増田にアドバイスしたかっただけの前回の記事が反響を呼んでいてびっくりしました。いくつか気になったコメントがあったので、回答してみたいと思います。
- サイコパス、人格障害だったら
- 私の真似はしないように
- プロに任せたほうが良かったのか?
- 父親のケアは誰がしてるの?
- 自分の子育てに自信のない母親について
- 本人が変わりたいと思っていなければ変わらない
- すごいのは誰か?
サイコパス、人格障害だったら
「旦那さんが自分以外の誰かを大切に思える人で本当に良かった。これにサイコパスか人格障害が加わるとこうはいかない(少なくとも借用書にはサインしないし自分の遊興費で家族の食事が貧しくなっても気にしないだろう) 」
これは、全くこの方のおっしゃる通りだと思います。性格の歪んだサイコパスには、恐らく生まれてこのかた、1人しか会っていませんが、ああいうタイプの人とは二度と関わりたくないし、関わっても良い方向に変わるとは思えない人でした。
人格障害に関しては、程度や種類によりますが、話の通じない人とは関わらないし、ある程度話の通じる人とは適度な距離感で友人関係を保っていました。ただ、彼らは他人の私の前では比較的、普通のふるまいをしてくれましたが、家族に対してはやはりひどいふるまいをしていたようです。ですから、私は本人と家族の愚痴を聞く程度の事しかできていませんでしたね。
夫もそのご両親も、根は真面目で優しくて賢い人だ、話せば分かってくれる人だという確信を持っていたから、関わりましたが、こりゃダメだと思う相手なら、さっさと逃げ出していたと思います。自分は肉を食べて、妻が卵を食べている状況に何にも感情を動かされないような人なら、私も逃げていたと思います。だから私は、すごい人ではありません。
なんていうんだろ樹木希林氏が内田裕也の中にピュアなものを見つけた的な感じで、夫の心の純粋さを信じてたんです。就職して世帯収入が増えたことで、使えるお金が増えたと勘違いし、さらなる浪費を求めて来たときには、もうダメかと思いましたが、まあ、それも乗り越え、今は節約家になってくれたので、根が悪人でなかったことと、運もあってなんとかなりました。
私の真似はしないように
「そこまでして助けるのは私には狂気に踏み込んでいるように思えるので、モデルケースにはして欲しくないかな…。各自それぞれ出来る範囲で…。」
まあ、記事を書きながら振り返ってみると、自分でも「狂気の沙汰」だなとは思います。だけど、ブラック企業に勤めている人が「このまま働いた過労死するから逃げろ!」と言われても、逃げられない心理状態にいるように、私も精神科で「このままじゃ、高円寺さんが壊れるから夫ファミリーから逃げろ。」と言われても、逃げる心理状態にはならなかったんですよ。そういう意味では、狂ってたと思います。
ほうっておいても一人で生きていけるような男なら、すぐ別れたと思います。けど、私がいなくなったら実家に頼って引きこもって永遠に社会復帰できなくなるとしか思えなかったので、「これ、家に返して彼の人生が破滅したら私の責任だ。」って、謎の責任感を感じてしまっていました。なんかブラック労働者っぽい病み方ですよね…
私は昔から、常識的な友達からは「そんな面倒な人に関わらなくてもいいのに…」というような人に関わる癖があって、それは父親を見捨てたことへの贖罪と、父親のようになる人を一人でも減らしたいという責任感からだったと今となっては思います。「償うために生きている」みたいなコメントをくれた人もいましたが、確かに私は「償い」という狂気の感情に囚われて生きているんだろうなと思いました。要するにゆがんでるんです。だからキレイな話だとは思わないでね。
そんなこんなで、友人知人の複雑な事情のあるいくつかの家庭に介入して、交渉を積み重ねてきた経験と勘があったから出来たことでもあるので、真似はしないほうがよいと思います。
プロに任せたほうが良かったのか?
これは、プロに任せてないから、どっちが良かったのかは分かりません。夫は精神科やカウンセリングに抵抗感があり、拒絶していたのですが、お願いしてお願いして、カウンセリングに行ってもらったことがあります。ですけど、赤の他人に自分の心情や立場を話すのは相当いやだったみたいで、1回行っただけで次からのカウンセリングは断固拒否で行ってくれませんでした。
義母や義父も、家族カウンセリングに行ってほしいと言っても、絶対に行かないタイプですし、そもそも、夫ファミリーは他人を信じるな、信用できるのは家族だけという方針で、家庭内の問題は「全力で隠す」派だったので、カウンセリングに行っても、自分たちが「恥ずかしい」と感じている家庭の実情を、正直に話したどうかは分かりません。
父親のケアは誰がしてるの?
父親のケアは「仏教」がしてくれています。父親も昔は傲慢で鼻もちのならない高飛車な男性だったようですが、妻や子供と向き合ったり、会社の人たちの人生と向き合ううちに、自分を変えなければ…と思ったっぽいです。で、仏教書を読み漁り「自我を捨てる」という信条を持つようになったそうです。
義父はコミュニケーション能力が高く、会社で人望もあるので、会社のストレスは会社で発散できていたようです。現実問題として、高度成長期の異常な長時間労働に従事していた義父が家庭のケアまでできる時間があったかと言えば謎です。義母も真面目で責任感の強い人で、夫に家庭内の愚痴を言わない人だったそうです。だから、家庭内の問題に本当に気づいていなかったのかもしれません。
ですが、ご両親とお会いする時に、ふと見え隠れする義父の義母への横柄な態度や、小ばかにした態度にイラっとしたので、義父に注意しました。義父は他人や我が子に対しては寛容で穏やかですが、妻に対してだけは甘えが出てしまい、強く当たってしまうところがあったので、そこだけは治してほしかったのです。
自分の子育てに自信のない母親について
「みっともないとか泣き出す義母はどうしたらいいでしょう…」
というコメントがあったのですが、
私の義母も、みっともないとか、恥ずかしいとか言うタイプの人でした。このようなことをいう母親は、一時的に子供が不安定な状態になると「過去の自分の子育てに自信を持てなくて不安」「自分が不出来な母親だったことに対する後悔」の気持ちが強くなってしまい、そのような言動をするように思います。
ですから、この方が義母に対して「おたくの息子さんはみっともなくありません。」「いい人だから、私は息子さんを選んで結婚したんです。」「そして、こんなに立派な息子さんを育てたお母さんも立派です。」みたいな声掛けをしたら良いのではないかと思います。
私の義母が「子育てに失敗した。」と嘆いている時、私は「失敗かどうかは、まだわからないじゃないですか。失敗だと決めるのはまだ早い。大器晩成型かもしれませんよ。50代、60代で成功するタイプかもしれませんよ。」と励ましました。
特に、成人した子供が問題を起こした時は、父親はわりと「もう成人した大人なんだから自分でなんとかするだろう。」みたいな、他人事な正論をいうのですが、母親は「私のせいだ。私があの時ああしたから、あの子はこうなってしまったんだ。」とか自分を責めやすいんですよね。で、パニックになっちゃうんです。
だから、こういう母親に対しては「オタクの息子さんなら大丈夫。」「お母さんが育てた子だから大丈夫ですよ。」とか呪文のように言い続けるしかないのかなと思ってます。
あと、「給料の少ない人や、ある一定の職種を見下していませんか?職業に貴賤はありませんよ。お宅のお子さんがどのような職種について、いくらの給与をもらおうが、あなたのお子さんの価値が下がりません。」みたいなことを伝えるのも良いかもしれません。
本人が変わりたいと思っていなければ変わらない
これは、見出しの通りなのですが、少なくとも夫は自分を変えたい、変えなければいけないと思っていました。だけど、変えられなくて苦しんでいました。
さらに元々、義母は「自分は常に正しい。私の言うようにやれば間違わないから、私に従いなさい。」という考えの人だったのですが、自分を変えようと苦しんでいる息子を見て、私も変わらなければ、と大きく考え方や態度を変えてくれました。
私自身もそうでしたが、自分を変えるということは、それまで一旦積み上げてきた自我というもの一旦叩き壊して、否定して、もう一度、基礎から積みなおす苦しい作業です。自分がそれまで、主軸にしてきた考えや生き方を、一旦全否定し、過去のトラウマと向き合いつつ、考え方を組み立て治していくということは、なかなかできることではありません。
それまで自分が積み上げてきたものを壊すのも、失うのも誰だって怖い。だから、一生、自分と向き合うことなく死んでいく人も多いと思いますし、そういった人が「弱い」とも思いません。その人にとっては、「乗り越えることのできないほど高い壁」だったのだろう、と思うからです。
世の中には生まれ落ちた環境が劣悪すぎたり、現代社会に適合する能力が低めな状態に生まれしまったことで、マイナスからゼロに持って行くだけでも大変な人たちもいます。そういう人達に高い壁を乗り越えろとは残酷すぎて、とても言えません。
ですが、夫は苦しみに耐えて母との軋轢を乗り越え、義母は迷いながらも自分の子育てのトラウマを乗り越え、自分の考え方や態度を変えました。家族が歩み寄るための努力と、親離れ・子離れするための努力を重ねました。夫も義母も、強くて勇気のある人だと思います。
夫はまだ若かったけど、それでも自分と向き合うのはすごいと思いましたが、義母に至っては、あの年で自分と向き合って自分を変えるなんて、壮絶過ぎてなかなかできるもんじゃない、母の愛って偉大だ、ってか母っていうエネルギーってどんだけなんだよ、と脅威に感じたほどです。
すごいのは誰か?
コメントで「この人がすごい。」というのがありました。当時の様子を知っている精神科の担当医も私を褒めてくれましたが、「私がすごいのではありません。夫ファミリーがすごいんです。私はただの潤滑油にすぎません。」と答えたので、なんか知らないけど、謙虚な人扱いされました。
すごいのは皆が皆、家族のために自分を変えようと努力をした夫ファミリーです。一人でも「私は自分を変えたくない。」という人がいたら、家族が分裂していたと思います。正直、夫ファミリーのこの家族愛を目の当たりにしたおかげで、私自身の強烈な家族不信が軽減した気もします。ああ、すれ違っていただけで、みんないい人たちなんだなぁと。
何をやろうが、どうアドバイスをしようが、どのように助っ人に入ろうが、変らない人は変わりません。だから、ブコメにもあったように、夫の件は「夫ファミリーが元々いい人たち」ということと、「運」が大きな要素で、私はただの潤滑油。
増田の夫が変わるタイプの人なのか、変わらないタイプの人なのかは情報が少なすぎて分かりませんし、動いてみないと分からないとは思いますが、後悔の少ない方法を選んでほしいなとは思います。