ブロガー&会社員のゆうです。
この記事では、ゆうの生い立ちについて、ひたすら詳しく紹介します(*^^*)
過去の写真と共に、かなーり盛り込みました。
そしてせっかくなので、その経験を通して、学んだこともまとめておきました。
実はゆう。自分の経歴を話すと、よく多くの人に、
・まじか、これ意外過ぎる!
・普段のお前とギャップありすぎ!
・二重人格かなにか?大丈夫?
と言われます。
確かに、普段ゆるゆる穏やかなゆうからは、あまり想像しにくいかもしれません。笑
そこでこの機会に、知られざるゆうの24年間をこの記事で暴露していきます。
意外とアクティブに動いているんですよ笑
それではいってみましょう(*^^*)
ゆうの最近の活動まとめ!
まず、ゆうの特徴や最近の活動など、ポイントをまとめました。
・今年25歳になる会社員。社会人3年目。
・ 2018年4月に、札幌→東京(神奈川住み)へ転勤。
・ブログ開始約3ヶ月経過。PVは約47,000ほど。先月から収益も発生中。
・『チームらぶサポ』メンバー。
・海外が好き。これまで9ヶ国制覇!
・阪神タイガースふぁん。
・食べることも好き。ラーメン、ハンバーグ、オムライスなどなど。
まだまだ力不足感が否めないですが、少しづつ、自分のペースで頑張っていきます。
直近のブログ運営に関しては、こちらから!
ゆうの人生を振り返る
月日を遡ること24年。1993年10月25日。
家族は、父、母、ゆうの3人家族。
よく姉がいそうと言われますが、一人っ子です。笑
母は、流産も経験し、お腹を痛めて、やっとの事で生んでくれました。
そういった苦労もあるからか、両親からは少し過保護気味に育ててもらったと思います。
真ん中で、いとこに頭を撫でられているゆう。
中央1番奥の母は、とにかく多趣味。フルートやクラシック、ハープや語学など、色んなことに挑戦します。世界遺産検定もちゃっかり受かっていました。
センターで存在感をアピールしている父は、色々な場所に行くのがとにかく好きな人。
過去にも何度も海外に行き、ヨーロッパをバイクで横断したり、野宿したりと、とにかく行動力がすごい。笑
休みの日も基本外に出かけ、ここ数年はスポーツクラブにハマっているよう。
家でダラダラというイメージが全くない、元気な父です。
元気の塊?外で走り回っていた小学生時代!
小学校の頃は、学校に授業開始1時間前くらいに行き、朝から友達と鬼ごっこや野球、キックベースなどをしていました。
とにかく、走り回ってた!!冬も!!
当時なんでこんなに走り回っていたのかは、今も謎に包まれたまま。笑
そのため、自然と足が速くなり、運動会では毎年のようにリレーの選手に選抜。
そして廊下を全力疾走して、先生に怒られるのが日課に。笑
担任の先生に、「何を言っても響かない」と呆れられます。
勉強はそこまで好きではなかったのですが、一応真面目に取り組んでいました。
小学校5年生くらいから、突然中学受験をすることを決意。
理由は親がその方がいいと言ったから。
当時の僕は、親の言うことが絶対だと思い込み、自分で決断することがあまりできない人でした(>_<)
困ったら親に相談→アドバイス→とにかく親の言う通りに動く。
そのため、自分で考える癖がなかなかつかず、後々少し苦労しました。
(いつも話を聞いてくれてありがとう!)
大好きな野球!のはずが、、、辞める寸前?中学時代!
中学は、親の言う通り受験しました。
そこに自分の意思はあまりなかったので、モチベーションを保てるはずがなく、あえなく失敗。
第三志望の中高一貫の男子校中学に進学します。
そこで憧れの野球部に入部。
しかし。。。
実はこの中学、甲子園に出場経験もある高校の付属中学校。8割以上が、少年野球やリトルリーグ上がりのメンバーです。
ゆうとレベルが全然違う(>_<)
入部直後、自他共に認める『できない組』の選抜メンバー入り。笑
もちろん練習もきついです。
月水金:放課後〜20時まで
火木 :7時〜9時まで
土 :13時〜18時まで
日 :練習試合2試合 (朝6時半集合)
プライベートがほぼない、野球漬けの毎日。
入部して1週間で後悔しました。
転機は2年生の秋。
試合にも出れず、新たに入ってきた後輩達よりも下手くそなゆうは、毎日モチベーション下がりまくり。
・はぁ、今日も練習かぁ。
・練習、早く終わらないかなぁ。
・雨降って、練習試合中止にならないかなぁ。
あれだけ好きだった野球が、「一番嫌いなもの」になっていたんです。
そんな風に思う毎日。ある日、監督室に呼ばれました。
「お前みたいな、意識の低いやつはいらない。野球ができることに感謝できないやつは、グラウンドに入る資格がない。とっとと辞めてしまえ。」
リアルでこう言われました。でも正論でした。
この言葉で、ようやく奮起したゆう。
今まであまり考えたことのなかった「自分の強み」や「自分にできること」を「自分の頭」で考え始めました。
・小学生時代で身につけた足の速さ。
・身長が低いからこその、メリット。(ストライクゾーンが狭くなる)
・割と正確な守備。
背伸びせず、自分の強みを生かして頑張ろう。
意識を変えました。
そしてその後は驚くことに、少しづつチャンスが回ってくるようになりました。
ヒットを打たなくても、ファールで粘りファアボールで出塁。そして足の速さを生かして盗塁する。
全員がヒットやHRを打たなくてもいいんです。
気づけば、2番ライトのレギュラーに定着。
(引退試合の最終打席は、ファーストへのファールフライ笑)
この3年間は辛かったものの、今後の僕にとって、かけがえのない3年間になりました。
◯この3年間で学んだこと◯
・意識を変えれば、自然と行動が変わり、評価まで変わる。
・適材適所。自分に合う、自分の強みが活かせる所で勝負しよう。
・チームとは、お互いの欠点を補い合うもの。みんなと同じでなくて良い。全員同じ役割では、チームは成り立たない。
・正しい努力は嘘をつかない。
チームプレーから自分との闘いへ!高校時代!
実は中学時代、野球と並行して、勉強も頑張っていました。学年でトップ10入りの賞状も、ちゃっかり何度か受賞。笑
そのため、大学受験を見据えた「特進クラス」に入る権利を得ましたが、あえて辞退。
自分のペースでやりたかったんです。
部活は、心機一転、陸上部に入部。競技は200Mと400M。
入部の理由は、
・部員が少なく、リレーが組めないから、ぜひ来ないかと声をかけられたから
・野球でチームプレーを経験したので、個人プレーの競技に興味が湧いたから。
・走ることが好きだから。
・監督が気の合う、好きな先生だったから。
・練習が野球部より緩いから←
高校時代は野球から解放され、時間の余裕もでき、色々なことに目覚めます。
まずゲーム。←おいっ!
モンスターハンターにどハマりし、200時間以上プレイ。
陸上部での個人プレーが終わったら、太刀や双剣を振り回し、チームプレイ!!!
大量の時間と視力を失いました。。笑
次にAKB48。←おいおいっ!
当時「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテション」といった、まさに48グループ全盛期のころ。
男子校で流行らないはずはなく、AKBINGOを毎週録画し、昼休みの放送でも常に曲が流れていました。ちなみに推しメンはゆきりん☆
そして大学受験へ。
陸上部を引退した後は、とにかく勉強しまくりました。少なくとも1日10時間はやってた。
ゆうはあまり記憶力と要領が良い方ではないので、時間をかけないとできないんです(>_<)
そして、中央大学経済学部に合格し、進学。
なんとか自分との闘いに勝利しました。
今振り返ると、これを乗り越えられたのは、確実に野球部、陸上部での経験があったからですね。
これも今後の自信につながりました。
☆この3年間で学んだこと☆
・チームプレーと個人プレーの競技を経験すると、全く違う別の世界が見える。
・陸上は常に自分とタイムとの闘い。この経験は勉強や仕事など、色々なことに応用できる。
・学校生活と共に狩猟生活を始めると、1日が24時間じゃ足らない。
氷河期時代の終結へ!挑戦しまくりの大学時代!
さて、大学時代。
受験勉強からも解放され、大学生活満喫するぞぉおお!
と意気込むものも、いきなり大問題が発生。
じょっ、女性と話せない。。。
そうなんです。女兄弟もおらず、中学高校の6年間を男子校で過ごしたゆうにとって、若い女性が生活圏にいるのが非日常的。
(この6年間は氷河期と呼んでいます)
主な症状がこちら。
・何を話して良いかわからない。
・めちゃ緊張して、声が上ずる。
・作り笑いで、顔が引きつる。
・どこを見れば良いか分からず、視線が定まらない。
・女性の前だと、ライオンを前にした草食動物のような目をしていると言われる。
・頭が真っ白になる。
・手汗をかきまくる。
重症過ぎるよ!!!笑
男子校の方は、ご注意下さい。
(※もちろん全員がそうなる訳ではありません)
先行きが危ぶまれるゆうですが、大学ではとにかく色々なことをやってみました。
ここでは主に2つをピックアップします!
意外過ぎる?応援団らしさゼロの応援団員は私です!
まずは部活。
サークルではなく、体育連盟の部活応援団に入部。演奏部隊として、パーカッションを担当していました。
そんなゆうの応援活動は、多岐に渡ります。
・軟式、準硬式、硬式野球
・アメフト
・箱根駅伝
・サッカー
・アイスホッケー
・ボート
などなど。平日の試合の時は、公欠で授業を休んで、応援に行きます。
応援団を選んだ理由は色々あって、
・これまでやってきた野球や陸上に、別の角度から関わってみたい。
・スポーツの経験が多いが、音楽系はこれまで挑戦したことがなかった。大好きなスポーツと音楽の両方を経験できるのは、応援団くらい?
・純粋に応援が好き。また、観客との一体感が最高。
・チアと仲良くなれるかな。。(小声
応援団に入って、選手とともに笑い、選手とともに泣き、かなり熱い4年間を過ごしました。
そして、ここで応援することの楽しさを知ります。
☆応援団に入って学んだこと☆
・好きで応援しているのに、自然と感謝される世界があることを知る。
・観客と一緒に応援を作り上げる時の一体感は感動もの。応援は生き物。
・応援はただの一方通行ではない。選手の懸命なプレーに、逆に勇気と感動をもらえる。
価値観をことごとく壊された?中国での生活に挑戦!
次に中国での生活。
この経験が、確実にゆうの価値観を大きく変えました。
大学3年生の時、約10ヶ月間を中国の大連で過ごしました。
理由は、
・高校の修学旅行で上海に行き、日本語学科の現地の中国人と交流。感銘と衝撃を受けた。中国語を学んでみたい。
・経済発展の目覚ましい中国を、自分の目で見てみたい。
・学生のうちに海外で長期間生活してみたい。
・何か新しいきっかけを掴みたい。
・就活で有利になるかな。。
大学1年の頃から勉強を始め、英検の中国語版HSKの4級(最難関は6級)を取得。
大学の留学プログラムを利用し、出来る限りの勉強と準備をして、中国へ向かいました。
最初は全く歯が立たなかった。やっぱり日本でいくら勉強しても、現地でさぁ喋る!となると、かなり難しい。
耳が慣れてないんで、知ってるフレーズすら聴き取れませんでした。
しかし1ヶ月ごろから、感覚が変わりだすのがわかります。
ゆうが実践した語学の勉強法については、今後記事でも紹介していきますね(*^^*)
現地では、日本人はクラスにたった2人。
韓国、北朝鮮、ロシア、タイ、ウズベキスタン、アフリカのコンゴなど、世界から集った外国人と共に、全て中国語で、中国語の授業を受けていました。
みんな分からないなりにも必死に勉強して、助け合いながらの毎日。
休み時間も中国語で外国人と話すほど、みんな本気でした。
赤い服がゆう!
中国語の上達には、とにかく話しまくることだと考え、基本、日本語を学習している中国人や、日本に興味あるけど日本語が話せない中国人と行動していました。
お昼ご飯は、日替わりで色んな中国人と。まさに日替わりランチです笑
中国へ行くまで、中国人はいい加減で、声がうるさいと思っていたゆう。
中国人の熱意や優しさに触れ、かなり反省。
自分の見ている世界、知っている世界の小ささを痛感しました。
写真は北京旅行。これ模型じゃないです。人の小ささ!笑 故宮の壮大さが分かります。
また、常にペンとメモ帳を持ち歩いて会話中に出てきたフレーズを片っ端からメモっていたら、新聞記者というあだ名が。
実は結構気に入っているんです(*^^*)
他にも、日本語を全く勉強したことがない中国人に、日本のことを教える授業を企画したり、
中国人向けリスニング日本語教材のCD録音業務を担当させてもらったり。
ゆうの声が入った中国人向けの日本語リスニング教材が、中国で実際に出版されました。
当時は帰国までの時間が決められていたので、かなり積極的に動いていた気がします。
帰国後は、逆に日本に対して違和感を感じるように。
中国から帰国後は、人が変わった!
目が輝いてるね!
など言われ、「予想外のアクシデントが毎日のように起こる、無法地帯のような場所(笑)でも生き抜くことができた!」と自分でも大きな自信に。
そして挑戦することへの楽しさが、さらに芽生えました。
☆中国で学んだこと☆
・自分の常識なんて非常識。外の世界も見てみよう。
・足を動かせば、自然と道は開ける。
・日本が当たり前ではない。日本と比較できる世界を知ることで、より日本のありがたみや、興味を持つことができる。
・1番もったいないことは、知らないこと。知らないと、何も始まりません。
・言葉が通じなくても、アクシデントが起こっても、意外となんとかなる。国は違くても、お互い同じ人間。自分を信じる=「自信」を持とう。
中国から帰国!日本をもっと知ろう企画に挑戦!
中国人と交流していると、日本について色々な質問が飛んできます。
・京都ってやっぱり綺麗なの?どこがおすすめ?
・白川郷行ったことある?気になってるんだよね!
・原爆ドームに行って、日本をもっと理解し、勉強したいんだ。
しかし、ゆうは表面的な内容しか答えられませんでした。行ったことなかったから。。
そこで、もっと日本を知りたい!と思うようになり、日本を知る企画を始めました。
せっかく日本にいて、時間もあるんだからと、行きたいところ、日本らしいところをリストアップ。
日本で1番高いとこに行こう!富士山登山や、
今度は潜る!沖縄でのダイビング、
博多から、在来線だけで東京まで移動する「途中下車の旅」などをしてみました。
この数ヶ月で、かなりの経験値を稼いだ!
魔法の勉強も?、、、笑
カフェでのバイト代と貯金はほぼ尽きたものの←笑、それ以上の体験と新しい世界を知れ、この時に、お金はモノに使うより、経験に使うべきと悟ります。
そして就活へ。
・とりあえず大きい会社へ。そして金融がいいかな、なんかかっこいいし。
・せっかくなら、中国での海外進出を強化しているところを狙おうか。
そんな漠然とした考えで、就活スタート。
でもやるからにはしっかりやろうと、必死に応援団での経験や中国での経験をまとめ、音読しまくりました笑
効果があったのか、無かったのか。なんとか内定をゲット。
某メガバンク系列の金融会社に、営業職として採用され、ここに入社する事にしました。
入社後まさかの出来事が!あっという間の3年間!
2016年4月1日。ゆうは社会人になりました。
前日の22時過ぎごろまで、神宮球場で阪神タイガースの応援をしており、眠い目をこすりながら、学生気分で入社式に出席。
そしてその日衝撃の事実を知らされます。
なんと、最初の配属先は札幌。
そう言い渡され、一瞬で目が覚めたゆう。笑
札幌支店には、7年ぶりの新人配属ということで、社内でも話題になりました。
うそおお!ゆうの素敵な東京ライフがぁぁ!
とも思いましたが、雪国での暮らしは初めて。
どこかワクワクしている自分もいました。
実際に札幌に行ったら、地元よりも気に入ってしまいます笑
人が東京ほど多くなく、少しゆったりとしている雰囲気がゆうにはあってるのかなぁ。
そして、すぐ近くに大自然が☆
ご飯も最高です!!
こんな絶品寿司が回転寿司で食べれちゃったり、
まさに自然の芸術。
湖に入ってるかのような歴史的な秘境温泉があったり。
コーヒー好きの聖地とも言われるカフェがあったり。
本当に札幌配属でよかった。
しかし、仕事は忙しかった。
札幌は部店の人数が少ない割に、北海道を全てカバーするので、1人当たりの仕事量が半端ないんです。
そして範囲が広い分、営業にも時間がかかります。時には飛行機で。。
満喫しつつも、慌ただしい2年間を過ごしました。
札幌で2年目を終えようとしていた、2018年3月。
無情にも、札幌からの転勤を言い渡されます。
大好きになった札幌という町。
会社員でいる限り、自分の人生なのに、何をするか、どこに住むか、自分で決めることができない。
更に無駄な飲み会や、接待ゴルフ。
安定の代わりに、自分の大切な時間や人生を差し出す。
それがゆうには、辛く、虚しく思えました。
ここで会社を辞めるという選択肢も充分に考えたのですが、
・まだ仕事を通して経験したいことがある。
・ゆうの性格的にも、金銭的な余裕もあった方がいい。
・とりあえず仕事と発信活動を両立してみる。無理だったらサクッと辞める。
と考え、会社に残ることに。
2018年4月から、東京の本社勤務となりました。
このままずっと会社員でいいの?ブログを開設?
また、このブログも札幌にいる時に開設。
会社で職場の人達と一緒にいても、自分の常識が会社員としての常識で凝り固まってしまう。
中国で感じた、「自分の常識は、意外と非常識」という教訓。
常識だと思っていることは、ただ自分が見ている、狭い狭い世界だけの話です。
これだけ色々なことができる時代。会社員だけじゃもったいないよね。
そう思い、ブログにも挑戦してみました。
ブログを初めた当初は、中国にこだわっていましたが、書いていくうちに、自分が伝えたい内容ではないことに気づきます。
もっと日常的な、今のリアルなゆうを伝えていきたい。
読者の皆さんに支えられ、ゆうの新たな挑戦がスタートしました。
そして今!
せっかく東京に来たので、このブログを通して色々行動を起こしてみよう。
元祖応援する人、中村創さんを中心に発足した『チームらぶサポ』にも加入。
インタビューもさせて貰いました。
今後も、こういったインタビュー企画なども通じて、多くの世界を知りたい。
そしてゆうの様々な経験をみなさんと共有する場に、このブログがなれればと思います。
またブログ仲間も絶賛募集中です!
・一緒に頑張りたい!
・何か一緒にやってみたい!
・なんか面白そうな人なので、会ってみたい!
っていう方いらっしゃったら、ぜひコメントをお願いします(*^^*)
これからもゆうは、迷いながらも、前向きに、そして歩みを止めず進んで行くつもりです。
いつも読んで下さる皆さん、本当にありがとうございます。
これからも、ぜひお楽しみに(*^^*)
よろしくお願いします!
ゆう