2001年3月3日
【埼玉県入間市】「風邪でもひいたのかな」。一度も休んだことがない会社を、その日だけは
早退した。寝れば治るだろうと思っていた。それが肝臓、腎臓(じんぞう)、血管にわたる多
臓器不全の苦闘の始まりになるとは――。原因不明の病(やまい)がI・I男さん(55)=
東町(あずまちょう)支部、副支部長=を襲った。
顔が見る見る土気色に
昨年、長男の嫁・H子さん(26)=婦人部グループ長=が、初孫を産んだ。I家はいつにな
い喜びに包まれた。Iさんが会社を早退したのは、数日後の三月三十日。足がふらつく。顔か
ら血の気が引いていくのが分かった。休み休み、やっと家にたどり着いた。風邪ひとつ引かな
い丈夫な人が――。妻・Y子さん(55)=支部副婦人部長=は不安に包まれた。鉄道会社に
入社して三十年を超える。無遅刻無欠勤を貫いた。学会の社会部でも二十年間副責任者を務め
、後輩の模範に。地区部長を十年務め、総合最優秀賞を受けた。部員訪問に粘り強く歩く、芯
(しん)の強い人だった。薬を飲ませ、Y子さんは床についた。夜中に何度も夫の寝間着を取
り替えた。いやな予感がよぎる。心の中で題目を唱え続けるうちに、やがて夜が明けていた。
Iさんは、いつもどおり食事をすませ、トイレに立った。強いめまいが襲い、ドアの前に倒れ
こんだ。「あなた、どうしたの!」。Y子さんの声が遠くに聞こえる。「もう立てない」。あ
えぐ息のなか、つぶやいた。すぐに救急車を呼んだ。顔が見る見る土気色に変わり、赤い斑点
(はんてん)が浮かんできた。医師は「劇症肝炎の疑いが強い。今晩が山です」と告げた。症
状は悪化の一途。にじみ出た血で、顔は赤黒く染まる。四〇度近い高熱。呼吸困難。詰まった
タンを何度も吸引した。真っ黒な血便は、十分ごとに取ってもらった。酸素マスクを着け、何
本もの点滴チューブが腕に着いている。「会わせたい人がいれば、今晩じゅうに呼んでくださ
い」。医師の言葉が重苦しく響く。長男・Tさん(26)=男子部副部長=が駆けつけた。親
せきが、同志が、来てくれた。悲痛な空気が漂う。「本当につらいのはお父さんです。頑張り
ましょう!」。男子部の幹部が励ましてくれた。支部長のT・Sさん(56)も、全地区を回
って応援の題目を呼びかけてくれた。その間も、Iさんの痛み、腫(は)れはひどくなる一方
。信心で乗り切るしかない。母子は、心を一つにした。
100人の同志が応援の唱題会
翌四月一日、埼玉医科大学附属病院に移送された。診断は多臓器不全。急性肝障害、急性腎不
全(じんふぜん)、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群が一度に発症したのだ。特別室に運ば
れ、二十四時間の人工透析、点滴での投薬など、次々に治療が行われていく。昏睡(こんすい
)状態になった。最善を尽くすが、一時間もたないかもしれない、と医師は表情を固くした。
「最後の最後まであきらめず治療してください」。母子は訴えた。輸血など、更なる治療が施
された。数回の呼吸停止、発作、痙攣(けいれん)と、片時も目が離せない。十分と間をおか
ず、医師、看護婦がやってきて一晩じゅう手を尽くしてくれた。Y子さんは毎日泊まり込みで
看病した。Tさんも、仕事が終わると駆けつけ、H子さんも、実家から題目を送り続けた。ぬ
れたガーゼでそっと顔をぬぐい、かさぶたを取った。「お父さん、苦しくても負けちゃだめよ
」。昏睡状態のIさんは、何もこたえない。大好きな学会歌をテープで聞かせた。反応はなく
ても、生命には響いているはずだ。支部では、百人の同志が集まり、題目を送ってくれた。未
聞の大結集だった。「土曜、日曜の二日間で、支部拠点のHさんのお宅をお借りし、百人以上
の同志が唱題会に参加してくれました。支部広布に長年尽力され、鉄道会社の車掌としても社
会に実証を示してこられたIさんです。『断じて生き返らせる』との気迫を、皆が唱題にこめ
ました」と、T支部長は振り返る。転院から五日目のこと。医師の呼びかけに、かすかに目が
あいた。「治療は順調です」。告げる医師の笑顔がまぶしい。母子は、感謝で胸がいっぱいに
なった。七日目。白血病が疑われたため、骨髄穿刺(せんし)検査を行うことに。Tさんは、
祈りを込めて承諾書を書いた。結果は無事成功。心配された白血病の併発もなかった。Iさん
の意識が戻った。だが、自分の名前が分からない。幻覚にも悩まされた。壁じゅうに人の顔が
浮かぶとも、猛獣が暴れるとも言う。何度なだめても、繰り返し訴えた。小声で何かつぶやい
ている。また幻覚か、と耳を傾けると、題目の声だった。もうろうとした意識でも、病魔と全
力で闘っているのだ。Y子さんは、心を強くし、数字や文字を粘り強く繰り返し、教えた。I
さんはこんな夢をみた。薬の効き目が切れて苦しんでいるとき、Y子さんが特別な薬を作って
、何度も飲ませてくれた。苦しみがふわっと和らいだという――。母子で交代し、耳元で題目
を送り続けた。その真心が、ひん死のIさんに伝わっていたのだ。
MRSA感染も1カ月余で克服
入院から一カ月。発熱、嘔吐(おうと)、血便などは続いたが、食事ができるようになり、意
識もかなりはっきりしてきた。人工透析を二十四時間から、週三回にした。その時だった。M
RSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に感染した。無菌室に移動。三年間闘病している人
もいた。自分も、いつ出られるか分からない。聖教新聞に目を通し、御金言を見つけては、生
命に焼き付けた。息ができない!うがいをすると、細かい血のかたまりが出てきた。のどに菌
が入り、出血しているのだ。酸素マスクを外してうがい。マスクをつける。その繰り返し。夜
中でも、苦しさで目がさめた。いつ呼吸が止まるかもしれない。眠れない夜が続いた。「湿れ
る木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書一一三二ページ)。
マスクの下、小声で唱題した。生命力を奮い起こした。H子さんが、孫のSちゃんの写真をも
ってきてくれた。「早く退院して抱き上げてやりたいな」。明るい笑いがこぼれた。笑うなん
て久しぶりだ。希望が、不安を消し飛ばしていく。無菌室に来て一カ月でマスクは取れた。の
どのつまりは残ったが、確実に快方に向かった。毛細血管の固まりが原因で足の指が壊疽(え
そ)になり、手術を受けたが、わずかに削り取っただけ。これが脳や心臓なら、生命にかかわ
ったかもしれない、と医師は安堵(あんど)の表情を浮かべた。昨年の八月二十一日に退院し
たIさんは、足指のリハビリを受けるが、日常生活に支障はない。病因となった細菌は、つい
につかめないまま、老廃物を除き、臓器の働きを補う中で、自身の底力を引き出せた。見事な
勝利だった。「11・18」の学会創立記念日には、喜びと感謝を込めた手紙を手に、家族で
学会本部を訪れた。持ち前のねばり強さを武器に、激励に歩く。家族がそろって活動できる喜
びを満身でかみしめている。
<医師の声>埼玉医科大学附属病院第三内科A・Y医師「Iさんは、肝臓、腎臓(じんぞう)
、血管内凝固と、重度の多臓器不全の症状で転院してこられました。一時期は、血圧も不安定
で、生命の危険もありました。感染経路、菌の種類などが同定できなかったものの、重度の感
染症のため、抗生物質の投与などで、最善を尽くしました。奥さまの献身的な介護と、本人の
力で、回復に向かわれ、何よりです。再発の心配もありません」
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