割と真面目に。
元記事。
こりゃあ酷い事件であることよのぅ。って思ったけど。
感想はこれ一つだ。
なんか問題抱えてて、それでアタマん中支配されてる時に
これが充足されれば万事オッケー
っていう視野狭窄になることはいっぱいある。
このときに、自分がコンプレックスだと思ってることがクリアーされても実は何も上手く回りませんでした、ってのもホントーにたくさんある。
けっきょく自分の劣等感に振り回されすぎるのがアウト。
振り回されてる真っ最中には気付きようもないけどね。
吾が思うに、
劣等感を刺激する集団・環境の中に身を置いてしまうのが一番のガンなんだよ。
つか、多様性云々ってそういう話じゃなかったの・・・・?
ってのが今回の記事読んで驚いたところ。
記事中、インセルに取り込まれたマンのきっかけがさ
もともと内気で人付き合いが苦手だったというこの男性は高校時代、友人たちが次々と異性と交際を始め、性交渉を経験していくのに対し、自分は異性にいくら親切にしても、交際にまで至らなかったことを不公平に思ったと打ち明けました。
って答えてるんだけど。
ここで専門家が、
「じゃそのリア充集団と一緒に居るの止めなさいよ」
って解を提示できずに、何が「多様性の尊重」なんだろうなぁ、って不思議に感じました。
これに比べたら、記事後段の元インセルの告白、
「『あなたの価値は性交渉できるか否かとは関係ない』という考え方をインセルの人たちに知らせることが重要だと思います。女性とデートできない男性がいても、『そういう人もいる、何の問題もない』と伝えるのです。性交渉は、人生の価値を決める大きな要素ではない、そう伝えることがおそらく、インセルに対処する最善の方法だと思っています」
これの方がずっと衝突の回避には有効だと思いますよ。
インセルの問題の場合、「モテない」ってのが問題なんではなく
一定の価値基準が絶対の価値のように流通する環境から疎外されてること
そしてそこ以外に居場所がないこと
こそが最大の問題でしょうよ、って思う。
モテないのは分かったからここから逃げていいですか、って逃げ場所がないから破裂するんじゃねーの?
アメリカンとか、そういう西欧な皆さんはさぁ
ぼっちで居ることへの異常視が当たり前のように流通してる自分たちの価値観
をさ、YOU疑いなよ、ってあらためて思う。
※参考記事
これとか他のプロムネタの話とか見るにつけ、集団の同調圧力の激しさは、何も日本に限ったもんではない、つかある意味こっちのが異常だなと痛感します。
女性叩きに走っててケシカラン! ってのは理屈としては分かる。
まったく正しい。
インセルどもが
「モテって最強」「性交しない奴は人非人」
みたいな、支配的価値観に対する異議申し立てをするのではなく、より弱い対象である女性を叩いてすっきりポン! ってのはどう見てもかっこわりぃからね。
歯向かうならいつの間にか自分を縛ってる固定観念に牙を剝け。仮にも男なら。
ただ。
そうした支配的価値観を是とするかぎり、確実にそこから落ち零れる奴は出てくるわけで、それを福祉やら治療でどうにかしようと考えるのは悪手。
専門家が
支配的価値観を受け入れさせ、劣位にある自分を受け入れさせること
を対インセル問題の解決策として提示し、有効であると信じ続ける限り、この手の事件はずっと起こり続けると思う。
元インセルが、
非モテであることが問題なんじゃない
非モテを無価値と見做して疎外する価値観に縛られてること、それこそが問題
ってヒントを与えてるのに、なんで、
非モテどもに主流派の支配的価値観からの逃走を支援する
みたいな方向を提示できないのかなぁ。
多様性は大事なんだよ、って、支配的価値観から疎外された人を救うためにも大事、ってことだと思ってたんだけども・・・専門家の意見が支配的価値観の圧倒的優位なポジションを温存したまま、そこでボロ負けるプレーヤーの退場を許さない(治療・医療でその価値観に留め置く)ってなってるのがすごくキツいな、と思った次第。
非モテのコンプレックスを刺激する、拗らせる周囲の環境こそ変わるべき、と要求するのは、吾が非モテ側に大きく肩入れしてるからそう思うわけで、説得力あんまないかもだけども。
それでも、多様性云々と高らかと謳い上げる時代に、まるで空気か水のように無条件の前提として構成メンバーに受け入れさせている支配的価値観の存在って、そぐわないと思うんだよな。
ホントに自分が求めているもの、欠落してるものを直視せずに、既に用意されてる「お前に欠けてるのはこれだよ」って対象を仮託できるのも
「それにしたがっておけば安牌」って価値観があるから
「自分で考えなくて済む」というのが大きいんじゃないだろうか、と考えています。