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飯田線・身延線等とともに、比較的遅くまで戦前型の旧形国電が多数活躍した路線でしたが、車体のカラーリングがスカイブルーで、あまり似つかわしくなかったのと、ロングシートの車両が半数を占めていた為か、飯田・身延の両線に比べると今一つ人気がなかったらしく当時の資料も圧倒的に乏しく、今となっては不明な事が多い。 |
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●さようならゲタ電号 松本方先頭に立ったクハ68011。関西緩行線用クロハ59を3扉セミクロスシート化した車両。飯田線のクハ68403・405はこの車とほぼ同型車に便所を付けたもの(最後位の戸袋窓幅が異なるが)。 同車の形式図によれば運転席は半室式であるが、この時点では全室式であった。 貫通路扉を除く固定窓はほとんど白Hゴム支持されており、お世辞にも美しくはない車である。 '81.07.26 白馬~信濃森上間 TM |
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●同クハ68011前面 上記と同じクハ68011の前面。運転席窓斜下にある通称「大鉄型ベンチレータ」がチャームポイント?。 ちなみに同列車の編成は松本方から '81.07.26 白馬駅 TM |
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●信濃大町に停車中の旧国と165系 旧国の先頭は上記と同じクハ68011と思われます。変則的な窓配置とHゴム支持の窓がよく判る。 まだ検受直後だったのか上の写真よりも車体がきれいで、屋根のグレーも明るい。 撮影日不明 信濃大町駅 HM |
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●さようならゲタ電号のクハ55432 さよなら電車の信濃森上(南小谷)方先頭に立ったクハ55432。分割・併合運転の際に先頭車が不足するため、付随車のサハ57に運転台を取り付けた元クハ55300番代車で、のちのローカル線転出の際に便所を設置、クハ55430番代となった。 サハ57改のクハ55は先頭部形状に多数のバリエーションがあり、この車はサハ時代の窓幅のままで、貫通路扉もプレス製引戸のままのため、前面のサボ受けが扉部には付けられないので左側に付けられている。(もっとも、大糸線のクハ55の貫通扉付近には暖房機器が設置され、事実上使用できなくなっていたらしい) 大糸線のクハ55430番代には他に、ノーシル・ノーヘッダーの55435等が配置されていた。 '81.07.26 信濃大町駅 TM |
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●合の子クモハ43810 飯田線のクモハ53007・008と同様に、京阪神急電用に流電クモハ52型の増備車としてつくられた車両。 他の合の子車と同様に関西から飯田線に転属、他車が出力増強を受けた後もそのまま残り、のち身延線に転出のためパンタ取付部を低屋根化、その後大糸線に転出した。 飯田線の合の子に比べ存在は知られているものの、あまり話題に上らないまま、一足早く廃車されてしまった。 隣にはノーシル・ノーヘッダーのクハ55430番代車が居ますね(^.^)。 撮影日不明 北松本 TM所蔵 |
大糸線の旧形国電には、他にもサハ45やサハ57、海坊主クモユニ81なども在籍した。またあまり知られていないのは北松本支所のクモハ60の一部に、115系や165系の中部山岳区間車などに使われていたパンタ折り畳み高さの低いPS23パンタグラフを搭載したものが存在していた事で、これは中部地区のモハ80等と可部線のクモハ73(PS16)の一部以外では非常に珍しく、戦前型旧国としてはほとんど他に例がなかったと思われます。(現在、小野田線・本山支線用クモハ42001はPS16に換装されている) |
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※…▲印は両運転台車、その他は基本的に末尾奇数車は松本方、偶数車は南小谷方が運転台(クモハ51は全て南小谷方が先頭、57401、57402、45004、45005、45007はサハなので運転台はなし) |