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2008年(平成20年)の活動 | |
1月28日 | 第1回総会 |
5月8日 | 第1回例会 |
8月18日 | 第2回例会 |
10月25日 | (東京)会津会出席 |
11月10日 | 第3回例会 |
11月28日 | 在仙福島県人会出席 |
第3回みやぎ会津会例会を開催しました |
up 08/11/20 | |||||||||||||||||||
第3回例会は、11月10日(月)18時から仙台駅東口・仙台ガーデンパレス鳳凰の間を会場に開催されました。参加者は61名でした。 初めに須佐尚康会長から、本日の講演者新井田傳氏について「会津若松市出身の氏と会社設立直前ある会合でお会いしたとき、まだ上場前なのに『将来一部上場を目指す』と断言されたがそのとおりになった。その計画性とパワーは敬服の至りであり、本日のご講演ではその経過などをお聞かせいただけるものと思い、楽しみにしてお待ちしていた。」との挨拶がありました。
いつものとおり例会は講話、懇親会の2部構成で進められ、穴澤鉄男幹事が進行役を務めています。
氏はまず会社の略歴を述べられてから、外食産業の現状と今後の見通し、会津の伝統、会社における教育及び薩長への出店などについて次のように語られました。(要旨) 外食産業界は、ファミリーレストラン、ハンバーガー、居酒屋・回転すし・牛丼など大手チェーン店の寡占状態で成熟しており、伸ばすべき業界売上高は残っていない。ハンバーガーではマグドナルドが68㌫のシェアを獲得している。一方らーめん業界は個人店が83㌫を占め大手というものがなく、チェーン店が業績を伸ばす可能性を大きく秘めている。日本のらーめん市場規模は7,000億円で、このうち50㌫のシェアを獲得できれば3,500億円の売りあげになる有望な市場である。 現在の当社の400店舗を2年後には500店舗、10年以内には1,000店舗とし、らーめんのマグドナルド版を完成させたい。そのときには北海道から九州までの店舗展開となる。現在の3工場の生産能力は1,000店舗に対応できるようになっている。 そのためには、マグドナルドが世界のどの店に行っても ①価格が安い、②品質が安定してる、③サービスが良い、④清潔である、というの4つの条件を満足させてシェアを確保しているように当社もこの4つの条件を遵守して店舗を展開していく。この条件を1,000店舗においてマネジメントできれば海外出店は可能になる。韓国人はインスタントらーめんが大好きである。中国では日本のらーめんは「日式らーめん」と呼ばれブームになっている。アメリカはカップヌードルの消費量が多く、パリではラーメンの繁盛店がある。しかし価格は高く、店は汚い。ここにチャンスがある。世界中に幸楽苑の看板を掲げたい。
出身地会津は心の拠り所である。会津魂を全国に普及させ世直しができたらうれしい。バブルの時期から今日まで三流政治が続いた。内閣総理大臣の就任期間は平均1年4ヶ月。これでは良い仕事ができるわけがない。この二流・三流の日本の将来を若者に託すためには歴史に学び日本を変えていかなければならない。会津藩の歴史がそれを教えている。幕末には悲劇の一因にもなったが、会津藩は藩祖保科正之公の教えを日新館での教育を通して200年余守り通した。このように教育の力は偉大である。清貧の教えを我々が伝播していかなければならない。 現在社長業の80㌫を社員採用、教育の業務に投入している。毎年100人の大卒を採用しているが、会社の発展は教育のいかんに懸かっており、純粋・純真な人材を教育するのが一番である。鉄は熱いうちに打たなければならない。当社ではこの結果人材の蓄積が進み、当社の離職率は23㌫で、一般会社平均の38㌫、外食産業の51㌫を大きく下回っている。学校では十分な教育ができていない。分からないのではない。教えられていないのである。教育は企業で、会社で学ばせなければならない。 明治8年生まれの祖母に、会津は賊軍ではない、天皇をお守りしたのだ、薩長を許してはならないと常に言われて育った。この会津人の誇りが私の信念に結びついている。らーめんのマグドナルドを目指す1,000店舗展開の中で、薩長の中心地に幸楽苑の看板を立ててみせる。会津人の意地を見せ、繁盛させて地元の人々に素晴らしいらーめん屋であると言わせたい。
この後質疑があり、「同じ品質ということであるが関西と東北の味は同じか、薩長への出店はいつごろか」との質問に対し、「味は同じにしている、薩長への出店は10年後までに果たしたい」と答えられています。 懇親会の前に金田万庫事務局長から報告と提案がありました。 報告は東京会津会への参加に関するもので、「10月25日上野精養軒で開催された東京会津会にみやぎ会津会須佐会長宛てに参加の案内があり、代理で出席してきた。140年の歴史を誇る会で130人ほどの参加者があった。最後のバンザイ三唱は『松平家バンザイ』というもので、みやぎ会津会とはやや趣を異にしている。会誌が年一回発行されており、会津に関する記述も多く掲載されている。」というものでした。 提案は現在会津で進められている会津能楽堂建設事業への協賛に関するもので、「『みやぎ会津会』の名前で協賛すべく今後役員会で議論の上、例会費に一定額を積み上げて徴収させていただき建設資金の一部として拠出していきたい。」というものでした。
懇親会の中では、余興として民謡の上野省蔵さん(会津若松市出身)から「会津大津絵節」が披露されています。 中締めは、高橋信副会長が行い、次回は第2回総会として平成21年1月26日(月)に開催するので各自スケジュールの調整をお願いしたいとの要請がありました。 |
東京会津会に出席してきました (東京会津会出席報告 みやぎ会津会事務局長 金田万庫) |
up 08/11/20 |
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会長宛平成20年度総会への招待があったことから、代理出席してまいりました。 10月25日、秋晴れの土曜日でしたが、関東近辺の方々総勢130名が集まり東京上野の精養軒に於いて開催されました。 出席して先ず驚いたのはその歴史の古さであります。 役員の方に「いつ頃からの会ですか」と聞いたところ「140年は超えている・・」とのことであります。 今年は戊辰戦争後140年、その前から江戸で殿様の所に集まった人々で結成されたのが始まりとの説明でありました。 まさかと思い、後日東京の事務局に電話で再確認したところ、当時の新聞記事に「明治45年4月20日に会津会が結成された」記載があり、「もうすぐ百年になる」と説明がありました。 何れにしても、その伝統の古さには驚かされました。 また「凄い」と思ったのが初代保科正之公から第十四目の当主となる松平保久氏も出席されており、閉会の万歳三唱の音頭をとられたが、その前に川島廣守会長の音頭で「松平家万歳」の三唱があったことでありました。 常設の事務局も持っており一冊の本とも言える素晴らしい会報も発刊しています。 その会報は会員以外にも有料で販売しているとのことでありました。 内容もしっかりしており「西郷頼母・きみと依田勉三」や「戊辰戦争後、活躍した群像(ひとびと)」など、興味深い記事も掲載されておりました。 当会は「会津を想い、語り合おう」そして「会津との懸け橋になれば」とスタートしたばかりで「魅力ある会活動とは」、「若い会員の育成策は」等が直近の課題でありますが、目指すところは若干違うとしても、あれだけ会津魂に頑固にこだわる東京・会津会には何か魅力を感じるものがありました。 なお、当方からは「是非、東京・会津会が音頭を取って全国会津会サミットみたいなものを企画してほしい」とお願いして参りました。 |
会に先立ち須佐会長の挨拶 | ||
今回は円卓を囲んでの例会でした 壇上は須佐会長 | 飯沼一宇氏の冒頭挨拶 | |
講話される飯沼氏 | 日新館 什の掟 を説明する飯沼氏 | |
懇親会の部 乾杯は渡部要次監事(左) 挨拶される喜多方商工会議所副会頭風間常義氏(右) |
「たずねてみちのく」を唄う日本クラウン専属歌手鴻巣巧一さん |
第1回みやぎ会津会 例会を開催しました |
up 08/5/22 | |
役員会・事務局が準備を進めてきた第1回みやぎ会津会例会は、平成20年5月8日(木)18時30分からオンワード樫山仙台支店を会場に開催されました。 例会は、「研修会」と、「懇親会」の2部構成とし、61名の方々が参加しました。 研修会では、お二人に講師をお願いしました。お一人目は、会場を提供していただいたオンワード樫山のメンズ・レディーメード販売課杉本大雄氏で、「クールビズ・ガイダンス」と題して省エネ時代のクールビズについて考え方とおしゃれな装いをポイントにお話しいただきました。夏に向かう季節のタイムリーな話題に会員から多くの質問が飛んでいました。 研修会お二人目の講師には、遠藤敬止顕彰会会長新城猪之吉氏(末廣酒造第7代目社長)を会津若松市からお招きし、「遠藤敬止を語る」と題して遠藤敬止翁の会津と宮城との関わり、経歴、功績などについてお話しいただきました。顕彰会会長ならではの情報をもとに逸話も交え、ユーモアある語り口で熱弁をふるっていただき、会員一同深い感銘を受けました。新城猪之吉氏はこの日、遠藤敬止翁の墓所・仙台市新坂町充國寺に墓参されてから会場に来られたとのことで、みやぎ会津会には今後墓守をお願いしたいと話されております。 懇親会は、酒井紘みやぎ会津会副会長の開会挨拶、石巻赤十字病院院長・東北大学名誉教授飯沼一宇(かずいえ)氏の乾杯発声で始まりました。 飯沼一宇氏は、飯盛山で自刃後助けられて甦生した白虎隊士飯沼貞吉(後に貞雄と改名、昭和6年仙台にて病没・77歳、墓所は仙台市北山輪王寺)の孫にあたられます。 懇親会では、例会案内の際スピーチを希望する方を予め募集しましたが、今回はお二人の方にスピーチをしていただいております。 また、オンワード樫山仙台支店が入居しているビルは仙台市都心部にあって最近新築された建物ですが、ここを今回の会場として提供していただいたみやぎ会津会幹事・オンワード樫山仙台支店長梅宮栄八郎氏から建物の紹介などをしていただきました。 |
研修会会場の様子 | |
研修会に先立ち須佐みやぎ会津会会長の挨拶 | オンワード樫山杉本氏の「クールビズガイダンス」 |
”遠藤敬止を語る” 遠藤敬止顕彰会会長・末廣酒造社長7代目新城猪之吉氏 | |
懇親会開会挨拶の酒井みやぎ会津会副会長と会員 | 乾杯ご発声の石巻赤十字病院長飯沼一宇(かずいえ)氏 |
自著「奥会津に生きた、しぇんしぇい産婆」手にスピーチする 長谷川正人氏 | 前宮城県秘書課課長補佐西村晃一氏のスピーチ |
会場の提供者・オンワード樫山仙台支店長梅宮栄八郎氏の建物紹介などのスピーチ | 中締めは、元会津大学学長 野口正一氏 |
みやぎ会津会設立総会・記念パーティを開催 |
up 08/3/1 | |
平成20年1月28日18時30分からホテルメトロポリタン仙台4階・千代の間で、みやぎ会津会設立総会を開催し、引き続き同会場で記念パーティを挙行しました。 設立総会には、総会までに加入した会員102名が出席。発起人会代表の須佐尚康氏の挨拶ののち議長に同氏を選出して議事に入り、会則、役員、20年度事業計画案、20年度予算案がいずれも事務局提案のとおり承認されました。会長には須佐尚康氏が就任しました。 その後役員の紹介があり、設立総会は終了しました。役員名簿/会則はこちらをご覧下さい。 |
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受付中の会員 | 須佐尚康発起人会代表の挨拶 | 事務局の議案説明 |
記念パーティの司会は仙台放送の梅島三環子アナウンサーにお願いし、須佐会長の挨拶で始まりました。 パーティには会津地方全17市町村の首長(うち3名の方は代理)の皆さんが会津からお祝いに駆けつけられ、代表して菅家一郎会津若松市長が祝辞を述べられました。また地元"みやぎ"からは、ご来賓として村井嘉浩宮城県知事、梅原克彦仙台市長、丸森仲吾仙台商工会議所会頭のご出席をたまわり、みやぎ会津会の設立を祝い、今後の活動に期待する旨のあたたかいご挨拶をいただいています。 祝宴は野口正一元会津大学学長の乾杯で始まり和やかにすすめられました。宴の途中ではアトラクションとして、これも会津から駆けつけていただいた日本コロンビア民謡歌手歌川重雄氏の率いる「会津民謡歌川会」のかたがた6名による会津民謡、白虎隊剣舞が披露され、盛んな拍手を浴びていました。 後半は、会津の首長さんが地元から持参した名産品を抽選で参加者に配るイベントで会場は宮城と会津が一体となり、名産品をさかなに話題はおおいに弾みました。 |
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2008年1月28日,Hメトロポリタン仙台で開催された「みやぎ会津会設立総会・記念パーティ」に出席された会津17市町村首長のみなさん |
司会 仙台放送梅島三環子アナウンサー | パーティでの須佐尚康会長挨拶 | 菅家一郎会津若松市長祝辞 |
村井嘉浩宮城県知事と梅原克彦仙台市長 | 丸森仲吾仙台商工会議所会頭挨拶 | 野口正一元会津大学学長による乾杯 |
アトラクション -1 | アトラクション -2 | 名産品抽選会 |
地域・役職 | 氏名 | 地域・役職 | 氏名 | 地域・役職 | 氏名 |
宮城県・知事 仙台市・市長 仙台商工会議所・会頭 会津若松市・市長 喜多方市・政策企画部課長 下郷町・町長 桧枝岐村・村長 只見町・町長 南会津町・企画観光課長 北塩原村・副村長 |
村井 嘉浩 梅原 克彦 丸森 仲吾 菅家 一郎 菅野 康裕 湯田 雄二 星 光祥 小沼 昇 星 廣政 小椋 敏一 |
西会津町・町長 磐梯町・町長 猪苗代町・町長 会津坂下町・町長 湯川村・村長 柳津町・町長 三島町・町長 金山町・町長 昭和村・村長 会津美里町・町長 |
山口 博績 五十嵐 源市 津金 要雄 竹内 昰俊 大塚 節雄 井関 庄一 齋藤 茂樹 長谷川 律夫 馬場 孝允 渡部 英敏 |
会津三里町・商工観光課長 両沼地方町村会・事務局長 日本コロンビア・民謡歌手 会津民謡歌川会 〃 〃 〃 〃 ㈱福島民報社・代表取締役副社長 〃 ・仙台支社長 |
星 次 古川 恵美 歌川 重雄 長嶺 忠雄 石田 清一 根本 正明 千葉 静子 長嶺 ノブ子 渡辺 英範 佐藤 正則 |
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