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(記者の視点)政府の「緊急避難」は無理筋

 海賊版サイトへのブロッキングについて「通信の秘密の侵害という違法性を阻却する『緊急避難』の要件を満たす」と政府が法的に整理したのは、やはり無理筋だったのではないか――。取材を終えて記者はそう考えている。

 刑法上の緊急避難はこれまで、切迫した命の危険や人権の深刻な侵害などで、限定的に運用されてきた。緊急避難の適用条件について「しきい値」を下げることは、通信の秘密のみならず刑法の広範な領域で、予測できない影響をもたらす可能性をはらんでいる。サイトブロッキングの必要性を認めるとしても、立法を通じてブロッキングを正当業務行為として位置付けるのが常道ではないだろうか。

 今回のブロッキング騒動を通じて改めて実感したのは、日本の通信企業やネット企業に課せられる電気通信事業法上の「通信の秘密」の概念が、非IT専門家の直感と合わなくなっているという現実だ。

 日本の法制度では、何らかの通信を媒介する設備を持つ企業は「電気通信事業者」と位置付けられ、電気通信事業法上の「通信の秘密」を守る義務が生じる。これはNTTのような大手通信企業から、オンラインゲームでメッセージ機能を運用するネット企業まで、等しく生じる義務である。

 こうした法制度は良い面も悪い面もある。良い面は、追加の法整備を最小にしつつ、ネットワーク中立性(network neutrality:インターネットを流れるパケットを分け隔てなく平等に扱うべきとする考え方)やプライバシー保護について法執行力を発揮できた点だ。

 特定のサイトやアプリケーションへのブロッキングや帯域制限は、欧米では一般に「通信の秘密」でなくネットワーク中立性の問題と位置付けられる。ただ、この考え方が法制度として規定されたのは、欧州連合(EU)、米国ともに2015年と最近のことで、それまでは法的に通信事業者を規制する手段に乏しかった。さらにトランプ政権下の米国ではネットワーク中立性の法規制を撤廃する方向に動きつつある。

 一方、日本の総務省は「ネットワーク中立性に反する行為は正当業務行為に当たらない」「正当業務行為ではないので『通信の秘密』の違法性を阻却できない」との論理を展開。欧米に先駆けてネットワーク中立性の法規制を実現していた。

 例えば大手ISPがかつてファイル共有ソフト「Winny」による通信を完全遮断しようとした問題や、大手コンビニエンスストアの公衆無線LANサービスが競合サイトへの接続をブロックしていた問題で、本来は「利用の公平」に関する問題であるところを、総務省はいずれも「通信の秘密」の侵害を認定している。

 一方、現行制度の悪い面は主に3つある。何をもって「正当業務行為」と定めるかが総務省の裁量に委ねられてしまう点、国内に通信設備を持たないために「電気通信事業者」に当たらない海外IT企業が「通信の秘密」の規制を受けにくい点、そして電気通信事業法が定める「通信の秘密」が守る法益が、憲法が定める通信の秘密から離れ、非IT専門家にとって直感的に理解しにくくなった点だ。

 今回のサイトブロッキングを巡る議論は、最後に挙げた「直感的に理解しにくい」という悪い面が出た格好だ。

 「ルーターによるパケットのルーティングすら形式的に『通信の秘密』を侵害し、総務省が定める『正当業務行為』や『緊急避難』の要件に合致するものだけが違法性を阻却される」――。こうした電気通信事業法の建て付けを、この問題に長年向き合ってきた専門家は理解できても、閣僚や国会議員、非IT専門家は納得しにくい。

 だからこそ、政府の会合で「形式的な通信の秘密の法益よりも著作権侵害の被害を防ぐ法益のほうが重い」との議論に説得力が生じてしまったのではないだろうか。今回、著作権侵害について「緊急避難」を認めるという無理筋の決定が出た背景にも、こうした「『通信の秘密』の分かりにくさ」があった可能性は否めない。

 今後、政府はサイトブロッキングを含む法整備の検討に入る。出版社などのコンテンツ事業者とISPなどの通信事業者が同じテーブルに着き、あるべき法制度を議論する。ただ残念ながら、今回のブロッキング騒動で、通信の秘密を巡ってコンテンツ事業者と通信事業者に深刻な対立が生じてしまった。

 法制度の議論に当たっては「通信の秘密」だけでなく、「オープンインターネット」「表現の自由」といった保護すべき多様な概念を基に、あるべきインターネット社会について両者の認識を合わせることを出発点に置く必要があるだろう。