Kindleで読みました(読んでました)「『家事のしすぎ』が日本を滅ぼす」佐光紀子
楽家事記事*1でちょくちょくメンションする本書です。ほんと、家事のしすぎをどうにかしたい。
新書もありますがやはりkindleで*2ちょっと前に読了しておりました。レビューを書くため再読。
内容(「BOOK」データベースより)
多くの日本人が、丁寧な暮らしや、家事をきちんとこなすこと、配慮の行き届いた子育てをすることを理想としている。しかし他方では、日本人の「完璧家事」や「手づくり」礼賛の傾向、さらに昨今のシンプルな暮らし(「断捨離」「ミニマリズム」など)の流行は、母親への目に見えない圧力となると同時に、家族との分業を阻んだり、葛藤の原因ともなっている。日本の家事の「あたりまえ」は海外の人の目にはどう映るのか。なぜ日本では男性の家事参加が進まないのか。国や学校により「よい母、よい家庭」であるよう仕向けられてきた歴史とは。翻訳家として他国の友人も多く、家事や掃除術の専門家でもある著者が、多くの聞き取りや国際比較などを参照しながら、気楽で苦しくない家事とのつきあい方を提案する。
イマドキの「しゅふ」に対し、外部要求が強すぎるのでは
先日の東洋経済オンラインにこんな記事がございました。
拙ブコメはこちら。スターありがとうございます。
やっぱり「外部要求」が強いんだよジャパン
本書は外国人の社会学者アリシアさんが日本で子育てして驚いたことのエピソードが多く出てきます。
日本ネイティブにあっては、幼稚園イコールママの手作りお弁当、の意識ってwifiの電磁波くらいに普通の感覚です。しかし世界に目を向けるとかなり特異な部類である「OBENTO」。ポジティブな捉え方をすると、食べる量を調整できて、かつ、品目を豊富にできてヘルシーなので欧米にも「お弁当箱」が浸透しつつあるそうですね(テレビでチラ見したのでソース出せませんけど)。
確かに、「明日はピクニックだ!」と特別な日のお弁当ってレジャー気分も相まって作るのも楽しいものですが、毎日となると、しかも食べ方の読めない幼児が食べるものとなると、楽しさよりも義務感の方が強く出てしまいます。我が家は保育園児でほぼお給食なので、お弁当必須の幼稚園児家庭のキッチンの様子は伺えませんが、義務感で作るお弁当の味はどんなものなのでしょうか。
中には「幼稚園からお弁当の仕様書」が来たとかいう話しも伝え聞きました。何でも、赤・緑・黃の三色を整えなければならないとのこと。なぜ「ねばならない」のか、保育園育ちの自分には素朴な疑問が解決できないまま横たわっています。
いやはや、インスタとか一部ツイッターやブログでも壮麗なお弁当はいくらでも見れます。しかしそれはお弁当作りの義務感を楽しさに転化できた作り手の発信意欲の発露でしかなく、世の中には見えざる「お弁当しんどい」の感情が存在しているのです。100円ショップやバラエティショップに並ぶキャラ弁グッズや、ウインナーの飾り切りを動画で見せるサイトが流行るわけもわかる。「どうにかして楽しくしなきゃ、やってられない」後段の思いを発信したら「ダメな親」に転落するんですもの。
根深い「性別役割分担意識」
なお、私はあえて「お弁当を作る人」と「母親」に役割を限定せずに記載しています。けれども、やはりこのようなムーブメントや意識って、どうしても女性、つまり母親のものの印象が拭えません。つまり、根深い。
Chanto!しないといけない?
主婦向け雑誌で一番気にかかっているのが「ちゃんと」の呪縛です。
整理収納シンプルライフ、スッキリ暮らすコツ、整然と居並んだ無印良品のファイルボックスにラベルライターで作った綺麗なラベルを貼って家族みなが過ごしやすく家を整えて、白が基調の風通しの良さそうな家の絵面が見開きでどん。
平成後期の主婦は合理性を追求してこのようなシンプルに落ち着いているのでは、ということも別エントリに考察(と言えるほどのものかどうか)いたしました。
でも、家ってこんなもんでしょうか?もっとダラっとユルっと膝掛けが垂れてたりしない?お便りとか広報誌とかバサバサに積まれてない?えっ違うんですか、そうですか…
我が家の例で行くと、2歳児が最近ハサミに興味を持ちだして、先日ついに、届かないところに置いていたはずのハサミに、イスを使ってまでリーチしてしまった、というヒヤリハットが発生しました。こうなっては使うところにワンアクションで取れるように置いておけない。大人は子の成長(使い方を誤ると危険だから親に許可を得て触ることを理解し、または正しい使い方をマスター)するまでは、ハサミを使うにはどこそこの裏にあるハサミを取りに行き、使い終わったら放置せず元あった場所に取り出した工数分の手間をかけて戻す、ということを繰り返します。
そこにシンプルなどございますでしょうか。
家族のあり方は多様でいいはず
実を言うと、私の実家はいわゆる「汚屋敷」でした。
ものがごっそり溜まりこむ家で18歳まで暮らしました。母もWMで、父はいわゆる激務で朝早くに出て夜遅くに帰ってくるため家のことに掛かれません。そもそも九州の典型的な家庭で家事は母の仕事でした。ここに父が片付けやら料理やら、家事の分担を請け負っていたら。
その経験もあり、実家を出て以降は家事を楽に出来る仕組みを考えたり、できるだけモノを少なく持ったり、整理収納アドバイザーの勉強をしたりと自分なりの主婦の道を歩むわけです。
夫は逆にモノをためておいてもいいのでは、という考え方でして、たまに衝突もしますが、彼は彼でお片付けも出来る専業主婦の義母のもとで育ったので「なんとなく片付いていて、不自由がない」状況なのです。「あれどこ?」と言えばすぐに出てくる、音声アシスタントにモノの置き場を覚えさせておける立場なのです(イイなぁ)。
そんな二人の大人が同じ屋根の下にいて、あるところは片付いてないけど、あるところは片付いている。家族それぞれで落ち着くスポットがあればいいと思うのです。
こちらは夫のお寛ぎスペースのサンルーム。このブルックリンスタイルのデッキチェアは、IKEAで一目惚れしたそうで即日お持ち帰りでした。カーテンは私好みの柔らかベージュのモダン柄、そこに3coinsのマルチクリップでお花のアクセント。そしてそして娘のお気に入りの「あざらしのおかあさん」がよく座っています(娘が置く)。
テイストバラバラ。だがそれがいい。
そしてもう一人の自分が出てくるとこまでセット
家の中をシンプルにシンプルにして、家事を時短して時短して、布モノをなくしになくして*3、かなりスッキリ暮らせるようになりました。
しかしここまでしてやっぱり「もうちょっと頑張らないといけないかな」という思いが出てくるのです。もうそういうところまでセットなんだと考えて有耶無耶にして、「今はコレでいい」と考えることにしています。
丁寧な暮らしが出来るようになったら、
いつでも何でもやったるわ(威圧
さて、もう一回読み直しましょうかね。
今回ご紹介の書籍はこちら: