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週刊文春の記事についての説明

4月12日号発売の文春の記事についての説明とマンション売却の経緯についてお答えしますが、
まず最初にお断りしておきたいのは、ここに至った原因は原との感情のもつれ、という事です。
普通の円満な夫婦関係であれば僕も絶対にこんな事はしません。

そしてその原因は僕の過去の馬鹿げた浪費です。
それさえしなかったら今も原や子供たちとの楽しい生活が続いていたのかと思うと胸が潰れそうな思いになります。

まず、そこからお話したいと思います。そうしないと、僕の行動がどうしても説明がつかないからです。
その後にマンション売却の経緯をお話します。

そして、この時の僕の対応がますます原と感情的にもつれる原因となり、子供達にも大きな影響を与える事になり、今となっては失敗だったと言わざるを得ません。


原は本来、非常に聡明で頭の回転は速く性格も明るく、子供には深い愛情を注ぎ、日本棋院の常務理事という要職を務め、又、困窮してる女性に援助していたことも伝え聞いてます。

本来は素晴らしい女性なんです。この事は原に会った事がある人ならわかると思います。僕に対しても元々はこういう女性でした。だからこそ、僕は20年前に原と結婚したのです。
しかしながら、今の僕に対してだけは違う顔を見せるのです。これは僕に対して原がある特別な感情、強い怒りを抱いているからです。その原因は僕の過去の浪費です。


僕は1998年に32歳で原と結婚しましたがこの時から名人のタイトルを失うまでの年収は5000万円を下回る事はなく、僕の全盛時代でした。

原も27歳で僕と結婚した当時、人気絶頂の女流棋士で年収は2000万円ほどであったと原から聞いた事があります。

しかし、原は僕との結婚を機に持っているほとんどの仕事を他の棋士に分け与えて専業主婦のようになりました。僕の棋士人生に賭けたという思いがあったのだと思います。

僕は生活費として原に毎月100万円渡す事にしました。
2003年には日本有数の高級住宅地である千代田区三番町にマンションを2億円で購入して35年ローンを組みました。毎月の返済額は管理費入れて66万円ほどでした。

当時の僕の年収から考えれば全く問題のない返済額でしたが当時の僕は自分の収入が入る口座のキャッシュカードを自分で持っていて、あればあるだけお金を使ってしまうような性分だったのです。

この当時の僕の浪費が今に至るまで僕に対する原の特別な感情、強い怒りを持つに至った原因です。

2004年に名人のタイトルを失い、さらに知人からの勧めで仕手株に手を出して500万円程の損失を出しました。この頃に僕は原に通帳とキャッシュカードを渡す事になり原が僕の収入を管理することになりました。


記事の中に「2004年以降も私達が借金返済に追われている時期に証券会社の口座に2000万円ほどの隠し金を持っていた」と書いてますが、原の記憶違いと思われ、証券会社の口座の履歴を見て原がそう思ったのかもしれません。

そして僕もこれについて記憶違いをしていて、記憶が蘇ったので説明します。

元々僕が仕手株に手を出したきっかけは、2004年に知人のKさんという九州出身で会社を経営している当時50歳位の気の良い男から持ち掛けられた話でした。僕はkさんが好きで毎日のように飲み歩いていました。

Kさんから「僕の後輩で仕手グループに入っているZという男がいる。この男から情報が入る。T工業の株を買えば必ず上がる」と言われました。僕はそれまで株など買った事はなく、半信半疑だったのですが、付き合いで50万円程買いました。そしたら、本当にT工業の株が急騰して倍ほどの株価になったのです。僕はそれで信用してしまって、

日本棋院から1000万円以上、知人からも1300万円ほど、自分の持っていたお金も合わせて3000万円近くを株の資金にしました。これは事前に原にも相談して了解を取ってました。しかし、T工業の株価はじりじりと下がっていきました。

ある時、Kさんと飲んでいる時ポツリと「Zは騙されているんだよ」と言った言葉に衝撃が走りました。これはT工業の株価が上がる見込みがない事を意味します。その後、T工業の株を売りましたが500万円程の損失を出しました。

ここまでは拙著「どん底名人」にも書いた事であり、もう10年以上前の事であり、僕もここで株をやめたと記憶違いしていたし、「どん底名人」にもそのように書かれていますが、事実は違っていたのです。

その後もkさんとは会っていました。kさんから「今度こそは間違いない。チタンとバルブで損失を取り返そう」と言われました。なんでも、チタンでバルブを作るので株価が上がる根拠があるというような話でした。

そして、この会社で経済評論家の竹村健一さんの講演会があり、僕はkさんと一緒に行き、講演会の後、
俳優の故菅原文太さんがいて、僕と菅原さんが一緒に鏡割りをした記憶があります。
この時着物を着て行きましたから、どこへ行くのか原も知っていたはずだと思います。同居している時はいつも原が着物の用意をしてくれていました。

そんなような事でBという会社とSという会社の株を証券会社の口座に残っている資金で買ったのでした。
この当時、原は武蔵野市に持っていたマンションを売ったと言っていましたので、僕は原に「そのお金で株を買えば必ず儲かる。チタンでバルブを作るから上がる根拠があるんだ」などと言ったはっきりとした記憶があります。

原が突っぱねたのは当然であり、僕は大馬鹿者ですが、2000万円ものお金を隠し持って使うなどするわけありませんし、しようとしてもすぐわかると思います。
Bという会社の株は僕の父親にも勧めており、50万円ほど買って最初の方に売って数万円儲かったと言っていました。
BとSの会社の株の取引きではほとんど得失はありませんでしたが、2005年に株の取引きは終了して口座に入っていた残金は借金返済の穴埋めに使ったはずです。これが僕の株取引の一部始終の顛末です。


2005年には碁聖のタイトルも失い、その後、名人、本因坊の両リーグも陥落して収入もさらに激減して、今から4年前の2013年頃には家計が破綻状態になりました。
この頃になると、原との関係も悪化し、僕は家にいても用事がある時は原とはメールでやり取りするようになりました。
子供達にとって自分達の両親の不仲は精神的に大きな影響を与えます。この事は本当に子供達にすまなく思います。


この当時、原はとにかくお金がない、借金枠で生活してると口癖のように言うばかりで、どのようにお金がないのかわからなかったから怖くなり、原に僕の通帳を渡してもらうように申し入れました。
ただし、この頃、僕は原とは2人だけで話し合いが出来る状態ではなかったので原と仲の良い女性のBさんに仲介を頼んで顧問税理士の事務所で顧問税理士を交えて4人で話し合い、僕の通帳を取り戻す事が出来ました。ただし、取り戻したと言っても、僕はその通帳からお金を引き出すことは出来ません。入金専門の通帳です。

僕が原から通帳を渡された時、原から話を聞いたBさんから、「毎月5日に115万円通帳にあるようにして下さい。それでこの通帳は回ります」と言われ、その事をBさんが通帳に書き込みました。2013年12月の事です。
この頃かなりのまとまったお金を貸してくれた人もいました。僕の破綻状態をわかった上でお金を貸してくれたその人には今も感謝してます。
ところが毎月5日に銀行に行って通帳の記帳をするのですが、とてもじゃないけど、月115万円で回るような通帳ではなかったのです。月115万円なら年1380万円です。このくらいなら頑張れば何とかなると当時は思ってました。

しかし、通帳に残っている2013年7月から2014年6月までの履歴を調べると11か月間で1800万円程の現金が出ている事がわかりました。

この当時は日本棋院からも400万円借りていて、その毎月の返済が7万円程あり、生命保険の引き落としもされた上で日本棋院から給与が振り込まれてましたから、実質的には年間2000万円ほどかかってました。当時の僕の収入をはるかに上回る支出でしたから、借金が増えるのは当然なのです。その借金枠も一杯まで使っている状況でした。

そこでこの事実を原にメールで送り、顧問税理士の事務所で話し合い、それまで僕の口座から引き落とされていた月16万円の生活費を原にやめてもらうことにしました。これは大変な原の協力であり、前進ですが、それでもまだまだ切り詰めないと破綻を回避出来ないと思い、さらに原に負担を求めたところ、意見が衝突してしまったのです。

原の言い分としては、自分は十分に協力したのだから、後はあなたがもっと仕事を増やせばいいではないかという事を言ってました。カレンダーのの予定表に空白が多すぎると。
確かに原の予定表の覧は書き込みで一杯になってました。でも、この当時は1か月単位で危機が迫っていたのです。仕事を作るにも時間がかかります。すぐ個人指導などの仕事が出来るというものではありませんし、仕事を増やす事をしながらトーナメントプロとして対局に勝つというのは容易なことではありません。

僕だって本当はマンション売却などしたくはありませんでしたが、この頃の原との意見の衝突からマンション売却して借金を清算しないと本当に自己破産してしまうと考え、又、この頃から僕は原とは話合いが出来ない、法律で物事を決めるしかない、原に対しては法律の範囲内で責任を全うしようと、同居している時に思っていたし、当時、原にもそういうメールを送っています。同居している夫婦であり、自分の子供を3人も産んでくれた女性に対して法律で解決しようと考える事が異常であり、感情的になってこのような考え方を持ってしまった事を今はとても後悔しています。



このような状況で会社を経営している友人に相談し、70歳くらいのS弁護士を紹介してもらいました。
2015年2月の事でした。

僕はS弁護士に通帳を見せて家計の状況を説明した所、いきなり自己破産を勧められました。この時S弁護士を紹介してくれた友人も一緒にいて聞いています。
「自己破産する前と自己破産した後とは別の人生なんです」と言われましたが、僕は自己破産はしたくない、出来ればマンション売却をしてやり直したいと答えました。
S弁護士は、「これは法律の問題ではない。この仕事はあなたの奥さんの説得だ。これは若い弁護士には任せられない、自分が引き受ける」と言いました。又、この時に、「奥さんの前であなたを舌鋒鋭く責めますよ。これは奥さんの信頼を得るための演技です」と言われました。このような事もあって原はS弁護士の事は自分の味方という風に考えたのだと思います。


僕は原にS弁護士の事務所に行くように伝えました。
まず、別室で原の話をS弁護士が聞いて、その後、S弁護士から僕が説明を受けるという形だったと記憶してます。

まずはこのような状況であったという理解の下に、なぜ僕がマンション売却をS弁護士と原に知らせず行ったのかについて説明します。

確かに、S弁護士から売却益をS弁護士の預り口口座に入金するという話があったのは事実であるし、
当初は破綻を免れるならそれでもいいかとは思ってました。
なお、原は約束と言うけれども、僕はS弁護士の提案と受け取ってました。約束なら文書を作ってるはずです。弁護士が口約束などありえませんから。

「マンション売却益は依田さんの負債の返済に充てる」と言いますが、原の主張するものが、どういう負債なのか?

という事を僕は問題視したのです。
原は僕の負債の一覧表を作りました。その中に原が僕に多額のお金を貸し付けている記載がありました。

ですが、僕は結婚してから名人を失うまでの5年以上毎月100万円、6000万円以上原の口座に僕の収入からお金が渡ってますし、名人を失った後は僕の収入を原が管理しています。

原が僕にお金を貸したと主張するその原資は、僕の収入としか考えられませんでした。

原だって僕以外の人にはこのような主張はしないはずです。

軽々には言えませんがこれはおそらく、僕の浪費と深い関係があると推察してます。


このような原の主張を知っているからこそ、原とS弁護士に知らせずにマンション売却したのです。

そして、この当時、原の主張を受け入れる事は出来ないし、話し合っても原が納得する事はないと考えました。


僕は以前も述べたように原と平等の状態になるには法律しかないと思ってました。
そして、途中経過はどうあれ、結果的に法律でお互いに平等な決着になれば問題ないというのが僕の考えでした。
このやり方で法的に問題ないかどうか、法律に詳しい人にも相談したり、アドバイスを受けてました。

この当時はこれがベストの選択だと思っていましたし、原は怒るとは思っていましたが、すで悪化していた原との関係がこれ以上悪くなりようがないだろうと思ってました。でもその僕の考えは間違いでした。
僕と原との感情のもつれに子供を巻き込んでしまいました。
それを思うと心が痛みますし、子供に申し訳なく思います。
今思えば、子供の母親である原と法律で決着つけようなどとしたのは馬鹿な考えでした。

あの時、原の主張を認めてマンション売却益を全て原に管理させ、僕の収入を原に管理させれば、子供達とは良好な関係が続いた事でしょうし、原も納得したと思います。

でも、当時の僕の感情としてそれは出来ませんでした。
記事で原は「依田が約束を破りマンション売却で得たお金を私物化した」と言っています。もちろんそんなつもりは僕には全くありません。離婚すれば財産分与しますし、次男の学費も払っています。

そもそも、僕がそんなにお金にこだわるような性格ならこんなにお金で苦労することはありませんでした。


あの当時、相談した人の誰もがマンション売却しかないと言いました。
僕も借金だらけの状態で「来月はしのげるのか?」と心配しながらローンの返済が終わる72歳まで綱渡りのような事は出来ないと思いました。

でも本当にそうだったのかと、子供達と楽しく過ごした日々を思い出す度に思います。

余談ですが僕と原は2014年頃テレビの囲碁講座で講師と聞き手として出演した事があります。
収録前に僕が講座の材料を用意していたので収録が早く進みました。
その時、振り向いて見ると原がとても嬉しそうな表情をしてました。

おそらく、あの時が僕といる時に見せた最後の笑顔だったと思います。

その事を思い出すと切なくなります。

僕は世の中で一番怖い物も、嬉しい物も人間の感情だと思います。

このような事を言っても、原に身勝手だと言われるかもしれませんが、
もしも、あの当時に「すんだ事は仕方ないよね。私も協力するから一緒に頑張って乗り切ろうよ」と原が言ってくれてたら、もしかしたら今も売却したマンションに住んでいたかもしれないと思うと、胸が締め付けられる思いがします。


もし今、あの時に戻れるなら決して原とS弁護士に知らせずにマンション売却するなどしなかったでしょう。
人間の感情のもつれがどういう結果を産むのかわかるからです。
そしてここまで子供に影響を及ぼす事になるとは当時は想像出来ませんでした。

お金は大事でした。今になってつくづく実感します。でもお金よりももっと大事な物もあることも知りました。



なお、文春の記事ではあたかも僕が次男の私立学校の学費を払っていないような書き方でしたが、

次男が入学以来、全て学費をマンション売却益から僕が学校に振り込んでいます。
今年度分の学費は婚姻費用が46万円と高額なため、これに含まれていると思い込んでいたのです。
ですが、審判書をよく読み返してみると含まれていないことがわかりました。
そこで僕は学校に連絡して振込先と金額を送付してもらって、学費を4月11日に振り込みました。


記事で「別々に暮らす家族のお金を僕が払う理由がない」と僕が言ったとの事ですが、僕がそんな事言うはずありません。
これはどこかで言葉が間違って伝わっているのだと思います。僕がある時期に原に婚姻費用を払っていなかったのは事実ですが、この頃はこの事について、現在の僕の担当弁護士が原側の弁護士と折衝していました。ですから、僕が非人道的な事をするはずないし、仮にしようとしたって出来ませんでした。

この折衝の内容を詳しく言う事は出来ませんが、僕はマンション売却当時、原が金銭的に困窮しているとは思っていませんでした。
ですがこの時の僕の対応でますます感情的にこじれてしまいました。そしてこの事で子供の心を傷つけてしまった事を後悔しています。



マンション売却後、僕は一生悔やんでも悔やみきれない事をしてしまいました。
この事は原にも子供にも本当にすまなく思います。
この機会にそれについてお話させていただきます。

依田塾という2011年にオープンさせた子供中心の囲碁サロンがあります。
僕が代表、塾長となって原は塾長代行という肩書となっていましたが、実質的な経営は全て原が行い、僕は毎週日曜日の塾長講義や生徒への指導、テキストの作成などを行っていました。
僕の塾長講義は大人も聴講できるもので、その様子をビデオ撮りして会員に販売しています。
別居後に正式に税理士が文書を作り、原に依田塾を譲渡しました。現在僕は依田塾に対して何の権利も権限もありません。

2014年に毎週日曜日の塾長講義は僕の独断でやめてしまいました。
この事も原が僕に対し不信感を持った理由の一つです。
原としても、いきなり会員に講義のビデオを提供できなくなるのは困るという事で、
マンション売却後も依田塾での僕の囲碁の講義のビデオ撮りを月に1回ほどのペースで行っていました。


これは僕にとっては長男、次男の囲碁の教育を兼ねて僕が題材を用意して講義していたものであり、原も依田塾に来て、その様子をビデオ撮りして会員に提供していました。
ビデオ撮りの時だけは、僕に対しても普通に話をするのです。
これは原が依田塾の会員には迷惑をかけるわけには行かないという思いからであり、原が自分の感情を抑えていたのは本当に立派だったと思います。

そしてこのビデオ撮りが、僕と原と子供達とのマンション売却後の唯一の協力し合って行っていた作業でした。

しかし僕が原因で現在は行っていません。
その経緯は詳しくは話せませんが、子供達とのプライベートな空間での面会交流について、原との意見の衝突から「面会交流が正常に行われるまでビデオ撮りが出来る精神状態ではない」というメールを衝動的に原に送ってしまったのです。その後まさか子供達と本当に会えなくなるとは思ってもみませんでした。

この時以来ほとんど子供達とはあっていません。
本当に愚かな事をしてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。
例えプライベートな空間でなくても子供達とは会えていたのです。
こんな事していてビデオ撮りが子供の教育とは全く理屈になりません。
本当の大馬鹿者です。だから原が僕に対して身勝手と言うのは当然とも言えるのです。

ビデオ撮りの責任を果たしつつプライベートな空間での面会交流の実施を原にお願いするべきでした。
子供達とのビデオ撮りは誰の為でもなく、何よりも僕の為に必要だと後になって気が付きました。

以上のような経緯があり、原は僕に対して大きな不信感を持っているし、現状の僕と原を取り巻く状況では容易に首を縦には振らないかもしれませんが、

出来る事ならこの時に戻り、ビデオ撮りを再開したい。会員から要望があればプライベートレッスンも全て無償で引き受けてもいい。少なくともそれを僕が60歳になるまで続けると約束してもいい。僕がよほどの重病でもしない限り、もし、僕が言った事を守らなかった時は棋士を引退してもいい。それはこの手記を読んだ人が全て証人です。



なお、依田塾は政策金融公庫から1500万円の融資を受けて毎月29万円の返済をしていました。マンション売却益から残金710万円を返済しました。

ですから碁盤や碁石も良い物を使い、生徒の子供が入室と退出時に保護者にメールが送信されるなど、原が母親目線で安心出来る設備を整え、スタッフや講師陣も充実しています。

この依田塾は子供達と過ごした思い出の空間であるし、僕は本当に依田塾の発展を願っています。

原に身勝手だと言われるかもしれませんが、僕と原の現在取り巻く状況を別にしても、原の心情さえ許すならいささかなりとも依田塾の発展に寄与出来ると思うし、そうしたいと思います。

この手記を書いた事は過去を振り返るいい機会になったと思います。
そして今になって思う事は、本当に僕は愚かであったという事、僕に対してきつい所もあったけど、原は僕が思っていた以上に素晴らしい人間であったという事、原と子供達にすまない気持でいっぱいである事、などです。この手記を書いていくうちに本当にその事に気が付きました。

原は僕がいくら言葉で言ったとしても決して納得しない事はわかっていますが、
本当に大事な物を思いながら、これからの人生を生きて行きたいと思ってます。

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