梅本家
華々しい経歴の方々ばっかりで
母方のおじ、おばはすごく上品でかっこいいんですよ、みんな。
(歴史については)全然知らないです。自分が恥ずかしいです
母のせいにするわけじゃないですけど、全然喋んないんですよ
奈良県吉野郡下市町 梅元山浄徳寺
梅本さんの名前をとっている。
約530年前に先祖が寺を建立。
南北朝時代~江戸時代
その当時の有力な皇族8名が後醍醐天皇を守った。
そのうちの一軒が梅本家。
三種の神器(鏡・剣・勾玉)を北朝方の敵が奪いに来た時に
梅本家の先祖が、冬の寒い中、敵に取り囲まれながら相手の大将を倒した
「梅本家日記」によると、中古から武士身分だったが
郷士の身分がお召し上げになりましたので
江戸時代になるにあたって兵農分離で、村に居る侍身分というのをなくしてしまう
農民になり、村のまとめ役に。岩を削って河川工事。
再び武士の身分を与えられる。
正倫さん(祖父)
弟と妹が生まれたが、直ぐに亡くなってしまう
明治34年生まれ。大正12年京都帝国大に入学。卒業後、満鉄に入社。
昭和8年、立ち寄った喫茶店で働いていた、とねと知り合い結婚
昭和20年8月9日、満州にソ連軍侵攻、撫順炭鉱の幹部が緊急会議を開く
社員手記によると「最悪の事態に備え、全社員・家族の自決。青酸カリを準備する」
中国側との折衝にあたる
撫順炭鉱で日本人が連行され、銃殺寸前の危機を救う
終戦後2年たち、日本へ引き揚げ、とねの実家・福岡で暮らす。45歳で無職に。
昭和26年、京都のバス会社の正社員に採用される。
1ヶ月後、持病の喘息が悪化。50歳で死去。
とねさん(祖母)
正倫さんの死後、出来る仕事はなんでもやった。
産んでくれ産んでくれって、どんどん産ませておきながら
こんなことになっちゃって
あたしが死んだ暁にはタダじゃ置かないからって
並み居る亡者をかき分けて、おとうちゃまを見つけ出し
首根っこを捕まえて、
よくもよくも一人でさっさと逝って人に苦労させたなって
とっちめてやるワって言ったんです
もうみんな大笑い