タマラ ド レンピッカ 生誕120周年

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Googleロゴ

2018年5月16日

この日、「ポーランド」をはじめとして、たくさんの国で、Google検索のロゴが以下のものに変更されています。

Tamara Łempicka – 120. rocznica urodzin

120 лет со дня рождения Тамары де Лемпицки

Tamara de Lempicka’s 120th Birthday

タマラ・ド・レンピッカ生誕 120周年

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表示された国

この日、「Google」のロゴが変更された国は以下の画像の通りです。

「ポーランド」をはじめとして、たくさんの国で表示されています。

「タマラ・ド・レンピッカ」さんって??

Tamara Łempicka:Tamara de Lempicka:タマラ・ド・レンピッカ

ポーランド出身の画家です。

20世紀前半にフランスを中心に流行したデザイン様式「アール・デコ」を代表する画家の一人です。

「1898年5月16日」に生まれて、「1980年3月18日」に逝去されています。

そのため、生誕120周年となります。

ロシアの衛星国時代のポーランドの裕福な家庭に生まれました。

幼少の頃に、祖母と一緒にイタリア旅行に行った際に、ルネサンスやバロック時代の絵画に触れ大いに感銘を受けました。

スイスのローザンヌで学校に通い始め、当時の流行「キュビスム」に影響を受けます。

その後、両親の離婚に伴い、裕福な祖母の住むロシアの「サンクトペテルブルク」に移住し生活を始めました。

そこで、弁護士「タデウシュ・ド・レンピッキ」さんに出会い、1916年に18歳で結婚。

ところが、1917年にロシアでは政変が起こります。(ロシア革命)

夫は革命政府により投獄されてしまい、彼女も逃亡生活へ。

スウェーデン領事の助けを借りて、なんとか夫を釈放に成功し、その後、夫婦はヨーロッパを転々とします。

そして1918年、フランス、パリに落ち着きました。

当初はロシア革命が失敗するまでの繋ぎのつもりで持参したものを売りながら生活を行なっていましたが、ロシア革命が収まる気配すらありません。

さらに1919年には子供(娘:キゼット)も生まれ、将来が不安になっていきました。

その時、彼女はかねてから興味のあった画家になることを志します。

「グランド・ショミエール・アカデミー」に入り、「モーリス・ドニ」さんや「アンドレ・ロート」さんに師事します。

子供の頃の絵画への憧憬もあり、彼女はあっという間に頭角を現しました。

当時のフランスは、第一次大戦に勝利したことで活気に溢れており、女性の社会進出も活発になっていました。

彼女は展覧会の常連となり、1925年にはイタリア、ミラノで初の個展を開催。

一気に人気芸術家となり、生活の不安も一掃されるどころか、パリの上流階級まで上り詰めました。

「キュビズム」を代表する画家、「モーリス・ドニ」さんや「アンドレ・ロート」さんの影響を受け、それに彼女自身の個性を合わせた作品は、当時斬新なものでした。

世の中の技術発展による機械化を作品に投影したようなクリアで機能的、実用的な様式。

その作風は、「パブロ・ピカソ」さんが「統合された破壊の斬新さ」と評するほどでした。

1925年に開催された「パリ万国装飾美術博覧会」をきっかけに花開くことになる「アール・デコ」の潮流にも乗り、1927年には娘をモデルとした絵画「バルコニーのキゼット」で、ボルドー国際美術賞の金賞を受賞。

また、彼女は美貌の持ち主であり、作品だけでなく、そのファンション、行動、私生活でのスキャンダルまでが大いに話題となりました。

人気芸術家となる裏で、仕事の忙しさにかまけて、家庭を顧みることが少なくなっていました。

1928年に、夫と離婚。

「娘:キゼット」も、自分の母親に任せっきりで、疎遠になってしまいました。

その後も、パリを拠点とし、芸術活動を続けて行きます。

パリでの活動は順風満帆でしたが、1930年代後半になるとナチスの台頭による第二次世界大戦の始まりが間近に迫っていました。

1939年にナチスの侵攻が始まると、アメリカに拠点を移し、そこで活動を行いました。

アメリカでも人気を博すのですが、第二次世界大戦が終わる頃になると、「アール・デコ」のブームの終了もあり、人気に陰りが見え始めました。

戦後、パリに戻りましたが、すでにデザインの流行は「抽象主義」へと移っていました。

それを受け、彼女は画家を引退。

引退後は資産を売り3度の世界一周旅行を行なっています。

「娘:キゼット」は、家庭を顧みない母親を恨んでいましたが、後年は自分の夫が亡くなったこともあり、母親と一緒に暮らすようになりました。

その後、彼女が亡くなるまで一緒に過ごしました。

1970年代中頃になると、彼女の作品も再評価されはじめました。

現在では、歌手の「マドンナ」さんや俳優の「ジャック・ニコルソン」さんなどがファンとして知られており、彼女の作品を所有しています。

ロゴデザイン

「タマラ・ド・レンピッカ」さんが描かれています。

「アール・デコ」に代表されるクリアで機能的、実用的な彼女の作風がロゴデザインに反映されています。

ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト

 ポーランドのGoogleサイト:Tamara Łempicka
 → https://www.google.pl

 ロシアのGoogleサイト:Тамара де Лемпицка
 → https://www.google.ru

 アメリカのGoogleサイト:
 → https://www.google.com

 日本のGoogleサイト:タマラ・ド・レンピッカ
 → https://www.google.co.jp

表示されるGoogleロゴのクリックで検索される言葉は「タマラ・ド・レンピッカ」です。

→ 他の国のロゴを表示させる方法

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