毎日新聞社の南アフリカ駐在特派員だったころ、アフリカ各地で武力紛争の取材を繰り返した。無政府状態下で銃弾が飛び交うソマリアの首都モガディシオや、政権による激しい人権弾圧が続くスーダン西部のダルフール地方では怖い思いもした。
しかし、誤解を恐れずに言えば、この死と隣り合わせの過酷な状況下で取材することに、私はジャーナリストという仕事の醍醐味を感じていた。目の前の悲惨な現実を、誰かが体を張って伝えなければならないという使命感。ジャーナリストは筆の力で不正と戦わなければならないという責任意識。記者が「マスゴミ」と侮蔑される今日、こんなことを書けば思い上がりか自己陶酔と冷笑されるのがオチだろうが、当時の私は過酷な条件下での紛争取材を繰り返す中で、そうした思いを強くしていった。
アフリカ特派員時代を懐古したのは、財務事務次官によるテレビ朝日女性記者へのセクシャル・ハラスメント(セクハラ)問題のニュースに接し、思うところがあったからである。今回の問題は、日本の権力中枢に位置する人々の人権意識の低さを象徴するものとして国内外で受け止められているが、同時に日本のマスメディアが長きにわたって抱え込んでいる問題を改めてあぶり出したようにも思う。
女性記者が次官との会話を録音した音源を自社(テレビ朝日)によって報道せず、本件とは関係のない第三者(新潮社)へ渡したことを非難する意見がある。テレビ朝日の記者会見を聞く限り、同社もその非を認めている。ジャーナリズムの倫理的原則に照らし合わせて考える限り、私も女性記者の行動には問題があると思う。
しかし、女性記者がなぜ、音源を新潮社に提供するに至ったかも同時に考える必要があるとも思う。記者会見等で明らかにされている情報に即して判断する限り、それは女性記者が取材対象の権力者から執拗なセクハラを受け、それを自社の上司に報告したにもかかわらず、テレビ朝日が社として戦おうとしなかったからである。
戦いにはいろいろな方法があるだろう。セクハラの事実をすぐさま電波に乗せて報道するのではなく、社として財務省に正式に抗議する方法もある。
正式な抗議ではなく、水面下で次官に接触し、「いい加減やめてくれないか。やめないなら報道するぞ」と警告する方法もある(このやり方には賛否があるだろうが)。あるいは最初から、テレビで音源を公開し、次官と対峙する方法もあるだろう。だが現実には、いずれの方法も採られなかった。いずれの方法も採られなかった責任は社としてのテレビ朝日にあり、少なくとも女性記者にはないだろう。
次官から過去に何度もセクハラ発言を浴びせられていたにもかかわらず、女性記者が次官の「呼び出し」に応じて夜分出向いたのが悪い、という意見も聞く。こうした意見を「夜間の酒席で男女が一対一で会うことがおかしい」という文脈で語る人がいるが、私は問題の本質は違うところにあると思う。