囲のものです。

「仏として」の経験不足は「三障四魔」「三類の強敵」ということで表面化するんです。
それゆえ「魔が起きないのは信心でない」という指導は至極当たり前の道理の指導です。

ところで、辻さんはなぜ日蓮宗を批難し学会側のそうした部分を「擁護」してるのでしょうか。
日蓮宗は真面目に日蓮仏法をやっていないという事実と、学会員の失敗部分といいましょうか、そうした部分は「真面目にやってるなら個人レベルで難・魔は必然的なもの」という認識が根底にしっかりあるからでしょう。

真面目に取り組んでるかそうでないか、それが基準となっての「判断」と感じます。
単に「創価学会だから」という次元の判断ではないでしょう。

そして、これが僕自身では擁護すべきかそうでないか、その判断基準となってるしだいです。
単に「仏として」の経験不足から不器用なだけなら擁護すべきと感じます。
この辻さんのように。
「経験」は真面目に取り組んでるなら遅かれ早かれやがて補われる宿命だから「擁護」にて護り、育つ時間を見守るのが適切です。

しかしながら、4人組をはじめ利己目的に日蓮仏法の信仰を実質上放棄し、さらに会員へその負担の丸投げという明かな「悪意」の「擁護」などかえってみんなを不幸にする助長するお手伝いにしかならないことです。

ただし「例外」もあります。
「悪意」をやめ、会員の幸せ・世界の幸せのために、心を入れ替え真面目に信心すれば「この限りではない」です。
その際には、これまでさんざん悪行の限りをやってきて「仏として」の経験なんてほとんどないのですから、いきなり効果的方便などほとんど無理なの当たり前のことですから、心を入れ替え真面目に始めたという「流れ」になった場合に限り「擁護する」ことになります。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

「小樽問答」の頃の創価学会

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月19日(土)15時25分15秒
編集済
  日蓮宗側・長谷川義一

戦後におきまして、いろいろな新興の宗教が興っております。かなり中には批判すべきものが非常に多いのでございます。
今回、私、参りまして、いちおう御参考までに一つご披露致しまするというと、かなりに誤った狂信的な態度もあるということを、非常に遺憾とするものであります。

読売新聞の三月四日の夕刊をみてごらんなさい。こういうことが書いてございます。
題して「破滅の狂信」というのであります。家庭を破滅に導くが如くの狂信があるということを出ておる。

それは、夫が新興宗教に迷ったというために、奥さんが憐れなる物語を新聞紙上に提供致しております。子供、三人抱え、ささやかなる商いを致しておりまするが、昨年夏からして主人がおとくい先から奨められ、○○(マルマル)学会という宗致に入り、朝晩二度、そして何か困ったことがあるというと一時間以上もお題目を唱えております。そのため、仕事がおろそかになり、店もさびれていきまするが、それもお祈りが足りないのだといって、お説に従いまするので、借金もふえ最近は、家を外にして折伏と称し、人々に入会をすすめて歩く、このために先祖より伝わるところの仏壇も、戒名も皆焼いてしまいこんな宗教に入るのを取締まる法律はないでしょうかというのだ。

黙って聞きなさいっ(ヤジへ)。
家が栄えぬのは一家中が皆信じないからだといって、そこに問題がおきている。そういったかなり誤っておるのが、ここに○○(マルマル)学会といっておるのであります。

御存知でございましよう。そういったごとくの宗教があるということも一つの事実でございます。
これは紹介したまででございまするが、そこに極端に変曲に教えを曲げて我々にいろいろな悪罵宣伝するというようなことは、充分に我々は知らなくてはならないと思っているのでございます。

いわゆる細胞組織をもってやっておるようではございまするけれども、私たち下谷の仏教団におきましては、かなり諸君方のために大きな被害をもっているということが沢山あるのでございますよ。
いくらでも事例はあげまするけれどもですね、我々下谷の仏教会のごときにおきましても、私は東京でございまするが、少くともですね、信仰をもっておる者が、おのれな仮面をかぶって何かしらにして、そして無理に強要し、まるで押合い間答をするがごとき卑劣な態度をもってするということは、日興上人の流れを汲んでおりまする者として、多大にこれは監視をしなければ、私は、ならないと思っているのでございまする。

だんだんに法門の話も出ていくようではこざいますけれども、開口一番私は東都の新聞に発表せられました所の○○(マルマル)学会の、その狂信ぶりを皆様方に御披露致しまして、どうかそういうようなものに迷わないように、一つお考えをもう一遍願いたいのでございまする。

登壇の主旨ではございません。これからして小平氏があるいは辻さんもお話になるでしょう。
それに従いまして我々の立論というものを徐々に開陳を致したいのでございまするが、まず以て私からしてこういったことがあったということを、一応ご紹介して皆様方の反省を促したいのでございます。


創価学会側・池田先生
ただいま創価学会の辻武寿先生が登壇します。

創価学会側・辻 武寿
ただいま長谷川先生から縷々と学会に対する批判がございました。

何千何万という数多くの中には、かりに幹部の指導が不徹底であって間違いが起こるということもありますけれども、ほとんどの者が、大獄からまぬかれて、大きな宿命を打開して、歓喜に満ちてやっているのが創価学会の現状であります。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

そうですよね。

 投稿者:末席の弟子  投稿日:2018年 5月19日(土)14時09分31秒
  一眼の亀さま、そうですよね。

以前は「〇〇会館の前を通られました」と、

会館におられた方に伝言などを送られて

いました。今は、上から、「通られた」と、

降りてくるだけ。

それにお元気なら、今の悪行を許される

はずがない。
 

もう、まともな法治国家ではない

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月19日(土)12時53分47秒
  前国税庁長官の佐川氏が、不起訴になったそうだが冗談なのか?!
何という馬鹿げた国になったものかと、驚き呆れ果てる。

あれだけあからさまに、14もの決裁文書を改竄したのに、それでも官邸の側についてさえいれば、罪にならないというのが現在の日本らしい。まともな法治国家ではない。
我々は今現在、そういう超異常な国に住んでいるということを、はっきり認識しておくべきだ。

言うまでもなくそんな国が、もうまともな民主主義国家である訳も無く、ファシズム一歩手前の国と言うべきだろう。

検察も、やはりまともに機能していない様だ。
検察の現場はちゃんとやりたいと思っても、官邸と結託した検察上層部が、捜査を押さえこむのだろう。今回の事件では、近畿財務局に強制捜査さえ入っていないのだ。

TVドラマなどでよくあるパターンだが、詩織さん事件に続き日本では、それが現実化している事が再び証明されたという事だ。そういう面でなら、今回の佐川氏不起訴は大きな意味がある。(失笑)

あれだけ国会で嘘をつきまくった佐川氏が無罪だと?(呆)

フザケルな!日本国民を舐め過ぎだ。国会中継を一度でも観た人なら、誰もそんな話は納得しないだろう。

逆にあれを無罪だと言う日本の検察、司法に対する疑念がますます大きくなっただけだ。

一方では微罪に過ぎない籠池夫婦を、1年近く独房に入れたりもしているが、こんな司法はもう信用できない。
いったい何を基準に裁いているのだ。官邸との親密度か?

今アベ自公という、数頼みの不道徳な行政権が肥大化し、司法権や立法権さえ飲み込もうとしている。
日本の三権分立が、もう崩壊直前だ。それを阻止する為には、選挙で「ノー!」と言うしかないのだ。数さえ取れば、「戦争しても許される」と言っている政権など、危なくて仕方がない。


麻生氏の「セクハラ罪という罪はない」という発言を、アベ内閣はわざわざ「閣議決定」。(爆笑)
本当に閣議決定が好きな政権だな。
この件で批判され、機嫌を損ねた麻生氏をなだめたいのだろうが、実に安っぽい「閣議決定」もあったものだ。(笑)


日大で理事会が開かれたのだが、例のアメフト事件は議題にならなかったそうだ。(呆)

話そのものは出たのだが、その直後に箝口令が出されたらしい。(笑)
「臭いものには蓋」という事だろうが、もう蓋をして抑え込める様な情況ではない。

池田先生に本幹で大叱責された後、箝口令を出して揉み消そうとした、空家ダーハラ一派とそっくりなのが笑える。






 

大変に失礼しました。笑

 投稿者:ストロング5万  投稿日:2018年 5月19日(土)12時53分30秒
  北口町内会の会長さんだと思っていましたが、はらだの王様だったんですね。笑  

「裸(ハラダ)の王様」…笑える~

 投稿者:mission  投稿日:2018年 5月19日(土)12時38分53秒
  シャクソン ファイブ様、面白画像ありがとうございます(^^)

煽り文句のcatchphraseが、何とも言えない(爆笑)
obon_kobon様という御方ですょね。copy writerとして十分お仕事できます(^^)v

“何か”を隠す様に必ず首を左に傾げちゃってる「裸(ハラダ)の王様」には、忘れてはいけない 右横に密着する“笑顔萬斎”の「笠貫女官」を是非!

copy writer様の作品は沢山あるみたい…聖教の“怪しげな広告”と差し替えれば読む人が増えるかも?
https://pbs.twimg.com/media/DdSejf-U0AE0W9w.jpg:small
https://pbs.twimg.com/media/DdXvrpoU0AAhEB1.jpg:small
https://pbs.twimg.com/media/DdRidHBVAAASwG5.jpg:small
https://pbs.twimg.com/media/DdRkl4EVMAE1BiK.jpg:small







 

「裸(ハラダ)の王様」…笑える~

 投稿者:mission  投稿日:2018年 5月19日(土)12時37分55秒
   

真剣☆真面目な人の心はごまかせない

 投稿者:日本丸メール  投稿日:2018年 5月19日(土)12時08分12秒
  アタマでリクツ考えるよりも?

素直なココロ(直心)に感じる☆

それが信心☆信仰の深さ&良さ!!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/84094
 

トランス脂肪酸★石綿お手頃便利でも良くないモノはダメ

 投稿者:日本丸メール  投稿日:2018年 5月19日(土)11時57分11秒
  やっぱりおかしなトコ(前から)あるあるじゃん!

それが見えず?気がつかない残念(無念☆)な人が

よくないモノを世間(大衆)に広めてしまう悪循環

http://6027.teacup.com/situation/bbs/68286
 

自語相違

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月19日(土)11時53分4秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/84525

>生命を大切にするはずの信仰者が
自分達の主義主張を押し付けたいために
人間の生命は、あとまわし。<

~を、ご自身このコメントにてされておられるあなたの主張は「自語相違」ではないのですか?


>生命を軽んずる者は、信仰者にあらず。<

なるほど。
あなたは「信仰者にあらず」とご自身を告白されるのですね。
なかなか潔いご自覚です。
『信仰者にあらず』とちゃんとご自覚されておられる。


>宗教団体に脱退処分されても、当たり前。<

なるほど。
自語相違のあなたは『学会員ではない』というご主張でございましょうか。
そうでないとしたら『信仰者ではない』と告白されるあなたは「脱退処分されて当たり前」とご自身で本末転倒しておりますが。


>脱退処分がいい、悪いじゃない。<

いえいえ、執行部へ「意見」しただけで「除名」というのは、どういう「世間」でも「悪いこと」でしょう。

違いますか?
そういう「感覚」すら「麻痺」してますか?

それが秋谷・原田宗の「害毒」ゆえお気をつけをm(_ _)m


>信仰者としての常識も知らぬ者に、
信仰者としての資格なし。<

ん?
「一切衆生の幸福」をあなたは「祈ってない」と告白されるのですか?
もうこれで勤行やってないの丸分かりじゃん。
「信仰者の資格」とは、「一切衆生」と大聖人様の判断ですが、それを「否定」されると?
こりゃ確かに『(日蓮仏法の)信仰者としての常識も知らぬ者』とあなた自身のことですよね?

しかしながら、「一切衆生」ですから、あなたも「信仰する権利」はあるのですよ?
その「権利」を行使するも「放棄」するもあなたの自由なことですが。


>信仰者ぶった人間たち。
先生と叫ぶだけの弟子達。
師匠の出版物を読むだけの者に弟子の資格なし。<

あなたは「師匠」の本さえも読んでないでしょ?
それだから『信仰者でない』とワザワザ告白する意味不明な行状となるのですよ。

『先生』とさえ叫ばないでしょあなた。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

出た出た w w 印象操作部隊かな? (笑い)ダメよさんが言われた通りだよね~ w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2018年 5月19日(土)11時00分46秒
  印象操作投稿ご苦労さん(笑)  投稿者:ダメよ~ダメダメ
投稿日:2018年 5月17日(木)00時46分43秒   通報
だからどうしたの?(笑)

そんな昔の投稿を提示して何が言いたいのかな?

回りくどい事せずにストレートにものは言った方が良いと思いますが。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 

宗教戦争

 投稿者:マーガリンとプラスチック  投稿日:2018年 5月19日(土)10時53分9秒
  生命を大切にするはずの信仰者が
自分達の主義主張を押し付けたいために
人間の生命は、あとまわし。
生命を軽んずる者は、信仰者にあらず。

宗教団体に脱退処分されても、当たり前。

脱退処分がいい、悪いじゃない。

信仰者としての常識も知らぬ者に、
信仰者としての資格なし。

信仰者ぶった人間たち。
先生と叫ぶだけの弟子達。
師匠の出版物を読むだけの者に弟子の資格なし。
 

分派は、北口町内会の皆さんです。

 投稿者:ストロング5万  投稿日:2018年 5月19日(土)10時29分6秒
  本当の分派は、北口町内会の会長さんと、ふかいな仲間たちです。
 

原田氏と秋谷氏が『極悪』といわれてしまう理由を考える

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月19日(土)10時09分28秒
編集済
  彼は宗門僧の理不尽な攻撃にピリオドを打ち、会員を守るため、一切の責任を負って法華講総講頭を辞任。さらに世界広布の新しい流れを開くために、創価学会の会長辞任を決断したのだ。
4月24日、第3代会長の辞任が発表され、名誉会長に就任する。

(聖教新聞2018年5月19日)
~~~~~~~~

原田会長と執行部、また秋谷前会長が『極悪』と言われてしまう原因の一つは、ここにあると考えます。

当時の執行部として原田氏・秋谷氏が第一次宗門問題に関わったのに、なぜ事実を明らかにしないのだろう?

今日の聖教新聞には、『4月24日、第3代会長の辞任が発表され、名誉会長に就任する。』とある。
この一文からは、まるで池田先生の御意思で名誉会長に就任されたように読めるが、事実は違うのです。

弟子ならば、きちんと事実を認識しないといけません。

北条会長と当時の執行部の決議により、池田先生は名誉会長にさせられたのです。
文証として昭和54年4月26日の聖教新聞を確認すると、以下のような記事があります。

~~~~~~~~
■聖教新聞1979-04-26掲載(昭和54年4月26日1面)「北条新会長の話」より

「また池田先生には、昨日の総務会で、全総務の総意で名誉会長になっていただきました。(拍手)」
~~~~~~~~

当時の聖教新聞には、『全総務の総意』と明確にありますね。
このように当時の執行部が、池田先生を名誉会長に就任させた事実が、聖教新聞に残っています。
そして、名誉会長に就任させたことについて、拍手までしている。

池田先生が、お一人で泥かぶり名誉会長になったことが、拍手するような喜ばしい出来事なのでしょうか?


断じて違うと自分は思います。
当時の執行部は弟子の道を踏み外したのです。

事実として、秋谷氏が聖教新聞(平成18年4月11日3面)で、当時の執行部の行いを『罪』とし謝罪をしています。

~~~~~~~~
■聖教新聞2006-4-11日掲載(平成18年4月11日3面)
「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助

今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58665
~~~~~~~~

会長でありながら、原田氏は第一次宗門問題の事実を語らない。
秋谷氏は、聖教新聞で謝罪までしているのに、真実を語らないのです。

これでは、池田先生が泥をかぶったままで時が止まり、真実が闇に埋もれたままです。

池田先生に泥をかぶせたままで、何も言わない原田氏と秋谷氏が、模範的な弟子と言えるのでしょうか?

さて、先日4月24日に『殉 教』のご揮毫が、世に出てきました。
その脇書きには『嵐の讒言乃昭和五十四年四月二十四日』とあります。

会長辞任の背景には、嵐のような讒言があったと池田先生が書き残されたのです。

原田氏と秋谷氏は『極悪』と言われないためにも、後継者にきちんと事実を語り、真実を伝えるべきではないでしょうか。



【保存用文証】聖教新聞から抜粋した54年問題の真実
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58664

 

「 私の除名処分と二つのSGI」 3/4

 投稿者:おはよう  投稿日:2018年 5月19日(土)09時35分34秒
編集済
   さて、本題の「昭和54年問題」について、SGI-USA執行部は、どう云う立ち位置にあるのでしょうか。

 ごく最近までの歴史的経緯は、判然としません。問題意識のはっきりしない時期が続いていたと推測されます。

 少なくとも、2000年代、FNCCと云う研修所 に「師弟不二の展示場」があり、先生の「正義」「誓い」「5月3日」の揮毫に触れ、師弟不二の峻厳さを学ぶ機会となっていました。そこで「4.24.1979」について、どう云う指導があっていたのか記憶にありません。最高幹部自身がはっきりとした意識をもっていたとは思われません。

 明らかに、一つの問題は、英訳されている資料の絶対的不足です。

そのような中で、「随筆 新・人間革命 79「嵐の4.24」」(聖教4/27/1999) が英訳され、 “Stormy April 24” として(“Living Buddhism (LB)” 4/2014, p. 10-13) に掲載されています。この資料を使って、青年部が「時流は逆らえない」の一節などについて、議論していました。

 ところが、その年、2014年以来、「4.24」について触れられることは全くなくなりました。SGI-USA執行部は、完全に、原● 創価学会執行部の意向に盲従するようになったと、考えられます。


   さて、「新・人間革命」に限らず、日本語での学会出版物が英訳され、アメリカの会員の手に入るには、かなりの時間がかかるのが現実です。

 英訳「新・人間革命」に関しては、現在、第26巻までが出版されており、第27巻の英訳が、毎月の LB で進行中です。

 ところが、「昭和54年問題」を扱った第30巻については、別格の扱いです。 聖教新聞上で「大山の章」が完結後、直ちに、この章の英訳小冊子が出版・配布されました。最終章「誓願の章」に至っては、WT のオンライン・サービスで、英訳を即日、配布しています。

 まさに、原● 創価学会執行部の「「新・人間革命」は学会の正史である」と云うお触れを、率先して、会員間に徹底しようとしています。


 ところで、私は、査問の当日、SGI-USA執行部を代表する立場にある永 ● SGI-USA 前理事長に、「大山の章」について次の質問をしました:

(質問)「聖教新聞に、「新 人間革命」30巻が掲載されており、いわゆる「昭和54年問題」を扱った「大山」の章が終了しました。その内容に疑義があります。

「昭和54年問題」については、先生は、20年後、「嵐の 4.24」(1999年)をはじめ、数々の随筆を書かれ、その真相を明らかにされました。また、2006-2010 年、本部幹部会で、毎月のように、直接、当時の最高幹部の誤りを糾弾されたことは、周知の事実です。

「大山」の章 では、(1) 日蓮正宗首脳の、嫉妬に起因する陰険な策謀、(2) 宗門と結託し、後に退転した学会顧問弁護士、教学部長、その他の陰謀、それに、皆に裏切られながらも、一人一人の会員のため、反転攻勢された先生のすばらしさは、描かれているものの、問題の本質である、(3) 側近の最高幹部の裏切り、には全く触れてありません。どうしてでしょうか。」

(永 ● 前理事長)

 「先生は、1993年、「新 人間革命」第1巻を執筆され始めたおり、その「まえがき」に、全部で30巻になること、また「その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」と記されています。

その予告どうり、今、第30巻を、書き上げられようとしていることは、すばらしいことではないですか。

また、かつて先生は、「80歳を過ぎたら、永遠に広宣流布の指揮をとる」と述べられたことがあります。「永遠に指揮をとる」とは、「 人間革命」、「新 人間革命」をはじめ、先生が残される著作、指導が、永遠に、広宣流布の規範となる、との意味でありましょう。

その「新 人間革命」の内容に疑義があると云うのは、おかしいのではないか。その通りと、読むべきです。」



(コメント)最高幹部がこの意識です。いや、とぼけているのでしょう。ましてや、一般会員で、「昭和54年問題」を考えている人など、ほとんど皆無です。ここから、どうやって反転攻勢すればよいのでしょうか。

 先に述べましたように「嵐の4.24」」が “Stormy April 24” として英訳されています。この件に関する、ただ一つの英訳資料です。今となっては、SGI-USA執行部は、隠蔽したい資料です。

この資料がどうして英訳されたのか、知るよしもありませんが、私はそこに希望を見出そうと思います。この英訳資料を起点に、一人、また、一人に訴えようと。


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「時の流れは逆らえません」 沈黙が凍りついた。 わが胸に、痛みがはしった。

  “You can’t go against the flow of the times.

             The atmosphere of the room froze.

                 A sharp pain tore through my heart.


「あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ    夕闇せまりて 一人 歩むを」

  “This far, far bitter day   I will never forget

            The dusk presses in    And I walk alone”
 

『友誼抄』━━「あとがき」にかえて

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月19日(土)08時53分28秒
  詩は「人間」と「社会」と「宇宙」を結ぶ心である━━。

現代の悲劇は、一言すれば「分断」のもたらした帰結にほかならない。

自然と人間との分断、

民族と民族との分断、

そして、個々の人間同士の分断。

融合し調和し合うべきあらゆるものが千々に断たれて、宇宙や自然のリズムから切り離された
人間は、単なる断片と化し、

孤独への奈落の道をたどりつつある。

現代に蔓延するエゴイズム、刹那的快楽主義、破壊への衝動、絶望とニヒリズム・・・・。

これらは、分断され、閉鎖された人間の魂のあがきと言えるかもしれない。


かのパスカルは『パンセ』のなかで、人間の持っている精神について、

「幾何学的な精神」と「繊細な精神」の二種があると述べている。

「幾何学的な精神」とは、いわば合理主義的な精神であり、「繊細な精神」とは、直観的な、
人間の感性に基づくものであり、詩心ともいえよう。

本来、この両者がバランスを保ちつつ、進みゆくなかに健全な文明の進歩はある。

しかし、近代の歩みは、「繊細な精神」をなおざりにし、「幾何学的な精神」のみを肥大化さ
せてきた。

この合理主義的発想は、人間精神の働きのごく一部でしかない知性を万能視するものであり、

それによって、現代の急速な科学技術の進歩、物質文明の発展をもたらした。

しかし、それは、もともと正常なる発展のためのバランスを欠いたものであり、時とともにそ
の歪みは増し、露呈していかざるを得なかった。

つまりパスカルのいう二つの精神のアンバランスこそが、現代の悲劇をもたらし、孤独という
病理を生み出した要因であるといってよい。

詩聖タゴールは、こう語っている。

「現代のひじょうに複雑な社会においては機械的支配力が効率的に組織され、

物質的生産が先に立って人間本来の姿が失われ、

それを阻止する力が追いついていかない。

このような節度のない物質文明の発達は、茂りはびこる熱帯植物のように、その中に人間を閉
じ込めてしまうのである」(「詩人の学校」)と。

そして、現代人は、「物質という籠」に囲まれて生きていると指摘する。


科学は、すべての事象や現象を「物」という視座からとらえる一つの目である。

それは決して万能の目ではない。

人の臓器を見ることは出来ても人の心を見ることは出来ない。

だが、現代にあっては、その「物」の目ばかりが重視され、もう一方の「心」を見る目はふさ
がれてしまいつつある。

人類の最大の悲劇である近代の戦争をみても、偏った「幾何学の精神」の歪んだ投影を見てと
ることができる。

何十万人、何百万人という大量殺人を可能にする兵器を考案したり使用したりする人間の目は


人間を「物」化してとらえる冷ややかな目である。

彼の目には、数量としての死は映るが、苦悶しつつ断末魔を迎える個体の死は決して映らない


それに対して、自己も他者も同じ人間であり、

大宇宙の一つの連環のなかにあるととらえ、

他人の痛みや苦しみ、悲しみを見据える目からは、

そうした指向が生まれることはない。

詩人の眼差しは「心」にむけられている。

物でさえも単に物とは見ない。

時に、詩人は、草木と語り、星ぼしと対話し、太陽と挨拶を交わす。

万物を友として、そこに生命を見いだし吹き込み、変転する現実世界の事象を貫く大宇宙の不
変なる法則を見詰める。

またある時は、人間のつくり上げた制度やイデオロギーの囲いを突き抜けて、一個の人間に秘
められた限りない可能性の輝きを見る。

そして、時には、万人を結び合う、見えざる生命の紐帯を覚知する

━━私は、この豊穣なる精神の泉を詩心と呼ぶ。

詩心は、人間の想像力と創造力の源泉である。

それは、この地上に夢と希望と勇気とをはぐくみ、調和と融合をもたらし、

何びとも侵すことのできない力をもって、

内面世界を荒れ地から沃野へと転じゆく。

今、二十一世紀を目前にして、人類は大きな岐路に立っている。

物質主義の津波のなかにあって、その波に没し去ってしまうのか、

それとも、人間の復権の時代をつくるのかという選択が迫られているのである。

私は、この人間の復権の源泉こそ、詩心にあると訴えたい。

そして、それを成し遂げていくことが、詩心に課せられた仕事にほかならないと思っている。


ビクトル・ユゴーは謳った。

「宇宙の神秘に向かって開かれたあの扉のところまで、/私は入っていこう。/雷よ、ほえるが
よい、それなら/私はいっそう強くほえかえすから。」(「静観詩集」『我行かん』)

神秘の扉を開き、宇宙の見えざる法則への目を開くことは、閉塞した心の世界を打ち破り、無
限の広がりを生む。

大宇宙、大自然と溶け合い律動する人間の生命の真実を鋭くとらえ、

万物への慈愛と感動に満ちた優れた詩は、人々の詩心を呼び覚まし、馥郁たる人間性を開花さ
せる。


詩心の復権とは、とりもなおさず来るべき次代を人間の世紀へと転じゆくことを意味すると、
私は信ずる。



(この原稿は第十回世界詩人会議に寄稿されたものです)

 

北海道見んの人様へ「戸田記念墓地公園」と「新*人間革命」26巻

 投稿者:mission  投稿日:2018年 5月19日(土)08時18分3秒
編集済
  現在の様子を写真入りで伝えて貰えたので、とても良く解りました。ありがとうございます。
家の経机には、同志から戴いた「戸田記念墓地公園」のしおりを4年前から置いてて、いつかは訪れてみたい場所でした…残念です。

取り壊す前から既に案内板からも抹殺削除されている『厚田青年塾』は、園内案内図の どの辺りになるのでしょうか?↓
http://www.hokkaido-soka.jp/todaboen/facilty.html
更地にして墓石販売の用地にするなんて、本当に酷い所業です。
青年塾庭園内にあった『三代会長の揮毫石』が忽然と消え、ただの石を置いただけの不気味な庭園…酷すぎます。

戸田講堂の劣化も目に見えて散見されますが、ここも数年後には取り壊すのですか?
何故メンテナンスをして遺そうとしないのか、腹蛇学会は見解を示すべきです!
それに『池田先生が記念植樹された桜』も、長い間 剪定もされて無いみたいですね…曲がってきています(哀)

『草創之碑』って開園(1977.10.2)の時に、この碑に向かって「厚田村」の歌を大合唱したんじゃなかったですか?
台座を綺麗に塗り直せば良いものの、大切にする気持ちが無い事を物語ってる。
『嵐桜』があった事は知りませんでした…それも数年前に伐採。『桜並木』も全て伐採され更地に。
池田先生の『御心』を感じとれる場所では無くなった…という事ですね。

小説「新*人間革命」26巻には、厚田への想いが綴られており、聖教でも1(2012.6.15)から61(2012.8.25)まで連載されましたが、その殆どが『戸田記念墓地公園』に関しての内容になってます(嵐さんの事も書かれてる)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/atsuta.htm
どれだけの熱い気持ちを池田先生が傾けておられたのか…腹蛇学会は忘れたのか!

厚田8には、墓地公園の「開園記念行事」の事が書かれているのですが、長男博正氏を“正弘”とし掲載されています↓
【妻の峯子 “長男の正弘”と共に、戸田城聖の親戚が営む戸田旅館を訪れた。
恩師の故郷のことを、若い世代にも教えておこうと、あえて「青年部の正弘も同行」させたのである。
戸田旅館は、一九五四年(昭和29年)の夏、戸田と共に宿泊した思い出深い旅館である】と。
※池田先生と奥様から期待されていた長男博正氏は、そんな思い出も遠く遥か向こうに棄て去ったのでしょう。

厚田10(2012.6.26付)にも↓
【戸田旅館を後にした伸一たちは、厚田の海岸に向かった。
暗い海に沖を行く船の明かりが見えた。辺りには波の音だけが響いていた。
伸一は、峯子、正弘と浜辺を歩いた。
「ここだ! ここだよ!」
彼は、こう言って立ち止まった。
「ここで戸田先生は、私に『君は世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは僕が つくっておこう。君が それを全て実現していくんだよ』と語られたんだ】

『botツイート』に【大田池田講堂が改装され恩師記念室という展示スペースが新設、年表に『4.24』は無し】とありましたが、最近その大田池田講堂にて参加者全員に例の「新報」拡大copyを配布し、博正氏が“元職員3人”の事を誹謗したと聞きました。
私の“三世の友”が言っていた…【釈尊の3人息子の一人「善星比丘」も反逆してますからね】と。

池田先生は厚田12で→【広宣流布の道は常に険路である。この先、何が待ち受けているかわからないのが現実である。そう思うと彼は皆の覚悟を、促さないわけにはいかなかった】
とされ、厚田13で『破信堕悪御書』(1303㌻)の一節を敢えて書かれておられます。
【釈迦仏は三十二相そな(具)わって身は金色・面は満月のごとし、しかれども或は悪人はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はかたき(敵)とみる】

─釈迦仏とは、三十二相といわれる仏としての優れた身体的特質を備えたインド応誕の釈尊であり、仏として人々から最高の尊敬を受けていた。
それでも心の曲がった悪人は、金色に輝く仏を炭と見たり、灰と見たり、敵と見てしまうとの意味であります…
…御書に照らして当然これからも、わが学会には激しい北風の突風が吹くでありましょう。
しかし絶対に負けてはならない。絶対に屈してはならない。
北海道の同志の皆さんは『覚悟』を定め、この学会の新しき原点の地から凛々しく出発し、北海道広布のため自身の一生成仏のために戦い抜いてください。
そして又ここに帰り三世永遠に、勇猛果敢なる広布旅を続けようではありませんか!」
『覚悟』とは本来 迷いを去り、道理を悟ることだ。正法正義の大道に大難あり、その道理を悟ることが『覚悟の信仰』なのだ─と。

※日蓮大聖人の教えを信ずるものは一握りの人達ですが、その信心は謗法を排し厳格なもでなければならない。
だから、最初から信心していない人よりも、大きな罪を犯す事になり「悪道」「無間地獄」に堕する…とも言われています。
池田先生が示された箇所の前に、人間というものは『あしきところをは・ついしさりてあるべし』とあり、「あしきところ」で信心を続けていくには勇気が必要であるから、指導も厳しいので絶えられなくなり墜ちていく。

ひねくれた悪人の心には「金色」を「炭」(黒色)と見て、「灰」と見るのは何の力も無い(残りかす)と見る。
そして「かたき」と見るというのは、日蓮大聖人様の教え通りに『師匠*池田先生』を真摯に求める続ける会員達に対して(憎悪を抱く)という事ではないでしょうか?

ダーハラ学会が繰り広げてる今の現状は、まさに大聖人様の仰せの通りです。
ですから、池田先生が仰る様に私達は【“覚悟”を定め凛々しく広布のため自身の一生成仏のために】闘い抜かなければなりません!
『正法正義の大道に大難あり』─その道理を悟ることが『覚悟の信仰』なのですから。

〔北海道見んの人様〕ありがとうございました(^^)



 

裸の王様ならぬ・・・

 投稿者:シャクソン ファイブメール  投稿日:2018年 5月19日(土)08時17分40秒
  ツイッターよりの拾い物画像です。

裸の王様ならぬ「ハラダの王様」(笑)

モニターの前で、吹き出してしまいました(笑)
 

新人間革命30巻上の啓蒙推進のために。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 5月19日(土)08時04分55秒
編集済
  いつも、聖教さんには、驚かされます。笑

新人間革命30巻上が、7.3を記念と言いながら、前倒しで6月21日に発汗?
もとい、ヒヤヒヤ発刊。
記事には…

「世界広布の新しい流れを開くために、創価学会の会長辞任を決断したのだ。4月24日、第3代会長の辞任が発表され、名誉会長に辞任する。」と。笑
なんか、違いませんかぁ~

もう忘れている人もいるかと思いますので、さらなる啓蒙推進のためにも随筆 桜の城「嵐の4.24」も載せときますね。昭和54年4月5日、立川文化の場面です。

ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
沈痛な空気が流れた。
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」
沈黙が凍りついた。
わが胸に、痛みが走った。
たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。

しかし、時流とはなんだ!

問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。


こうですね。先生は、他の随筆では最高幹部の皆さんに「引退させられた。」と綴っています。なぜ?こんなに違うのか?不思議です。
まさか、誰か、当事者の人がまだいて「都合が悪いから、辞めさせたなんてするなよ!」なんて。笑
今、話題の「改ざん」なんて。

今年の流行語大賞もし「改ざん」なら、総理とダブル受賞ですね~


「ここは、違うな。作ったな。」なんて、読み方もおもしろいですね~。

最後に、残念ながら「大山の章」には、登場はしませんでしたが、辞任後の新執行部最高幹部の皆様のお写真も記念にどうぞ。
師匠を引退させた偉大な弟子の方々です。

おなじみの方々で~す。
凛々しいですね~
 

【東北「福光」の春】

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月19日(土)07時58分35秒
  『随筆・我らの勝利の大道69』


『断固してこの世の使命と東北に凱歌の道をいざや開けと』

苦難に耐え、前へ進み抜く青年の勇気が凛と光る。

喜びも悲しみも分かち合い、共に乗り越えゆく励ましの絆が幾重にも広がる。

そして試練の風雪にも、偉大なる信仰を貫き通す民衆の連帯が、未来を照らす希望の太陽と昇
る――。

これこそ、我らが誇りと仰ぐ"東北の凱歌の人びと"である。

古代ローマの哲人セネカは不屈の人に感嘆した。

「苛酷極まる不幸にも雄々しく立ち向かって、他の人ならば屈服されるような災いを打倒する
人は、

その苦難そのものを、あたかも名誉の記章のように身に帯びているのです」と。

東北健児なればこそ、ここまで耐えられたのだ。

東北家族なればこそ、ここまで復興できたのだ。

真実の信心とは、何か。

それは、難を越え、宿命を越え、さらに悠々と堂々と、広宣流布に前進しゆく負けじ魂のこと
である。

その真髄を、東北の同志が示し切ってくれている。

すべて御本仏・日蓮大聖人が、また三世十方の仏・菩薩が御照覧であることは絶対に間違いな
い。

《希望の法理を証明》

厳寒の東北にも、まもなく春が来る。

忍耐の冬を勝ち越え、満々たる「福光」の春が必ずやって来る。

三月十一日。

東日本大震災から一年――。

あの日、午後二時四十六分、マグニチュード九・○の大地震が起こり、大津波が続いた。

東日本、特に東北の太平洋沿岸を中心に甚大な被害を受け、死者は一万五千八百五十四人、

行方不明者は三千百五十五人(十日現在)に上った。

さらに深刻な原発事故を併発した。

この震災で突然、愛する家族や友人を失った方々の苦衷はいかばかりか。

生活基盤を奪われた方々、避難生活の方々、故郷を離れざるを得なかった方々の辛労はいかば
かりか。

筆舌に尽くすことはできない。

だからこそ、私も妻も、被災者の皆様方のことを、いつも、心の一番真ん中に置き、どこまで
も、共に共に生き抜く決心である。

今、あらためて、亡くなられたすべての方々に哀悼の意を捧げるとともに、深く深く追善回向
の題目を送らせていただきたい。

そして、苦闘されている皆様の健康を案じない日はない。

諸天よ諸仏よ、わが宝の友を守りに護れと、強盛に祈り抜いている。

妙法の功徳は「生生に失せじ世世にく(朽)ちざらむかし」(御書九六八㌻)と説かれる。

「心の財」は不滅である。

妙法流布に戦い抜いた歴史は、何があっても消えない。

その福徳は一家眷属を包み、「冬は必ず春となる」との希望の法理が燗漫と証明されていくの
だ。

宮城県石巻市のある母は、最愛の娘さんを津波で亡くされた。

遺品を整理するたび、あふれる涙を止めることができなかった。

だが唱題を重ね、母は、やがてある結論に至った。

――自分は娘の「後継者」なのだ。

人に勇気を贈れる明るい女性になりたいと語っていた娘の分まで、断じて生き抜くのだ、と。

日蓮大聖人は、わが子を亡くした母に、

「南無妙法蓮華経と申す女人の・をも(思)う子に・あわずという事はなし」(御書一五七六㌻)
と約束してくださっている。

《生死不二の旅路》

生命は永遠であり、生死は不二であるがゆえに、亡くなった家族は、わが胸に一体である。

「後継者」として生きることは、亡き家族の志を、最も強く尊き力き変えることである。

そして広宣流布に邁進しゆく人の唱題こそが、故人への最大の追善回向となる。

御書には「同じ妙法蓮華経の種を心に・はらませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生まれさせ
給うべし」(一五七〇㌻)とも仰せである。

亡くなった我らの祖父母も父母も、我らの兄弟姉妹も、我らのいとし子も、

そして大切な友人たちも、皆、生死を越えて、私たちと共に広宣流布の大陣列に連なっている


心と心で語り合いながら、常楽我浄の生命の旅を一緒に進めていけるのである。

福島出身の世界的な歴史学者・朝河貫一博士は、「われも世をてらす星とならむか」と詠じた


愛する東北の同志は、勇敢に深い苦悩の闇に飛び込みながら、友を照らす金星と光り、明星と
輝いてきた。

《総仕上げを頼む》

すでに半世紀前、私は「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で!」と呼びかけていた。

誰よりも誠実な東北同志の底力に全幅の信頼を込めて、師弟のバトンを託していたのである。

東北の皆様方は、あまりにも厳しき労苦の三百六十六日を、耐えて耐えて耐え抜いてこられた


誰もが、言い知れぬ艱難の昼と夜を一緒に歩んできた盟友であり、

「負げてたまっか!」「頑張っぺ!」と励まし合ってきた仲間である。

「東北人」――その名は〃不屈の人びと〃として、永遠に世界を鼓舞し続ける光源となるに違
いない。



その厳たる事実として、「新時代の二月闘争」を勝ち飾る栄光の実証を、東北各県が打ち立て
てくれた。

なかでも、それは日本一の「聖教新聞」の拡大――勇気と希望の言論戦の広がりに顕著であっ
た。

先駆を切ってくれたのは、私と共に三十年前に破邪顕正の勝利宣言を放った秋田の友である。

さらに被災の激しかった宮城が、岩手が、福島が大躍進を遂げてくれた。

広布の理想郷・山形も、人材の森・青森も、大勝利の勝鬨を轟かせてくれている。

東北の友の尊き奮闘は、聖教紙上の連載「東北福光新聞」等の報道や同志の肉声を通し、多く
の人びとに生き生きと伝わっている。

その聖教を、自らも苦難に遭いながら、避難所へ、被災者のもとへと配達し続けてくださった
多くの〃無冠の友〃がおられる。

温かい励ましの声を、近隣・地域の方々に届けてきた〃庶民の王者〃がおられる。

青年たちも立派に戦い、逞しく成長している。

全国の友、全世界の地涌の同志たちが、各地の座談会や折伏の現場で、東北の友の大活躍を、
わが誇りとして讃え、語っている。

あれが本当の信心だ!

あれが人間の強さだ!あれが師弟の戦いだ!

苦悩に負けない被災地の皆様の日々の姿そのものが、信仰の偉大さを何より雄弁に実証する力
なのだ。

「一番つらいことを乗り越えた人こそが、皆を救っていけるのだ」との戸田城聖先生の言葉が
蘇る。

『猛吹雪

胸に耐えゆき

御仏の

使い尊き

君に幸あれ』
 

わが友に贈る 2018年5月19日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月19日(土)07時26分55秒
  身近な人こそ大切に!
家族・友人・同志の
支えあっての自分だ。
「当たり前」と思わず
感謝の言葉を伝えよう!
 

(無題)

 投稿者:mission  投稿日:2018年 5月19日(土)05時11分7秒
  【国民投票法改正案、自公が野党に提示29日提出めざす】5月17日
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO3061177017052018EAF000?n_cid=SNSTW001
※今月9日に「公明山口」は→「9条改正は当面必要ないとの基本的な考え方は公明党としては変わっていない」って記者達に喋ってたやん!嘘か?
https://www.sankei.com/smp/politics/news/170509/plt1705090028-s1.html
 【botより】
・公明党 憲法改正に着々と進めてるよ。誰だっけ改憲ないと学会員に信じさせたのは
・流れるままに自民の補完勢力やってるんでしょうね。代表は安保法制で憲法変える必要はなくなったと明言したのに
・公明党は安保で改憲必要なくなったと学会員へ説明しましたよね。うそつき本部も公明も自民の 9条変えるに 賛成したのか?
・公明議員は ただのお飾り、右向け右のただのコマ

【立憲民主・枝野代表 内閣不信任案提出の可能性言及】5月17日
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_politics/articles/000127504.html

【森友問題スクープ記者を“左遷” NHK「官邸忖度人事」の衝撃】5月17日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/229227

【茂木経済再生相の不信任案提出 TPP法案巡り野党5党】5月18日
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL5L5Q8CL5LUTFK014.html




 

草創之碑に観る師弟観

 投稿者:北海道見んの人  投稿日:2018年 5月19日(土)03時46分22秒
  過日の北海道戸田記念墓地公園内の創価学会管理敷地に在る草創之碑。
この碑を観て、守る会はどうした?とすぐに反応した学会員のみなさんは、活動家です。ヒドイ汚れの石組み。金属プレートも文字がかすんでいる。
まッ、仕方ない、こんなもんだ!と見過ごす学会員は草創の同志への畏敬の念も、信心も師弟観も失った方では?

先生が来ると連絡があれば、早速清掃作業やって、花壇に華を飾り、いかにも常に会員の為にやってマッセーとパフォーマンスするでしょう。
でも、現実はこんなものです。リアリズムですねぇ。
 

法華経の法を持ち語る行者

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月19日(土)03時22分35秒
  対立して、決裂し、そこに高い壁が立つことよりも
アウフヘーベンに向かえる方が望ましい。

池田先生はどれほどに心を砕いてきたのだろうか。

戸田先生の「仏とは生命」の中身を今一度考えてみる。

意味の上で言い直せば
「生死を離れた存在という仏・南無妙法蓮華経如来とは
生命という他ならぬ自分自身の在り方でもあったのだ」
という仏果として法を得たという事ではないだろうか?

戸田先生は
「生死の問題に解決がついたので私は創価学会の会長になった」
と語っている。

されど、創価学会の会長として成したのは
仏果を得た指導者として崇められることではなく
「われ、地涌の菩薩なり」の方の
命がけの民衆救済の仏因の菩薩行であった。

事の従果向因とも言えるか。

それも、在家の身であればこそ
「たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。」
と、強く折伏の姿勢を示せたのかもしれません。

>僧は五戒があるために武力行使はできませんから、四菩薩も僧として現れる場合には折伏を行うことができない<

ということからすると
創価学会の本来の在り方
なかんずく三代の会長においては
転輪王という表現は当てはまるのかもしれない。

ここには転がせる法を持っている必要がある。

この法が、自身の覚知した法そのものであるのか
いやいや、日蓮大聖人の法を信じているものなのか
それとも、強い信心においてそれは不二のものとなっているのか。

このあたりのニュアンス、表現の解釈
そういうところに衝突があるようにも思う。

法華経の智慧に
日寛上人の「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集 p676)と
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段集 p548)が二つ重ねて挙げられている。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6621

宗門に対し
「本仏」という言葉さえ、彼らにとっては、自分たちを権威化する手段となっています。
という事も言ってあり

本仏にせよ転輪王にせよ
どういった為に言うのかの問題もある。

考えや理屈は、どこまでいっても
利用されてしまう可能性はある。

常に、仏と魔との戦いで、身をもって示していく人材が必要である。
瞬間瞬間、真の魔、と言うと曖昧に聞こえるかもしれないが
紛然として競い起こるものに、
これさえ防げば安全という気のゆるみは付け入れられかねない。

戸田先生は自身の覚知した仏法を人をして知るためには
空の理解が必要不可欠であることを言ったが
諸般の戦いにおいては先ず
貧乏人と病人を健全な生活が出来る状態へ引き上げる
仏法の功徳を示すことをしていった。

宮川さんの代理投稿に語られているが
それを引き継いだ池田先生がいよいよ
仏法の覚知への戦いをしようとした時に
54年というものが起きた。

そこで一旦、組織において法の段階・流れが狂っている。
空への理解覚知を基調とした仏法が衰退している。
最近を見れば、反仏法にさえなっていっている。

妙法蓮華経

蓮華とは因と果であり、師と弟子でもある。
「如蓮華在水」“煩悩”の泥沼も即幸福の“菩提”にしていけるのでもある。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=7597

しかも、絶対に世間の汚れに染まらない
それは「使命を忘れない」からだ。

また、原始仏教の経典において蓮華は、その花よりも
葉が水をはじく性質を指して、自我の思考概念を
するりと受け流す様子を示しているものが多かったりする。

妙は死、非言語的な不可思議の深い素晴らしさ。
法は生、明示的に五感に伝えることの出来るもの。

経は言語音声
また、ヒモやたて糸の意味。美しい花を糸でつなぎ 髪に飾るインドの習慣がその由来。

妙法蓮華経とは
生死を越えて織りなす世間の汚れに染まらない師弟の不可思議な法の言語音声のドラマ。

法華経全体が、壮大な「師弟の儀式」
どれだけそれを自身の事としていけるのかだ。
 

米朝首脳会談未開催!北朝鮮撲滅の南無妙創価学会佛

 投稿者:ドミサイルの住人  投稿日:2018年 5月19日(土)03時02分23秒
  米朝首脳会談未開催!接近した両国関係は決裂!米軍特殊部隊が投入されて金正恩暗殺!北は報復にソウルと東京に原爆弾道ミサイルを撃ち込み、死者負傷者、308万人。  

文明・西と東 まえがき 池田先生

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月19日(土)02時03分41秒
  文明・西と東 まえがき 池田先生・・・

「私も若干、私なりの二十一世紀論について、ここで述べてみたい。

現代にもっとも欠けていることは、人間を本源的に考えること、つまり、人間生命の尊厳な
る存在についての考え方の欠如であると思う。
この思考を忘れて人間復権はありえない。

私はそこで、二十一世紀をあえて"生命の世紀"と名づけたい。
というより、その方向にリードしていかなければならないという私の願いでもある。
"生命の世紀"とは、端的に言えば生命の尊厳を根底とする時代、社会、そして文明というこ
とである。

そして生命の尊厳とは、人間の生命、人格、個人の幸福を、いかなることのためにも、手段
としないことである。
いいかえると、人間の生命、人格、幸福は、いっさいの目的であって、絶対に手段としては
ならないという考え方が確立された社会であり、その上に築かれる文明ということである。

いかなる対立や、相克であっても、力によるのでなく、人間の英知によって、新しい解決の
道を求めるべきである。
そしてそれを私は、二十一世紀に賭けたい。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現今のSGの幹部たちの行動と言動とが、池田先生の教えとの乖離が如実に表れています。
学会員個人に当てはめて考えれば、良く分かります。

次下の池田先生の記述・ことばをみれば、SGの組織の陥っている負の原因がはっきりします。

「生命の尊厳とは、人間の生命、人格、個人の幸福を、いかなることのためにも、手段
としないことである。」

毎日のごとく、活動停止、査問、除名と・・・この先生の記述とをどのように、整合性を取る
つもりでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0710    第三 阿闍世王の事。

一口に怨むといっても、なにを怨むかが問題だ。

また怨むときのその人の心が問題である。

日蓮大聖人を怨み、大御本尊を怨むことは、悪の中の極悪となるのである。

そのとき怨む人の心は魔の心であり、正しい道理をすなおに聞けない、ゆがんだ、増長し切った
心なのである。

しかし、真に民衆のことを思い、戦争を憎み、平和を願い、敢然と戦う姿は、真の阿闍世王の姿
である。

また謗法を憎み、相手の幸福を考え、折伏する姿は、これまた真の阿闍世王である。

ゆえに日蓮大聖人は「今、日蓮等の類いは阿闍世王なり、其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて
貪愛無明の父母を害して、教主釈尊の如く仏身を感得するなり」と、仰せられたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
文明・西と東 まえがき

博士はしばしば二十一世紀は、科学文明・物質文明を指導する偉大な東洋の精神文明が台頭
する世紀であり、また世界のリーダーシップをとる世紀になるであろう、と指摘された。
そこで、私も若干、私なりの二十一世紀論について、ここで述べてみたい。

現代にもっとも欠けていることは、人間を本源的に考えること、つまり、人間生命の尊厳な
る存在についての考え方の欠如であると思う。
この思考を忘れて人間復権はありえない。

私はそこで、二十一世紀をあえて"生命の世紀"と名づけたい。
というより、その方向にリードしていかなければならないという私の願いでもある。
"生命の世紀"とは、端的に言えば生命の尊厳を根底とする時代、社会、そして文明というこ
とである。

そして生命の尊厳とは、人間の生命、人格、個人の幸福を、いかなることのためにも、手段
としないことである。
いいかえると、人間の生命、人格、幸福は、いっさいの目的であって、絶対に手段としては
ならないという考え方が確立された社会であり、その上に築かれる文明ということである。

いかなる対立や、相克であっても、力によるのでなく、人間の英知によって、新しい解決の
道を求めるべきである。
そしてそれを私は、二十一世紀に賭けたい。

二十世紀の前半、人類は、世界大戦を二度も経験した。
そして、その結果がどんなに悲惨きわまりないものであったか、身に刻んで知っているはず
だ。
価値ある解決は、平和の中にこそあれ、戦乱の中からは何ものも創造されはしない。

"生命の世紀"は、それゆえ、根本的な価値観の転換を前提としよう。
人間が本来持つべき価値観とは、偏狭なものであってはならない。

つまり自分の利欲さえ満足させればよいという極端な利己主義は当然のこと、一集団、一国家、
一民族、一つのイデオロギーのためのものであってもならないのである。

偏狭な価値観こそ、過去において、戦争を引き起こし、また社会の矛盾と不合理を形成して
きた元凶であったことを忘れてはならない。

すなわち、二十世紀後半の人類がもたなければならない価値観とは、単に一つの社会、国家
に基盤をおいたなもので狭隘なものではなく、全人類的な視点、全地球的な視野に立ったもの
でなければならない。さらに大自然と関係し合った生命的存在にまで深い洞察がなされる
必要がある。

人間存在の淵源にある生命的存在という一点が、これまで意外な程軽視されてきた。
もちろん、戦争や災害が起るつど、人間生命の尊厳性が強調されてきたが、存在論から生命
を論じたものは稀であった。

人間が生命的存在であるということは、いかなる社会、国家、民族をも超えて普遍的であり、
かつ絶対的な事実である。
それに対し社会的存在としての人間は、時代、民族、国家の違いによって異ってくるのであ
る。

その意味で、人間が真に人間らしく生きるためには、まず自らの原点であるこの生命的存在
という大前提に立たねばなるまい。
しかもそれは、人類という普遍的な横の拡がりで把えられねばならない。

換言すれば、現代の価値観とは、タテには人間存在の根源である生命的存在に立脚し、現実行
動の上では、ヨコに、その生命的存在を共通とする地球人類という普遍の連帯を持つこと
であると私は考える。

対談中、さらに詳しく堀り下げてみたいと思った問題も数多くあったが、博士の多忙な講演
スケジュールと、私自身の多忙な日程の間を縫っての企画でもあり、時間的な制約もあって
、思うにまかせないものもあった。

もしもこの対談集が、同じく人類共通の諸問題を思索しておられるおおかたにとって、何ら
かの参考になれば、私の存外の喜びとするところである。

尚、この機会に、先きのサンケイ新聞紙上での対談連載に際し、その企画並びに編集面で格
別の御尽力をいただいた同社専務取締役・販売局長、中山了氏、編集局長、石黒英一氏、及
び同編集局の小池英夫、坂本郁夫両氏に対し厚く感謝の意を表したい。

また今回の単行本発刊に際し、御協力いただいた塩田廣八氏並びに同出版局の諸氏に対して
も心から感謝申し上げる次第である。

ともあれ、この対談は、私の二十一世紀への模索・思考の一段階を成すものであり、さらに
私の志向するところは、今後も或いは書き、或いは語っていきたいと念願している。
一九七二年四月
池田大作



 

○○より ○○の方が…

 投稿者:mission  投稿日:2018年 5月19日(土)00時59分55秒
  ●《鬼太郎の髪の毛》曰く
>小学生2年の女の子殺害の犯人が23歳青年。もちろん犯罪を犯した人間を許すわけにはいかない。
もっと許せないのは、高齢者(原田会長)に高齢者が悪口言う暇あるなら、若き青年達に語るべきものがあるだろうと思う<

●《マーガリンとプラスチック》曰く
>学会本部*公明党*原田会長より、自殺した中2女子*殺害された小2女子の方が大事じゃないの?<

▼そんな↑偏った理論を振り翳したら、世間から笑われますょ。
そもそも対比させてる定義が可笑しいやん(失笑)
普通は、概念が属する最も近い“種類と種差”を挙げなきゃアカンでしょ?
同類のモンにしなければ、意味が無い。
これからは、筋の通った説明や思考で「論理的」に説明して下さいね。

●>老人ホーム化した掲示板は老人ホーム化した日本を滅ぼすだけ<
と↑ぼやく《鬼太郎の髪の毛》さん『宿坊の掲示板』見んで宜しいやん(^^)
そして、高齢者(原田会長)と言うのなら「怪鳥椅子」を若き青年達に早く譲る様に伝えなさいょ。

●>信仰者ぶっている人間ばかり。弟子ぶっている人間ばかり。師匠の出版物を読むだけで終わる弟子達<
と↑宣う《マーガリンとプラスチック》さん、それ全部ダーハラ達に言って下さいな(^^)



 

中途半端な人間主義

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2018年 5月19日(土)00時51分51秒
  組織主義の上に成り立つ、中途半端な人間主義は、かえって善人を苦しめ、追い込むことになる。中途半端な人間主義に気づかず、それを人間主義と思い込むところに、現在の創価学会の問題点がある。中途半端な人間主義の特徴は、組織のためなら、多少の犠牲はやむを得ないという思考に陥っているところにある。一方、人間主義の特徴は、組織のために会員を犠牲にすることなど「絶対」にしないという思考である。

組織ありきの中途半端な人間主義は、結局は組織を優先してしまい、犠牲者が出る。それを「仕方がない」としてしまう弱さに魔が付け入る。組織は手段であることを忘れ、組織第一とする思考に陥ることの恐ろしさ。組織活動における、もっとも陥ってはならない点であり、気を付けるべきことである。

最近では、励まし週間が設けられているが、これは、現場感覚からすると、「そんなことは常時やっている」というツッコミを入れたくなることだろう。励まし週間は、一部の幹部の重い腰を上げ、モチベーションアップのためだけに機能する。そもそも、創価学会の活動の根本は、会員を励ますことであり、それ以外は枝葉のようなもの。人間主義を根本とすれば、会員のための創価学会であることは当然であり、中途半端な人間主義だと、「活動家」のための創価学会となる。

励ますという言葉一つとっても、人間主義と中途半端な人間主義では解釈は変わる。励ましとは、抜苦与楽であり、そのためには、会員の真摯(本音)な声に耳を傾けること。会員を苦しめている組織の問題があれば、具体的な手を打ち解決すること。これが人間主義である。中途半端な人間主義は、一応、話は聞くが、問題があっても手を打たない、考えない。今ある現状に合わせるように促すだけ。話を聞いているようで聞いておらず、味方のつもりになっているだけ。これを励ましとは言わない。

<新・人間革命6巻>より
「人間を見失い、機構の操作に目を奪われてしまうところから、官僚主義が始まる。」

活動家本位となり、会員の心を見失うところから狂いは生じる。そしていつの間にか、組織主義、官僚主義を根本としてしまう。その上に成り立つ中途半端な人間主義は、本来責めるべき悪を容認し、守るべき善人を見殺しにする。人間主義と思い込んでいる中途半端な人間主義こそが、もっとも性質が悪い代物である。

何事も、中途半端では何にもならない。活動家本位の中途半端な励ましでは響かない。励ましたいから励ますのか、それとも励まし週間だから励ますのか。幹部として励ますのか、人間として励ますのか。形式では、人の心は動かない。人間主義の励ましでなければ、何も変わらない。励まし一つとっても、一念に狂いがあれば、まったく違う結果となる。

会員(自分を含め)を絶対に犠牲にしないと決めれば、自身の内なる組織主義を打破することができる。そうなれば、まったく違ったレベルの組織を構築できる。反対に、中途半端な人間主義は必ず行き詰まり、境涯革命も出来ない。自分を変えることのできる人間こそが英雄であり、王道の生き方なのである。

 

ビッグウェーブ50000

 投稿者:ドミサイルの入居者  投稿日:2018年 5月19日(土)00時19分3秒
編集済
  ディープな昭和の学生部の経験者が出没しているぞ。ストロング50000の前後の見境のない拡大戦。そしてビッグウェーブ50000の頃は「ミナヨクイク」学生部長。

http://

 

賢王の折伏

 投稿者:名無し  投稿日:2018年 5月19日(土)00時15分49秒
  大聖人にとって、折伏(日寛教学にいう化儀の折伏)とは刀杖を以て悪僧と戦う有徳王のような武力行使のことです
僧は五戒があるために武力行使はできませんから、四菩薩も僧として現れる場合には折伏を行うことができないのです
不殺の平和主義者は賢王にはなれないのですよ
皮肉にも、武力行使肯定路線の公明党・現執行部こそが賢王ということになるのかもしれませんね(笑)

それにしても、池田先生を賢王だというからには、その本地は四菩薩だということになるわけですが
さて、無辺行・浄行・安立行、のうちのどなたなんでしょうね(或いはまさか上行?)
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月18日(金)23時55分55秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を卑しく敬う会長、副会長、職員の方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

公明代表(茨城県会)の言い訳がましい弁明 ②

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月18日(金)23時39分7秒
編集済
  茨城県議会公明の井手義弘代表はツィートをはじめブログやHPなど自らの発信メディアを
積極的に活用されている議員と思われますが、市民オンブズマンからの提訴やそれを受けた公金返還などの
説明責任は遂行されているのでしょうか?

まさか
http://blog.hitachi-net.jp/archives/51555731.html
http://blog.hitachi-net.jp/archives/51683000.html
の内容が伴わない一行題字の説明だけなのですか。

それだけなら東京新聞記者への見苦しい弁明は恥の上塗りといったところでしょうに。


公明代表(茨城県会)の言い訳がましい弁明  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月18日(金)21時25分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84495
 

京都乃鬼新聞(弟子戒め三箇条③)

 投稿者:京都乃鬼  投稿日:2018年 5月18日(金)23時35分34秒
  京都乃鬼新聞
2018.5.18

=弟子戒め三箇条=
(弟子の三つの咎)


それ故、昭和54年嵐の4.24では、
弟子(特に当時の執行部)は、宗教権威に負けた。

何故ならば
宗門や法主といった宗教権威でもって成仏させて貰えると思っていたからだ。
池田先生に付いて行っても成仏出来ないと思っていた。

だから簡単に裏切る。
いや、彼らは裏切った気持ちさえ、サラサラ無かったのだろう。

宗門から破門されないで済むならば、
会員のために良い事をしたと思っていたのかも知れない。

「時流には逆らえません」は弟子の敗北の言葉。

当時の執行部達は、三代目の会長から四代目に変わっただけの認識。

池田先生辞任後、四代目新会長の就任式では、
北条会長と新執行部幹部は、お互い満面の笑顔で握手している写真が聖教新聞に掲載されたが、
それを見た当時の同志の嘆きは、本当に大きかったと聞き伝えられている。

その中で、池田先生に直接指導された事がある関西などの一部の弟子は、
宗門と対峙する場面もあったが、全国的な広がりにはならなかった。

一方「平成の嵐」とも呼ばれている現在。

除名や役職剥奪、活動停止、会館出入り禁止、学会員との接触禁止など、
多くの方が謂れなき理由で処分された。

これからも先、同じようになんの罪も無く創価学会から処分を受ける方もいるだろう。
そのような皆さん言いたい。


昭和54年「嵐の4.24 」
この当時、
池田先生は辞任の際、こうおしゃったのだ。

『創価学会は私を裏切った。
しかし、私は創価学会を裏切らない』と。

あなた方も私達も、師弟不二を貫くのならば、その勇気があるのならば、
何があっても忍辱の鎧を着て「創価学会を恨まない」「創価学会を裏切らない」ことが
大事ではないだろうか?



更に昭和54年問題に関連して述べると、
今回の改正された会則、会憲について創価学会執行部はこの様に説明している。

「まず今回の改正では、前文に、世界広宜流布を実現しゆく『仏意仏勅』の正統な教団は
創価学会しかないことから、未来の経典に『創価学会仏』と記されるとの
第2代会長・戸田城聖先生のご指導を加えた。」とある。

しかし、この会憲、会則の前文は、大変に重大な矛盾が生じている事に
執行部は気づいているのだろうか?

それは、、、、

会憲、会則で『永遠の指導者』と規定した池田先生を裏切ったのだ!

『創価学会“仏”』が!


このことは、4代、5代、6代の歴代会長が
積極的に昭和54年問題を総括、反省する姿勢がなかったから出てくる大矛盾なのだと、
多くの同志が見ている。

つづく

 

学校

 投稿者:マーガリンとプラスチック  投稿日:2018年 5月18日(金)23時18分8秒
  北朝鮮とアメリカ会談。
森友、加計、改ざん問題。
クチの曲がった大臣のやる気のない発言。
反則じゃなく犯罪を行う日大。


「学校しんどい、無理」と言って
自殺した中2女子の方が重大じゃないの?

学会本部、公明党、原田会長より
自殺した中2女子、殺害された小2女子の
方が大事じゃないの?

国民の生命守る事が政治家の1番の仕事じゃないの?
信仰者として生命を守る事は、当たり前じゃないの?

学校がおかしいのは、
わかっているのに、知らんぷりの大人達。

信仰者ぶっている人間ばかり。
弟子ぶっている人間ばかり。
師匠の出版物を読むだけで終わる弟子達。
 

同盟題目は23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月18日(金)22時56分48秒
  池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。

闘病されている同志とご家族の方々にお題目を送ります。よろしくお願い致します。
 

堕ちた天使

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 5月18日(金)22時30分42秒
  元職員3名のブログが更新されています。
『「5・20(日)関西方面・大阪座談会」の式次第発表、ならびに「マスコミ取材」決定のお知らせ!』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
エライことになった! 大阪座談会にマスコミが取材!? 知らんぞぉ~俺は知らんぞぉ~どうなっても。ちゃんとお母さんの写真、持って行きやぁ~。
場所、大阪ドームに変えた方がええんちゃうか。もっと早よ言うてくれたら新しいスーツ買ったのにぃ。鮭(サモン)の絵ぇ描いたTシャツとか、入口で売ろうか? 「教学部レポート」とか「遠藤文書」とか「374919」とか「宿坊の掲示板」Tシャツとか? あの上手い絵を描くツイッターの人にデザインを頼んだら良かった。もう、

♪やめろと言われても 今では遅すぎた~ ♪やめろと言われても一度決めた心~ ♪やめろと言われたら 死んでも離さない~ ♪やめろと言われたら よけいに燃え上がる~
https://www.youtube.com/watch?v=Qlyvb1jfQ1o

いよいよ実態を誰もが知るようになるのか???(どうでもいいことだが、私は『NHKスペシャル』を毎週自動録画予約しているが、そんなことは関係ない?)

これを「イッツ・ショウ・タイム!」とは言いたくない。

“彼女は完璧な女の子だろ? オレのクラスのあこがれの天使”
“オレは机から立ち上がって いつも見ていたんだ”
“誰にも汚すことができない 真っ白の雪のかけら”
“オレの天使の想い出は 楽しいことばかりだった”
“時が流れ オレは本屋でエロ雑誌を見てたんだ”
“そしたら 俺のあこがれの天使が 見開きページに出ていたんだよ!”
“血が凍りついたよ オレの想い出が汚されてたんだ”
“オレの天使が見開きページに あの真っ白な天使がヌードクイーンに”
“やわらかくてふわふわしたセーター 神秘的で触れることもできなかった”
“なのにあんな姿の彼女を見て ホントに信じ難かったよ”
“オレの青春の一部分が切り裂かれたけど オレの心の一ページがあらわになっちゃった”
“ああだめだ だめだ もう我慢できない ああそうさ この雑誌 今すぐ買ってくよ”
『堕ちた天使』J・ガイルズ・バンド
http://www.dailymotion.com/video/x1v6e9

カウントダウン! 大阪座談会まであと2日!

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

課税対象を 広げると

 投稿者:課税対象は 宗教法人と 企業内部留保  投稿日:2018年 5月18日(金)22時17分31秒
    宗教ビジネスまがい物宗教ビジネスは  課税対象しましょう。

企業内部留保350兆円に  課税することです

 

マーチン・ルーサー・キングのワシントン大行進での演説

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月18日(金)21時50分57秒
  「今日の、そして明日の困難に直面していても、私にはなお夢がある。いつの日か、この国が
立ち上がり、『すべての人々は平等に作られていることを自明の真理と信じる』というこの国

の信条を、真の意味で実現させる日が来るという夢が」「私には夢がある。いつの日かジョー
ジアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちと、かつての奴隷所有者の子孫たちが、同胞

として同じテーブルにつく日が来るという夢が」「私には夢がある。今、差別と抑圧の熱に焼
かれるミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変われる日が来るという夢が」

「私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か肌の色ではなく、内なる人格その
ものによって評価される国に住める日がいつか来るという夢が」
 

教訓の欠落 (公明政務調査費)

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月18日(金)21時44分56秒
編集済
  公明 政務活動費
で検索するといろいろ出てきますね。

>政務活動費681万円 公明党議員団が返還 議長は2代続けて辞職へ 東大阪市議会
https://www.sankei.com/west/news/141110/wst1411100062-n1.html

>一事が万事 岸和田公明党の政務活動費支出を改善させました
https://watchdogkisiwada.wordpress.com/2017/07/06/%E4%B8%80%E4%BA%8B%E3%81%8C%E4%B8%87%E4%BA%8B%E3%80%80%E5%B2%B8%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%85%AC%E6%98%8E%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%8B%99%E6%B4%BB%E5%8B%95%E8%B2%BB%E6%94%AF%E5%87%BA%E3%82%92%E6%94%B9/

>公明党の東京都目黒区区議、不正がバレ全員が辞職
https://blog.goo.ne.jp/c-flows/e/cfb8f95960991e099fc0e822780b1af6

他にもいろいろありましたね。今も進行中かも。


公明代表(茨城県会)の言い訳がましい弁明   投稿者:新感性   投稿日:2018年 5月18日(金)21時25分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84495
 

古来より宗教にも供養は必須でです(大笑

 投稿者:部外会員  投稿日:2018年 5月18日(金)21時37分34秒
  昔の女子部さん  投稿者:部外者
投稿日:2018年 5月18日(金)18時00分2秒
古来より税は国の将来を担っていますよね
全てゼロにして大丈夫なのですかほんとうに?

↑↑↑↑↑↑↑↑↑

創価貴族は働かないからね。信者の供養で生活歯てます(大爆


 

公明代表(茨城県会)の言い訳がましい弁明

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月18日(金)21時25分31秒
編集済
  以下東京新聞2018年5月18日引用
県議会政活費返還訴訟 公明が66万円余返還 原告が訴え取り下げ

市民オンブズマンは「選挙応援などの政治活動や、事実上の観光に使われた」として昨年八月、返還を求める住民訴訟を水戸地裁に起こしていた。公明が該当金額を返還したため、訴訟は十七日付で取り下げた。

公明の井手義弘代表は、返還を認めた上で、「裁判で議員活動に支障が出ないよう総合的に判断した。適切な政務活動費だという認識は変わらない」と主張している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201805/CK2018051802000160.html

素直に非を認めず正当化するってことは今後も同じような政活費の使用を疑われても
仕方ありませんね。井出代表の言い草は例のセクハラに関する麻生の言い草を彷彿されます。
無条件降伏ならぶつくさ未練めいたこと言うのではなく素直に猛省しないとね・・・

この件に関しては当事者オンブズマン発信も貼っておきましょう。

>H27年度公明党政活費・返還請求全額を返還!
http://ombudsibaraki.blog.fc2.com/blog-entry-88.html

以下は後編集です。

教訓の欠落 (公明政務調査費)   投稿者:新感性   投稿日:2018年 5月18日(金)21時44分56秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84497
公明代表(茨城県会)の言い訳がましい弁明 ②   投稿者:新感性   投稿日:2018年 5月18日(金)23時39分7秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84504
 

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