女性がセクシャルハラスメントや性的暴行を訴えると、必ずといっていいほど「女はイケメンからならセクハラもOKなのだろう」とか「有名人へのセクハラ告発は女のハニトラ(ハニートラップ/性的誘惑で罠にかけること)」といった声が男性側から聞こえてくる。
たしかに女性が「行き過ぎ」といえる告発をすることもある。それについては次回に語るのでぜひ読んでいただきたいのだが、今回は、上記の男性の意見が大きな思い違いだということを語らせてもらいたい。
例外はもちろんあるだろうが、大多数の女性は、相手がイケメンであろうが、有名人であろうが、尊敬する上司であろうが、男性から同意もなくキスされたり、触られたりはしたくない。
それどころか、たとえそれまで憧れていた人でも、ショックを受け、がっかりし、嫌悪感を覚えるようになる。
今日は、私の過去の体験を含め、女性が「憧れていたおじさま」にがっかりするときのことを語ろうと思う。
私が憧れのおじさまに失望したとき
若かりし頃、私は敬愛する「おじさま」たちから何度かがっかりさせられた。
学生時代、「深い専門知識がある人格者だ」と尊敬していた男性講師から、深夜一人暮らしのアパートに電話がかかってきたことがある。備え付けの電話しかなかった時代だ。
寝ているところを起こされてぼんやりしている私に、20歳以上年上で既婚者の彼は性的なニュアンスがある話を始め、「今から出ておいで」と誘う。相手が目上なので怒らせないようのらくら言い訳をして電話を切ったが、その後でとても不愉快になった。これまでその男性のイメージは安全で暖かい花畑のようだったのだが、その電話の後ではドロドロと汚い路地のようになった。私自身が汚くなった気がして、それ以来、彼の顔を見るだけで気分が悪くなった。
ロンドンに留学していた24歳のとき、大学時代に親しくしていた教授から手紙が来た。「僕の大学時代の友人が仕事でロンドンに行くから案内してやって」というものだった。礼儀正しくて優しかった先生が紹介する友人なのだからと、私は最初から全面的に信頼していた。私より10歳以上は年上だと思われる男性は女子大で教えているということで、久々に日本語で文学のことなど複雑な会話ができたのが嬉しかった。話がはずんで遅くなってきたので「最終の汽車に間に合うようにこれで失礼します」と別れようとしたところ、彼は「僕のホテルに泊まりなさいよ」と誘ってきた。最初は意味がよくわからなかったのだけれど、性的関係を期待されていることがわかり、「だって結婚されているんでしょう?」とびっくりした。彼はついさっきまで奥さんや子どもの写真を見せびらかしていたのだ。すると彼は「それはそれ。ロンドンにいるときは独身」などとしれっと言う。
こちらは文芸についての対等な会話を楽しんでもらっていたつもりだったのに、「やれるかもしれない」相手として吟味されていたことがショックだった。それに留守中にひとりで子どもの世話をしている妻に対して思いやりがない冷酷さも嫌だった。それまで「素敵なおじさま」だと思っていたけれど、すっかり軽蔑してしまった。
女性の「憧憬のまなざし」は必ずしも「恋心」を意味しない
これらは、私の「嫌な異性体験」の中では非情にマイルドなほうだ。セクシャルハラスメントだとは思っていないし、心理的なトラウマもない。ただ、「がっかり」という失望感が強かったので今でも覚えている。
私はこれらのおじさまたちを、いっときであれ「知的な大人への憧れ」でキラキラ目を輝かして見つめていたはずだ。私は好きな分野の話をするときには情熱的になるので、彼らは「この子は自分に気がある」と思ったのかもしれない。だが、おじさまへの「憧憬のまなざし」は必ずしも「恋心」を意味しないのである。若かりし頃の私を含め、ほとんどの場合は、おじさまの知性や仕事の達成への憧憬でしかない。
わかっていただきたいところはそこだ。
「でも、恋愛感情をいだいてくれているかもしれないじゃないか。こちらには相手の気持ちなんかわからない」という意見もあるだろう。
たしかに恋に性欲はつきものだし、男性でも女性でも相手の気持ちを完璧に読み取ることはできない。でも、年上の既婚男性が年下の若い女性を求めるのは純粋で対等な「恋愛」とはいえない。裏切られる妻や、たとえつきあっても相手が自分のものではないことに悩むかもしれない女性の気持ちを想像し、「大人らしい分別」で行動には移さないでほしかった。
私は以前からアメリカの政治や文芸の「オタク」であり、これらの分野で憧れの人が多い。憧れの政治家、政治評論家、文芸作家らを見つめる私の瞳には、若かりし頃のようにいくつも星が輝いていると思う。
けれども、それは、その人物の才能や仕事での達成に対する尊敬や憧憬であり、性的なお誘いのメッセージを送っているわけではないのだ。
でも、若い女性からのそういった憧れを利用してしまうおじさまはいろんな職場に存在する。
セクハラで告発されたアメリカ報道業界の重鎮
#MeTooムーブメントがハリウッドの映画界からアメリカの政治、報道、出版業界に波及するにつれ、私が憧れていた魅力的な「おじさま」たちが次々とセクハラで告発されるようになった。
アメリカ報道業界の重鎮のチャーリー・ローズ(76歳)も、私が長年憧れていた「おじさま」のひとりだった。特に彼のインタビューが素晴らしく、ノーム・チョムスキーやビル・ゲイツなどの頭脳派に対しても、鋭い質問や対応ができるところが魅力的だった。だが、若い部下や無給のインターンに抱きついたり、触ったり、個室に呼び出して全裸になったりしたという記事や体験談を読み、心底がっかりした。ローズは#MeTooムーブメントを加速させたハービー・ワインスタインの事件についてもテレビで「なぜ今まで表面化しなかったのか?」と疑問を呈し、著名な女性活動家のグロリア・スタイネムをインタビューしたこともあるというのに、フェミニズムを受け入れるリベラルなイメージは表層的なものだったのだ。
友人を夕食に招待したときに「ローズに憧れていたのに、がっかりした」という話をしていたら、その業界で長い経験を持つ40代の女性が「あら、私たちの間では彼の行動はよく知られていたのよ。知らないのは新人の女性だけ。だからそういう人や非力な若い部下をターゲットにしていたのよ」と苦笑いしながら語った。ローズには権力があるから、女性は「なるべく避ける」という対応しかできなかったらしい。
むろん、私の中にあったローズへの「憧れ」は一瞬で消滅した。残ったのは嫌悪感だけだ。
おじさまが若い女性の「憧れ」を性的なものと勘違いすることはあるかもしれない。だが、その気持ちにつけこんで罠にかけるのは許せない。
力関係で上にある男性が「仕事での相談に乗ってあげよう」などと言って女性を呼び出し、酔わせたり、薬を盛ったり、嘘をついて個室に呼び入れたりして、強制的な性的行為を取る手口がそれだ。たいていの場合には、こうして罠にかけるのは若い女性ではない。業界で力を持ち、場数を踏んでいるおじさまのほうなのだ。
新人の女性作家をターゲットにする著名作家たち
出版業界でも「がっかり」が続けざまに起こっている。拙著『ジャンル別 洋書ベスト500』に選んだすばらしい作品の作者が次々とセクハラで告発されている。
2008年大統領選挙の裏舞台をエキサイティングに描いた『Game Change(大統領オバマは、こうしてつくられた)』の作者マーク・ハルペリンの手口は業界が重なっているせいか、チャーリー・ローズとよく似ている。
児童書部門では『The Absolutely True Diary of a Part-Time Indian(はみだしインディアンのホントにホントの物語』の作者シャーマン・アレクシー、『Thirteen Reason Why(13の理由)』の作者ジェイ・アッシャー、『Maze Runner(メイズ・ランナー)』のジェイムズ・ダシュナーが複数の被害者からセクシャルハラスメントと性的不品行で告発された。いずれも既婚者だった。
それらが発覚したのは「School Library Journal(学校図書館雑誌)」の記事のコメント欄だった。
アマチュアや新人作家が集まる場所で、若い女性をターゲットにして「君の作品を読ませて」、「君には才能があると思う」といったアプローチをし、指導するふりで性的な関係に持ち込もうとする手口だった。プロになりたい女性やデビューしたばかりの若い作家は、憧れていた著名な作家から才能を認められたことに舞い上がる。彼らはその心理を利用したのだった。
真に「素敵なおじさま」とは?
年配の男性が、若い女性に性的な魅力を感じるのは自然なことだろう。キラキラした瞳で見つめられたら、疑似恋愛的な感情を抱くかもしれない。その瞬間は真面目に恋をしているつもりになるかも。
その感情そのものは罪ではない。
人生を楽しくしてくれるだろうから、(たとえ誤解でも、ファンタジーでも)愛されている感覚を味わえばいい。
でも、行動に移す衝動を持ったときには、自分の感情と状況をしっかり分析して頭を冷やしていただきたい。
自分と相手に力の上下関係がない同等の立場で、真面目な恋愛の可能性がある場合にも、いきなり性的なアプローチはするべきではない。相手から「同意」が得られるように心の関係をまず育てていただきたい。
2人の間に力関係がある場合や、真面目な恋愛や結婚が不可能な場合には、頭の中のファンタジーでとどめておいていただきたい。そして、「素敵なおじさま」のイメージのままで多くの若い女性から憧れの目で見つめられる人生を送っていただきたい。
世界中で講演している私の夫は、そういう「素敵なおじさま」として生きることに喜びを見出しているひとりだ。
講演の後には一緒の写真を撮りたがる女性の列ができる。女子大学生からは、「私たちのゼミに来てください」といったアプローチを受ける。彼は、それらの体験を楽しむが、セクハラにならない線はしっかり引いている。女性から相談を持ちかけられたら、日中に多くの人がいるスターバックスで会うのが慣わしだ。「李下に冠を正さず」という古いことわざがあるが、古い叡智は現代も有効なのだ。
その結果、妻の私に、「ご主人の援助があったから、素晴らしい職を得ました」とか「あのときいただいたアドバイスのおかげで成功しました」と言ってくる女性は後を絶たない。家ではカッコ悪いところも平気で見せる夫だが、外では女性の成功を援助する優しいおじさまとして憧れの的だ。それが心の栄養になるので、彼はそれを維持する努力もしている。
「素敵なおじさま」でいるために「やれたかもしれない」機会を逃すのも、努力のひとつだ。そして、その努力は決して無駄ではない。
一瞬の性的満足は得られないかもしれないが、「素敵なおじさま」として女性たちの活躍を援助し続ければ、人助けの満足感も得られるし、人生を楽しくしてくれる「尊敬され、愛される感覚」をたくさん得ることができるのだ。
それらの女性は、一生あなたのイメージを大切にし、あなたをキラキラした瞳で見つめてくれる。
この満足感を、ぜひお試しいただきたい。