【刊行記念インタビュー】呉座勇一『陰謀の日本中世史』 『応仁の乱』の著者が、史上有名な事件にまつわる陰謀論の誤りを最新学説で徹底論破!
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『陰謀の日本中世史』
書籍情報:版元ドットコム
【刊行記念インタビュー】呉座勇一『陰謀の日本中世史』
中世史研究者・呉座勇一――『応仁の乱』の大ヒットも記憶に新しいところだが、
このたび四冊目の一般書となる『陰謀の日本中世史』を上梓した。
保元の乱から関ヶ原合戦まで、一般に流布する陰謀論的俗説を一蹴する
快著執筆の背景には、気鋭の研究者が自らに課した「社会的役割」があった――。
それは「一揆」からはじまった
研究者としての呉座勇一
――大ヒットとなった『応仁の乱』を経て、四冊目の一般書となりますが、企画自体は『応仁の乱』と同時期からあったそうですね。
呉座 ええ、お話をいただいたのは同時期だったのですが、『応仁の乱』の執筆を優先させていただきました。
――それは、どういった理由があったのでしょう?
呉座 あとがきでも触れましたが、『一揆の原理』と『戦争の日本中世史』について、学界では「受け狙いのテーマ・軽薄な文体で学問への真摯さが感じられない」といった批判が出ました。最初からある程度は覚悟していましたが、反発が予想以上に大きかったので、硬めのものも書けることを示しておこうと思いました。ですから、今だから言えるのですが、「中央公論新社には悪いけど、あまり売れなくてもいいから、本格的なものにしよう」と思って書いたんですね。
――それが、ふたを開けてみると……。
呉座 驚きました。もちろん工夫はしましたが、あれだけ複雑な内容ですからね。本当は、この『陰謀の日本中世史』が売れるといいなと思っていたので、完全に誤算でした。あれだけ売れると(二〇一八年二月現在、四十七万部)、メディアからの取材依頼も多くて、対応に忙殺されました。
――インタビューが沢山出ましたが、研究者としての呉座さんについて聞いたものはなかったように思います。そもそも、呉座さんの研究の出発点はなんだったのでしょうか?
呉座 もともとの専門は、中世の一揆です。東大の日本史学研究室に入って、一揆をちょっと勉強すると、それまで抱いていた「農民闘争」のような通俗的なイメージとは全く違う実像が見えてきました。一般に流布している通俗的なイメージでは捉えきれない複雑さ、混沌としたところが面白いと思って、研究の道に入りました。
――呉座さんの一般書では、そういった中世の複雑さ、混沌としたところを、そのまま書かれているように思います。
呉座 単純に割りきれない、という点が中世社会の本質だと思います。古代や江戸時代、そして近代などと比べると、中世はどんな時代なのか説明することが難しい。天皇中心の律令制国家であった古代、徳川将軍による幕藩体制が敷かれた江戸時代、文字通り近代的な国家制度が整えられた近代……というふうに一応は言えるのですが、中世にかんしてはこれが難しい。
――中央政府がはっきりしない……と言えばいいんでしょうか。
呉座 そうなんです。幕府はあるんですが、朝廷の力もまだ残っているし、寺社勢力も強い。民衆もだんだん台頭してきますし、武士だけが時代の主人公とは言えないうえ、将軍にすべての権力/権威が集中しているという体制でもない。とにかく、中心軸がはっきりしない。そういう意味で、「中世ってどんな社会ですか」と聞かれても答えにくい。そして、私はそのはっきりしないところが面白いと思って中世を研究しています。
――一揆にしてもそういう面がある。
呉座 ええ、武士の一揆的結合などがそうですね。私は練馬の出身ですが、中世には豊島氏という一族がいました。
――豊島園が城跡だと、何かで読んだことがあります。
呉座 そう、その豊島氏ですね。私も研究室に入るまではそれほど関心がなくて、「太田道灌に滅ぼされた」くらいの知識だったのですが、調べてみると平一揆という一揆のメンバーだったことがわかりました。そこで、一揆が「農民闘争」の一言ではくくれないことを知ったんです。一揆は当時花形のテーマではなかったのですが、その豊かさと面白さに惹かれました。
――一揆の研究は、一般書デビュー作となる『一揆の原理』につながっていきます。
呉座 これは私が一般書を書く際の一貫したスタンスなのですが、単純化できないことの面白さを伝えたいと思っています。通俗的でわかりやすいイメージではなく、複雑で混沌としているから面白い。私自身が中世史研究に感じている面白さを、読者にも感じてもらいたいんです。
新著『陰謀の日本中世史』
に込めたもの
――『陰謀の日本中世史』でも、そのスタンスは貫かれているように思いました。
呉座 陰謀論が生まれるのは、自分の世界観に引きつけて単純化して理解してしまいたい、という欲求に原因の一端があると思います。そうして、自分が見たいものを投影してしまう、ということが起こります。そうして、どんどん実態と離れていってしまう。
――たとえば、悲劇のヒーローとしての源義経。
呉座 義経は一般的には、兄の頼朝、もしくは後白河の陰謀にはまって失脚したというイメージが強いですが、それは結果から見ているからそう思えるだけなんです。義経は軍事に秀でた、平氏討伐の大英雄です。意図的に挑発して挙兵に追い込んだとして、戦場であいまみえて簡単に勝てると頼朝は楽観的に思ったでしょうか。そう考えながら、ほかの陰謀論についても検討していくと、「挑発してあえて挙兵させる」というパターンが見えてきます。
――陰謀論のパターン化は、本書の特徴の一つになっています。
呉座 平治の乱の際、源義朝が挙兵する隙を作るため、平清盛がわざと熊野に参詣に行ったとか、関ヶ原合戦は徳川家康が石田三成らにあえて挙兵させたのだ……といった陰謀論が、実は同じパターンであることがわかってきます。「最終的な勝者が、すべてを仕組んでいたのだ」と考えると、わかりやすく魅力的なのかもしれませんが、史料に基づいて立証できませんし、それはかえって勝者を貶めていると感じます。
――貶めている、というと。
呉座 家康を例にとると、彼は危機管理能力に優れていました。本能寺の変も関ヶ原合戦も、家康にとっては予想外の事態でしたが、彼はそのあとの対処を誤らなかったため、生き残って最終的な勝者になれました。しかし、家康が最初からすべてを仕組んでいたから上手くいったのだと片付けてしまうと、逆境に強いという家康の長所が見えなくなってしまいます。
――本能寺の変は、陰謀論がもっともよく知られている事件と言っていいでしょうか。
呉座 本能寺の変は大物です。関連書籍もかなりの数にのぼるのですが、実は本能寺の変にかんする史料は、さほど多くないんです。そんな状況で、本能寺の変だけを見ていくと、他の説との差別化を図ろうとしてどんどん深みにはまっていってしまいます。
――他の事件と並べることで、共通点が見えてきます。
呉座 家康黒幕説は画期的な新説に感じられるかもしれませんが、「被害者が実は黒幕である」というパターンに分類できます。確かにミステリー好きの人なら飛びつきたくなる説でしょう。しかし、変後に途中まで家康と同行した穴山梅雪は命を落としています。果たしてわざわざそんな危険を冒すでしょうか。このように、深読みして捻った解釈を競い合っていくと、一見斬新に思えても、実際には空理空論になっていることが多い。やはり、本能寺の変だけを見ていてもだめで、他の陰謀と比較することで初めて客観的な学説が出せると考えます。それもあって、今回は時代を幅広くとって、なるべく多くの陰謀を取り上げるようにしました。
研究者は俗説に
立ち向かうべきか
――新著では、研究者としての立場から真摯に陰謀論を批判されています。研究者は、明らかに誤った俗説があっても、あえて触れないというスタンスをとられる方も多いように思います。
呉座 それはそうですね。研究者の本分は研究にあると私も思っています。
――ですが、呉座さんは今回、徹底して俗説を批判されています。二〇一六年の十月に国際日本文化研究センター(日文研)に専任として着任されて、『応仁の乱』も大ヒットしました。今は存分に研究に打ち込める環境なのではないかと思うのですが。
呉座 少し本文でも触れましたが、研究者がよってたかって俗説を叩く必要はないと私は思っています。それによって、地道な研究を進めるリソースが失われるのであれば、社会的損失です。ただ、誰もやらないというのはやはりまずい。誰かが批判しないと、どんどん奇説珍説がはびこってしまいます。ですから、トンデモ説と戦うことは必ずしも研究者の社会的役割ではなく、私個人の社会的役割だと考えています。とはいえ、実は最初の構想では、ここまで徹底的にトンデモ説を批判するつもりはなかったんです。
――明智光秀の子孫を名乗る明智憲三郎さんの唱える「説」に至っては、完膚なきまでに粉砕されていますが……。
呉座 当初はもう少し控えめにするつもりでした。というのも、『応仁の乱』と並行して構想を進めている段階では、「批判してもあまり効果がないだろう」と諦観していたんです。
――それはどうしてでしょう?
呉座 明智さんの本は、版元によると三十万部以上売れているということなので、批判しても部数的にかき消されてしまうのではないかと思っていました。ただ、その後『応仁の乱』が予想外の大ヒットになったことで、私の社会的影響力が一時的に大きくなっています。「これなら倒せるかもしれない」と思いました。
――それが、呉座さん個人の社会的役割だと。
呉座 そうです。いくら研究者として充分な実績があり、学界で高い評価を得ている人でも、一般社会に対する影響力という点では必ずしも大きいわけではありません。
――やはり、メディアへの露出などで大きく変わってきますよね。
呉座 そうすると、今の私ならば倒せるかもしれない……と、ついヒートアップしてしまった面はあります。私も自分の研究に集中したい気持ちはあります。しかし極端なことを言うと、取り組んでいる研究者の少ない一揆というテーマを除けば、私でなければ進められない研究というのはあまりないんです。でも、明智さんのような影響力の大きいトンデモ説を倒すとなると、これは私がやらないといけないことだと考えました。
呉座勇一のこれから
――本業のお話に戻りますが、現在日文研では、どういった研究に従事されているのでしょうか?
呉座 「大衆文化研究プロジェクト」という研究に参画しています。これは、「日本の大衆文化から新しい日本像を創出する」……つまり、大衆文化を切り口に通俗的な日本像を相対化しようという取り組みです。ただ、私の専門である中世において「大衆文化」となると、なかなか難しいんです。
――「大衆」は近代的な言葉ですよね。
呉座 江戸時代なら、歌舞伎や落語、浄瑠璃などが大衆文化に相当すると言ってもいいのでしょうが、中世だと難しい。そこで、いま目をつけているのが『太平記』です。
――『太平記』ですか?
呉座 中世段階では『太平記』を大衆文化と言っていいかどうかは微妙です。ただ、江戸時代にまで視野を広げれば、太平記読みがありますし、講談や歌舞伎に取り入れられ、近代の大衆文化にもつながっていきます。
――それは面白そうです。今後は、一般書の執筆と研究を並行されるのでしょうか?
呉座 今は多忙で、新しい一般書のお仕事をなかなかお受けできないんです。ただ、複雑で混沌とした中世という時代の魅力を、何らかの形で皆さんにお伝えできるといいなとは思っています。
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呉座勇一(ござ・ゆういち)
中世史研究者。1980年、東京生まれ。2008年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、国際日本文化研究センター助教。一般書に一揆の通俗的なイメージを打ち砕く『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、下剋上の実態に迫った『戦争の日本中世史』(新潮選書)、大ベストセラーになった『応仁の乱』(中公新書)がある。