オーストラリアの81歳の男性ジェームズ・ハリソンさんは、今月11日、人生最後の献血を行った。同国赤十字血液サービスによると、ハリソンさんは過去60年間、1100回以上の献血で、240万人以上の新生児の生命を救ってきたことから、「黄金の腕を持つ男」として尊敬を集めてきたという。
ハリソンさんがこれほど多くの赤ちゃんの生命を救えた理由は、献血への協力回数ではなく、その特殊な血液にある。ハリソンさんの血液には、妊婦のお腹のなかの赤ちゃんを守るための「抗D人免疫グロブリン」という血液製剤を作るための極めて珍しい抗体が含まれているのだ。
私たちの血液型を決定するのは、ABO式とともに、Rh式がある。Rh式はD、E、Cなど6種類の因子があり、このうち、D因子を持つ場合は「Rh(+)」、持たない場合を「Rh(−)」と区別する。日本人におけるRh(−)の割合は約200人にひとりと少ないが、白人では約15%と多い。
Rh(−)の母親が、Rh(+)の赤ちゃんを妊娠することは「Rh式血液型不適合妊娠」と呼ばれており、妊娠中や出産時に母親の血液中に赤ちゃんの血液が入ると、異物であるD因子を排除するための抗体が作られる。
次に妊娠したとき、この抗体は胎盤を通って赤ちゃんの血液に入り、D因子がある赤血球を壊してしまうため、二人目の妊娠では、流産や胎児の溶血性貧血、黄疸などの症状を引き起こすリスクが高くなる。
このため、Rh式血液型不適合妊娠の場合は、お母さんの血液に入った赤ちゃんの赤血球を排除するための抗D人免疫グロブリンを注射する必要がある。ハリソンさんには、この製剤の原料になる重要な抗体が含まれているのだという。
ハリソンさんが血液を提供するようになったのは、14歳で受けた胸の手術で多くの人から血液の輸血を受けたことが始まりだという。しかし、18歳で初めて献血を行ったときには、自分が特別な血液の持ち主だとはもちろん知らなかった。発見されたのはそれから10年後のことだという。
というのもD因子自体がオーストリアの医学者によって発見されたのは1937年。それから薬剤の製造法を開発し、1940年に研究論文が発表された。ハリソンさんが生まれたのも1937年。彼らのような特別な献血者の血液から作られた製剤によって、多くの新生児が死産や合併症から守られてきた歴史を象徴する存在なのだ。
豪州の赤十字によると、同国ではハリソンさんのような特別な血液の提供者を常時200人リストアップしている。ハリソンさんも、この先も多くの赤ちゃんの生命を救いたいと望んできたが、献血の年齢制限をとうの昔に超えているため、今回が最後の献血となったという。
ハリソンさんは「私は献血記録を打ち立てようと今まで続けてきたわけじゃないけれど、いつか誰かがこの記録を破ってくれたら嬉しいよ。自分以外の誰かのために役立っているという証なんだから」と語る。