小林信也(作家、スポーツライター)
アメリカンフットボールの日大選手による「悪質なタックル」は監督の指示だったのか、それとも選手の意思だったのか。今回の問題で最大の焦点とされているが、筆者はそれが焦点だとは思っていない。監督の指示があろうがなかろうが、伝統ある関学大との定期戦を汚した蛮行であったと言わざるを得ない。
関学大が提出した抗議文に対し、日大側は「反則行為は監督の指示ではなかった」と文書で回答したという。しかし、悪質なタックルは内田正人監督による日頃からの指導が反映した結果であり、定期戦の目的を選手に伝えてフィールドに送り出さなかった指導者の責任であることは明らかである。
定期戦は、ゲームを通して互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、厳しい勝負を戦った者同士にしか生まれ得ない友情を育み、競技への愛情を一層深める舞台ではなかったか。しかも一回きりでなく、長年交流を重ねることで、日本フットボール界のレベルを高め、競技の普及振興に寄与するといった気概もあったはずだ。普通に考えれば、わざわざ関西から訪ねてくれた良きライバルのクオーターバック(QB)を潰すために仕組まれた試合ではなかっただろう。
しかも、内田監督は大きな間違いも犯した。日大側が主張するように監督の指示でなかったのであれば、最初のファウルを見てすぐに相手選手と相手ベンチへ謝罪に走り、ファウルを犯した選手を即刻ベンチに下げるべきだった。それが指導者としての最低限の行動だったはずである。プレー中の反則行為に対し、内田監督が非を認めて上記の行動をしなかった事実は、大学スポーツの指導者として資質を有していないと糾弾されてもやむを得ない。
関学大側が抗議文書を送り、記者会見を開いて正式な謝罪を求めたにもかかわらず、雲隠れを続ける内田監督の態度からは全く誠意を感じられない。彼の頭の中は「勝つか負けるか」「勝てばいい」といった勝利至上主義にいまだ支配され、スポーツの深みに関心を寄せていない現実も浮かび上がって見える。
アメフト指導に携わる関係者に話を聞くと、「内田監督は近代フットボールをほとんど学んでいない、古いタイプの指導者です」と指摘する。
実際のゲームプランや技術指導はコーチ陣に委ね、監督は精神論的な指示や命令だけを発していたという。今回、危険なタックルなどで退場処分となった選手は、Uー19日本代表に選ばれた才能豊かな選手であり、チーム内でも揺るぎない実力の持ち主だった。一部報道によれば、内田監督はそんな彼を決して有頂天にさせず、一段上に成長させるために試合にはレギュラーとして常時出場させなかったらしい。その指導法は言うなれば「精神的に追い込むやり方」だったのである。
ひと昔前の日本スポーツ界では当たり前の指導法だったかもしれないが、今や「パワハラ」そのものである。もっと言えば、人間の尊厳を冒瀆(ぼうとく)するものであり、決してあってはならない指導法である。にもかかわらず、それを当然と思い込んでいる指導者は、今回の問題に限らず日本のスポーツ界にはあまた放置されている。社会全体で「もはや許されない」と声を上げ、即刻退場を促すべきだ。