3歳児の親にとって、プラレールの規模感ほど悩ましい問題はない。かつては子供の言うことを真に受けて、列島改造論のごとくリビングのラグマット全体を網羅した国土交通網のグランドデザインを描いたこともあったが、アフターメンテナンスとクリーニングを担当する地域住民の代表たる妻の反対運動を受け、頓挫した苦い経験がある。IMG_20170915_024119IMG_20170915_032402
広大なプランは魅力的だが、継続的な採用にはランニングコストも踏まえた現実策が求められる。

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また、地域住民の言いなりになって、相当の開発費を投じて納品されたレール在庫を多数残したまま、ソファの前に超簡素化された複線レールを敷いて完成とした時の、発注者たる息子の顔は今も忘れられない。それはさながらピーチライナーの廃線跡を見つめる桃花台ニュータウンの老人のようであった。「なぜ4両ある列車のうち2両しか走らないのか」「なぜこのプランには鉄橋がないのか」「なぜ駅が一つしかないのか」…そのすべての疑問を「どうしての?」の5文字に託してくる発注者の気持ち(発注者はまだ「どうしてなの?」と言えない)に、このプランは応えられなかったわけである。開発側として、慙愧の念に堪えなかった。
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DX踏切ステーションを用いた最小プラン。踏切好きな発注者の意向を汲んだものだったが、満足には至らなかった。

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そうしてついに完成した我が家のプラレール。約3ヶ月間に渡り、10パターン以上の試行錯誤を経て行き着いた、唯一無二のプランである。
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事前に出されていた建築条件は、主に以下の3点であった。

①現所有の列車4台が同時に走行でき、且つ絶対にぶつからないこと
②後方の作業スペース(主にお絵かき・おねんど用)を確保するため、できるだけコンパクトな設計とすること
③発注者が自力で遊べるよう、扱いやすく壊れにくい構造とすること

ポイントレールを多用すれば容易に複雑な路線を確立できる。だがそれを考えなしにやってしまうと、稼働後1分もしないうちに列車同士が衝突してしまい、発注者の機嫌を損ねるのみならず、その度に修理工(妻)が呼び出されることになり、現場に著しい負荷がかかることがわかってきた。これでは何のためのおもちゃかということになる。IMG_20170916_234640IMG_20170921_061425IMG_20170918_012631IMG_20170917_032851
どれも大変複雑な構造で飽きにくいが、3台以上並走時の事故率は高く、運行安定性に欠けていた。

また、列車4台が同時走行でぶつからないようにするには、どうしてもプランが巨大になりがちだが、発注者はもちろん1日中プラレールをしているわけではない。時にはプランの周囲をミニバイクで走り回ることも想定される。リビングの広さを考慮しつつ、他の遊びにも対応できるサイズと強度が求められた。
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高架曲線と坂レールをインテリアと組み合わせ、過去最高の高度を実現したプラン。だが災害時の脆弱性が問題視された。

これらの建築条件が発注側の依頼というよりは、むしろ現場からの声を存分に反映したものであったことが今回の最大の特徴だったわけだが、この妻と子が無慈悲に(‍?)突きつける厳しい条件に真摯に向き合うことこそが、家庭用子供用玩具であるプラレールの真髄であると言えるのではないか。制約のない自由などありはしないのだ。

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完成した本作はシンプルなシンメトリー複線の内側に、高架曲線と二倍直線を用いた三層構造となっている。三層構造と言っても、最下層が高架率100%となると発注者が自力で列車を設置できなくなるので、敢えて鉄橋と高架の隙間にレールを飛び出させて設置スペースとした。現有のレールでこれ以上に最小の建ぺい率で、建築条件をすべて網羅したプランは考えられない。それぐらいシンプルで、無駄が一切ないのである。それゆえに、このプランはこれまでで最も美しいものになった。

ところで、4台の列車を同時に且つぶつからずに走らせるには、実は複線レールを使用した高架二層構造が最もコンパクトにまとまることがわかっている。わかっていながらこれをしなかったのは、高架複線のブロック橋脚を持っていなかった、などという後ろ向きな理由ではない。複線化すると駅や踏切、鉄橋やトンネルなどの情景パーツが使いにくくなり、いわゆるイベントが減ってしまうのだ。

目的を達成するために簡素化しすぎることで、おもちゃとして飽きやすいものをこしらえてしまっては本末転倒である。本作はそういう意味で、すべての列車が一つ以上のイベントを通過するように作られている。これまではどうしても構造上の問題で、1台はただレールの上を走るだけのようなプランが存在していたが、今回はそれがないというところも特筆すべき点だと思っている。

すべてのパーツに意味がある―――。プラレールは男の人生に二度、特別な意味を持たせるものなのかもしれない。