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「憲法論議をどう考える① 憲法の役割と機能は」(視点・論点)

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東京大学 教授 宍戸 常寿 

日本国憲法は、1947年5月3日に施行されました。今年2018年の5月3日は、数えて71回目の憲法記念日でしたが、毎年この時期は、憲法改正をめぐる議論が盛んになります。今日は、そうした憲法改正の当否ではなくて、その前提となる憲法の役割や機能、そして憲法をめぐる議論のあり方について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

第二次世界大戦後の日本政治の争点の一つは、日本国憲法を改正するか、憲法改正に反対するかでした。憲法の個別の条文や仕組みではなく、憲法それ自体の正統性や、その特徴である平和主義の原則が政治的対立の焦点とされたことは、不幸なことであったように思います。
昨年2017年の憲法記念日以降、自由民主党は具体的な憲法改正項目について議論を進め、今年の3月には、自衛隊を憲法に明記する等の条文イメージを決定しています。しかし、日本国憲法は「押しつけ憲法」だから、一から全く新しい憲法を制定しなければならないのだ、という議論は、低調になってきました。現在では日本国憲法は、「この国のかたち」を成すものとして、一定の定着を見たように思います。言い換えれば、この71年は、私たちが憲法に慣れるとともに、憲法を運用によって発展させていく、そのような相互作用の歴史でもあったと言えるでしょう。
他方、自民党以外の政党は、憲法改正を現時点で本格的に議論することには、消極的であるように見えます。その背景には、憲法改正それ自体への反対に加えて、2014年に政府がそれまでの憲法9条解釈を変更し、集団的自衛権の一部行使を認めたこと等に対する反発もあるように思われます。

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また、NHKがこの4月に行った世論調査によれば、憲法改正の議論に対して、「非常に関心がある」「ある程度関心がある」が合わせて三分の二を超える一方で、憲法改正の議論よりも憲法以外の問題に優先して取り組むべきと回答された方が、やはり三分の二を超えています。

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憲法の理念や内容について知っていると答えた方、知らないと答えた方は、ほぼ半々で拮抗しています。

 こうしてみると、国会による憲法改正の発議、そして国民投票が間近に迫っているという状況ではなく、社会全体、とりわけ国会・政党間での、憲法をめぐる議論の深まりが期待されます。

 言うまでもなく、日本国憲法は、一切改正できない「不磨の大典」ではありません。私は、政治の場や社会全体で、憲法改正を含めた憲法をめぐる議論が活性化することを、期待しています。ただし、憲法をめぐって議論する前提となるのは、憲法の役割や、憲法の現実の機能を正しく理解することです。そのような理解が共有されてはじめて、憲法をめぐる議論は健全で生産的なものになりえます。
 それでは、憲法の役割とは何でしょうか。それは、民主的な政治プロセスを構成し、政治権力を作り出すとともに、権力を制限することで、合理的な統治、ガバナンスを実現するところにある、と私は考えています。
 市民革命以来、近代的な政治を成り立たせる基本原理は、「立憲主義」と呼ばれてきました。その核心は、恣意的な権力の行使を制限し、国民の自由を実現することにあります。しかし立憲主義は、歴史の中で様々な政治的経験を通じて鍛えられてきた思想でもありますので、時代や文化に応じて力点やニュアンスが異なることもあります。
例えば、大日本帝国憲法における立憲主義の眼目は、国民の代表者が議会の場で政府に対して説明を求め、場合によっては当局者の政治責任を追及することにありました。批判に耐えられないような不合理な権力の行使には正統性を認めないという、「責任政治」の実現は、当時もいまも私たちの社会の課題であり続けています。
 また、現代の民主主義社会では、選挙で議席を獲得した多数派が、少数者の基本的人権を侵害するおそれもあります。それを防ぐためには、裁判所が法律の合憲性を判断する、違憲審査制の仕組みが不可欠です。これは、多数者の専制を防ぐとともに、多様な価値観や利益が、暴力ではなく議論によって調整される政治プロセス、そして個人が尊重される社会を、保障するものでもあります。

このように、立憲主義に基づく憲法の役割は、権力を構成すると同時に制限する、言い換えれば、合理的で責任ある決定を下し、実施する政治プロセスを維持することにあります。その意味で、憲法は「政治の法」そのものです。
もっとも、日本国憲法を他国の憲法と比較した場合に気づかされるのは、憲法の条文が簡潔で、弾力的な書きぶりになっている点です。これは、日本国憲法は自分で政治プロセスのあり方を決め尽くさずに、相当部分を憲法附属法や憲法判例といった運用に委ねている、ということでもあります。

実際にも、1990年代以降、衆議院議員選挙に小選挙区比例代表並立制が導入されたり、政治主導・官邸主導を実現するための行政改革や、司法制度改革が行われたりしました。

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こうした一連の統治構造改革は、国会法、公職選挙法、内閣法、裁判所法などの改正によって行われましたが、このように憲法の内容を補う法律は「憲法附属法」と呼ばれています。日本では、憲法改正を行わなくても、憲法附属法の改正により、他の国であれば憲法改正が必要であるような政治プロセスの変更も、可能なのです。
また、最高裁判所を頂点とする司法は、基本的人権が問題となった裁判を通じて、多くの憲法判例を積み重ねてきました。とりわけ、プライバシー、知る権利のような新しい人権を認めたり、法の下の平等や個人の尊厳に基づいて時代に合わせて家族制度のあり方を見直したりしていることが、注目されます。
逆に言えば、憲法のテクストを改正しただけで、政治プロセスや社会が本当に変わるわけではありません。決定的なのは、憲法の運用です。憲法を改正しようと思うのならば、とにかく自分たちの書きたい内容を書き込むのではなくて、それを通じて憲法の運用が変わるのか変わらないのか、どのように変わるのか、先を見通した検討が必要です。

憲法を議論する際には、一足飛びに憲法改正に飛びつく前に、まずはいまお話したような、政治プロセスや裁判所による憲法の運用を踏まえるべきだ、と私は考えています。日本国憲法のテクストだけではなく、現実の憲法の機能、「生きている憲法」を正しく認識することではじめて、その成果を憲法改正によって憲法に取り入れようとか、未解決の課題に対応するために憲法附属法を見直そうなど、異なる立場の人々が対話し、合意を探ることが可能になるのではないでしょうか。
憲法をめぐる議論では、とかく憲法改正に賛成か反対か、改憲か護憲かという色分けがなされがちです。憲法の運用と、憲法改正の発議を同時に担う国会や、政治をリードする政党の姿勢として、改憲さえできればどの条文でもかまわないというような、憲法改正を自己目的化することも、またその逆も、ともに適切なものとはいえません。
広い意味で政治プロセスの一部を構成する、世論と憲法の関わりも重要です。世論の形成を担うメディアはしばしば、「あなたは憲法改正に賛成ですか反対ですか」という世論調査を行っています。しかし、およそ抽象的に憲法改正に賛成か反対かを問い、その数字を比べるだけでは、生産的な議論にはつながりません。憲法の役割や機能について正しい理解を広め、具体的な条文や運用の課題を論じ、対立を煽るのではなく健全な論争を喚起するような報道が、特に憲法については求められます。

何よりも国民の皆さんが、改憲か護憲かという二者択一ではなくて、日本国憲法とその下での政治プロセスに対して適切な関心を持ち続けること、社会の中に、また私たち一人ひとりの中にある憲法についての多様な見方を意識すること、それこそが立憲主義の発展につながる、と申し上げたいと思います。


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