どうもミニマリストを名乗っておきながら介護の記事を量産しているたんたん(@tantan4423)です。
僕自身ミニマリストを名乗って当ブログを運営してからだいたい1年半が経過しました。
このブログではミニマリストに関しての情報を発信していませんが、別に引退したわけでもないですからね笑
『僕もの』の大ヒットからミニマリストが大量発生したのですけど、年数が経った影響なのか、多くのタイプが生まれてきた感じがします。
最近ファッション的にミニマリストが捉えられているような気がして、非常に目に見えて分かりやすいので注目を集めやすいと感じています。
でも良く考えてしまうと「ミニマリズム自体が目的になっていないか?」と思わざるを得なくなってきます。
今回は僕が考えるミニマリズムについて書いていきたいと思います。
- ミニマリズムの目的は時間、労力、お金に余裕を生むこと
- ミニマリズムによって得られたリソースを何に使うかが大事
- エッセンシャル思考のほうが参考になると思う
- いかに現実的に落とし入れるかが大事。ふわっとしない。
- 足るを知るのも大事だけど、自分の好きを追求することはもっと大事
ミニマリズムの目的は時間、労力、お金に余裕を生むこと
ミニマリストになって綺麗な部屋に住むことが目的になってしまっても良いとは思う。
しかし、それって非常にもったいないように感じる。
そもそもミニマリズムが日本で流行した時多くの人はそのファッション性の高さに惹かれたということもあった。
なので「なぜミニマリストになるのか?」という事を考えずにファッションの一環として捉えてしまったかもしれない。
しかしミニマリズムを徹底しているとあくまで手段でしかないということがわかってしまう。
モノを減らしたり、自分が魅力的じゃない事を捨てていったら自然に時間が生まれる。
その時間をいかに使うかということが人生において大事なことであって、時間やお金や労力を作り出すための手段でしかないと感じる。
本で紹介されているミニマリズトになる方法やライフスタイルの紹介はあくまで他人の意見だ。
自分に合った方法も違うし、これらの本はミニマムな生活をするための本であって、ミニマムな生活をすることが人生の目的か?と聞かれたら多くの人はNOと答えてしまう。
だからこそ、僕はミニマリズムの目的は貯金だと言うほうが、哲学みたいにミニマリズムを語る人より現実的で好きな部分がある。
ミニマリズムによって得られたリソースを何に使うかが大事
僕が重要視しているのはいかに時間を使っていくかということに尽きる。
しかしその部分はなかなか本には書かれていない。
僕の中のミニマリズムは合理化である。仕事にしても効率良く捌くことを考えながら働いている。
僕の場合は派遣で日勤より単価の高くて、二日分働ける夜勤専属をすることによって月に職場に出勤する回数は8~9回に抑えることができている。
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その時間は自分が満足いくための睡眠を確保したり、大好きな人に会いに行くために充てている。
僕にとってのミニマリズムはそんな簡単なことである。
しかし普通に生きていたら満足いく睡眠時間も会いたい時に会える時間を持つことは結構難しいと思う。
しかし働き方から見直すことによって自分の理想の生き方に近づけようとしている。
別に目的は人それぞれだけど、ミニマリズムは時間を労力を生むためには最適な手段だ。
そして自分が幸せになるための方法論みたいなのを考えて実施するべきだと思っている。
人間ができることなんて限られているわけだから、何が必要でいらないかの選択はしっかりして、そのための仕組みを作ることが僕にとってのミニマリズムだ。
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エッセンシャル思考のほうが参考になると思う
僕は最近思うのはミニマリストは少し宗教観が強くて、すこし重たくなってきていると思っている。
ミニマリスト自体が思想感が強くて、なんかふわっとしていてなかなか好きになれない部分が出てきた。
あと単純が広域に広がりすぎてミニマリストのなかでも価値観が分断してきたりしていて、グループ化されてきた感じだ。
僕の場合は最近はミニマリズムよりもエッセンシャル思考の方が自分にしっくりくることを感じた。
そもそも現実的じゃない方法論や、分かりにくいことが嫌いな性質であるので方法論を言語されているエッセンシャル思考の方が好きだ。
ミニマリズムの先に目標があったほうがその人が何をしたいかが良くわかるので、親和性の高い仲間を集めやすい性質もあると思う。
ゆるいマネタイズのメンバーはほとんどがエッセンシャル思考の実践者であると思う。
みんな時間を生むために効率的に動いたり、固定費を下げたりと合理的な人が多いと思った。
現実的な方法論や結果を求めたい人はミニマリズムよりもエッセンシャル思考のほうがしっくりくると思う。
進行的にミニマリズムを進行していても結果には繋がらない。
結果に対する欲をミニマムにしたいのなら話は別かもしれないけど、そこの部分はあまり失いたくない部分でもあると思う。
自分の好きなことを仕事にしたい人だったり、時間がなくて働いて寝るだけの生活を送っている人には、環境や消費エネルギーの方向性を変えることによって時間を生み出すことができる。
いかに現実的に落とし入れるかが大事。ふわっとしない。
僕がミニマリズムの強い宗教観を感じてしまうのは、方法論ではないという部分が大きいかもしれない。
普通に考えてものを減らすという行動と、仕事や自分の好きなことで結果を出すということとは直接結びつかない。
あくまでものを減らすという行為によって選択肢を少なくして自分の人生を合理化することによって、時間やお金や労力を生み出す手段でしかない。
そこに「何もない美」とか「シンプリスト」という概念が入ってくるからなんかややこしくなってしまう。
自分自身で「何のためにこの行動をするのか?」みたいな問いかけを続けていかない限りファッション的ミニマリストで終わってしまう。
目的のない行動は現実からかけ離れてしまって、周りから見るとふわっとした感じで「で、何がしたいの?」ってなってしまう。
別にそんなこと思うこと自体が余計なことなんだけど、僕自身が自分が何をしたいのか分からないというのがすごく嫌だということもある。
足るを知るのも大事だけど、自分の好きを追求することはもっと大事
僕はミニマリストという生き方を選択して、自分の中でどの部分にエネルギーを分配しるかということをよく考えるようになった。
なのでそのエネルギーは自分の好きなことや得意なことに注いでいきたいと思っている。
ミニマリズムが使い勝手が悪くなれば捨てていけばいいと思っている。
まずはミニマリストじゃないにしても自分の目的にあった手段を考えて選んで行けばいいと思っている。