- 2015年01月21日
■海外ドラマ■追悼 大塚周夫さん by 岸川靖
1月15日に、クセのある脇役を演じさせたらピカイチと定評のある、俳優・声優の大塚周夫(おおつか・ちかお)さんが亡くなられました。生前、何度かインタビューさせていただきましたので、ご遺族である長男・明夫さんのご了解を得て、大塚さんの足跡をたどりながら、その言葉のいくつかを再録し、故人をしのぶこととさせていただきます。
声優としても多くの作品に関わってきた大塚さんの海外ドラマ、最後のレギュラーは、2013年7月7日から2014年6月29日までNHKのBSプレミアムで放送された韓国ドラマ『馬医』のコ・ジュマン役でした(現在、再放送中です)。イ・スンジェ演じるジュマンは、その人懐こい丸顔の風防が、大塚さん自身と大変似ていて、驚いた記憶があります。
大塚さんは、親しい人には「ちかちゃん」という愛称で呼ばれていました。風貌を思い浮かべると、笑みを浮かべている顔しか出てきません。いつも、にこやかに話される方でした。お話ししていると「ようござんす」、「しちまう」、「そっすね」などの昔懐かしい東京下町の言葉がよく出てきました。ですから下町の生まれだと思っていましたが、うかがってみると生まれは東京・山の手の世田谷だそうです。
趣味は人間観察と釣りでした。特に釣り(池や川専門)は大好きで、今のお住まいを決めた時も、近所に釣りができる池があったからだとおっしゃっていました。また、釣りに行くと、いろいろな方が居て、よく観察することで、演技の勉強になったとも……。
大塚さんの役者人生は長く、さまざまな経験を積んできたそうです。
例えば戦後まもなく、ショービジネスの世界に入ったきっかけは戦前にダンスを習っていたからだそうです。これはもともと身体が弱かったため、ダンスを習わされたからだそうで、ソシアルからタップまで、数多くのダンスを会得していらっしゃいました。タップダンスでは、その昔、有名店だった赤坂にあるグランドキャバレー(今の“キャバレー”とは異なり、歌や踊りを食事しながら楽しむ場所だったそうです)にも出演していたそうです。
大塚:戦争で死んじゃったけど、ボクには歳の離れた兄がいてね、ダンス教室にボクを通わせるよう母に勧めたんです。戦前だけど時局が厳しくなっていたから、高校生が繁華街を歩くと問題になる。そこで『弟の迎えです』と言って、兄はダンス教室のある新宿をぶらついていたというわけ(笑)。
戦後、進駐軍がやってきて、あちこちのキャバレーでダンサーが必要になったんです。オーディションがあって、ダンサーはABCのランクに分けられるんだけど、それに合格してダンサーをやっていたの。おかげで姿勢が良くなって、自然とこう(上着の胸元を広げる仕草をしながら)胸の部分がスッと張れるの。
だから見栄えが良くって『大塚さん、良い洋服着てるんですか?』って、よく言われました。ダンスもクラッシック(手を伸ばしてソシアルダンスの仕草をする)からタップまでやっていたから(いきなり立ち上がって足を踏み鳴らす)。
ダンサーとして活躍していた大塚さんですが、膝の関節炎を患ったため、芝居の道を志し、劇団東芸に入団します。この頃はまだテレビ放送も始まっておらず、当然、吹き替えなどの仕事もありませんでした。大八車などに小道具や衣装などを積み、都内の小学校などを回って、昔話を題材にした芝居を演じて糊口(ここう)をしのいでいました。やがてラジオドラマの仕事が少しずつ来るようになり、続いてテレビドラマの仕事が入るようになったそうです。
大塚:ラジオも最初はドラマのエキストラばかりで、俗に言うガヤでした。その後、テレビドラマや映画に端役で出るようになったの。ほとんどが殴られてのびるチンピラ役ばかりだったけど(笑)。
そうした中で外画(がいが・外国制作の映像作品)の声優をやろうと思うきっかけが訪れます。
大塚:たまたま観(み)た映画に出演していた、俳優のリチャード・ウィドマークの芝居が気に入って、何度も観て、その凄(すご)みのある演技を研究したのがきっかけ。そのあと外画の吹き替えが始まると、TV局にリチャード・ウィドマークの吹き替えをやらせて欲しいと売り込みに行ったの。
当時、そんな変なことを言う奴はほかにいなかったし、NTV(日本テレビ)のプロデューサーに、それならやらせてみようと『襲われた幌馬車』(1956年アメリカ・NTV初回放送は1963年10月13日)の仕事が来たんです。そこで念願のウィドマークの声を演じたの。
ウィドマークの役は、コマンチ族に育てられたコマンチ・トッド役で、映画では主人公でした。
この作品以降、舞台と吹き替えの両方をこなすようになっていきます。大塚さんは吹き替えの黎明期(れいめいき)である1950年代、外画の吹き替えだけでも1か月に48本やったこともあるそうです。これは、当時、いかに売れっ子だったかを物語る数字と言えるでしょう。
やがて、当時はまだテレビまんがと呼ばれていたアニメ作品のレギュラー出演が立て続けに決まります。それが「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男役と、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王でした。
この頃になると、リチャード・ウィドマークとチャールズ・ブロンソンの吹き替えは、各局とも大塚さんに依頼するようになっていました。
なお、当時は、ジョン・ウェインなら小林昭二、アラン・ドロンなら野沢那智、オードリー・ヘプバーンなら池田昌子、というように、声のキャスティングが俳優ごとに決まっていた時代でした。現在、キーファー・サザーランドやジョージ・クルーニーの吹き替えといえば小山力也さんが担当する、といった形式はこの延長線にあると言えます。
そうした中で、大塚さんは、その歯切れの良い滑舌と、アドリブも多用したはまり役を得ます。
新聞記者のカール・コルチャックが、さまざまな怪事件に出会い、怪物や超常現象と戦う異色の海外ドラマ『事件記者コルチャック』でした。
大塚:コルチャックを演じたダーレン・マクギャヴィンっていう俳優さんはけっこう気難しい人なんだそうです。お芝居にアドリブがそうとう入っているらしい。ですから、その感じを出すために、台本になくても、向こうの口の動きに合わせて入れたり、また背中を向けたときに音声がなくてもディレクター(『事件記者コルチャック』の演出は、『ER 緊急救命室』と同じ佐藤敏夫さん)と相談して入れたりしました。
そうした演技には演出家・俳優の早野寿郎から誘われて入った俳優小劇場での経験が役に立ちました。コルチャックがゾンビの口に塩を詰めて糸で縫うときなんかも、『やだね、あー、いやだいやだ』とかぼやくでしょ。ああいう台詞(せりふ)は台本にはなくてあたしのアドリブなんです。
あのシリーズでは、『やだね~』と『やだね』と『やだやだ』、『やっだっねぇえ』、みんな違うんですよ。場面によってはいくらでも「やだね」が入れられたの。だから、たくさん使ったねぇ。アドリブは、コルチャックを演じる前に『ブラック魔王』で、さんざんやらされましたからね…
米国のアニメ「チキチキマシン猛レース」や、そのスピンオフ「スカイキッドブラック魔王」では、原音には台詞があまりないため、収録の時は朝から晩まで、何度もアドリブを交えながらリハーサルをしたそうです。犬のケンケン役の神山卓三さんは、あの「クッシッシッ」っていう独自の笑い声が決まるまでは、何度もテイクを重ねられたそうです。
現在の海外ドラマでは、製作会社の意向で、台詞の変更や、現場でアドリブを入れるのは禁止されていますが、当時はかなりおおらかだったそうです。
大塚:あるとき『チキチキ』の収録現場に制作会社のハンナ・バーベラ・プロダクションの担当者が見学に来て、ボクらが演じているのを見て『どうぞご自由にやってください』と言ってくれたもの。
面白くしようという気持ちがみんなにありましたから。
大塚さんが演じた『事件記者コルチャック』の主人公コルチャックは、江戸っ子みたいなべらんめぇ口調が多かったのですが、そのヒントになった作品があります。
大塚:映画『男はつらいよ』の初代おいちゃん役の俳優で有名な森川信さんという人がいるんだけど、あの方はコメディアンもやっていたの。一緒に仕事させていただいてからその影響で落語を勉強して、その成果が『あらやだ!』『?なんすかねぇ』とか、面白い間(ま)を覚えたんです。
海外ドラマの場合は、束縛があっても、その中でどのくらい自分の演技ができるかが問題なんです。
役者にとって大事なことはなんでしょう? という質問には、こういうお答えが返ってきました。
大塚:良い芝居を見て勉強するのも大切。そしてやはり“間”は大事です。間だけで芝居する人が大好きなんです。あとは人間観察。ボクは趣味がヘラブナ釣りなんだけど、釣り仲間を観察するの。
『どう?』と訊(き)いて、パッと『全然ダメ!』と間のない人もいるし、『………今日はだめです』と間をすご~く、とる人もいる。そうした人たちの“間”を覚えて、頭の中の引き出しに入れておくわけ。
映画や海外ドラマ、アニメなどでさまざまな役を演じている大塚さんは、画面を観ただけで、演技プランがひらめくそうです。
大塚:そうね。ここ(頭を指す)にいろいろなしゃべり方とか間が入っているの。だから画面を観たらスッと入っていけるんです。ああ、このキャラクターはあれとあれを組み合わせて、こうすればいいとか出てくるんです。
そうした吹き替えの仕事中で、もっとも勉強になったのはNET(現テレビ朝日)の日曜洋画劇場だったといいます。この映画枠、毎週約30人が固定でキープ(拘束)されていたそうで、それも達者な人ばかり。そのメンバーで毎回吹き替える作品の配役を決めていく……。つまり、同じ劇団で毎週、異なる公演を行うようなモノだったそうです。
大塚:だから毎週、収録スタジオに行って、30日に1回くらいのペースで主役が来る。1回主役したら、あとはちょい役でかまわないんですよ。
その代わり、『あ、じゃあ俺やるよ。それもやるやる、大丈夫』なんつって。『ここ空いてんのに誰か入れないの?』『じゃあ二役やっちゃえ』とかね…。
最近はご自分が声の出演をされた作品を、家で見返すこともあるそうです。
大塚:若い頃のは恥ずかしいんで、あまり見たくないです。自分で意識してこうありたいというふうになってからは、どのくらいできているか見たいことがありますけど、むやみやたらとやっている頃のは、恥ずかしいほうが多い。
『コルチャック』はもう少し役者が目覚めていますから。このくらいやりゃあどこに出しても平気だろうって(笑)。ナレーションなんかとくに一所懸命やりましたよね。どなたでもけっこうです、勝負しましょうっていう気持ちありますもん、コルチャックは。
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インタビューを行った時は、メインが『事件記者コルチャック』についてでした。大塚さんに、このシリーズのパイロット版(2本あります)の日本吹き替え版がないと説明すると「やりてぇなぁ。元気なうちに」とおっしゃっていました。
今ではそれもかなわぬことになりましたが、今まで吹き替えされた多くの作品が、ソフトとして遺(のこ)されています。これからはそうしたソフトでしか、お声をお聞きすることができないのかと思うと残念でなりません。
ご長男で、同じく声優業についていらっしゃる大塚明夫さんによると、周夫さんは、亡くなった当日も収録されていたそうです。
まさに「生涯現役」を絵に描いたような人生でした。
大塚さん、長い間お疲れさまでした。
*韓国ドラマ「馬医」再放送中
BSプレミアム 毎週土曜 午前8:30~
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(取材・構成:工藤浩紀)