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哲学書は、おおむね一人で読んでも訳が分からないようにできている。
先達+同輩と読んでいくというのが、オールド・スタイルで鉄板だが、なかなか哲学書を読むだけのために、それだけの「投資」ができる人は少ない。
「投資」と書いてはみたが、リターンが期待できるかといえば、まったくそうではないのだから、最初から掛け金の半分を持って行かれる宝くじよりも期待収益率は低い
ありていにいえば、金と時間をどぶに捨てるようなものだ。
まず翻訳書で読むとなると、多くの翻訳が、非常に日本語から隔たっている。
古いものは、となりに原書を置くのが前提で、辞書を引く手間を多少は省けるようにと擬逐語訳になっていることもあるが、基本的には哲学を学ぶと日本語がめちゃくちゃになることが大きい。
次に、その哲学者が前提にしているもの、彼が身をおいた状況だとか、仮想敵にしたそれまでの哲学の流れや問題設定などなどのうちで、読み手が共有しているものがあまりに少ない(先達はこのあたりのギャップを埋めてくれるものなのだが、よい先達はいつだって少ない)。
哲学書のかなりの部分が、それまでの哲学をまとめたり批判したりすることに費やされているが、そんなもの読み手からすれば知ったことじゃない話が多い。
多くの場合、哲学のコースで哲学史がほぼ必修とされていたのは、そんな理由からである。
ところが、日本語で読める哲学史のまともなもの、というのが少ない。岩崎武雄の本なんかが、長年重宝がられたことからもおよそ知れる。
今ならとりあえず、中央公論新社の『哲学の歴史』全13巻。こういう全集ものは、付録や別冊が《おいしい》ことが多い。別巻 (13)をまずは開いてみよう。
(日本でこういう全集ものを企画すると、同じ学校(時には同じゼミ)出身者ばかりが執筆者になって、そういうとこから外れて、従来手をつけられなかった分野に打ち込んだ研究などは外れ/外されやすくて、「全」集になり損なうことも多いのだが、さて)。
と、あれこれ回り道して哲学書を読むより、クルーグマンでも読んでいた方が、よほどいい気分になれるだろう。
それでも今時、どんな手があるかと考えてみれば、
(1)とりあえず英語のツールを使える程度に英語を復習して(原書が読めるほどのレベルはとりあえずは要らない、あったほうがそりゃいいけど、
(2)邦訳のほかに英訳テキストを傍らに備え、
(3)そして、できれば注釈書を、最低でもオックスフォードとかブラックウェルとかロートリッジのコンパニオンを用意して読む/必要に応じて参照する(引きまくる)、
まず
The Oxford Companion シリーズ
というのは、基本的にアルファベット順に項目が並んだ「専門辞書」である。なので、哲学関係ばかりでなく、様々な分野のものがある。あたりまえだが、わからない用語が出てきたら引く。専門用語は、かなり大きな辞書でも載っていないことも、知りたい意味が載っていないことも多いので。
次に
CambridgeCambridge Companions to Philosophyシリーズ
は、Companion to~の後に哲学者や思想家(や学派など)の名前が来る。つまり、ある哲学者を取り上げて伝記的事実から思想内容まで解説してくれる「人と思想 案内書」である。
Routledge Philosophy Guidebookシリーズ
は、「~ Guidebook to 哲学者(思想家)名 on 著作名」といったタイトルになっている。
ある哲学者の代表作を1冊取り上げて、各章でそれについての解説をしてくれる。ちょうどCambridge CompanionとPurdue University Seriesの間に位置するような「哲学書 案内/解説書」である。
Purdue University Series in the History of Philosophyシリーズ
は、さらに詳しく1冊を読み込む参考書。なにしろ1冊の哲学書の本文を内蔵して、これに各章・各節ごとに解説したシリーズである。あらゆる哲学書を網羅しているわけではもちろんないが、じっくり読み込むには最適である。
といった感じだろうか。
この手の英語のツールは、英語読者のマーケットが日本語読者のマーケットよりも広いせいか、かなり最近のもので分かりやすく書かれたものが手に入る。
ドイツ語もできると、(とくにラテン語で書いてある哲学書なんかだと)よい注釈書が使えるようになる。
したがって一人で哲学書を読むミニマム・セットは、
(ア)なるべく読みやすい哲学書の邦訳
(イ)実はネットで手に入ったりもする原テキストと英訳テキスト
(ウ)読むなら知っておいたほうがいいことをかなりの程度まとめてくれている上記のコンパニオン・シリーズに該当するもの
以上3点を用意して事にあたることだろうか。
近くに先達が得られない人は、とりあえず自分が読みたい哲学者のコンパニオンを手に入れるといい。
英語なんてそれから勉強したってかまわない。
むしろ、なにも読みたいものがない、読む必要のあるものがない状態で、漠然と英語をやるなんて、モチベーションがすぐ折れても不思議じゃない。
なお、学部卒業(卒論書き)でもとめられる「理想的」な状態は、
(1)誰もが知っている哲学者の、誰もが知ってる主要テキストを、邦訳でいいから全部読み、
(2)それらテキストから1冊を選んで、そのテキストについてのこれまでの主要な研究(この程度ならコンパニオンでもわかる;もう少しおおきなレファレンスにはHandbuch der Geschichte der Philosophieがあるが)もとりあえず知った上で、
(3)これらインプットしたものの「まとめ」をまともな日本語で書く、といった程度である。
まともに、普通にやると、この程度でも4年間では間に合わない。
実験レポートを出せばいいカガクとは違うのだよ、カガクとは。
手を抜くべきところは抜き、重点的に時間を投下すべきところに投下すること。
研究は、つまるところ、時間というストックできないものをどうマネジメントするかにかかっている。
なお、その道のプロになろうとすると、
(1)その哲学者の書いたものを書簡、草稿なども含めて全部読み、
(2)その哲学者についてのこれまでの主要な研究をほとんど見渡して、
(3)自分なりの見取り図が描く、
といった程度のことである。なんか近いような遠いような話だな。
それにしても、それでも1冊に10年かかるかもしれない。
10年をどぶに捨てるかわりに、数年で減価しそうな資格を取る勉強をしたほうが、心の安定にはいいかもしれない(生活の安定は約束できないにしてもだ)。
でもまあ、10年1冊を費やす人なんて、そうざらにはいないから、なにか希少価値があるかもしれない。
1冊30年を棒に振る、というのは、誰にもお勧めできないが、そうせざるを得ない人だっているかもしれない。
それは、まあ、なんというか、バラ色の茨の道ではないか。
先達+同輩と読んでいくというのが、オールド・スタイルで鉄板だが、なかなか哲学書を読むだけのために、それだけの「投資」ができる人は少ない。
「投資」と書いてはみたが、リターンが期待できるかといえば、まったくそうではないのだから、最初から掛け金の半分を持って行かれる宝くじよりも期待収益率は低い
ありていにいえば、金と時間をどぶに捨てるようなものだ。
まず翻訳書で読むとなると、多くの翻訳が、非常に日本語から隔たっている。
古いものは、となりに原書を置くのが前提で、辞書を引く手間を多少は省けるようにと擬逐語訳になっていることもあるが、基本的には哲学を学ぶと日本語がめちゃくちゃになることが大きい。
次に、その哲学者が前提にしているもの、彼が身をおいた状況だとか、仮想敵にしたそれまでの哲学の流れや問題設定などなどのうちで、読み手が共有しているものがあまりに少ない(先達はこのあたりのギャップを埋めてくれるものなのだが、よい先達はいつだって少ない)。
哲学書のかなりの部分が、それまでの哲学をまとめたり批判したりすることに費やされているが、そんなもの読み手からすれば知ったことじゃない話が多い。
多くの場合、哲学のコースで哲学史がほぼ必修とされていたのは、そんな理由からである。
ところが、日本語で読める哲学史のまともなもの、というのが少ない。岩崎武雄の本なんかが、長年重宝がられたことからもおよそ知れる。
今ならとりあえず、中央公論新社の『哲学の歴史』全13巻。こういう全集ものは、付録や別冊が《おいしい》ことが多い。別巻 (13)をまずは開いてみよう。
(日本でこういう全集ものを企画すると、同じ学校(時には同じゼミ)出身者ばかりが執筆者になって、そういうとこから外れて、従来手をつけられなかった分野に打ち込んだ研究などは外れ/外されやすくて、「全」集になり損なうことも多いのだが、さて)。
と、あれこれ回り道して哲学書を読むより、クルーグマンでも読んでいた方が、よほどいい気分になれるだろう。
それでも今時、どんな手があるかと考えてみれば、
(1)とりあえず英語のツールを使える程度に英語を復習して(原書が読めるほどのレベルはとりあえずは要らない、あったほうがそりゃいいけど、
(2)邦訳のほかに英訳テキストを傍らに備え、
(3)そして、できれば注釈書を、最低でもオックスフォードとかブラックウェルとかロートリッジのコンパニオンを用意して読む/必要に応じて参照する(引きまくる)、
まず
The Oxford Companion シリーズ
というのは、基本的にアルファベット順に項目が並んだ「専門辞書」である。なので、哲学関係ばかりでなく、様々な分野のものがある。あたりまえだが、わからない用語が出てきたら引く。専門用語は、かなり大きな辞書でも載っていないことも、知りたい意味が載っていないことも多いので。
次に
CambridgeCambridge Companions to Philosophyシリーズ
は、Companion to~の後に哲学者や思想家(や学派など)の名前が来る。つまり、ある哲学者を取り上げて伝記的事実から思想内容まで解説してくれる「人と思想 案内書」である。
Routledge Philosophy Guidebookシリーズ
は、「~ Guidebook to 哲学者(思想家)名 on 著作名」といったタイトルになっている。
ある哲学者の代表作を1冊取り上げて、各章でそれについての解説をしてくれる。ちょうどCambridge CompanionとPurdue University Seriesの間に位置するような「哲学書 案内/解説書」である。
Purdue University Series in the History of Philosophyシリーズ
は、さらに詳しく1冊を読み込む参考書。なにしろ1冊の哲学書の本文を内蔵して、これに各章・各節ごとに解説したシリーズである。あらゆる哲学書を網羅しているわけではもちろんないが、じっくり読み込むには最適である。
といった感じだろうか。
この手の英語のツールは、英語読者のマーケットが日本語読者のマーケットよりも広いせいか、かなり最近のもので分かりやすく書かれたものが手に入る。
ドイツ語もできると、(とくにラテン語で書いてある哲学書なんかだと)よい注釈書が使えるようになる。
したがって一人で哲学書を読むミニマム・セットは、
(ア)なるべく読みやすい哲学書の邦訳
(イ)実はネットで手に入ったりもする原テキストと英訳テキスト
(ウ)読むなら知っておいたほうがいいことをかなりの程度まとめてくれている上記のコンパニオン・シリーズに該当するもの
以上3点を用意して事にあたることだろうか。
近くに先達が得られない人は、とりあえず自分が読みたい哲学者のコンパニオンを手に入れるといい。
英語なんてそれから勉強したってかまわない。
むしろ、なにも読みたいものがない、読む必要のあるものがない状態で、漠然と英語をやるなんて、モチベーションがすぐ折れても不思議じゃない。
なお、学部卒業(卒論書き)でもとめられる「理想的」な状態は、
(1)誰もが知っている哲学者の、誰もが知ってる主要テキストを、邦訳でいいから全部読み、
(2)それらテキストから1冊を選んで、そのテキストについてのこれまでの主要な研究(この程度ならコンパニオンでもわかる;もう少しおおきなレファレンスにはHandbuch der Geschichte der Philosophieがあるが)もとりあえず知った上で、
(3)これらインプットしたものの「まとめ」をまともな日本語で書く、といった程度である。
まともに、普通にやると、この程度でも4年間では間に合わない。
実験レポートを出せばいいカガクとは違うのだよ、カガクとは。
手を抜くべきところは抜き、重点的に時間を投下すべきところに投下すること。
研究は、つまるところ、時間というストックできないものをどうマネジメントするかにかかっている。
なお、その道のプロになろうとすると、
(1)その哲学者の書いたものを書簡、草稿なども含めて全部読み、
(2)その哲学者についてのこれまでの主要な研究をほとんど見渡して、
(3)自分なりの見取り図が描く、
といった程度のことである。なんか近いような遠いような話だな。
それにしても、それでも1冊に10年かかるかもしれない。
10年をどぶに捨てるかわりに、数年で減価しそうな資格を取る勉強をしたほうが、心の安定にはいいかもしれない(生活の安定は約束できないにしてもだ)。
でもまあ、10年1冊を費やす人なんて、そうざらにはいないから、なにか希少価値があるかもしれない。
1冊30年を棒に振る、というのは、誰にもお勧めできないが、そうせざるを得ない人だっているかもしれない。
それは、まあ、なんというか、バラ色の茨の道ではないか。
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- “こういう全集ものは、付録や別冊が《おいしい》ことが多い。” こういう細かいノウハウを独学で知るのは難しい。だから大学のゼミや原著購読は重要。(一方、読書猿ブログはそれを疑似体験できる)
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