その3日間、関西全域の混沌が奈良に集まっていた。
奈良・平城京そばにあるファッションモールで、4月28日から3日間開催されたアイドルフェス「Nara Minara idol Fes」(ミ・ナーラフェス)。
「西日本最大のアイドルフェス」とうたわれたイベントは、ずさんすぎる運営で悪い意味での伝説を作った。
そんなフェスの中、感動的な話がアイドルファンの間で話題となった。主人公は「ミライスカート」の児島真理奈さんだ。
「伝説」のミ・ナーラフェスとは
ミ・ナーラフェスは、奈良に4月にできた商業施設「ミ・ナーラ」のオープンを記念したものだった。
建てられた土地は、7世紀の人物「長屋王」が住んだ場所で、業績不振で度々店が入れ替わることから「長屋王の呪い」と地元で噂されていた。
でも、児島さんにとっては思い出の場所。この土地に2017年9月まであった「イトーヨーカドー」で、初めてステージに立った。今回、ミ・ナーラフェスのオファーが来た際には迷わず受けた。
ただ、直後から悪い予感もしていた。
「イベントについて、いろいろ質問のメールを送ったんですけど返信はないし、何度も問い合わせた駐車場の申請も返信がなかったんです」
「タイムテーブルも1回も正式なものは送られてこず、結局フェスのTwitterにアップされたものをこちらが見に行かなければいけませんでした」
開催3日前になってもタイムテーブルが出ないことに、ファンも困惑。前日にやっとTwitterにアップされたが、テーブルは10分の1も埋まっておらず、出演時間も「18:25~15:45」と書かれるなど、完璧とは程遠いものだった。
出演を予定していたアイドルの中には、辞退するグループも出て来た。
その惨状から伝説と言われた「ガールズ・ポップ・フェスティバル in 淡路島」と並ぶ”クソイベ”になると噂されたミ・ナーラフェス。
児島さんの胸には不安、そして妙な高揚感があった。
ありえないことが連発した初日
フェス初日。児島さんが現場に入ると、ショッピングモール内には混沌が渦巻いていた。
「スピーカーから音が出なくて、スタッフがラジカセから音を出そうとしていて。ワイヤレスマイクで移動ありきで踊るアイドルがほとんどなのに、有線のマイクだったので、線がこんがらがるし。おまけに主催スタッフはほどいてくれへんし…」
館内放送から、なぜかステージに立つアイドルのマイクの声が流れる。ステージの一つはベニア板を引いただけの簡素なものだったために割れてしまい、関係者がライブ中、ずっと抑えなければいけなかった。
異変は舞台裏でも起こった。
アイドルたちに用意された控室はミナーラの社員食堂。
店員からは「自由に使ってください」と言われたが、途中で社員からクレームが入ったのか、控室として使えるエリアは、時間を追うごとにどんどん端に追いやられ、狭くなっていった。
「東京から来たメジャーなアイドルは別室でしたが、私たちは食堂。着替える場所もないから、アイドルはファンと同じお手洗いで着替えました。最悪でした」
「物販ができると聞いていたのに、物販スペースも用意されていなくて『ミナーラの中を自分で探して、空いている場所でやってね』『3階、4階の空いた場所に机を並べて適当にやってねって』と言われて」
児島さんは初日に2回ステージがあると伝えられていたが、発表されたタイムテーブルには1ステージしかなかった。
初日はミ・ナーラフェスのメーンステージとなる「平城ステージ」。なぜか同じスペースには地元の物産展も並び、「お店の人の白い目線が痛かった」が、ステージはなんとか無事に終えた。
平城ステージの様子。後ろには「手づくり市」
しかし、本来のステージは2つ。
「こんな始まる前からグチャグチャなイベントやから、突然ステージが始まるかもしれんと思って、最後まで衣装を着たまま、ずっと自分のステージを探してました」というが、結局2ステージ目はなかった。
他のアイドルたちは悲惨だった。タイムテーブルにはない音を止める時間が設けられたため、スケジュールは90分以上おした。終了時間は20時厳守だったため、トリなのに歌えず、泣くアイドルも出た。
フェス自体が「長屋王の呪い」にかかっていた。
地獄の中で出会った光
フェス2日目。児島さんは大阪での別のイベント出演を終え、再びミ・ナーラ入りするが、すぐに衝撃的な事実を知る。
「間違ったタイムテーブルが貼られていました。昼間大阪でイベントをやっている同じ時間に出演予定となっていて。進行する人も間違っているとは知らなくて、ミライスカートは出てきませんという空気になったらしいんです」
一方、児島さんが本来出演する時間はタイムテーブルに書き込まれていない。いじめではない。これがミ・ナーラクオリティなのだ。
そもそも前日、イベントは20時に強制終了となってたはずなのに、2日目の出番は19時55分〜20時15分。完全にオーバーしていた。
「ただでさえ90分おすイベントやから絶対ステージないやんと思っていたら、案の定なかったんです」
しかもステージがなくなったことはフェスのTwitterで告知はするが、館内放送などの案内は一切ない。
「告知しないから、55分にステージが始まるとファンが待っている。遠征してきたファンもいる。きょうミライスカートのライブありませんと突然言われたらかわいそすぎるじゃないですか」
児島さんは主催者側の人間に「ファンのためにどこかでライブをやらせてほしい」と頼み、サブステージのトリの後に、ライブをやれることになった。
スタッフから「今、ステージが空いたのでやって」といきなり言われて始まった2日目のライブ。
音源の用意がなかったので、自分のパソコンにつなぎ、ファンのリクエストを聞いて、自らDJのように曲をかけ、そして歌った。極限状態の児島さん、ファンは大盛り上がりだった。
2日目のライブの様子
「みんなテンションが高くなっていたからアゲ曲ばかりをリクエストして、コールもめっちゃでかいんですよ。するとステージの前の方でおじいちゃんとおばあちゃんがイェーとやってるのが見えたんです」
年の頃は70歳くらいの優しそうな顔立ちの老夫婦。ライブ後に話を聞くと地元奈良の人たちだった。
「ありがとうって声をかけたら、おばあちゃんが『すごいよかった。ええもん見せてもらった』と目をウルウルさせて泣いてくれて。おじいちゃんもめちゃテンション高くて」
「今までもショッピングモールでライブをやらせてもらったことはあるんですけど、おじいちゃん、おばあちゃんがそんなに喜んでくれることなかったので。すごく嬉しくて、私も感極まって泣いてしまいました」
色々あったが、最後の最後に癒され、その日は帰路に着いた。
アイドルを続けてよかったと思った3日目
フェス最終日。この日も大阪でのイベントを終え、奈良に着くと、前日のお詫びか、タイムテーブルを見ると児島さんのステージが一個増えていた。
3日目のステージの様子
ミナーラ最後のステージは、19時15分からの平城ステージ。ステージに向かうと、前夜に出会ったおばあちゃんがいた。ステージ上で思わず「おばあちゃんや」と声が出た。
「私に会いたくて午前中から1日中ミ・ナーラを探してくれていて。タイムテーブルの存在も知らないし、ツイッターの見方もわからないじゃないですか。それでスタッフに聞いたら『もう、終わって帰りました』って言われて。それでもめげずにおじいちゃんと一緒に探してくれて」
「おじいちゃんは途中で疲れて帰ったけど、おばあちゃんは最後まで残って探してくれて。『歌声に感動した』と言ってくれて、2人とも泣いていて。『また来てくれるよね』と言われたから、絶対来ると言いました」
おばあちゃんは、児島さんのライブが終わると急いで帰ってしまい名前も聞けなかった。
「これ、お花やと思って持っていって」
児島さんの手に渡されたのは、児島さんを探すために使われたミナーラの地図。その中にはおひねりが入っていた。また涙が出た。
逆境の1年の締めくくり
「ミライスカート」は今でこそ児島さん一人だったが、もともとは4人のグループだった。
2人となり、追加メンバーを募集しようとしていた昨年6月、マネージャーと残るメンバーから「この日でミライスカートは辞めます」と一方的に告げられた。結成3周年の当日だった。
だったら一人でも「ミライスカート」として、その名前を背負って活動をする。児島さんは諦めなかった。
「大学4年生の時にミライスカートに入ったんですけど、キャビンアテンダントにも憧れていて、内定くらいまでいった時にグループに受かった。でも本当はアイドルをやりたかったから、ミライスカートに就職するぞ、ともう一つの道を捨てて入った。だから私はずっとミライスカートでいようと決めてるんです」
こうして一人となった児島さん。アイドルだけでなく、すべての業務を一人でこなすことは生半可なことではない。
「大変なことはありまくりですね。物販を持ち運ぶのも大変だし、物販を作ったり、在庫管理したり、売り上げを計算したり。確定申告をするため経理も勉強しなければいけなかった」
一人になってから半年間は人間不信になったし、ファンも減った。ギャラ交渉をすると舐めてくる人もいた。激動だった1年の締めくくりがミ・ナーラだった。
「この1年、まだ逆境があるのかっていうくらい逆境が押し寄せて大変だったんですけど、最後のトドメがミ・ナーラ。この一年の集大成を見せる場だったと思うんです」
「でも、この3日間の経験で私自身も成長できて、強くなった。自分ではなんとかできたと思っていて、あの場所を超えられたから、今はなんでもできると思ってます」
奈良で得た希望、そして
逆境だらけのミ・ナーラフェスだが、子供など普段見てくれていない人が見てくれた。Twitterのフォロワーも増えた。
何よりおばあちゃんに会えた。すべてはアイドルを、音楽を続けてきたから起きたことだった。
「おばあちゃんに会えたあの時、ミライスカートを続けていて本当に良かったと思いました」
呪いの主とされる長屋王だが、「万葉集」に歌が載る文化人でもあり、歌を愛する人にはその手を緩めたのかもしれない。
「奈良を通ると、おばあちゃんの姿を探してしまいます。早く会いたいし、ちゃんとしたライブも見てもらいたいんです」
イベントでおばあちゃんと話した知り合いから、演歌歌手の石原詢子さんの追っかけをしていることを聞いた。
児島さんは今、石原さんのライブスケジュールを調べている。おばあちゃんに会うために。